118.プレゼント
ねこのオレには人間用の器具とか使い難いから、オレはガンク達と別行動で別メニューで身体をいじめることに決めた。
とはいえ病み上がりだからそこまで追い込むことは出来ないけれど、オレにとっても久方ぶりの特訓でそれはそれでなんか楽しみだ。
「ナノはどうする?」
ガンクがオレの口に薬を捩じ込み終えたナノに尋ねる。
「アタシはやめとく。不必要だし、買い物でもしてくるよ。そうだ、ローブ新調しようかな。長旅になるし」
「む、それなら色々と頼めるか」
イルマはメモ書きをしてナノに渡した。それらはたぶん明日からの調査のための日用品リストだ。その紙に目を落としてやや顔をしかめているナノ。
「俺の方でも既に大まかには揃えてあるが、女のお前には別途必要な物もあるだろう」
「デリカシーが無いってのも不孝よね~。
まぁ、明日門で集合しましょ」
ナノは手を振って行ってしまう。
「ったく、何書いたんだか。大丈夫か、ナノ一人で」
「問題なかろう。あれでも進攻してきた魔族どもを退けた“魔術砲”だ」
「まぁ、そうだな」
ガンクは心配そうにナノの後ろ姿を見守った。
オレは一匹で走っている。
心配していた頭の痛みは今は引っ込んでいる。これも髭オヤジ先生ともらった薬のお陰様かな。ナノにも手伝ってもらって頑張って飲み込んだ甲斐があったってもんだ。
メールプマインの街並みは低層から時計塔のような超高層の建造物まで幅広く、建物の屋根から屋根を跳躍して疾走するのは馬鹿みたいに酷く負荷がかかるけど面白味がある。走っていても飽きないのだ。
屋根伝いにどこまでも疾駆したり、敢えて三階くらいの高層から目を光らせては地上にいるネズミ等を追ったり、前世で見た記憶で言うなら洋画のヒーローみたいに建物越しに飛んだり跳ねたり、時計塔の外壁をジクザグ走行して何度も登り降りしたり。爽やかな風が髭をくすぐり、次第に口から汗が滴り落ちていく。
でもなるべく無理はしないように気を付けた。でも無心になって駆け抜けることは悦びだった。
地面へ叩き付けちゃ危ないからいくら空を舞う鳥に目を奪われてもそこは素通りをする。
メールプマインは人工が多過ぎるから落とせば誰かには当たりそうだ。それに、ある晴れた日に空から血塗れの鳥が雨のように降り注いできたなんてことがないようにする。
――そしてオレは今、前にターニャと訪れた時計塔のてっぺんにやってきている。
頂上の先端に被せ置かれてある王冠のような台座に一匹で座り、昼過ぎの強い日差しを浴びながら高層ならではの強風に身を預け体を休めていた。
しばらくして息が落ち着いた頃、前後に伸びをして適度に疲弊した身体を弛緩させる。全身をブルブル震って調子を整えると、オレは一つの鉱石を口から吐き出した。
その鉱石は先程時計塔を登っていた時に見付けたものだ。なぜこんな場所に光輝く鉱石があったのかは謎だけど。
発見して、オレはそれを飲み込むと体の中で融合とまではいかないまでもオレ自身の魔力を丹念に纏わせた。そして口から吐き出したのがこの宝石のように光輝く魔石みたいな結晶石だ。
日光を受けて反射する表面は淡く水色に――これは多分オレというより霊獣玄武の魔石が溶け込んでいる――煌めき、その水色の内部には少し歪な形をした黒曜石が漆黒の重い光を放っている。
オレはその二色の宝石を転がし、慎重に臭いを嗅いでみた。
……大丈夫だよな。
……臭くないよな?
自分で嗅ぐ自分自身の匂いはつい好意的に感じてしまうものだけれど、何せ胃の中で転がしたものだから胃液で臭って嫌がられたら悲しい。それに臭いは最低限のエチケットだとも思うし。
二色の宝石は楕円形になり、ちょうど鶉の卵よりやや大きめくらいだ。込める魔力の分泌量をもっと上乗せさせればこれよりもっと大粒にもすることは可能だけど、あまり無為に注ぎ込んでデカイ宝石を贈るのも不粋かと思ったし。これくらいがおおよそ手頃なサイズなんじゃないかな。
てゆーか、オレ、女の子にプレゼント贈ったことなんかないし。
どれくらいの物を贈ればいいのかなんて全く判断付かないのだ。
そう、オレは口から吐き出したこの二色の宝石をターニャにプレゼントするつもりなのだ!
とはいってもこの時計塔の王冠の底に置いておくんだけどね。
考えに考え抜いた結果、オレはそれを持って地上に降りると時計塔前の広場にある噴水で入念に洗い清め、近くの花壇に咲いていた芳しい香りが立つオレンジ色の花を一輪千切ると、広場の空に舞っていたまだ綺麗な布でそれらをくるんでみた。
香りも良し、それに花も綺麗だ。ちょっと洒落過ぎてやしないかと不安にもなるけれど、これならきっと女性には――ターニャは雌の猫人だけど――ウケもいいかな。たぶん。
強風対策の置き石も口にくわえて登り、時計塔てっぺんの王冠の底に置いてみる。再度臭いを点検すると、前よりオレの臭いが染み付いていた。
次にターニャが夜にテントハウスを抜け出してここに朝日を見に来た時、無事このプレゼントを見付けてくれるといいんだけどな。
そんな願いを込めてオレは布と置き石に身体を擦り付け、もう一度臭いを強く残した。
ねこだし、いいよね臭いは。
人間だったなら贈る側の臭いが染み付いた物なんか嫌がられるかもしれないんだけどさ。
躍りの仕事を終えたターニャを待って直にプレゼントを贈ればそれが一番確実で手っ取り早いのは無論分かっている。それが簡単に出来たならそうしているし、この世の中でそういう行動が自然とスマートに出来る奴がそうでない奴より先の階段を昇っていくことは分かりきっている。
でも照れ臭い。女の子にプレゼントを渡す経験なんて今まで一度も無かったのだから。
それに、オレはこれから長期間旅に出掛ける。ワユビュリュ北西部の調査は危険な長旅みたいだし、もしかしたらもう帰って来られないかもしれないことも心の片隅で覚悟だけはしている。
それを考えてしまえばターニャに最後、思いっきり甘えたいし、強く身体を擦り付けてくっついていたい。
寝込んでしまってずっと起きず、寝たきりだったオレの傍にいてくれたターニャに面と向かって、〔ありがとう〕って言いたい。言うべきだ。
でもオレは我が儘だから、心配性のターニャにこれ以上の迷惑は掛けたくない。
たとえ彼女に何を言われたとしてもオレはワユビュリュ北西部の調査に向かうし、どんな気遣いをされたとしてもどちらか一方でも心を痛める結果になるのは嫌だ。
勿論黙って去るのも悪いと思うけど、もし会ってプレゼントを渡したら今とは違った関係になるような気がしてならなかった。
二人、というか二匹の立ち位置がこれまでとは少し異なってくる気がしたんだ。
だからオレはこの場所にこのプレゼントを置いていく。
気付いてね。と、上手く発見してくれることを願って。
太陽が傾いていく頃オレは時計塔を駆け降りた。地面がぐんぐん迫ってくると減速して、斜めに跳躍して勢いそのまま人の往来で賑わう広場をぶつからないように駆け抜けていく。
ガンク達はいっぱい特訓出来ただろうか。
オレも久しぶりに身体を思いっきり動かすことが出来て気持ち良かったから、ガンク達も満足してるかな。
メールプマインの街門は巨大な口のように開け放たれ、馬車や荷車に人々がその中を行き交い口の脇には入街審査や手続き待ちの長蛇の列が出来ている。貿易隊商や冒険者に樵などの労働者達の姿もある。
巨大な交易都市として栄えるこの街の堅固な街門は一日中、出る者出て行く者を両方向に吐出している。
オレ達は手早く街を出立する手続きを済ませ、残るコルテの到着を待つばかりだ。
時刻はもうすぐ昼を回ろうとしていた。行き来する者達を木陰で眺めながら朝から延々とコルテがやって来るのを待ちわびているのだけれど、待てども待てども一向に姿を見せることはなく……。
イルマは颯爽と予備の旅具を買い戻っており、ガンクは木ノ上でふて寝し、ナノはナノで昨日街で買い込んだ品物を芝の上に広げ置いて幸せそうに眺めている。
みんな自由だ。
そこへイルマが戻ってきた。
「おいっ、待たせたな。すぐにでも出られるな?」
「あっねぇねぇイルマ、見てよこのローブ。ちょっと大人びてないかな。アタシ的にはそろそろ落ち着いた感じもいいかなって思うんだけど。どうかな?
この腕輪もね、シンプルなんだけど神秘的ってゆうか。ほら見える? ここに黒水晶を奮発して付けてもらったんだけど綺麗で……」
「後に聞く。
それより早く広げた物を片せ。時間が無い」
オレは木登りして幹にもたれて鼾をかいていたガンクを前足で揺する。
「……んあ?」
起きろガンク! イルマが戻ってきたぞ。
イルマはナノに叩かれているけれど気にもせずだ。
「ガンク! コルテが来たぞ。寝てる場合か。すぐ降りてこい」
「何なのよ、少しくらい話聞いてくれてもいいじゃない」
「拗ねるな。
コルテがちとマズイ乗り物を従えやってくる。出門次第飛び乗って街を離れるぞ。騒ぎに巻き込まれたくはなかろう」
「慌ただしいな。
コルテのやつチンタラしやがって。待ち合わせは朝だっつったのに長いこと待たしといて……って、えぇっ? なんだありゃあ!?」
背の高い木の枝上にいるガンクとオレは、メールプマインの街門の内側からこちらへ走ってくる四匹の未確認生物に思わず声を上げることになった。
うっわ……!
でっかい、あれって……ニワトリか!?