11.
「……ごめんね。成り行きとはいえ、こんな話を聞かせてしまって。空美ちゃんには、関係のない話だよね」
遠山さんの青ざめた顔。白い指……。
凍りついた感情が、動いた。揺れて、震えて、急に痛みを感じた。
私は遠山さんの何でもないけれど、関係ないなんて、そんな風に言ってほしくない。言われたくない。
痛みの後に、熱いものが込み上げた。悲しいせいか、怖いせいか、混乱しているせいか、もはや自分の感情が分からなかった。
瞬きをしたら、ぽたぽたと滴が真下に落ちた。こんな時なのに、いつかの大雨の、髪から落ちた汚い滴を思い出す。
「本当にごめん。こんな気持ちの悪い話、聞かせてしまって」
遠山さんが言った。
私は瞼を押さえて、何か言い返さないとと思った。
……上手く言葉が出てこない。
「……もう、ここには来ない方がいい。シエロとセージが居なくなって、空美ちゃんが来る理由もないしね」
遠山さんは無理に口元だけ緩めて、そう言った。
「……突き放すんですね。私が、遠山さんに関わるの……迷惑ですか?」
ようやく、絞り出した声で言い返す。
「そうじゃないよ。どうしてこんな話を聞いて、関わりたいと思うの? 僕だって僕がおかしいことくらい分かる」
遠山さんは悲しそうな顔をしていた。
今、泣いてしまえばいいのに。こんな時ですら、涙をみせない。無理をしている。やっぱり、どうしても無理をしているように見える。
きっと、私にはどうしようもできないのだろう。
ただ、沈黙だけが続いた。
こんな状況なのに、逃げたいとは思わなかった。彼も帰れと言わない。
「もうこれで最後になるかもしれないから、空美ちゃんに一つだけお願いしたいことがある」
沈黙を破り、遠山さんは私を見つめてそう言った。
「何……ですか?」
「みさとさんに、できるだけ優しくしてあげてほしい」
言うに事欠いて、彼は今一番聞きたくない名前を口にした。
「どうしてみさとちゃんが出てくるんですか? みさとちゃんに頼まれたんですか?」
彼女の名前は、私を日常に引き戻す。久野のことを思い出して、すぐに男に頼る彼女を疑った。
「……何も頼まれてなんかいないよ」
遠山さんが嘘をついているようには見えない。
最後になるかもしれないというときまで、みさとちゃんのことを気にしている。彼にとって、彼女はそんなにまで大事な存在だったのだろうか。
「みさとさんには君が必要だから。今の彼女は、君が居ないと、きっと生きてはいけない」
何を言い出すのだろう。彼は、私達の幼馴染の関係を、勝手に美化している。
ここでみさとちゃんの話をしたいわけがない。
けれど、遠山さんの意図を知りたいと思った。それから、意地の悪い感情で、いい加減遠山さんの幻想を壊してやりたいとも。
「……そんなわけないです。確かにみさとちゃんはああいう性格だから友達が居なくて、昔から私に執着しているけど、結局は男の人さえ居れば、それでいいんだと思います」
「そうじゃない……。みさとさんは、男の人が苦手なんだ」
呆れて、言葉が出てこなかった。遠山さんは何も分かっていない。
「……何も、知らないから」
思わず呟く。
同時に、私の中で何かが弾けた。
「みさとちゃんには常に複数の男の人が居るんです。だから、遠山さんと付き合っていた時だって同時に何人もの人と関係を持ってました。同じ軽い考えの人同士ならそれでいいと思いますけど、彼女は遠山さんが思ってるような人間ではないです。誠実さの欠片もない。それは今だって何も変わってないはずです」
親切心なんかじゃない。今更、わざわざ私が言うことではないし、ただの醜い悪口だと分かっていた。でも、後悔はしない。それは、ずっと彼に投げつけたかった言葉だ。
「分かってるよ。分かっていて言ってるんだよ」
遠山さんから返ってきた言葉は意外なものだった。
彼は続ける。
「本当にみさとさんのことを分かっていないのは、空美ちゃんの方だ。君がみさとさんにそんなことをするのは止めて欲しいと言えば、彼女はきっともうそんな行為はしない。君に無関心でいられることに耐えられないんだ。君の気を引くために、苦痛に耐えて、最も嫌悪する男と関係を持っている」
遠山さんの言っていることが、全く理解できなかった。
「意味が分かりません」
私は言った。
「じゃあ、彼女から聞かされる、男の人の話をどう思う?」
「最低です。みさとちゃんもだけど、いつも聞かされるたび、男なんて気持ちの悪い生き物なんだと思ってました」
彼は頷く。
「……遠山さんだけは違っていましたけど」
私は付け加えるようにそう言った。




