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名もなき魔女の終焉領域 〜身代わり義妹に全てを奪われた伯爵令嬢、奴隷たちと帰る場所を創る〜  作者: 薄氷薄明


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第1話 「魔女の店」

新連載です!

 エマがポーションを完成させたのは、夜明けも近い深夜のことだった。


「……できた、と」


 独り言が部屋に溶けていく。試験管の中で揺れる液体は、今日も美しい翠緑色をしていた。


 腰を伸ばして大きく伸びをすると、背骨がぱきぱきと音を立てる。錬金術の作業は前傾みになりがちで、長時間続けると体のあちこちに支障が出る。分かってはいる。分かってはいるのだが、手を止めるのを忘れる。それがエマという人間の悪い癖だった。


 窓の向こう、王都の夜はまだ深い。五番街の石畳は雨に濡れていて、遠くで風が建物の間を通り抜けていく音がする。


 店を開いて、もう二年と少しが経った。


 最初は細々と、ポーションや傷薬を並べているだけだったが、今では注文が絶えない。客層も最初とはすっかり変わった。冒険者や薬師に始まり、今では貴族の使用人が買いに来ることも珍しくない。王都の外から来る客もちらほらいる。


 それでも彼女は一人だった。


 理由は単純だ。誰も、信用できないからである。



***



 翌朝、エマは開店前から忙しかった。


 今日の仕事は、昨日作ったポーションの瓶詰めと、注文を受けた傷薬の仕上げ、それから冒険者ギルドのザンに出している素材採取の依頼への確認、加えて、常連の馬具職人から頼まれた「馬が落ち着く魔法道具」の調査だ。


(馬を落ち着かせる……香り系の薬草で何か作れないかな。精油を使って……)


 頭の中で算段をしながら、エマは棚の整理を始める。


 彼女の店は、一階が店舗で二階が居住兼作業場という造りになっている。店舗部分は決して広くない。木製のカウンター、薬草や材料が並ぶ棚、薬瓶や道具が所狭しと陳列された棚。それだけだ。看板も、正式な店名もない。


 店名を考える機会はあった。しかしエマには、名前に特別な思い入れがなかった。いや、正確には、名前というものへの感情が少し、複雑な場所に存在している。だから「魔女の店」でいい、と思っていた。


 ある客は「紡星の店」と呼んだ。またある客は「宵星の店」と呼んだ。どれも本人がつけたわけではないが、エマはどの呼び名にも「そうですか」と答えるだけだ。


「おはようございまーす!」


 開店の鐘を鳴らしてすぐ、勢いよく扉が開いた。


 入ってきたのは、騎士団の制服を着た若い青年だ。二十前後、明るい茶色の髪に、疲れたような顔をしている。鎧の端に泥がついていた。


「騎士団の方? 今朝方帰ってきたばかりですか」


「分かりますか?」と青年は苦笑した。「昨日の夜から討伐に出ていたんです。帰ってきたばかりで、体がボロボロで。エコ商会のポーションが買い占められてて……こちらの店のを分けてもらえるかと」


「疲労回復と傷薬があります。どちらが優先ですか?」


「傷は大したことないんですが……疲れが取れなくて。今日また午後から任務があって」


 エマは棚を見回し、疲労回復の瓶を二本取り出した。


「これを今飲んで、もう一本は任務前に。食事と睡眠も取れるなら取ってください。薬は補助です」


「ありがとうございます。お値段は」


「銅貨六枚」


 青年が少し驚いた顔をした。エコ商会なら一本で銀貨一枚はするだろう。エマの店は価格設定が独特だった。


 取れる人間からはぶんどってやろう、というのがエマの値付けの基本原則だ。ただしそれは、見ればわかる話だ。この青年は下位の騎士団員だろう。それが一目で分かった。出費を抑えて疲れた体でまた任務に向かうのも分かった。だから安くする。それだけの話である。


(貴族の使用人が来た時はしっかり取る。それでバランスが取れる)


 青年は深々と頭を下げて去っていった。



***



 昼前には、もう少し面倒な客が来た。


 貴族の使用人を名乗る三十代の男性で、主人の依頼だと言って高級ポーションを大量発注しようとした。それ自体は構わない。問題は次の言葉だった。


「ついては、専属でご主人様のために薬を作っていただければ。お代は弾みますよ」


 エマは笑顔のまま、きっぱりと断った。


「専属のご要望はお受けしておりません。うちはどなたにも同じようにお売りしていますので」


「しかしですね、それだけの報酬を」


「ポーションの代金はいただきます。専属契約の代金はいただけません。理由は先ほど申し上げた通りです」


 男性は少し不機嫌になったが、それ以上は食い下がらなかった。ポーションを定価で購入して帰っていく。エマはその背中を見送りながら、心の中でため息をついた。


(こういう話が月に三回はある。専属になったら終わりだ。どこかの誰かの持ち物になる)


 誰かの傘下に入ることへの拒否反応は、エマにとって本能的なものだった。それがどこから来るのかは、彼女自身よく分かっている。だからこそ、絶対に譲らない。

面白そう!と思っていただけましたら、ブクマしてくださると嬉しいです!

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