08.魔術士ハルト3
魔術機関"蒼の塔"の外部調査員ハルトは耳長族を守護する山ヤギに似た聖獣"ヤム"と魔素濃度が変化した地の調査のために、世界樹が生い茂る樹海の入り口に居た。樹海はハルトの背丈の数十倍は有る世界樹が並ぶ。魔素が濃く、強力な魔獣・魔物が発生する。
樹海内は昼間でも薄暗い。世界樹が陽の光の大半を遮るため、世界樹以外の草木の成長が遅い。樹海の下生えは高くてもひざほどの高さのやぶしかない。
ハルトは乗馬したまま樹海内に進む事を決めた。たまに川や湿地、岩場が有るが、極端な起伏は少なかった。魔獣や魔物と遭遇しないよう、静音・消臭と視覚阻害と言った気配隠しの魔術を常時展開し、注意を払って樹海内を進む。可能な限り視界を確保する。
(まるで死と隣合わせだ)
夜は世界樹を背にし、気配隠しの魔術と察知の魔術を展開する。馬は魔術で強制的に眠らせた。目立つ焚き火などは出来ない。例え様の無い緊張の夜を過ごした。
樹海に入って4日目。世界樹の陰から人の背丈2倍はあろうかと言う蛇トンボ風の羽虫が現れ、ハルトの頭上を通り過ぎた。単調な景色が続くので油断していた。
(襲われたらひとたまりも無かった、、)
ハルトは通り過ぎた羽虫を振り返った。1呼吸ほど時間を置いて、蛇トンボ風の羽虫が別の魔獣に捕食された。人の背丈5倍はあろうかという巨大なカマキリが羽虫を捕らえた。油を塗った金属様のぬめる光沢を持つ表皮。鍛えた鋼のような精錬とした手足。人を軽々と捕らえ頭を噛み砕くと思わせる威圧感が有る。樹海浅層では上位の魔獣、皇帝蟷螂である。
皇帝蟷螂は動くものに反応する。対峙は死を意味した。頭や前脚を小刻みに動かしながら羽虫を咀嚼している。大きさに似合わず動作が素早い。こちらが動かなければ襲われることは無いと聞いている。手綱を緩め、馬が動かないようその場に留まった。シャグシャグと巨大な羽虫を咀嚼する音が聞こえる。
(頼む、動かないでくれ……)
ハルトの緊張を感じ取ったか、馬はなんどかブル、と鼻をならし「ニゲヨウ」と前足をドン、ドンと踏み鳴らした。その都度、ハルトは心臓が飛び出そうになる。皇帝蟷螂は巨大な羽虫を食べきった後、樹海に溶け込むように姿を消した。
単身であれば身を隠し、回避や逃走できる場面でも馬上では難しい。ハルトは降馬し徒歩で調査を続ける事にした。
「ここなら丁度良い」
世界樹の大きな洞を見つけ、洞の入り口を魔術で隠蔽する。周囲の草を集め、一週間分ほどの飼い葉を用意した。洞のくぼんだ部分を水桶に見立て魔術で水を満たした。
ハルトは首元の紐を手繰り寄せた。胸元から丸い石を半分に割ったような魔導通信機を取り出す。魔導通信機を操作し簡素化された地図を表示した。地図上にハルトの現在位置が「〇」で表示されている。さらに魔導通信機を操作し、現在位置に「×」を追加した。これで馬の位置は記録できた。
「すまないが、しばらくここに居てくれ。逃げずに待っていてくれよ」
旅の供だった馬の首を2度ほどぽんぽんと叩いた。馬は軽くブルル、と鼻を鳴らし答える。ハルトは肩掛けの麻袋を背負い洞を出た。