137.黒き城
オウイン・セージュ視点です。
母上に呼ばれて、私は彼女の私室の前にいる。夏前から調子を崩されている母上だが、最近は新しく雇い入れたメイドの献身的な世話によってかなり回復なさっているそうだ。
ちらり、と気配を探る。特に何もなさそうだが、私付きの忍びであるイカヅチはいつでも飛び出して来られるように見てくれているはずだ。よし、大丈夫。
「セージュ殿下、どうぞお入りください」
「うむ」
ゲキが私を迎え、扉を開く。その向こうでは、母上付きのメイドたちが私を出迎えた。
彼女たちもそうなのだが、最近城にいる使用人たちの視線がどことなくねっとりとしていて、私は気に食わない。父上もミラノも、気のせいだと言うのだが。
そのまま案内されて私室の奥、寝室に入る。母上が休んでいるはずの大きな天蓋付きの寝台には、メイドの1人が覆いかぶさるように座り込んでいた。
「何をしている?」
「あら、いらっしゃいませ。セージュ王女殿下」
私の声に気づいてこちらを見たのは、右の目を包帯で覆い隠している黒髪のメイドだった。夏前、新しく下働きとして雇ったうちの1人で、その働きぶりから母上が自らの側用とした少女。その器量と気遣いに、父上とミラノが心を奪われている娘。
名前は、確か。
「お前、シーナ……」
「はい、正妃殿下の身の回りをお預かりしておりますわ。今宵は、正妃殿下にお願いして王姫殿下をお呼びさせていただきました」
シーナが薄ら笑いを浮かべながら、ゆっくりと寝台から降りる。靴を履いていない、ストッキングすらもつけていない白い足が妙に艶めかしくて、私は思わず目をそらした。
「よく、来てくれたわ。セージュ」
「母上……?」
不意に耳に届いた母上の声に、慌てて寝台に視線を戻す。上掛けを剥ぎ取られたそこには、間違いなく寝間着姿の母上が横たわっていた。あられもなく胸元をくつろげ、足を大きく広げた姿で。
とろんと熱に浮かされ、頬を赤らめたままで母上は、夢でも見ているかのように笑った。
「ふふ。セージュ、良かったわねえ。あなたもやっと、こちら側に来られるのねえ」
「こちら、側?」
母上は、何を言っているのだろう。今の今まで、シーナと何をしていたのだ。
思わず後ずさった私の身体に、メイドたちが腕を絡ませてきた。首に、二の腕に、腰に、脚に。
「ダメですよお、殿下あ」
「おとなしくしてくださいまし。せっかくシーナ様が、お認めくださったんですからあ」
ねとり、どろり。
絡みつくメイドたちの言葉も夢を見ているように虚ろで、それなのに腕の力は鍛えていない使用人とは思えないほどの力で、振り切ることができない。
それに、同じ使用人のはずなのに『シーナ様』、だと?
「この者たちは、全て私の下僕ですわよ。既に城のほとんど全ては、私の支配下にあります。残るはセージュ殿下、あなただけですわ」
包帯をするすると解きながら、あはは、と楽しそうにシーナが笑う。いや、その名も恐らくは偽名だろう。コーリマの城に入り込むために名を変え、おとなしい少女を装った、足音もなく迫ってくるこの女は。
「黒の信者か、貴様」
「ええ。皆は私を、魔女と呼びます」
「黒の魔女……砦の兵士たちを全滅させた! 貴様がそうか!」
にい、と唇の端を引いた彼女の笑顔に、背筋がぞくりとした。包帯に隠されていた右の眼に、まるで吸い込まれるような気がして。
「殿下は女性だからこの眼の魔力には耐えられますけれど、男なら今頃大喜びで私に襲いかかっているでしょうね。生命力も尊厳も何もかも吸い取られる、なんて気づかないままに」
目前まで来た彼女との距離が、ゼロになった。シーナは、魔女は、私の唇を無造作に貪ったのだ。
「んんんっ! んふ、ふうっ!」
ぬめぬめとしたものが、口の中に入り込んでくる。彼女の舌か……なんて、もう思う気力もほとんどなくて、私は必死に自分の舌を絡めた。
何かが、私の中に入ってくる。なんだろう、なんでもいい。私は、気持ちいい。
「……んふ」
ややあって、魔女が顔を離した。そんなに時間は経っていなかっただろうけれど、私はもう、腰が砕けかけている。はあはあと荒い息をつきながら、私は次の言葉を待っている。既にメイドたちは私から離れているのに、動こうとする気などすっかり失せていた。
「さあ、王姫殿下。あなたはなぜ、ここに来られたのかしら」
「……わ、わたしは」
尋ねられて、戸惑った。
私は、どうしてこの部屋に呼ばれたのか。母上に……そうだ、母上に、大切な用事があるからと呼ばれて来たのだ。
大切な用事……何が、大切か。
ああ、今の私に何が大切かなんて、たったひとつしか、考えられない。
「……黒の魔女、様に、すべて……を、お捧げするために……」
「よくできました」
ああ、そうだ。私はこの部屋で、黒の魔女様への忠誠を誓うために呼ばれたのだ。既に身も心も黒く染められている父上や母上、ミラノと同じように。
「まだ男を知らないそうね? サクラ・ゲキを知りなさい。初めてが黒の洗礼であることに、心から感謝するの」
「……はい……」
「魔女様と黒の神に無限の感謝と忠誠を。私サクラ・ゲキは、オウイン・セージュの純潔を黒の神に捧げる役目を仰せつかりましょう」
そうか。この場にいる、私以外の全員は既に男も女も、黒の神のお力を受けた魔女様によって洗礼を受けているのだ。私を、オウイン・セージュを皆で黒の洗礼に浸し、身も心も黒の魔女様の道具にするために。
そうして、我がコーリマ王国を黒の聖域にするために。
私は、ここで黒に染まった警備隊長に抱かれて、黒の魔女様にお仕えする道具となるのだ。
ああ、ドレスなんて邪魔。服も、下着も、もう必要ない。女の穴だけあれば。
……違う。
私は、コーリマを、守りたいのに。
瞬間、室内が白い煙に満たされた。魔女の姿も、ゲキの姿もあっという間に見えなくなる。
「なっ!」
さすがにこの事態は魔女も予測していなかったらしく、慌てた声が聞こえる。その声に答える間もなく、私の腕を誰かが掴んだ。いや、誰かなんて分かっている。
私の忍び、イカヅチだ。黒髪を短く刈った精悍な眼差しの、カイルについていったムラクモの兄。
「殿下、窓からお逃げください!」
「イカヅチ? ……済まない!」
引っ張られて私は、そのまま部屋の窓へと駆け寄る。母上の部屋は高い塔の上にあるけれど、もうそんなことを言っている場合ではなかった。このままでは私は、私ではなくなってしまうから。
「……っ!」
そのまま体当たりした私の身体が、宙に浮く。落下を始めたけれど、すぐに何かに受け止められた。
「クオオオオ!」
「お前……ジュウゾウ」
私の愛馬。もしかして、イカヅチが連れて来ていてくれたのか。最悪の事態を、想像して。
「ユウゼへ。一刻も早く、ユウゼへ……」
「クオオオオン」
必死にしがみついた私の言葉が分かったのだろう、ジュウゾウはそのまま翼を1つ打つと街の門へと突っ込んだ。城の者が全て魔女の支配下にあるならば、それは専属魔術師たるフウキとてそうなのだろう。ならば、彼が王都に張り巡らせた結界を突破することはおそらく困難。
脱出口は、門しかない。
「……カイル」
門番の前を強行突破して外の空へと舞い上がる愛馬の背で、私は名を呼んだ。
まだ、きっと大丈夫だろう、弟の名を。




