10.
「何かあったんですか?」
いつもの定位置で、遠山さんを直視出来ずに、私は俯いたままそう聞いた。
目の前に置かれた紅茶の湯気がゆらゆらと上っていく。
遠山さんは、私の向かいの席に座って黙っている。
「僕はセージを……」
長い沈黙の後、彼はようやく口を開いた。そして、そう言うと同時に自分の両手で顔を覆った。
「え?」
私は一言、聞き返す。
「本屋で空美ちゃんに会った翌日、セージが……ゲージの中で冷たくなってた」
「……セージ、亡くなったんですか?」
遠山さんは顔を覆ったまま頷く。
「だから僕はセージを……」
数秒間の後、更に小さな声で続ける。
「僕は……セージのことを食べてしまった」
急な告白に、全く頭がついていかなかった。
私の聞き間違いだろうか。
「……食べ……たって……? 何を言っているんですか? セージを……ですか?」
途切れ途切れに、ようやくそう返す。
遠山さんは顔を上げたが、否定することなく視線を下に向けている。
頭が混乱した。
彼は、何を言っているのだろう。セージが死んでしまったのは理解できる。
でも、食べたって?
セージのことを?
タチの悪い冗談なのだろうか。遠山さんは、青ざめた顔で、そんな冗談を言うのだろうか。
背中がざわざわとし、世界がすごい速さでぐるりと回った気がした。私は逆さになって、必死で細い綱にしがみついている。頭上にも足元にも地面はなく、宙ぶらりんの状態だ。
「セージは家族だったから」
「家族だったから……?」
鸚鵡返し。まるで、私は独り言のように、彼が言った言葉を呟く。
一体その言葉はどこに続くというのだろう。
家族だったから? 家族だと思っていたから? 家族同然の飼っていたウサギを食べた?
「セージが死んでしまって、シエロも元気がなくなった。しばらく様子を見ていたけど、どんどん弱っていくばかりで可哀想になったよ。ウサギは寂しいと死んでしまうってよく聞くけれど、それは本当のことなんだね……」
「シエロ……。ああ、シエロ。セージのことは残念ですが、シエロには新しい仲間が必要かもしれませんね」
不安定な足元。宙ぶらりんのまま、私は抑揚のない声でそう言った。
遠山さんは、いつの間にか私をまっすぐに見ていた。
「シエロだって、セージと他のウサギの区別はつくよ。セージじゃないと、意味はない。シエロはセージのことを、とても愛していたから」
なんだかおかしい。
「……もしかして、シエロも……。シエロまで、死んでしまったんじゃないですよね?」
嫌な予感がして、私は間髪入れずにそう聞いた。
彼はゆっくりと首を横に振る。
「シエロ、隣の部屋ですよね?」
私はゲージが置いてあるいつもの場所に行こうと、立ち上がった。
「僕が殺して食べた……」
一瞬、着地できるかもしれないと期待したのに、宙ぶらりんのまま、それは、まるで頭をもの凄く硬いもので殴られたような衝撃……。
「殺して……? つまり、シエロもセージも二匹とも、遠山さんが食べた……んですか? 何を言っているんですか? さっきから、何言ってるんですか? 冗談……ですよね?」
彼は二度も飼っているウサギを食べたと言った。しかも、シエロは自分が殺して食べた、と。
聞き間違いでも、真剣に話す様子から、それが冗談なんかじゃないことも本当は分かっていた。それでも、今、嘘だと言ってほしくて、ただ一縷の望みで、私はそう聞き返すことしかできない。
「そうするしかなかった。これで、シエロとセージは僕の中で一つになれる。永遠に一緒に居られる。……もう置いていかれるのは嫌だから。……家族は、一緒に居ないといけないから」
彼は寂しそうな顔で続けた。
「君は僕を……怖いと、きっと気持ちの悪い異常者だと思っているだろうね」
私は答えられず、ただじっとテーブルを見つめていた。テーブルの上で重なる遠山さんの美しい指先は、いつもより白く冷たく見えた。
怖いとは思わなかった。急に一部の感覚だけが研ぎ澄まされ、間違いはなかったのだと思った。
……ずっと感じていた正体。
穴だ。
遠山さんの穴が、今、目に見える形で開いている。
怖いも何も、多分感情というものが凍りついてしまっていた。
私は今、どんな顔をしているのだろう。殴られたような鈍い衝撃だけは、ずっと続いている。
「シエロとセージだけなんて、不公平だよね。もし僕を殺して、僕の肉体を食べたいと思ってくれる人が居るなら、喜んで差し出すよ」
何を言っているのか、全く分からなかった。本当に、彼は何の話をしているのだろう。
「待ってください」
私は全てのものを遮るように、強い口調でそう言った。
いつまでも放心状態ではいられない。遠山さんが話したことを、無理にでも受け入れなければならない。
だって、理解できなかろうと、信じられなかろうと、話したことが紛れも無い真実だということだけは、何故かはっきりと分かるから。




