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おとうと  作者: 深月咲楽
4/9

第3章

(1)


 その夜、自宅の居間でテレビを見ていると、お風呂から出てきた母親に声をかけられた。

「未玖、明日は何か予定入ってる?」

「ううん。何もないよ」

 テレビには、最近よく見かける芸人達が、大して面白くもない一発芸を披露している。私はボリュームを下げた。

「ほんま? それやったら、今夜は飲んでも大丈夫やね」

 母親はそう言うと、バスタオルを肩にかけてキッチンに入って行く。そして、冷蔵庫からビールのロング缶を2本取り出した。

「お父さんも涼太も寝たし、久し振りに2人でどう?」

 両手に1本ずつ持ち、私の方へ歩いてくる。

「いいねえ」

 私は言いながら、ソファの隣の席に置かれていた文庫本とカーディガンを、テーブルの上に移した。

「はい」

 母親は私にビールを1本渡すと、今、私が空けた場所へ腰を下ろした。前髪や耳の後ろ辺りに白髪がちらほら見える。雰囲気はまだまだ若いが、やはり少しずつ歳をとっているんだなと思ってしまう。

「最近、大学の方はどうなん?」

 母親が缶ビールの蓋を開けながら尋ねてきた。私は我に返ると、ビールのプルタブに手をかけた。

「うん。それなりに楽しくやってるで。まあ、来年は4回生やし。就職もせなアカンのに、楽しいとか言うてる場合とちゃうねんけど」

 私はそう言うと、指に力を入れてプルタブを引き上げた。プシュッという音と共に、蓋の部分が缶の中へと押し下げられる。

「就職って……。あんた、大学院に進みたいんとちがうの?」

 母親に聞かれ、私は微笑んだ。

「大学に入った時はそれもいいかなと思うてたけど。私は研究者ってガラでもないし、もうええかなって」

 本当は進学したい。でも、家の事情を考えると、無理なことはよくわかっていた。

「ほんまに? うちに気を遣う必要は無いねんで。あんたは、私と違って勉強も好きなんやし、お店に縛られることなんて無いねんから」

 母親は4人姉妹の長女。うちの父親がムコ養子に入り、何とか四代目を継ぐことができた。

「これからは、うちみたいな小さい店はますます難しくなると思うねん。涼太に継がせても苦労するだけなんはわかってるし、私で終わりでええかなって、最近ね」

 母親がビールに口をつける。

「せやけど、この辺りも高齢化してきてるし、うちみたいに配達やってくれるお店は、まだまだ必要なんとちがうの?」

 私の言葉に、母親は寂しそうに微笑んだ。

「しばらくは、それでも大丈夫かもしらんけど。こんなん言うたらアレやけど、そのうちに人口も減ってくるやろしね。そうなったら、もう仕舞いやわ。一生懸命このお店を守ってきたご先祖さん達には申し訳ないけど、時代は変わるもんやから」

 倒れるその日まで、店番をしていた祖父の姿を思い出す。祖父は、病院に担ぎ込まれてからも、ずっとお店の心配をしていた。跡を取ることの重さを、つくづく感じさせられる出来事だった。

 私は無言のままビールを流し込んだ。母親が続ける。

「望月さんのところも、今は地デジの切替のお陰で何とかなってるみたいやけど、それが終わったらどうなるかって言うてはったわ。今はどこも厳しいんやろうね」

「そう。樹も跡を継ぐつもりは無いみたいやしねえ。アフターサービスとか考えたら、小さなお店の方が行き届くと思うねんけどね」

 私の言葉に、母親が寂しそうに微笑む。

「そういう、お店の人とのコミュニケーションが鬱陶しいっていうお客さんも、最近は多いんとちがうかな。何やろね、心の余裕の無い人が多くなったってことなんかもしらんね」

「心の余裕か。難しい問題やね」

 テレビから、わざとらしい笑い声が流れてくる。私はリモコンを手に取り、電源を切った。

「ああ、そうや。急に話が変わってアレやけど」

 母親がこちらを向く。

「この間の缶ビールの件、今日、野村さんから連絡があってね」

 野村というのは、涼太をパニックに陥れた、父親の友人の刑事だ。

「青酸カリの入っていた缶ビール、いろんな人の指紋が付いてて調べ切られへんかったみたいやで。高梨さんが倒れはった時、みんなが殺到して触りまくったらしいわ」

「ほんなら、お父さんもお母さんも、シロとは言い切られへんねんね」

 私が苦笑すると、母親は溜息を吐いた。

「ただ、たしかに同じ銘柄は銘柄やったみたいやけど、青酸カリの入ってたビールだけロットが違ってたみたいやわ。お陰で犯人からは外してもらえそうやで」

「そうなん? ほんなら、その1本だけ摩り替えられてたってこと?」

 私はビールを一口飲むと、母親の方を見た。

「うん。犯人は、青酸カリを仕込んだビールを、あらかじめ用意しておいたってことやろうね」

 母親が頷く。犯人は、調理場に置かれていたビールに細工をしたのではなく、その中の1本を摩り替えたということになる。

「ということは、犯人は、うちが何の銘柄のビールを持っていくか、わかってたってことかな」

 私の言葉に、母親が首を傾げた。

「さあねえ。うちが持って行ったのを見て、買ってきたのかもしらんし。前にも言うたけど、ダンボールは調理場の隅に置いてあったわけやし、目にする時間はあったと思うで。それに、いつも同じ銘柄のものを持って行ってたから、何度か打ち上げに参加している人は知ってたかもしらんわ」

「いつも同じ銘柄のものを持って行ってたって、何か理由はあるのん?」

 私が尋ねると、母親は微笑んだ。

「うん。前に岩田君達がお店にお買い物に来てくれたことがあってん。その時、あの銘柄が好きな選手が多いって話を聞いたもんやから」

「へえ。そうなんや。ビールの味の違いなんて、さっぱりわかれへんけど」

 私は缶ビールのマークを見ながら、首を傾げた。

「まったく。酒屋の娘の発言とは思われへんね」

 母親はそう言って笑うと、空になった缶を潰して立ち上がった。

「もう1本飲もうかな。あんたは?」

「ああ、私もいただくわ」

 私は残りのビールを一気に飲み干すと、空き缶をテーブルの上に置いた。これくらいの量では、少しの酔いも来ない。私は、冷蔵庫を開ける母親の背中に話しかけた。

「今日、樹と話しててね。犯人は、ダンボールの一番奥に、青酸カリの入った缶ビールを入れたんちゃうかなって話になってんけど。何でそんな凝ったことしたんやと思う?」

「一番奥ってどういうこと?」

 母親に振り返りながら尋ねられ、私は樹との会話をざっと聞かせた。

「ああ、なるほどねえ」

 母親が缶ビールを1本ずつ手に持ち、こちらに向かって歩いてくる。

「せやけど、ダンボールの合わせ目なんてもう片方もあるわけやし。そっちを開けて1本摩り替えておいて、合わせ目を何かで貼ったら、わざわざ全部取り出して入れる必要はないんとちがう?」

「それで、あえて反対側を開けて、手間ヒマかけたように見せかけたってこと? 何で?」

 私が尋ねると、母親が苦笑した。

「そんなこと、私がわかるかいな。――はい」

 母親は、私に缶ビールを手渡すと、再び隣に腰掛けた。

「まあ、どっちにしても、手間がかかるには変わりないやろけどねえ」

 母親が、手にしていた缶ビールをテーブルの上に置きながら続ける。

「例えば、自分がわかってて配るつもりやったんなら、偶然を装って青酸カリ入りビールをターゲットの前に置くために、細工したってこともあるやろけど」

 私は一口流し込むと、頷いた。

「ああ、なるほどね。でも、それやったら、ビールを配った小山さんが犯人ってことになってまうやんなあ」

「まさか」

 母親が笑う。

「ああいう時は、たくさんの人が出入りするねんから、犯人はドサクサに紛れて配るつもりでいてたんちゃうの? それが、小山さんに先に配られてしまったとか」

「せやけど、いつも小山さんが配ってはるのに、他の人が配ってたら目立ってしまうんとちがうかなあ」

 何かスッキリしない。その様子を見て、母親が苦笑した。

「まあ何にしても、あんたや樹君が、その青酸カリ入りの1本を飲まへんでよかったわ。こんなこと言うたら、高梨君には申し訳ないけど」

「ほんまやね。つくづく酒飲みやなくてよかったって思うわ。パカパカ飲んでたら、最初に配られた分では足りひんで、後で配られたビールにも手を出してたかもしらんし」

 私が言うと、母親が私のビールを指差した。

「これだけ飲んでも顔色ひとつ変えへん子が、『酒飲みやない』なんて、よう言うわ」

「たしかに。お酒の強さは母親譲りでございます」

 2人で顔を見合わせて笑う。

「まあ、事件のことは、警察が調べてくれはるやろし」

 母親はそう言うと、ためらいがちに続けた。

「ほら、正也君のことも、きっと調べ直してくれはるはずやで。野村さんから今日連絡があった時にも、お父さんが『正也君はほんまにいい子や。ただ巻き込まれただけで、犯罪に関わってることはないはずや』って、一生懸命話してたし」

 先日、正也の死を知って取り乱したことで、家族に心配をかけてしまったようだ。私は無理に微笑んだ。

「そう。それやったらええねんけど」

 ふと見ると、母親のビールはまだ手付かずのままになっている。

「飲まへんの? ぬるくなるで」

「ああ、おしゃべりが先になってしまって、忘れてたわ」

 母親は微笑むと、缶ビールを手に取り、プルタブに指をかけた。しかし、すぐに動きを止めて顔をしかめる。

「未玖、ティッシュちょうだい。汚れてるわ」

「そう。ちょっと待って」

 私は立ち上がって、サイドボードの上に置かれたティッシュの箱に手を伸ばした。涼太が夏休みの宿題とやらで作った、不恰好なケースの中に入っている。

 1枚抜き取ると、母親に渡しながら腰を下ろす。

「ありがとう。まったく、いやになるわ。これ、見て」

 母親はそう言いながら、缶ビールの上部を私の方に向けた。なるほど、缶の中に落ち込む蓋の部分に黒い汚れが付いている。このまま蓋を開けると、ビールの中に汚れた部分が浸かってしまう。

「プルタブのポイ捨てはなくなるかもしらんけど、衛生面ではどうなんかなって思ってしまうわねえ」

 母親がティッシュで汚れを拭おうとした時、はっとひらめくことがあった。

「ちょっと待って! お母さん、それやわ」

「え? 何やのよ、急に大きな声出して」

 母親が驚いたように手を止める。

「この間の件や。その蓋の部分に、青酸カリが塗ってあったんとちがうやろか。蓋が落ち込むと、その部分はビールに浸かるやろ? そしたら、塗ってある青酸カリがビールの中に溶けるやん。穴も何も開けんと、青酸カリを仕込むことができる。それに……」

 私は母親の顔を見て続けた。

「高梨さん、ビールを飲んだ直後やなくて、結構飲んだところで倒れはったらしいねん。缶を傾けて口にビールを流し込むたびに、蓋に塗ってあった青酸カリが徐々に溶け出したんちゃうかな。それやったら、倒れるまでに時間がかかったことも説明が付くし」

「ああ、なるほどねえ」

 母親が缶の蓋を見つめながら頷く。

「明日にでも、野村さんに言うてみるわ。あんたが今、考えたこと」

「うん。ほんまにそれが可能かどうか、聞いてみて」

 これで青酸カリを入れた方法については解決できるかもしれない。でも、どうしてわざわざダンボールの一番奥に青酸カリ入りの缶ビールを入れたのか。

「やっぱりスッキリせえへんな」

 私は残りのビールを飲み干すと、空き缶を勢いよく握り潰した。


(2)


 鳥のさえずりに目を醒ますと、カーテンの隙間から明るい光が差し込んでいた。体を起こして、枕元のアラームを手に取る。

「9時15分……かあ」

 昨夜は3時過ぎまで母親とお酒を飲み続けた。アラームをセットするのを忘れて、寝込んでしまったらしい。それにしても、眠い。

「もう少しだけ」

 ブランケットの中に潜り込もうとした時、毎度ながらのけたたましいボーイソプラノが、階段を駆け上がってきた。

「おい、未玖、いつまで寝てるねん。おーい、未玖!」

 ドアが勢いよく開き、涼太が顔を出す。

「もう。あんたは朝っぱらから、未玖、未玖、うるさいねん」

 私は体を半分起こして、涼太をにらんだ。

「未玖に『ミク』言うて、何が悪いねん」

 敵は怯む様子もなく、部屋の中へと入ってくる。

「早く着替えて下に来いって、父ちゃんが言うてるで。なんや、この間の刑事さんが来はるねんて」

「ああ、この間の刑事さんか」

 私は意地悪な表情を作って、涼太の顔を見た。

「あんた、またビービー泣かんようにせなアカンで。この間はほんま、赤ちゃんみたいでカッコワルかったもんなあ」

「うるさいっ!」

 涼太が私の腕を叩く。体が大きくなるにつれ、腕力も強くなってきた。

「なんや、痛いやないの。女の子に手を上げるなんて、最低やで」

 涼太の腕を掴みながら言うと、

「どこに女の子がおるねん。お前なんかもう、おばはんや」

 と憎まれ口を叩きながら、涼太がベッドの上に体を投げ出してくる。

「誰が、おばはんや」

 私はわざとコワイ声を作り、涼太にブランケットをかけた。

「何するねん、やめろや」

 暴れる涼太を押さえ込む。まだまだ私も負けてはいない。

「どうや。『お姉さま、申し訳ございませんでした』って言うたら、許してあげるわ」

「言わへんわ、未玖のアホ!」

 なおも抵抗を続ける涼太の体をくすぐると、ブランケットの下から「ギャー」という断末魔のような叫び声がする。生意気な口を聞こうが、所詮は子供。チョロいものだ。

 勝ち誇った気分で顔を上げると、開いたドアのところに母親が立っていた。

「そこのお2人さん。一体、何をジャレてるのん?」

 母親の呆れ声に手を止める。すかさず涼太がブランケットを跳ねのけ、再び挑みかかってきた。

「私が悪いんちゃうやんか、涼太が暴力振るうねん。ほら」

 涼太のパンチを手のひらで受けながら、母親の方を見る。

「俺が悪いんちゃうもん。未玖が赤ちゃんとか言うから悪いねんもん」

 今度は、涼太が手を止めて母親に訴えかける。私は彼の頭の上に手を置いた。

「ほんまやなあ。赤ちゃん言うたら、赤ちゃんが気いワルするなあ。涼太みたいにレディにパンチするような男は、赤ちゃん以下や」

「何やと。お前のどこがレディやねん」

 涼太がまた私の方を向いて、腕を振り回し始める。その様子を見ていた母親が、腰に手を置いて大きな声を出した。

「ほんまに、2人ともいい加減にしなさい。未玖、早く着替えて顔洗って。10時には刑事さんたち、来はるで」

「え? 10時?」

 驚いて時計を見る。あと30分しかない。

「ちょっと、涼太、どいて。あんたと遊んでるヒマはないわ」

 私は涼太を押しのけると、ベッドから降りた。

「まだ勝負はついてへんぞ」

 涼太が後ろから抱きついてくる。

「ちょっと、涼太! お姉ちゃんのジャマせんと、先に下に降りてなさい。サッカーの練習にも行かなアカンやろ?」

 母親に雷を落とされ、涼太がしぶしぶ体を離した。大人しく部屋を出るかと思いきや、ドアのところで振り返り、こちらに向かってあかんべえをしてくる。私が拳を上げて威嚇すると、「未玖のアホ!」という叫び声と共に階段を降りて行った。どこまでも腹立たしいヤツだ。

「ほら、未玖。あんたは、子供相手に何をやってるねん」

 母親が、涼太のせいでグチャグチャになったブランケットを畳みながら、苦笑する。

「せやかて、からかってたらオモロイねんもん。それで、刑事さんが来はるって、昨日言ってたビールの件?」

 私はタンスの引き出しを開けながら、母親に尋ねた。

「うん、それもあるねんけどね」

 母親が畳んだブランケットをベッドの上に置いて、小さく息を吐き出す。

「また、三友で殺人事件が起こったらしいねん。――今度は栄養士の小山さんが殺されはってんて」


(3)


 居間は重苦しい空気に包まれていた。

「それにしても、こうも次々と人が殺されるとはなあ」

 父親が、私の隣で腕を組む。

 小山は、今朝早く、調理場の隣に設えられた休憩室で、血まみれで倒れているところを発見された。心臓をひと突き。調理場に置かれていた包丁が無くなっており、凶器はそれと考えられている。しかし、まだ発見されておらず、鋭意捜索中らしい。死亡推定時刻は、昨夜の午後9時から10時の間とのことだ。

 手前のソファには私と父親が、テーブルを挟んで向かい側のソファには父親の友人である野村刑事と、三十代くらいの若手の刑事――諌山いさやまというらしい――が座っていた。野村刑事は、父親よりも若干貫禄があり、無精ひげにもかなり白いものが混じっている。目つきも鋭く、涼太が勘違いして泣き出したのも納得できる。

 テーブルの上には、手もつけられず冷めてしまったコーヒーと、一軒置いて隣のパン屋が副業で作っているショートケーキが並べられていた。朝食を食べそびれてお腹ペコペコの私としては、喉から手が出るほど食べたいところなのだが、さすがにこの雰囲気では手を伸ばすことができない。

「ほんまに、捜査せなアカン俺らの方も、いい加減うんざりや。せやけど、未玖ちゃんのお陰で、トリックがひとつ解けそうやし。今、確認させてもらってるわ」

 野村刑事が小さく頭を下げるのを見て、私は黙ったまま微笑んだ。

「せやけど、青酸カリの溶液を塗ったとしても、水分が飛んだら結晶が蓋に残るやろ? 気付かんもんやろかなあ」

 父親が首を傾げる。

「被害者はかなり酔っ払っとったみたいやし、気付かへんかったんとちゃうかなあ。それに、致死量はごくわずかやからな。がっぽり着いとったわけでもないやろし」

 野村刑事の言葉に、父親が頷いた。

「なるほどな。で、犯人の目星はついてるんか?」

「いや、まだや」

 野村刑事が眉間に皺をよせた。

「大西正也がリオナを殺して逃げたと考えとったからな。実際には正也本人も殺されとったわけやし、他にも三友関係者が2人も殺されたとなると、その部分からひっくり返るわな」

 だから違うと言っただろう。心の中で悪態をつく。

「そうそう、未玖ちゃんは、大西正也と仲が良かったらしいねえ」

 野村刑事に言われ、私は慌てて笑顔を作った。

「大西の口から、詐欺のこととか聞いてなかったかなあ。金回りが急に良くなったとか」

「いいえ、全然。正也君は正義感の強い人でしたし、犯罪に関わるなんてあるわけがありません」

 思わず口調が厳しくなる。

「せやけどねえ。高梨の部屋から押収されたプリペイド携帯には、大西名義のものも含まれとったんや」

 諌山刑事が言い返してくる。

「正也君は、普段からプリペイド式の携帯電話を使ってたんです。その携帯は、彼が普段から使っていたものではないんですか?」

 私が尋ねると、野村刑事が答えた。

「大西名義の携帯電話はふたつあってね。ひとつは本人が使用していたものやということがわかっている。しかし、もうひとつの方は違うようやね」

「え? 違うってどういうことですか?」

「つまり、自分が使う以外の意図で購入された携帯ということや」

「自分が使う以外の意図って……」

 とまどいを隠せない私の代わりに、父親が野村刑事に問いかける。

「実際に詐欺に使われていた、ということか?」

「いや、まだ新品で使われた形跡はなかったな。ただ、その携帯電話を購入した店舗から、大西正也の身分証明書のコピーが出てきたよ」

「本物やったんか?」

 父親の質問に、野村刑事が頷く。

「申込書の筆跡も一致したし、本人の指紋も出てきているし、間違いないやろな」

「ちょっと待ってください。犯罪に使う携帯を買うのに、本物の身分証明書なんて出すアホがいてるわけありませんよね。この間、テレビで特集をやってましたけど、ああいうのって、ニセの身分証明書を使うものなんでしょ? それに、他の人間に買わせた携帯を使うケースもあるって」

 たまらず口を挟むと、野村刑事が首を横に振った。

「たしかに、そういうケースがほとんどや。しかし、大西が携帯電話を購入した店舗についても、気になるところがあってね」

「購入した店舗?」

「ああ。西ノ京にある携帯ショップや。これが、渡瀬リオナのマンションの向かい側にある店でね。実際に大西が使用していた携帯も、未使用の携帯も、このショップから購入されたことがわかっている。しかも、大西がその携帯電話を購入して店を後にしたのは、昨年の10月27日午前11時頃。その向かいにあるマンションで、リオナが殺害されたのは同日の午前10時から12時の間や」

「西ノ京にある携帯ショップ? そこなら、私も利用したことありますよ。大学から一番近いし、交通の便もいいし」

 大学の学生課であっせんしているバイト情報のリストにも、載っていた覚えがある。

「実は、リオナが殺害された時、既にこのショップから情報が提供されていたんや。ただ、肝心の携帯電話が見つからへんかったし、リオナの事件と関係があるのかはっきりせんままになっとってんけどね。でも、今回、高梨の部屋から該当する携帯電話が見つかったことで、色々なことがはっきりしたよ」

 野村刑事の後を、諌山刑事が継いで説明する。

「どういうことですか?」

 何が言いたいのかわからず、私は尋ねた。

「大西は恐らく、リオナのマンションを訪ねたついでに、携帯ショップで詐欺に利用するための携帯電話を購入したんやろう。そして、リオナの部屋に戻った。しかし、その後、何らかの事情で彼女と口論となり、殺害してしまった」

 諌山刑事は続ける。

「リオナの携帯には、自分との関係がわかるような履歴も残っていたやろうしね。大西はリオナの携帯電話を持って、その場から逃げ出したんやろう。そして、グループの一員である高梨に、その件を相談した。もしかしたら、自首するとでも言ったのかもしれない」

「それで、口封じのために殺されたってことですか?」

 私が聞くと、野村刑事が頷いた。

「高梨のところで2人の携帯電話が発見されている以上、そう考えて間違いないと思うけどね」

「それで、高梨さんのところで見つかったリオナさんの携帯には、正也君との関係がわかるようなものはあったんですか?」

 私は少しイライラしながら尋ねた。

「いや、電話の履歴も電話帳もすべて初期化されていて、確認はできなかったね」

「それやったら、推測の域を出ないってことですね?」

 きつい口調で尋ねる。

「まあ、高梨自体も殺されてしまっているわけやから、事情を聞き出すことは残念ながらできへんしねえ。ただ、高梨を殺害した犯人がわかれば、その辺りのことも明らかになるかもしれへんね」

 野村刑事が答える。

「え?」

 私は眉間に皺を寄せた。

「高梨さんは詐欺事件に関連して、計画的に殺されたって言わはるんですか? でも、状況から見たら、偶然としか考えられませんよねえ」

 思わず身を乗り出すと、父親に上着の袖を引っ張られた。仕方なく元の位置に戻る。

「たしかに、ビールが配られた状況だけを見ると、無差別と考えるのが妥当やろう」

 野村刑事は、ひとつ大きく息を吐くと続けた。

「ただし、殺された小山さんが事件に関わっていたとしたら、事情は変わってくる」

「はい?」

 わが耳を疑う。

「小山さんまでグルやったって言わはるんですか? 最初は正也君の単独犯行とか言うてはったのに、えらいたくさんの人が関わり始めましたねえ」

「おい、未玖」

 父親に諌められたが、一度頭に上った血はそう簡単には下がらない。

「もう信じられへんわ。この先も、共犯者とやらがワンサカ出て来はるんとちがいます? ほんまに、警察の捜査なんて、ええ加減なもんですねえ」

「せやけどね、小山さんが犯人やとしたら、缶ビールをダンボールの一番奥に入れた理由も説明できるんや」

 諌山刑事が、額に血管を浮き上がらせながら続ける。

「彼女は、さも順番にビールを配っているようにみせかけ、最後に高梨のテーブルにビールを置いたんや。そうしたら、不自然ではないやろ?」

「ちょっと待ってください。森野さんが声をかけたから、小山さんはあのテーブルに缶ビールを置いたのとちがうんですか?」

 私が尋ねると、野村刑事が首を横に振った。

「高梨のいてたテーブルは、食堂の一番奥の出入り口付近に置かれていたやろ? 小山さんは手前のテーブルから順番に配って行ったらしいし、もし声がかけられへんかったとしても、あのテーブルには最後の列のビールが配られたはずや」

「こじつけですね」

 私は肩をそびやかした。

「それやったら、ダンボールの一番上の列に青酸入りの缶ビールを置いておいて、一番奥のテーブルから配ったら仕舞いやないですか。一番奥の列に入れておいても、何かの加減で、高梨さんのいてたテーブルまで持たずにビールが切れてしまったら、元も子も無いし」

「たしかに」

 父親が横で相槌を打つ。

「小山さんはそれまで、ビールやジュースの追加分は手前の入り口の方から順番に配っていたそうや。それが、青酸入りの缶ビールを配る時だけ奥から配ったりしたら、不自然やろう」

 諌山刑事が鼻の穴を膨らませて反論してきた。

「ほろ酔い加減の人達が集まってる中で、そんな細かいことなんて誰も気にしないんとちがいますか?」

 私も負けじと鼻の穴を膨らます。

「おい、未玖」

 突然、父親に声をかけられ、私は険しい表情のまま振り返った。

「何やのよ」

「俺はお疲れ会には参加してへんからわからんけど、誰がどのテーブルに着くかは決まってたんか?」

「ううん。決まってへんかったよ。立食パーティーやし、銘々好きなところに好きなようにいてるって感じやったわ」

 私が答えると、父親は首を傾げた。

「それやったら、高梨君が一番奥のテーブルを利用するなんてことは、誰にもわかれへんかったわけやな? 小山さんは、何であらかじめ一番奥に青酸カリ入りの缶ビールを仕込んだんやろ?」

「椅子は出入り口に近い壁際に並べられとったんや。せやから、座りたい人は自然に、出入り口付近にあるテーブルを使うことになる。椅子の数は少ないし、ああいう体育会系の会になると、年数の高い順に座っていくことになるはずや。

 つまり、手前か奥かどちらかのテーブルを高梨が利用することは、ある程度予想できたやろう。なんせ、高梨は現役最年長でキャプテンやからな」

 野村刑事が答える。

「なるほどな。もし手前のテーブルに高梨君が座っていたとしたら、小山さんはビールを一番奥のテーブルから配って行ったということになるんかな。諌山さんの意見に従うと、その時にはジュースなんかを補充する時にも、奥から配って行ったのかもしらんな」

「そういうことになるでしょうね」

 父親の言葉を聞き、諌山刑事が満足げに鼻を鳴らす。

「それやったら、ダンボールの一番上に置いてあっても、同じとちがいます? 手前に座っていたら手前から、奥に座っていたら奥から、ジュースもビールも配って行ったらよかったってことでしょ? そこはどう説明しはるんですか?」

 私が口を挟むと、諌山刑事は苦々しい表情を作って黙り込んだ。

「でもねえ、調理場でダンボールを長時間いじっていて、疑われなかったのは小山さんだけやと思うんや。ダンボールの一番奥に入れるとなると、かなりの時間もかかったやろうし、状況から考えても、どうしても小山さんが怪しいということになってしまうんやなあ」

 野村刑事が噛んで含めるように説明する。私がなおも反論を試みようとしたところで、父親が口を挟んだ。

「まあ、状況的に見て小山さんしかいないということやったら、それはそれとしようや」

 そして、私の顔を見た。

「あの時、高梨君のテーブルには、彼の他に3人の人物がいた。えっと、OBの岩田君とトレーナーの森野君と経理の……」

「岡安さん」

 私が助け舟を出すと、父親は頷いて2人の刑事の方に目を向ける。

「そうやったな、岡安君や。その3人がいてたわけや。そんなところに青酸カリ入りの缶ビールを置いたら、他の3人が誤って飲んでしまう可能性もあったやろ? 何でうまい具合に高梨君に当たったんやろう」

「まさか、ビールを飲まなかった3人までグルやなんて、言わはるんとちがうでしょうねえ?」

 私が嫌味をきかせて尋ねると、野村刑事が苦笑しながら答えた。

「森野さんと岡安さんは酒がからっきしダメやったんや。先日のお疲れ会でも、乾杯に付き合っただけで、ほとんど飲まんと残しとったみたいやし。それから、岩田さんも、普段はあまり飲まないらしいんや。この間は2本ほど飲んではったみたいやけどねえ。まあ、あのテーブルでビールを飲むのは、高梨だけと考えて差し支えないやろうな」

「そうか。小山さんやったら、そこら辺のことは知っとったやろうな。なるほど。そうなると、高梨君が青酸カリ入りの缶ビールを飲んだ可能性は高くなるか」

 父親が何度も頷く。

 私は唇をかんだ。たしかに、樹の話では、小山は高梨が1人でビールを飲んでいると認識している様子だった。計算できたと言えば、できたかもしれない。

「あっ」

 私は思いつくことがあり、顔を上げた。

「でも、岩田さんのところには、たくさんの人が挨拶に行きはったと思いますよ。そしたら、その挨拶している人達が、缶ビールに手をつける可能性かってあったわけでしょ?」

 現に、樹も1本手にしていたのだ。私は野村刑事の顔を見ながら続けた。

「その辺りのことも、小山さんやったらわかってたはずです。私でさえ、容易に考え付くことなんですから」

「それもそうやな」

 私の意見に、父親が頷きながら腕を組んだ。一体どちらの味方だ。

「で、その小山さんを殺したんは、誰なんや?」

 父親が尋ねる。

「それは今、捜索中で……」

 諌山刑事が答えた時、場違いな可愛らしいメロディが流れ始めた。

「失礼」

 野村刑事が上着の内ポケットから携帯電話を取り出すと、通話ボタンを押して電話を耳に当てる。

 着メロが「ポニョ」だなんて、この強面の外見から誰が予想するだろうか。怒りが少し静まると同時に、笑いが込み上げてくる。

 すると、今度は我が家の固定電話が鳴った。母親は涼太に付いてサッカーの練習場に行っている。私は立ち上がると、廊下に向かって急いだ。なおも電子音を響かせる電話の前に行き、受話器を手に取る。

「毎度ありがとうございます。やまはら酒店です」

「未玖か? お前、携帯電話、また充電してるんか?」

 樹だ。よそ行きの声を普段のトーンに戻す。

「ああ、今、お客さんが来てはるし、部屋に置きっぱなしやわ」

 私が答えると、樹が声をひそめた。

「それやったら、あんまり長いこと喋られへんな」

 声をひそめようがひそめまいが、受話器の向こうで話している内容など、居間にまで伝わるとは思えないのだが。

「実はな、昨夜、栄養士の小山さんが殺されはってな」

「そう。で?」

 とっくに知ってはいるが、隣に刑事がいる状態で説明するのもはばかられる。

「今の今まで、部屋を捜索されとってん。凶器の包丁が行方不明ってことで」

「え? あんたが疑われてるのん?」

「何でやねん!――何で俺が疑われなアカンねん」

 一瞬大きくなった声が、またすぐに小さくなる。

「あのなあ、全員の部屋を探されたんや。そしたら、えらいことになってん」

「何?」

「清人さんの部屋から見つかったんや。血の付いた包丁が」

 樹が興奮している様子が伝わってくる。私は不思議に思って尋ねた。

「岩田さんって結婚してはるやろ? 何で独身寮に部屋があるんよ」

「実はなあ、あそこ、先月くらいから奥さんと別居してはってな。離婚調停中らしいねん。で、独身寮にいてはったんや」

「あ、そう。なるほどね」

 私が頷いた時、父親が顔を出した。

「おい、急ぎの電話やなかったら、後でかけ直すことにせえ」

 私は父親に向かって手でOKマークを作ると、電話に向かって言った。

「後でまたかけるわ。実は今来てはるお客さん、刑事さんやねん」

「え?」

「私、青酸カリのトリック、見破ったかもしらんねん」

「は? 刑事? トリック? どういうこっちゃ」

 電話の向こうで、樹が素っ頓狂な声を出す。

「細かいことは、また後でね。ほんなら」

 受話器を置くと、私は大急ぎで居間に戻った。

「重要参考人が見つかったよ。凶器の包丁が出てきたんや」

 野村刑事が私を見ながら言う。

「ああ、岩田さんらしいですね」

 私が答えながらソファに座ると、2人の刑事が目を丸くした。

「どうして、それを?」

「今の電話です。樹が教えてくれて」

 手で廊下を指しながら答える。

「ああ、そうやったんか。樹君というのは、そこの電器店の? たしか、彼もみつともSCに所属していたね」

「ええ。そうです。私、幼なじみなんです」

 私が微笑むと、野村刑事は「そうなんか」と頷いて続けた。

「それから、缶ビールの件、なかなか立証するのは難しいみたいやな。ただ、缶の上部の溝の中に残っていたビールから、缶内部のビールよりも高濃度の青酸カリが検出されていたらしいんや。もしかしたら、蓋に付着した青酸カリの一部が溝にこぼれていたのかもしらんね」

「そうですか」

 私が頷くと、諌山刑事が口を開いた。

「あと、缶ビールのプルタブに、微かやけど食紅が付いていたみたいやね。よくよく注意して見な、気付かへんほどのものやったけど、付けた本人やったら見分けられたやろう」

「万が一、他のものと混じってしまった時のために、付けておいたんやろうか」

 父親が腕を組む。野村刑事は眉間に皺を寄せて頷いた。

「そうかもしらんな。青酸カリも食紅も、出所を洗うのは容易では無さそうやけどな」

「やっぱり、すぐにすぐ解決とはいかんわな。頑張って捜査してくれや」

 父親はそう言って微笑むと、時計を見た。

「もう11時半か。えらい長いこと話してもうたなあ」

「ああ、ほんまやな。そろそろ、おいとまさせてもらうわ。今日はどうも、ご協力ありがとう」

 野村刑事が立ち上がって頭を下げる。諌山刑事も慌てて立ち上がり、頭を下げた。

「いや、何かあったら、いつでもどうぞ。また飲もうや」

 父親も腰を上げる。

「おお、そうやな」

 談笑しながら玄関に向かう男3人を立ち上がって見送ると、私はささくれ立った気持ちのまま、目の前に置かれたケーキを頬張った。


(4)


 翌朝、みつともSCには更なる悲劇が起こった。警察での事情聴取を終えて寮に戻ってきていた岩田が、遺体で見つかったのだ。

 彼は、自分の部屋の床に仰向けで倒れていた。青酸カリの入った入れ物がテーブルの上に置かれており、足元にはビールの空き缶が転がっていたという。こぼれていたビールの中から青酸カリが検出されたことから、彼はビールの中に青酸カリを入れ、一気にあおったのではないかと考えられた。

 彼の足元に転がっていた缶ビールは、高梨殺害時に使用された缶ビールと同じロットナンバーだった。

 遺書は発見されなかったが、警察は自殺と断定。それに伴い、事件の概要もおぼろげながら見えてきた。

 詐欺グループのリーダーは岩田。他に高梨と小山と正也とリオナの4人が加わっていた。何らかの内輪もめから、正也がリオナを殺害。そして、その後、何らかの事情で正也も他のメンバーの誰かに殺害され、比良山中に遺棄された。

 最近になり、何らかの理由から再び仲間割れが起こった。岩田は小山を使って無差別殺人を装い高梨を殺害。その後、何らかの事情で小山を殺害した岩田は、警察の追及を受け、逃げ切れないと観念して自殺した。

 昨年の正也の事件に続き、詐欺事件に殺人事件と、次々に世間を騒がせたみつともSCは、当面の間活動を自粛することになった。

 マスコミは、まだ明らかにされていない「何らかの事情」という辺りに興味があるらしく、ああでもないこうでもないと想像たくましく騒ぎ立てていた。

 幸いと言っていいのか何なのか、私は大学の助教授に紹介された、資料の虫干しのアルバイトで忙しく、家に帰るのは連日深夜。電車に吊られている雑誌の宣伝広告にさえ目を遣らなければ、みつともの一件は耳に入らない状況になっていた。


 携帯の留守電に樹の声が残っていたのは、岩田が亡くなった5日後のことだった。

『俺にはどうしても納得でけへんことがあるねん。せやから、話をしたいんや。明日は土曜日やし、大学休みやろ。1時に、独身寮のそばの公園に来てくれ』

 大学が休みでも、デートの約束くらいあるかもしれないだろう。と、少しムッとしつつも――実際には、何の予定も入っていなかったわけだが――、樹の珍しく真面目な声にほだされ、私は今、彼の指示通り、独身寮そばの公園にいる。今日は雲が厚く、向かい側にあるはずの近江富士もその姿を隠していた。風も思いのほか強くて、安物のコートでは寒さが通り抜けてしまう。

 私は腕を組んで体を丸めながら、前に都竹と話をしたベンチに腰掛けた。

「せっかくの休みの日に呼び出してごめんな」

 樹に言われ、私は微笑んだ。

「かめへんよ。短期のバイトも昨日で終わりやったし」

「そうか。そう言ってもらえると助かるわ」

 樹が私の隣に座りながらつぶやく。

「みつとものメンバーの中には、他のクラブを探すやつも出て来とってな。都竹さんにも、あちこちから声がかかってるみたいや」

「樹はどうするのん? このままみつともSCに残るん?」

 私が尋ねると、樹は小さく溜息を吐いた。

「大阪のJFLのチームから声はかけてもらってるねんけど。プロ契約ではないし、もし移るとしたら、大阪の方で仕事を探すことになるやろな」

「三友工業の大阪支社とかは無いの?」

 私が尋ねると、樹が微笑む。

「工場があるわ。そこに行ったらどうやって、上の人は言うてくれてはるねん。転勤の手伝いしてくれるって」

「それやったら、そうしたらええやんか」

 私の言葉に、樹は小さく首を振ると、立ち上がった。

「もしJFLのチームに移るとしたら、俺はみつともSCを捨てることになるねんで。それやのに、同じ会社に勤めながらなんて厚かましいこと、でけへんわ」

 樹は子供の頃から、妙に義理堅いところがある。私は思わず微笑んだ。

「まあ、まだ21歳なんやし、いくらでも進む道はあるわ。いざとなったら、『デンキの望月』を継いだらええねんし」

「そうやな。それもええかもしらんわな。休みの日には、近所のガキどもを集めて、サッカー教室でもやるか」

 樹が力なく微笑む。あれだけ嫌がっていた家業を継ぐ気になっているとは、相当参っているようだ。

 私は話を変えることにした。

「で、電話で言うてた、納得でけへんことって何なん?」

 樹は再び、私の隣に座りながら答える。

「清人さんの自殺の件や」

 そして、辛そうな表情で前髪をかきあげた。

「清人さん、包丁が見つかった日に警察に連れて行かれて……。当日の夜中には寮に戻って来はってんけどな」

「それにしても、岩田さん、よく釈放されたなあ。部屋から凶器が見つかったっていうたら、結構大きな証拠になるのとちがう?」

「それが、都竹さんが清人さんのアリバイを証言しはったんや。ジョギングしとった時、裏の公園で見かけたって。それが、ちょうど小山さんの死亡推定時刻と重なったんや」

「ジョギング? そんな夜遅くに?」

 たしか、小山が殺害されたのは午後9時から10時の間だったはずだ。私が驚いて尋ねると、樹が頷いた。

「ああ。都竹さん、朝と夜、毎日ジョギングしてはるねん。人が多い時だと鬱陶しいし、あまり人がいてへん時間を選んでるって話やったけど」

「へえ。普段から鍛えてはるねんね」

 私の言葉に、樹が頭をかく。

「実力がある上に、努力までしてはるわけやからな。そら、上手いはずや」

「あ、話の腰を折ってしまってごめん。岩田さんの自殺がどうしたって?」

 私は話を戻した。

「ああ。そうそう、そうやったな。清人さんが釈放された翌朝、また警察が来てな。清人さんの部屋のドアを開けたら……」

「自殺してはったんやね」

 私の言葉に、樹が力なく頷く。

「せやけど、警察から戻った時、清人さん、まったく自殺しそうな気配はなかったんや」

「え? どういうこと?」

 よくわからずに聞き返す。

「清人さん、警察から戻って来てすぐ、館内放送かけはってな。午後11時過ぎやで。サッカー部員は食堂に集合って、有無を言わせん感じでなあ。俺、トイレに入ってたとこやってん。大慌てでケツ拭いて行ってんけど、最後になってもうて。そらもう、大目玉や」

「ふうん、それは災難やったねえ」

 つくづく体育会系に入っていなくてよかった。そんなことで便秘にさせられた日には、たまったもんじゃない。

「清人さん、俺の部屋に包丁隠したん誰やって、真っ赤な顔してわめいてはって。俺に向かって、お前は正也と仲良かったし、俺の部屋に包丁置いたんちゃうかとか言うてなあ。ほんまに、参ったで」

「何で、正也君と仲が良かったからって、樹が疑われなアカンの?」

 私が首を傾げるのを見て、樹がため息混じりに答える。

「それが、清人さん、午後9時に、呼び出されてこの公園に来てはったらしくてな。相手が来えへんかって、結局午後11時までここにおったそうや。そのせいでアリバイが証明できへんで、警察から余計に疑われてもうてな」

「そう。それを、都竹さんが見かけたって言うてくれはったってわけやね」

「ああ。午後9時半頃やって話やったし、微妙と言えば微妙やねんけどな」

 樹が苦笑する。

「で、正也君はどこで関わってくるんよ」

 私が先を促すと、樹は声をひそめた。

「清人さん、手紙で呼び出されたらしいねんけど、その差出人の名前が『正也』ってなってたみたいやねん」

「え? 『正也』って、正也君のこと?」

「ああ。多分な」

 樹が頷く。私の脳裏には、新たな疑問が浮かんだ。

「でも、それって何かおかしいんとちがう? 岩田さん、正也君が亡くなってること、知ってはったはずやし。亡くなってる人から呼び出されて、わざわざ出向くかなあ。普通やったら、ただのイタズラで済まさへん?」

「たしかにそうやわなあ。まあ、本人が亡くなってもうた以上、心理まではわかれへんけどな」

「手紙は残ってへんの? 内容がわかったら、わざわざ出向いた理由がわかるかも」

 私の言葉に、樹が残念そうに首を横に振った。

「それがなあ。清人さん、腹が立って、その手紙を破ってその辺に散らしてもうたって。あの日の夜中、雨が降ったからなあ。警察でも捜索したらしいけど、見つからへんかったみたいやな」

「そうかあ。岩田さんにしてみたら、踏んだり蹴ったりやね」

「せやからって、俺に矛先向けられたらかなわんわ。まあ、岡安さんがかばってくれはったし、助かってんけどな」

 樹が眉間に皺を寄せて続ける。

「犯人が清人さんの部屋に包丁を隠したんは、清人さんが部屋を空けていた間のはずやろ? でも、その頃、俺は岡安さんと森野さんと3人で、祇園で合コンしとってん。そのことを、説明してくれはったんや」

「ふうん。合コンか」

 私の言葉に、樹が苦笑する。

「まあ、合コンって言うても、体裁だけやけどな。女の方は3人とも、年上の男がええって感じやったし。ほんまに、モロにわかるような態度とりやがって、シャレにならんかったで。どっちにしても、あんなチャラチャラした女達なんて、こっちから願い下げやわ」

 要するに、誰にも相手にされなかったということだろう。私が黙っていると、樹は肩をそびやかした。

「所詮、俺は代役やし、どうでもええねんけど」

「代役って?」

 私が聞き返すと、樹はこちらを見た。

「合コンの幹事は岡安さんやってな。何でも、行きつけのクラブのホステスさん達に頼み込まれて、仕方なくセッティングしたらしいねんけど。それが、初めは森野さんと他のメンバーが行くことになっててん。でも、そのメンバーが行かれへんようになってもうて」

「うん」

「で、あちこちに聞いて回ったら清人さんが空いてはったし、清人さんが行くことになったらしいねん。それが、当日、例の『正也』からの呼び出しのせいで行かれへんようになってもうて。で、最後に俺に回ってきたってわけや」

「なるほどね。それやったら、代役の代役とちゃうの?」

 私が笑うのを見て、樹が頭をかいた。

「ほんまやな」

「せやけど、女の子達の電話番号くらいは聞き出してるんやろ? そこから何か発展があるかもしらんやん」

 私の言葉に、樹の表情が曇った。そうか。電話番号すら教えてもらえなかったか。

 ここで何か言うと、また傷つけてしまいそうだ。私は冷たくなった手に息を吹きかけながら、ゆっくり立ち上がった。

「ああ、そうや」

 樹が突然大きな声を出す。

「どうしたん?」

 私は振り返って尋ねた。

「実はな、女の子の中に、リオナと仲良かったって子がおってなあ」

「え? それで、事件のこと、何か知ってたん?」

 私は樹に視線を向けたまま、元いた場所に座り直した。

「事件のことってわけではないけど……。リオナなあ、殺される何ヶ月か前、結婚したい人がいてるって、幸せそうに話してたらしいわ」

「そうなん? まさか、その結婚したいって人が、正也君とか?」

 心臓が早く打つのを感じながら尋ねる。

「それが、名前まではわからんらしいねん。一度、街でリオナと一緒にいてるところを見かけたけど、よく覚えてへんって。後姿やったそうやしな」

「街で一緒にって……。リオナさんって水商売してはってんろ? お客さんとかと、お付き合いで出かけることもあったんとちがうの?」

「いや、リオナは普段の格好してたみたいでな。プライベートで付き合ってる男性やと思ったって話やわ」

「ふうん」

 私は首の後ろで両手を組んだ。

「それだけでは、それが正也君とも正也君ではないとも、言われへんわね」

「そうやねんなあ。ただ、リオナは年上が好きやったらしいねん。せやから、正也が指名手配された時、ちょっと不思議な感じがしたって」

「そうか。リオナさんって、たしか24歳やったもんね。正也君は私達と同い年やし、年下になるか」

 私の言葉に、樹が頷く。

「ああ。違うとは言い切られへんけど、可能性は低いって感じかな」

「そうやね」

 私が溜息を吐くのを見て、樹が立ち上がった。

「やっぱりここは寒いな。ファミレスでも行くか」

 腕時計を見ると、時間は既に2時近くになっている。

「うん。そうしよう」

 私も腰を上げた。


(5)


 窓際の席からは寮が丸見えで、何となく落ち着かない。食事時はとっくに過ぎているというのに、空いている禁煙席がここしかなかったのだ。世の中にはヒマな人が多いらしい。かく言う私もその1人ではあるのだが。

 樹の前にはまた、毒々しいソーダ水が置かれている。私は今回、温かいコーヒーを選んだ。フレッシュを少しだけ垂らすと、スプーンでグルッとかき回す。

 すると、樹がテーブル脇のメニューを手に取った。

「やっぱり、俺、食べるもんも何か頼むわ。ちょっと小腹が空いてきたし」

 言われてみると、そんな気もする。

「それやったら、私も何か食べようかな」

「そうか。俺は、チョコレートパフェにするけど。お前は?」

 樹からメニューを受け取り、デザートのページをざっと眺めた。

「そうやねえ。ほんなら、チーズケーキ」

 私の返事と同時に、樹がテーブルにしつらえられた呼び出しボタンを押す。やって来た店員にオーダーを伝えると、去るのを待って私の方を見た。

「お前、さっきの清人さんの件聞いて、どう思う?」

「たしかに、樹のこれまでの話を聞いてると、とても『罪を悔いて』自殺したなんて考えられへんわね」

 私がメニューを元に戻しながら答えると、樹が頷く。

「せやろ? ということは、清人さん、誰かに殺されたってことになるやん」

 その時、お盆を手にした店員が現れた。チョコレートパフェを私の前に、チーズケーキを樹の前に置いて去っていく。

「何で、パフェ食うのは女やって、勝手に決め付けるんやろ」

 樹がぶうたれながら、パフェとケーキを交換する。

「一般的にはそうやろからねえ」

 私はそう言って微笑むと、フォークを手に取った。

「で、岩田さんを殺した誰かに、心当たりはあるのん?」

「いや、それが無いねん。まったく」

「はあ? 何やそれ。自信満々やし、何か証拠でも掴んだんかと思ったのに」

 思わず脱力する私に向かって、樹は無邪気に微笑んだ。生クリームに埋もれているバナナを長いスプーンで器用に掘り出すと、大口を開けて食べる。

「バナナはやっぱり美味いな。生クリームと一緒に食うと、更に美味いわ」

 私もチーズケーキをフォークで切り取り、一欠け口に放り込んだ。

「よう、お2人さん」

 その時、背後からいきなり声をかけられた。驚いて振り返る。そこには、森野と岡安が微笑みを浮かべて立っていた。

「あ、こんにちは」

 慌てて口の中のチーズケーキを飲み込むと、頭を下げる。

「未玖ちゃん、お久し振り。って、この間のお疲れ会でも会うたか。でも、あの時はほとんどしゃべれんままやったしね」

 森野が微笑む。

「ええ。そうでしたね」

 私が答えると、森野は岡安の方を親指で示しながら、樹を見た。

「ちょうど岡安とロビーで会うてな。茶でも飲みに行くか言うて寮を出たところで、2人の姿が見えたもんやから」

 すると、岡安が私達の顔を交互に見ながら口を開いた。

「もしお邪魔じゃなければ、ご一緒させてもらってもええかな? 森野さんと2人で茶しても、味気ないし」

「何やと、こら」

 森野が岡安の頭を叩く振りをする。どうやら、かなり仲がいいらしい。

「ええ、まあ、俺は構いませんけど」

 樹は少し困惑気味に、私の方へと視線を送る。

「もちろん、どうぞ」

 そう言いながら、私は席を詰めた。

「そう、ほんなら失礼しまっさ。俺は未玖ちゃんの隣に座らせてもらおっと」

 森野はおどけた口調で言うと、私の隣に腰を下ろした。

「ほんなら、僕は樹君の隣に……って、そんなにイヤそうな顔すんなや」

 樹のわざとらしいしかめっツラを見て、岡安が笑いながら樹の肩を小突く。

 2人が席に着いたところで、森野が口を開いた。

「今、事件の話をしてたんやろ? 樹が探偵みたいにあちこち嗅ぎ回ってるって噂、ちょっと耳にしたもんやから。気になっててね」

「あ、そうなんですか。正也が犯罪に関わってることにされてもうてるでしょ? どうしても納得でけへんし。それで、つい首を突っ込んでもうて」

 樹が頭をかく。

「そうか。未玖ちゃんも、正也とは仲良かったもんな。友達の濡れ衣を晴らすために動くなんて、泣かせる話やなあ」

 森野が私達の顔を交互に見ながら頷いた時、店員が水とおしぼりを持って現れた。森野はプリンアラモードを、岡安はフルーツパフェを注文する。そして、店員が去るのを待って、森野が再び話し始めた。

「で、樹探偵はどんなネタを仕入れたんや?」

「いえ、それがまったく……」

 樹が苦笑しながら、とけかけのアイスを口に入れる。森野は呆れ声を出した。

「何や、何や。未玖ちゃんは缶ビールのトリックを解いたって、専らの噂やのに。樹は探偵やなくて、助手の方が合うてるんちゃうか?」

 そこで、プリンアラモードが運ばれてきた。森野の表情がぱっと明るくなる。

「お、美味そうやなあ。俺、子供の頃からこれに目が無くてね」

「たしかに、美味いですよね」

 樹も頷く。どうも私の周りの男連中は甘党が多いようだ。そう言えば正也も、甘いものが大好きだった。

「うん、美味い。プリンと生クリームを一緒に食うと、更に美味いねんな」

 スプーンを片手に、森野が満足げに微笑む。どうやら、『何かと生クリームを一緒に食べる』のが、三友に勤める男達の口に合うらしい。

 そこで、今度はフルーツパフェが到着した。

「森野さん、僕の方が美味そうちゃいます?」

 岡安がフォークを手に微笑む。

「ほんまやな。交換しよ」

 森野が差し出した手を、岡安が払いのける。その様子がおかしくて、私と樹は声をそろえて笑った。

「この人、いっつもこんなやねんで」

 岡安が森野の方を指差して、顔をしかめる。

「知ってます。俺の方が岡安さんより、付き合い長いですから」

 樹が真顔で頷く。

「なんやと、こら」

 森野が眉間に皺を寄せる様子を見て、また笑いが起こった。

「ところで」

 森野は両手を広げて場を納めると、周りを見回しながら話し始めた。

「今回の事件に関して、どうしても気になることがあるねん。で、ぜひ未玖探偵のご意見をいただければなと」

「やっぱり、俺は助手に格下げですか?」

 樹が残念そうな顔をする。その姿を見て小さく笑うと、森野は私の方を見た。口元には笑みが浮かんでいるが、目は真剣だ。

「私の意見なんて、あまり参考にはならないと思いますけど……」

 私はそのギャップが気になり、とまどいながら微笑んだ。

「実は、森野さん、正也のこと可愛がってくれてはってん」

 樹が口を挟む。

「正也のやつ、肉離れのクセがあってな。試合が終わるとマッサージしてくれ言うて、いつも俺のとこにやって来てたんや。特別に可愛がってたつもりは無いねんけど……。やっぱり他のヤツより気にはなるわな」

 森野が照れたように言う。

「何や、森野さんもええとこあるやないですか。可愛い選手の濡れ衣を晴らすために動くなんて、泣かせる話やなあ」

 岡安が、先ほどの森野のセリフを使って茶化す。

「ほんまに、お前はいちいちうるさいねん」

 森野は拳骨を作って岡安を殴る振りをすると、再び私の方を見た。

「それで、気になることって何ですか?」

 森野の本心がわかり、私は少し嬉しくなって尋ねた。

「ああ。正也の遺体が発見された時のことやねんけどな」

「正也の遺体?」

 森野の言葉に、樹が顔を上げる。

「あいつの遺体が発見されたのは、誰かからの密告があったからやろ? 一体誰が密告したのかってことが、気にかかってるねん」

「えっと、正也の遺体が見つかったのは、高梨さんの事件があった……」

 樹がジーンズの尻ポケットから、汚い手帳を取り出す。ペラペラとページをめくって内容を確認すると、顔を上げた。

「4日後ですね。密告があったのは、その前日くらいですかね」

「いずれにしても、高梨さんではないことだけはたしかや。亡くなってはったわけやし、電話なんてできるはずがないからな」

「ええ。そうですね」

 森野の言葉に、私は頷いた。

「せやけど、正也の遺体が埋められている場所がわかる人ってことは、正也の殺しに何らかの関係があった人ってことになりますよね」

 樹に言われ、岡安が口を開く。

「あるいは、関係がある人から話を聞いた、とかな」

「なるほど」

 私と樹は、同時に頷いた。

「問題は、どうして密告する必要があったのかってことや。言い換えると、なぜその人物は、わざわざ正也の遺体を発見させる必要があったのかってことやな」

 森野は水を一口飲むと、私の方を見た。

「もし、正也の遺体が見つかってへんかったら、どういうことになってたと思う?」

「そうですねえ。ただでさえ、殺人犯の上に詐欺の共犯にまでされかけたわけですし。下手したら、正也君が一連の事件の犯人にされていたかも」

 私が答えると、森野が口を開いた。

「俺もそう思うねん。でも、真犯人にとっては、正也が犯人と思われる方が好都合やったはずやろ? 自分に嫌疑がかからんで済むねんから」

「それやのに、わざわざ大西君を発見させたってことは……。逆に、彼が犯人と思われたら困る理由があったのかもしれませんねえ」

 岡安はそう言いながら、森野の顔を見た。森野が満足げに微笑む。

「俺も同じ意見やわ。そこで、問題になるのが、清人さんの自殺や」

 すると、樹が、我が意を得たりとばかりに身を乗り出した。

「俺は、清人さんは自殺やないと思うんです。前の晩のこともあるし、罪を悔いて自殺すしたなんて、ちょっと考えられへんし」

「そうやろ? もし清人さんが自殺やないとなると、誰かに殺されたってことになる。つまり、清人さんは、犯人に仕立て上げられてしまったってことにならへんか?」

 森野も身を乗り出す。

「そうか。それやったら、正也を犯人にされたら困るっていう話も、説明できますよね。清人さんに罪をかぶせることができなくなりますからね」

 樹が納得したように頷く。

「つまり、密告したのは真犯人自身ってことになりますね」

「あの、ちょっと」

 私が遠慮がちに口を挟むと、3人の視線が集まった。

「必ずしも、真犯人が密告したとは限らないんじゃないでしょうか。例えば、正也君への疑いを晴らしたい誰かが、たまたま正也君が埋められている場所を知って、密告したとか」

 すると、森野は驚いたような表情をした。

「そんな人がいてるんか? 君達以外に、正也の容疑を晴らしたいような人が」

 私の脳裏に、都竹の顔が浮かんだ。彼がもし、正也の異母兄だとしたら、あるいは……。

 すると、樹が答えた。

「実は、正也には母親の違うお兄さんがいてるんです。家の事情でおおっぴらに会うことはできなかったみたいなんですけど、お互いに大切に思っていたみたいで」

「異母兄ってことか? で、その人は今、どこにいてるのか、わかってるんか?」

 森野が樹に尋ねる。

「いえ、それはまだ……。ただ、俺は、都竹さんがそうなんじゃないかと思ってるんです」

「そのこと、都竹君には確認したのか?」

 岡安が複雑な表情を浮かべる。

「ええ。否定はされましたけど、不自然な感じで。条件もあてはまりますし、間違いないんじゃないかと思うんですけど」

「条件っていうのは?」

 今度は森野が尋ねる。

「額にキズがあること。これは、子供のころにエスカレーターから落ちて、頭を怪我したことがあるって、正也から聞いてるんで」

 樹の言葉に、森野が額をさすった。

「たしかに、都竹の額にはキズがあるな。他には?」

「正也が進路に迷った時に、J2のチームではなく、みつともを薦めたこと。それから、親父さんがよく、ホットケーキを作ってくれたってこと……くらいかな」

 樹が私の方に目を遣る。

「あと、正也君のことを色々と聞いて回ってたってこと。あ、それから、歳が離れてるってことも」

 私は思いついたことを付け加えた。

「なるほど。それやったら、真相を知った都竹が正也の仇を討とうとして……」

 森野がつぶやく。すると、岡安が口を挟んだ。

「都竹君と大西君は何歳くらいの差や?」

「えっと、4つですね」

 樹が答える。岡安は首を傾げた。

「4歳差か。それで歳が離れてると言えるかどうか、微妙な気はするけどね。これは、僕個人の感覚やしアレやけど、5歳以上離れてないと、歳が離れているという印象は持たへんなあ」

「まあ、未玖んとこみたいに、10歳以上差があったら、間違いなく歳の離れた兄弟やねんけどな」

 樹が苦笑する。

「ああ、そうか。未玖さんには、弟さんがいてるんやったね。たしか、サッカーやってるとか」

 岡安が私の方を見て微笑む。

「ええ。そうですけど……。何でご存知なんですか?」

 不思議に思って尋ねると、岡安は樹の方を見た。

「前に樹君から聞いたんちゃうかったかな。フォワードやってるって」

 樹は微妙な笑みを浮かべて、黙っている。

「そうなんですか。そう言えば、初めて都竹さんに会った時にも、いきなりフルネームで呼ばれて、びっくりしたんやったわ。樹、あんまり人の個人情報をペラペラ話して回らんといてや」

 私が樹の方を見ると、彼は苦笑いしながら軽く頭を下げた。

「樹君、ごめんな。僕が余計な話をしたばっかりに、未玖さんに怒られる羽目になってもうたな」

 岡安が笑う。

「お前はほんまに、一言多いねんから」

 森野が呆れたように言った時、岡安の携帯が鳴った。相手を確認すると、苦々しい表情を浮かべる。

「課長や。まったく、休みの日にまで電話かけてくるなんて、ほんまにいやになるわ」

「大変ですねえ」

 樹が気の毒そうな顔をする横で、岡安は携帯を耳にあてて私達に背を向けた。何度か頷いた後、電話を切ってこちらを向く。

「ごめん。急な仕事が入ってもうたわ。僕は帰るけど、気にせんと続けてね」

 岡安はそう言いながら、携帯を胸のポケットに仕舞った。

「ほんなら、俺も一緒に行くわ」

 森野が、レシートを手に持つ。

「森野さん、俺が支払っときますし」

 樹が慌てて森野を引き止める。

「いや、後で岡安に請求するし、気にせんといてくれ」

 森野がそう言って立ち上がると、岡安も腰を上げながら森野を見た。

「そこは、森野先輩にお譲りしますよ」

「まったく、こういう時だけ先輩扱いやからな。俺ら、同い年やねんで。ほんまにいやになるわ」

 森野はちょっと肩をすくめた後、私の方を見た。

「ということで、俺の疑問は伝えたで。未玖探偵と樹助手、頑張って謎を解いてくれたまえよ」

 森野は片手を挙げると、レジに向かって歩いて行った。その後について歩き出した岡安が、急に立ち止まる。真顔で振り返り、私達の方を交互に見ると、小声で言った。

「なあ、2人とも、もし他に真犯人がいてるとしたら、あまり事件に首を突っ込むのは危険かもしらん。なんせ、相手は殺人犯やからな。ほんまに、気をつけて行動してくれや」

「ええ。ありがとうございます」

 樹が立ち上がって頭を下げる。私も一緒に立ち上がり、会釈した。岡安は小さく頷くと、レジで店員と会話している森野の元へと急ぐ。2人の後ろ姿を見送った後、私達は再び席に着いた。

「岡安さんって、意外と心配性やねんね。初めて会った時も、樹に私を家まで送るように言うてくれてはったし」

 私が言うと、樹は微笑んだ。

「ほんまに、何やかやでよう面倒みてくれはるわ」

「へえ。面倒見がいい人やねんね」

 窓の外に目をやると、笑いながら寮の中に入っていく2人の姿が見える。

「うちの会社の先輩方は、岡安さんに限らず、みんな良くしてくれはるねん。せやから、辞めにくいっちゅうか……」

 樹はそう言うと、グラスの底に残っていた緑の液体を一気に吸い込んだ。そして、顔を上げてイタズラっぽく微笑みながら、こちらを見る。

「で、どうやって真犯人とやらを見つけますか、未玖探偵?」

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