第45話 「王宮へ」
王都へ向かう馬車は、秋風の吹く街道を静かに進んでいた。
窓の外には黄金色へ色づき始めた草原が広がり、遠くには収穫を迎えた畑が見える。
エマは窓辺に腰掛け、その景色をぼんやりと眺めていた。
対面にはライリーが帳面を開き、最後の確認をしている。
「宣言は午後二刻。場所は王宮大広間です。参列者は国王陛下をはじめ、王族、主要貴族、宮廷魔術師団、魔術師協会、騎士団、衛兵隊上層部……。」
読み上げながら、思わず苦笑した。
「改めて文字にすると、とんでもない人数ですね。」
「国家行事ですから。」
エマは穏やかに答えた。
数百年ぶりとなる、新たな領域の誕生。
誰も住めなかった土地を、人が暮らせる土地へ変えた魔女。
それだけで、十分に王国の歴史へ残る出来事だった。
だからこそ、王宮で宣言が行われる。
王国そのものが、その事実を認めるために。
ハインは向かいの窓から外を眺めながら、小さく息を吐いた。
「緊張しますね。」
「珍しいですね。」
ライリーが笑う。
「ハインさんがそんなこと言うなんて。」
「王宮なんて初めてですから。」
「私もです。」
二人は顔を見合わせ、苦笑した。
ロンだけは腕を組んだまま静かだった。
ラドスティンもまた、目を閉じて座っている。
二人とも戦場を知る男だ。
大勢の人間の前へ立つことなど、今さら動じることではないのだろう。
しかし、ロンは不意にエマを見た。
「エマさん。」
「はい。」
「本当に、よろしいのですか。」
「何がですか。」
「今日から、今までの生活は変わります。」
その言葉に、馬車の中が静かになった。
ロンは続ける。
「領域ができました。王国も認めます。これから開拓が始まる。魔女の店も、いずれ閉じる。……後戻りはできません。」
エマは少しだけ目を伏せた。
「ええ。」
その返事は短かった。
けれど迷いはない。
「少し寂しくはあります。」
素直な言葉だった。
「王都の店は、大切な場所でした。」
最初は一人だった。
誰もいない店。
朝、自分で掃除をして。
薬草を干し。
薬を調合して。
夜になれば帳簿を付ける。
静かな毎日。
そこへライリーが来て。
ロンが来て。
ラドスティンが来て。
ハインが来た。
いつの間にか、一人分だった食卓は五人分になっていた。
食事をしながら笑うようになった。
誰かの帰りを待つようになった。
エマにとって、あの店は初めて「帰る場所」と呼べる場所になっていた。
「でも。」
エマは静かに笑う。
「店を守りたいわけではありません。」
「困っている人へ薬を届けたいだけです。」
「だから、ギルドへ卸す。」
ライリーが頷いた。
「お客さんたちは困らない。」
「私たちは領域作りに集中できる。」
「一番いい形です。」
ロンも穏やかに笑った。
「ブロンソンさんなら喜んで引き受けるでしょう。」
「ええ。」
エマもそう思っていた。
王都の店は終わる。
けれど、魔女の薬は終わらない。
それで十分だった。
馬車は街道を進み続ける。
やがて高い城壁が見え始めた。
「王都です。」
ハインが思わず声を上げる。
見慣れた王都だった。
それなのに、今日は少し違って見える。
城門を抜けると、多くの人々が行き交っていた。
市場は賑わい、商人たちの呼び声が響く。
子どもたちが走り回り、パン屋からは焼き立ての香りが漂ってくる。
エマはその光景を静かに見つめた。
(この街にも、たくさん助けられました。)
依頼人。
常連客。
冒険者。
病気の子ども。
旅人。
多くの人と出会った。
もう毎日この景色を見ることはなくなる。
それでも、この街は嫌いではなかった。
馬車はそのまま王宮へ向かう。
石畳の道を進み、白い城壁が近づいてくる。
巨大な正門の前には、近衛騎士たちが整列していた。
「銀星の魔女エマ殿、ご一行ですね。」
「はい。」
「陛下がお待ちです。」
重厚な門がゆっくり開く。
馬車が中庭へ入ると、仲間たちは思わず息を呑んだ。
「……広い。」
ハインが小さく呟く。
噴水。
庭園。
磨き上げられた白い石畳。
何百年も王国を支えてきた王宮。
その荘厳さは、言葉を失うほどだった。
一行は馬車を降りる。
案内役の侍従が深く一礼した。
「こちらへ。」
長い回廊を歩く。
赤い絨毯。
高い天井。
豪奢な装飾。
壁には歴代国王の肖像画が並び、その間には王国建国に功績を残した諸侯の紋章が飾られていた。
長い年月を経てもなお、その名は王国の歴史として語り継がれている。
エマは一瞬だけ視線を向けた。
ハインは思わず辺りを見回してしまう。
「すごいですね……。」
ライリーが小声で返す。
「きょろきょろすると田舎者だと思われますよ。」
「思われています、たぶん。」
二人のやり取りに、ロンが肩を震わせた。
その小さな笑いが、張り詰めていた空気を少しだけ和らげる。
やがて、大きな扉の前で案内役が立ち止まった。
「こちらが控室です。」
中には静かな応接室が用意されていた。
温かい茶が運ばれ、一行は腰を下ろす。
エマは窓際へ歩き、外を見た。
王宮の庭には秋風が吹いている。
木々の葉が揺れ、その向こうには王都の街並みが広がっていた。
ここからなら、あの魔女の店も、どこかに見えているのだろうか。
そんなことを思う。
ほどなくして、扉が叩かれた。
「失礼いたします。」
侍従が一礼する。
「開式まで、あと三十分となります。」
「承知しました。」
エマは静かに立ち上がった。
ローブの皺を整え、小さく息を吐く。
ロンたちも続いて立つ。
ライリーが帳面を閉じる。
ハインは深呼吸を一つ。
ラドスティンは無言で頷いた。
誰も多くは語らない。
ここまで来れば、もう迷うことはない。




