148.礼竜の祠⑤ナノの覚悟
愉悦混じりといった具合だろうか。
ラヴィーアは空中から降り立つと静かに羽根を納めた。
カルクスが音もなく動き、視界の妨げにならぬよう丁度ラヴィーアの眼前にある椅子を取り払い隅へと寄せた。食卓を前にラヴィーアが上座に立つ格好になっている。
「猛き人間共よ。我に何か物申す気概あらば見せてみるが良い」
「くっ」
直ぐ様コルテの思念が頭に響き、「試されているわ。乗っては駄目」と、今にも暴れ動きたい衝動を抑え付けられてしまった。
でも!
だって、だってガンクが雀に変えられちゃったんだ!
悔しいし反撃したいよ。でも……。
コルテの制止の困惑しているオレはみんなの動向を見守ることにした。
イルマは、ガンクをどうにか元通りにする術はないのか脳みそをフル回転させている様子だ。青ざめた顔をして冷や汗を垂れ流している。やがて諦めると今この状況下で何一つ出来そうにない自分を呪っている、そんな沈痛な顔付きになってしまった。
オレたちに思念を送ったコルテは平静を装っているのか、この状況でも全く意に介していない素振りを見せている。
ナノの方を見ると俯いて暗い顔を真下に向けていた。
くそぉっ。
ついさっきは、「羽根を伸ばしていけ」とか言っていたのに。言ってることが今と全く違うじゃんか。
改めてラヴィーアを見てみる。黄金の羽毛を纏った鳥、というより獣人族の鳥人の体付きに近い。
羽根を畳んだその姿は小さく、砂漠で見た劣等種のレッサーハルピュイアやクイーンハルピュイアよりも造形だけで言えば小振りに感じられた。でも存在感は今まで遭遇したどの魔物より圧倒的なものだ。内包している魔力はもはや読み量れない。
その姿は神々しく整った美女の顔立ちをしている。そして妖艶だ。羽毛の無い首周りから下腹部にかけての薄金色の肌は二対のお見事な乳房も含めて、じっと目を留めたままじゃまともな感情を保っているのは困難だ。
少しの間ラヴィーアを観察していると急に視線が動き、ドキリとした。
「なんじゃ、畜生の分際が色情か。色事は早かろう」
〔な、色情? ちょっと見てただけで違うよ!〕
オレは慌てて首をブンブンと振った。
汗を垂らしながらイルマが呟く。
「今はそういう場合ではないだろう」
「チュンチュン!」
「雄だものね。いつだって目に映ってしまうのね」
いや、本当に違うって、みんな!
ナノも俯いたまま、「ランドちゃんもあーゆう豊満なのが好き」とか呟く。
ヒドいよやめてくれ、そんなんじゃないよ。
ラヴィーアは毛繕いを始めている。嘴が無いためか、鋭い四本の足爪を使い器用に身体を動かしている。
「ほれどうした。
真竜の巫女はどうじゃ、お前の番が憐れな格好になっておる。悔しかろう?」
「チュン!? チュンチュン!」
「え、番とか別にそーゆうのじゃないし」
「チュンチュン!」
ビクン、と頭を跳ね上げ手を振って強く否定したナノ。雀ガンクの叫び声は何を言っているのか解らない。
「チュンチュン!チュン!」
「五月蝿いの、お前は黙っておれ。
そうか。では番でないとすれば何をしておる。真竜の巫女であれば責務はどうした。
誑かされたか。女子が己の成すべき本分を蔑ろにするほど情夫なのでないか?」
「ば、バッカじゃない!ガンクなんかただのバカでスケベなガキんちょの、そうただの幼馴染よ!」
「チュンチュン! チュンチュンチュン!!」
どうやらラヴィーアはナノとガンクが男女の関係だと勘繰っているらしいな。その状況を何故か面白可笑しそうに見ている二人がいる。コルテとカルクスだ。
カルクスは各々に新たにハーブティーを用意し直し、ラヴィーアを見守るようにして彼女から少し離れた位置で待機している。嬉しそうだ。どことなく、『光夜烏』でも似たような召し使いスタイルだったのかもしれないと連想させた。
コルテはラブコメみたいな稚拙な関係になのかまたは何か別のことなのか、眺めながら時折物思いに耽りつつハーブティーを啜ってはうっすら微笑んでいる様子だ。一体何考えているんだろう。ラウルトンのことでも思い出しているのかな。
より汗の量を増やしたイルマはこの状況に一番はらはらと狼狽している有り様だ。
「ピャロッピャロッ。そうかそうか。まぁよい。
して、己が責務は早々断念か」
ラヴィーアが尋ねた責務とはおそらく以前にナノが話してくれた、このアーバイン王国へ一族の報復を果たすということだろう。
責任逃れや黙秘は許さない。そんな意図でもあるかのようなラヴィーアの摯実な眼がナノに突き刺さっている。
「それは……」
「ナノ、遠慮する事ないわ。自分が今考えていることをそのまま正直に伝えなさい」
心許無げに周りを見渡しているナノに、穏和な声調でコルテは導くように語りかけた。「上手な言葉でなくとも、まだきちんと定まってなくとも、あるがままの心で曝け出せばいいのよ」と続ける。
ナノ、大丈夫だ!
ラヴィーアはナノを試してる気がする。彼女の考えはよく解らないけど、ナノならきっと大丈夫ってオレは信じてるからな。
イルマも頷いている。
雀言葉しか話せないけどガンクだってきっと同じ様に心の中で思ってるよ。
「アタシは、その、なんてゆーか……、この国を倒したいとか、アタシの一族の古いしがらみをどうにかしたいなんて、本当は思ってないの。
だってそんなことしたら、ガンクにもイルマにも、ランドちゃんにコルテにだって、みんなに本当に迷惑かけちゃうから。
でも小さい頃からその為の修行や訓練を精一杯してきた。その修行は、覚えた技は、私の力になってる。でもこの力の使い道は、私が自分で決めていいよね……。
お父さんも、お爺ちゃんやお婆ちゃんだって……、村のみんなだって大好きだし、みんなアタシの為にしてくれたことだし厳しかったけど優しかった。
だからアタシは逃げちゃいけないって……でも……」
ナノの感情が振り子のように揺れる度に魔力が呼応し揺れ動きしている。急速に高まっていく。
「ナノ、落ち着け!」
「よい。
して運命の嫌忌さに逃げ出したか。臆病な巫女よ」
言い放ちながら、ラヴィーアの黒い瞳孔はより輝きを増していく。
何故ラヴィーアはナノに対して執拗に問い掛けしているのかオレには到底理解出来ない。けれど、昂っていくナノに強く興味を惹かれていることだけは感じとれた。
コルテが用意したハンカチを受け取り目元を押さえるナノ。どうやらコルテは一連の流れから何か把握でもしたのか、ラヴィーアの、もしくはナノの動きを助長したいみたいに行動を始めた。
オレにはこれしか言えないけど、ナノ……、頑張れ!
目を細め、ナノの状態を吟味しながらコルテが言葉を掛ける。
「いいのよ、ナノ。その調子でもっと受け入れなさい。
自分の気持ちに素直になって、有りの侭でいいの」
「コルテ……。……ラヴィーア様の言う通り、アタシは弱い臆病者よ。自分で決めるのをずっと避けて逃げてきた」
「チュン! チュン!!」
己の剣から離れ、こちらへ飛び立とうとしたらしい雀ガンクは空中で突然弾かれた格好で地面へ叩き落とされた。その光景をチラリとラヴィーアは流し目で静観している。
ナノの魔力が膨れ上がっていく。
ラヴィーアもまだ煽り立てていくらしい。やはり何か心積もりがあるらしい。
「心弱き真竜一族の末裔よ。逃げ続け背負いし重き業を降ろした肚か?」
「……」
ナノは答えず、涙を拭い続けている。
ガンクは数回鳴き声を上げ同じ様に繰り返し叩き落とされている。コルテはナノに三枚目のハンカチを渡し、顔から滝の汗のイルマとカルクスはその場で待機したまま静観している。
オレはずっと困惑したままだけど、みんなを見渡しやはり椅子の上で座っている。
ナノの魔力がより強く膨張していく。ナノの感情が魔力が渦を巻くように拡がる、そんな激しい気配を漂わせて。
「ピャロロロ、黙りか。
抜け出せぬ何処までも何時までも」
「……でも、違う!」
「何がじゃ?」
「運命は受け入れる。アタシは遠い過去の血塗られた一族の末裔。
でも何を成すかはアタシが決める」
涙を流したまま、決意の籠った瞳で強くラヴィーアを睨んだナノ。彼女の青いローブが揺らめき、立て掛けていた杖までも輝き始めている。その杖の魔石部分は淡く光を帯びてきている。
ラヴィーアは動じることなく、でも喜ばしい解答を得たかのように愉しんでいるらしい。
「ピャロロ、戯言を申すでない。
修羅を歩まばこそ復讐は成る。血風吹く滅国の道進み悲願成就、其れが真竜一族の誉に相違なかろう?」
「違う!
村のみんなは、確かに一族の敵討ちにってアタシを育ててくれた。
でも、最後に村を出る時には『幸せになれ』って言ってくれた。
……思い出した。
学校で馴染めず上手く出来なくて、アタシ小っちゃくてよく分かってなくて、『みんなアタシの敵だ』って思うようになっちゃってたの。
でもずっと忘れてたけど、最後に言ってたんだよ。『真の敵はアーバインではない。この村を出て広く世界を見ろ。自ら答えを導き、そしていつか幸せになれ』って」
言い終わると同時に膨張した魔力が溢れ、カタカタと揺れる杖にナノが触れた。その瞬間に莫大な魔力のうねりが今にも爆発しそうになった。
「ピャロロロロロロロロロロ。素晴らしい! よくぞ真意を紡いだ。其で良い。
カルクス殿」
「巫女殿、失礼!」
寸分の狂い違わず事が狙い通りに運んだ、まさにそんな形容の喜色満面のラヴィーアだ。
カルクスは命じられ、ナノに向かってある鉱石のようなものを投げた。
それは特殊な魔石らしく、ナノの前で空中停止するとみるみるうちに暴発寸前の荒れ狂う魔力を吸収していった。
何もかもが収まりきった時に魔石は綺麗な水晶となっていた。ラヴィーアはそのそれを手に納め回収してしまった。
そんな一連の動きが収まり、オレ達はナノへと駆け寄ろうと動く。
〔ナノ!〕
「ナノ!」
「まだ動くでない」
ナノはテーブルの反対側だ。気を失った仲間が近くにいるのに触れることさえ拒まれてしまった。
ナノは魔石に魔力を吸われている間に意識を無くしていき、今では椅子の背にもたれぐったりしている様になっていた。
「ご安心なさって下さい。魔力枯渇に至るまでも吸いきってはいません。
それに、この詳細は後程説明致します」
本当か!?
他人行儀という訳じゃないにしろ、未だ落ち着き払っているコルテ。でも一呼吸置き、焦燥感に駆られ興奮冷めやらぬオレたちに微笑を向けた。
「イルマもランドも落ち着いて。ほら深呼吸でもなさいな。カルクスさんも言ったでしょう。ナノちゃんは大丈夫な筈よ」
「コルテは何故そうも冷静でいられる?」
仲間をいいようにしてやられた気分なのだろう。やや怒気を孕むイルマの声にもコルテは微笑を崩さない。
「そりゃ潜ってきた修羅場の数も違うし。伊達に長生きしてないもの。
気持ちは分かるけどほら、肩肘張っても無意味よ」
「むうぅ」
年の功ってこと!? さすがはエルフだ。
そんなこと思ってると、チロリと睨まれてしまった。
手に握った魔石を暫く吟味するかのように見入っていたラヴィーアはやがて徐に身動ぎした。
「ピャロ、カルクス殿。
此の者らを竜穴に案内する。準備を」
「はい」
「契も後に結ぶ事とする」
ラヴィーアとカルクスの会話を耳で拾いながら、オレはイルマに抱き上げられるナノを目で追った。ナノはぐったりしている。けれどその表情は眠っているみたいに比較的穏やかに感じられた。カルクスが言った通り大丈夫だろう。魔力枯渇を起こしていたらげっそりしてもっと顔面蒼白になっちゃうからな。
「はい。全て準備をしておきます。ラヴィーア様もお疲れ様でした」
18.12.25呼称中心に一部改稿、表題に副題追加