126.岩の祠
完全に日が傾き砂漠地帯の砂山にオレンジと黒の陰影が作られる頃、状況は一辺した。
「生命反応多数! 全て地中だ。おそらく虫か小動物系の生物か魔物だ」
イルマが声を上げると同時に前方の砂山からモゾモゾと姿を現したのは……鼠?
異様に長い耳を揺らしてこちらへ大勢で向かってくる。
鼠って、砂の中に隠れられるの?
オレは魔化コッコーの背中から飛び上がり魔力を練り上げると、全身の黒の毛先を硬く変容させて迫り来る鼠の大軍に向けて放出した。
キャットニードルラピットファイア!
針の様に鋭く硬化したオレの黒毛が鼠の大軍を穿っていく。色素の抜けた白に近い灰色の体毛の鼠が赤に染まりながら五月蝿い断末魔を上げてのたうち転げ回る。
「なんだありゃ」
「キャリオンマウスだな。集団で襲い獲物の死肉を食らう鼠だ。
獲物と遭遇出来なければ周りに餌替わりの同胞が多数揃っていることでこの過酷な地域の生存競争を勝ち残るよう進化した群生のゲッ歯科。然程強い敵でも無いが、出会いたくはない生物だな」
イルマが講釈垂れる傍から、オレは何かを察知する。地面のすぐ下だ。
「む、いかん! この場を直ぐに離れるぞ。
鼠の死骸を求めて地中を動くものがいる」
阿鼻叫喚の最中にある鼠達の周りの砂が崩れ、幾つかの砂の渦が形成され始めた。
あれは、蟻地獄?
コケーッ!
手綱を強く引き魔化コッコーを反転させるイルマ。ガンク達の周りの足元にも一際大きな砂の渦が発生している。
「アリジゴクだ。逃げるぞ。
砂渦の中央まで流され落ちれば毒にやられることになる。恐らく吸血される」
コケッ!? コッコッコケーッ!!
「キャアアァァ!」
ナノの乗る魔化コッコーがバランスを崩し、尻餅を付くように砂地に転げてしまう。
他の魔化コッコー達は疲弊した身体を懸命に動かしなんとか難を逃れたものの、ナノが乗る魔化コッコーだけは足を砂に絡め取られてしまったようだ。
砂の上に放り出されたナノは慌てながら魔化コッコーを求め手を伸ばす。急いで砂の上を這うけど、流れ落ちる砂のせいで上手く進めないでいる。追い打ちを掛けるようにそこへ蟻地獄背後の中央から砂の礫がナノに向け散弾される。
「キャアアァァァァ!!」
ナノ!
オレが駆け出すより早くイルマが射った弓矢が蟻地獄の穴の中央に吸い込まれていく。
矢が効いたのか分からない。けど、オレも不用意に飛び込めば蟻地獄の奥へ吸い込まれるかもしれない。だからオレはまずナノを助け出そう。
オレがナノのローブを口でくわえて引っ張り上げる。蹲りもがいている魔化コッコーをガンクが掴み蟻地獄の渦から引き上げている。
オレはナノを引き上げながら蟻地獄の穴の中央を見ると、そこにいたのは子豚程の大きさがありそうなダンゴ虫っぽい魔物だ。
先端から突き出た触覚がこちらを窺うように気色悪い動きをしている。先っぽから赤い液が滴り落ちている。アレはヤバそうだ!
その黄土色した虫にイルマの放った矢が何本も突き刺さっていく。
やったか? やったな。
やっぱり焼け付く猛烈な日差しが降り注ぐ日中に比べると、それがおさまった頃から生物の活動は活発化するらしい。
死にそうになる酷暑だもんな。オレ達だって動くなら体力消耗の少ない時間帯の方が断然いい。
危険な蟻地獄を切り抜けたオレ達。さらにその後も野犬を倒し、ガゼルの群を倒して食糧を獲て、獰猛な大トカゲを成敗して進んだ。
先程の蟻地獄でナノの乗る魔化コッコーが致命的とまでいかないにしろ、進行するのにやや支障を来してしまっていた。
精気が抜けかけしなだれてひらひらと動く魔化コッコーの鶏冠を労る。後ろを走るコルテが治癒魔法を掛けながら進んでいる。けれど、他の魔化コッコー達もこの砂漠の中を長時間走りっ放しでかなり疲弊の色が見えている。
何処かで休まないといけない。このまま魔化コッコー達にこれ以上の無理な負担を強いれば、明日以降の今後の旅に影響が出かねない。何としてでも休息が必要だ。
しかし、休む場が無い。
相変わらず見渡す限りの砂地だ。たまに生えているサボテンに似た植物も、近付いていくと動き始め水分を奪おうと葉を伸ばし刺を飛ばしてくるのだ。恐い。
仮説テントを建てるにも、辺りは虫も魔物もウヨウヨと湧いて出てくる。オレ達の強さがあれば危険度は低くても延々と神経を注ぎ続けて戦うかやり過ごすかの判断に常に圧迫されることになる。
コルテの魔法結界や防御結界の魔道具を使ったとしても夜営の見張りには絶え間ない驚異と向き合うことになる。ワユビュリュにいた時ならいざ知らず、酷暑に激しく体力を奪われた現状は敵とのエンドレスゲームはしんどすぎるのだ。
先頭を走るガンクが後ろのナノに声を掛ける。オレは今、殿へ位置を移動したイルマの魔化コッコーに同乗していた。
「ナノ、本当にこっちに何かあるんだよな? もう随分来てるぞ?」
「う~ん……、多分もうすぐだと思うんだけど。何にも無かったらゴメン」
ナノの勘便りに進んでいるけど、本当に何かあるのかな……。無かった時には滅茶苦茶虚しくなりそうだな。
そう考えていると、先頭のガンクが何か見えたようだ。既に辺りは暗くなっている。
月明かりが砂漠を白く、砂の大海を幻想的に魅せている。夜空の星が目映いばかりに煌めき、断続的に流れては落ちていく。
「おい、見てみろよ。ずっと先に何かあるぜ。
ナノ、あれか?」
「分かんない。行ってみよう!」
コルテはナノの後ろから治癒魔法を放ちながらうつらうつらと舟を漕いでいる。器用だな。
「岩の山……、岩の塊?」
「これ遺跡じゃない?」
ガンクとナノが見上げるそれは、四つの巨大な岩を積み上げてアーチを形成した岩造りの簡素な建造物だ。まるでストーンヘンジだ。その半分以上が砂に埋もれているのに出入口の開口部だけは不自然に整備されていた。
誰かが管理している?
横に追い付いたイルマに尋ねるガンク。
「イルマこれ、どうだ?」
「うむ……見た目は怪しいが、探知魔法には特に何も引っ掛からぬ。生命反応も無いな。
是が非もない、今夜はここで休むしかあるまい。今から他を探す訳にもいかんしな。人工物にしか見えぬがありがたく使わせて貰おう」
「よし、なら早速中を見てみるか」
「およそ数年は人が出入りした痕跡が入口には見当たらぬが、気を付けろよ」
イルマが岩の壁に手を当て探りをいれていた。コルテは引き続き魔化コッコーの治癒を行い続け、ナノは各種結界の展開、イルマは付近を調査に向かうようだ。
魔化コッコーを下りたガンクに付いてオレも砂漠の中のストーンヘンジに足を踏み入れる。
驚くことにその中はひんやりとしていた。
どことなく、この岩の中だけは外界の砂漠地帯とは隔絶された異質な空気が感じ取れた。清浄な気配すら感じる。遺跡というより神様を祀るための祠か何かのような。
鼻を動かしてみても、臭いの方は乾燥しているせいか結構な年月を経た遺跡の割にカビ臭くもなく、生物が中で息絶えた跡の骨も欠片もその臭いの名残りもしない。するのは岩石と足元の砂の香りが立ち込めているだけだ。
先を歩くガンクが奥の岩壁の前で立ち止まっていた。
「……義竜の御心に誓い己が魂を捧ぐ。
利を違い義に敵う生を貫く。
義竜の御意志に我は清まれ其を宿さん……」
その文言は奥の岩壁の肌に刻まれた文字を読み上げたもののようだ。
「何だこりゃ、義竜? やっぱここ遺跡なのかな」
義竜?
正義の……竜、ってことなのかな? どこかヤクザっぽい名前だな。
ガンクが古めかしい岩肌を見詰め首を傾げている。オレも傍に行き見上げる。奥の突き当たりの岩壁は、そこに彫られ岩に埋め込まれた文字盤だけ周囲の岩肌から浮き出るような人工的な空間を演出している。
その文字盤が彫られた真下の足元には砂に埋もれた台座があった。
「……ここは、祈りを捧げる為の神殿のようね」
ビックリした!
ナノが音もなく背後にいたのだ。
「おうナノ、早かったな。結界は張り終わったか?」
「それがゴメン、結界玉がきれちゃってて。代わりにガンク張ってきてよ。いいでしょ?
ここは危なく無さそうだし、ついでに魔化コッコー達の餌の調達もいるし」
ナノは古い文字盤を見詰めたままガンクに声を掛けている。その瞳には酷く力が混もっている。
「おいおい、街で結界玉も補充してきたんじゃねーのかよ。まだ冒険に来て間もないぜ、大丈夫か?」
「心配無いよ。多分アイテム袋のどこかにある筈だから探しとく。
いいから早く行ってきて」
強い口調でこの場から追い払うように言い付けるナノ。訝しみながらもガンクは従った。
「分かったよ。
ランド、狩りに行こうぜ!」
「ランドちゃんはアタシの護衛に残しておいて」
「危なくねーって言ったじゃねーか」
「いいから!」
ガンクは舌打ちしながら渋々ストーンヘンジの出入口に向かっていった。
オレとナノだけがその場に取り残されていると、ナノは徐に屈み、台座に積もった砂を手で払った。
「ここは真竜教の神殿よ。
『仁』,『義』,『礼』,『智』,『信』の五つの神の意思を司る五大竜のうち、この祠は義竜へ祈りを捧げる目的の、遺物ね。今となっては……」
語りながらナノは砂を払いきった台座を調べている。
ナノは台座の中央にうっすらと魔力を流し込み、それを軽く叩くと上の文字盤がずれて開き、その中から透明な魔鉱石を掴むと取り上げた。
薄暗い岩造りの洞窟内部で水より透明な光が煌めく。
「透き通った綺麗な水晶。私利私欲を遠ざけ義を尽くす、澄んだ心の色……」
ナノはそれをアイテム袋に仕舞い込むとオレに向け笑顔を作った。一瞬立ち竦み、尻尾がビクッと立ち上がるような笑みだ。
「ここでアタシがこの魔鉱石を見付けたことは内緒だからね?」
う、……うん。
しゃべれないから大丈夫だと思うぞ。