107.引き上げられた前世のオレは
二重の意識のまま、オレは抗うことが許されない程の強烈な浮遊感を感じながら感覚的に上へと引っ張り上げられた。
前世のオレと意識が繋がったままだ。それも歪な繋がり方のままで。
引き上げられたことでそれまで見ていた景色が変わり、オレは魔族軍の超大型船の上に浮かびながら自分自身の姿を俯瞰して見ていた。
もちろんそこにはガンクもレームスさんも、ドルマックもソルノもいた。つまり今のこの場所は現世だ。ジルとワンスタンだっている。
でも、オレの意識は半分以上が外へと投げ出されていた。幽体離脱しているみたいに漂って自分の姿を見下ろしていた。なんだこれ。
「ランドの魂は予想以上の怨念に蝕まれていたようでした。
私としたことが、沈み潜み混っていた悪魂を引き上げ出すことで精一杯のようです」
見ると、肩で息をしているソルノは多大な疲労感でフラフラといった具合だった。
何なの、魔力の涸渇?
無責任な調子で、「後は任せました」と匙を投げていた。
ちょっと、いい加減過ぎないか、おい!
「ランド、大丈夫か!?」
ガンクがオレの身体を抱えて揺すっていた。
オレはその光景を空から眺めている。心配する目と労るような手付きでオレの背中を撫で付けてくれている。
ガンクありがとう。優しいぞ、ガンク!
ガンクにどんなふうに思われたり扱われたとしてもいいや。
そうだ。
元からオレはコカコ村で『魔力持ちのねこ』だって、魔物だってことでガンク達に保護される立場で一緒にここまで旅して来たんだから。
オレはねこだし、ガンク達と話すことは出来ない。意思を通じ会う手段すら無いんだ。
だから、いつかガンク達とも喋れるようになれたらいいな。無理かもしれないけれど、オレの目標だ。
いつの日かガンク達と一緒に、同じ視線になれるように。
ガンクの気持ちは分からないけれど、今はオレだけが対等な仲間だと思っていたって。オレは構わない!
オレは嬉しくなって、でも同時にオレの頭に強い不快感と拒絶の感情が流れ込んできた。
それは前世のオレの感情だった。オレの想いとは真逆に、不躾に身体に触れてくるガンクの手付きに戸惑い苛立っているようだった。
[なんだここは?]
[俺に……、馴れ馴れしく俺に触れるな!]
その瞬間、眼下の黒ねこの身体の毛が一気に膨らんでいった。そしてそのまま巨大化し始めた。
象くらいのサイズのねこになってしまって、傍にいたガンクは吹き飛ばされてしまっている。
「痛って。
……ランド? どうしたんだよ?」
大きな外傷は無かったから良かったけれどガンクは、信じられない、という顔でオレのことを見詰めていた。
やめろ、何してるんだよ!
やめてくれよ、前世のオレ!
象サイズの黒ねこ、つまり前世のオレの魂を宿したままのランドは周囲から巻き込む吸うようにして魔力を練り集め始めていた。暴威の魔物と化してしまうようにして。
なんてことしてんだよ。そんなに魔力を溜め込んでいって。前世のオレ、どうする気だよ?
その時ドルマックの頭の文字が不気味に動いた。ざわめくように魔力が高まっていく。
「こりゃあ暴走か?
仲間にも悪さするようなら仕留めなきゃいけねえよな」
は!?
ちょっと待ってくれドルマック! 何でそんな鋭い目をして凶悪な気配を漂わせているんだよ。
腕を振って、やる気満々な顔しないでくれよ!
おかしいだろ、ソルノはオレの魂の悪い部分を呼び起こしてお祓いするって言ってただろ? オレは討伐対象じゃあないだろ!
この原因を作ったソルノを見ると、ぐったり疲れた様子で重たい髪に顔が埋まっていた。動けはするようだけれど、もはや我関せずな素振りを見せながら何か探し物をするように甲板室に入っていく。
オレは意地でもソルノをしばき倒したい衝動に駆られた。
視線を戻すと、立ち上がったガンクがドルマックを牽制しようとしているところだ。
「引っ込んでろドルマック。ランドのことは俺がなんとかする」
「そのまま寝とけって。
そもそも、なんで俺がお前の命令を聞かなきゃならねぇ。俺は俺の判断でしか動かねぇよ」
ドルマックは不敵に口の端を上げた。前世のオレが主導権を握っているオレの身体を獲物を見る目付きで睨んでいる。
「ランドは俺の仲間だ!」
「よく見てみろよ。アレはもう仲間じゃねぇだろ。
お前も感じてるだろが、魔物化した凶悪な魔力をよ。アレは血に飢えた一匹の魔獣だぜ。
能の無ぇ魔物飼いや魔物使いが大切な自分の魔物を暴走させちまうのはよくあるこった。
もう可愛かったお前のねこちゃんには戻らねぇよ。ラクにさせてやろうぜ」
「ふざけんな!」
大馬鹿だドルマック! 魔物飼いとか魔物使いとか、そんな奴らとガンクを一緒にするな。
オレは暴走したんじゃない。悪いのは「お祓いする」とか言って前世のオレを呼び出したソルノだ。
ガンクとドルマックが言い合いしているうちにも醜悪に変化したオレの姿は危険な魔力を纏いながら、確かに魔獣と呼ばれても相違無い程に禍々しく変貌していた。
オレの頭の中に断続的に声が響き渡っていく。
オレは耳を塞いで前世のオレの声を聞こえないようにするなんて出来なかった。その声は繋がった意識を通じて頭に直接流れ込んでくるのだから。
[俺は世界から拒絶された]
[俺は誰にも必要とされてない]
[俺は嫌いだ。俺にこんな酷いことした奴も。自分も。誰もかも、全てが大嫌いだ]
[俺はもう助からない]
[苦しかった。痛かった。寂しかった]
[俺はもう死ぬ]
[死ぬなら全て消えてくれ]
[俺ごと消えてくれ]
[こんな世界はいらない。憎い……]
前世のオレはどこかに閉じ込められたまま真っ暗闇の中で長期間過ごしていた。それは死を待つくらいの日数だった。
この超大型船の甲板へ呼び出されて見て感じている風景も感触も全て幻覚のように認識しているようだった。
そう、生き残ることすら既に諦めてしまっている。だから何者も受け入れることはしないみたいだった。
オレってば、こんな奴だったの? もうちょっと頑張ってくれよ!
そう思うけれど、ソルノにここへ引き上げられる前に前世のオレと一緒に過ごした時間は壮絶だった。だから、オレは決して前世の自分のことを責められなかった。
でも!
前世のオレの声は現世のオレの意識へ届くのに一方通行だった。オレがいくら語りかけても一向に聞き分けてくれている気配を見せない。
同じ『オレ』だろ?
虚しさが募ってくる。もどかしくてたまらない。
だけど、それで諦めていたらオレはドルマックに何されるか分かったもんじゃないし、ガンクをオレの手で傷付ける結果になんか絶対にさせたくない。
何が暴走だ、ふざけんな!
オレの必死の呼び掛けがもしかしたら通用しているのかもしれない。
前世のオレは蓄えた凶悪な魔力を身体に宿してそのまま待機でもするように停止していた。
動かないままでいてくれてればいい。だけどこのままじゃ状況は絶対にマズイ……。
刹那。
禍々しい魔力が暴発されたように周囲を強襲していった。
ドルマックの頭皮に刻まれた文字の刃が巻き戻しのように乱回転して戻っていく。オレは船の上に漂ったままその光景を呆然と見下ろしていた。
あまりにも一瞬の出来事にオレは目を見張るばかりだった。オレの視線の先にあったでっかいオレ自身であるランドの身体は切り裂かれて血を流していた。
オレは激烈な痛みに頭が張り裂けそうになるのを堪えた。
オレはあの巨大化したオレと意識が繋がっている。だから物凄く痛い。直接的じゃなくて間接的に痛過ぎる。
深刻な酷い傷だった。
けれど、象サイズに膨らんだオレの身体は黒毛を硬めてしっかり防御をしてくれていたから今の一撃を受けても死なずに済んだ。
助かった……。
っ! くそ、ドルマック。攻撃するな!
見ればレームスさんはジルとワンスタンと一緒になって、オレより高い位置の空中に浮かんでいた。三人で船上の特異な状況を傍観するかのように避難しているようだ。
空に浮かぶなんて、どうやったら可能なのか分からない。けど、”吸血鬼ジル”かソルノの能力だろうな、とオレは思った。レームスさんに巻き添えにならないでほしかったから大歓迎だ。
ドルマックは驚いていた。
「本気だったんだが……。
ほぅ、一発じゃあ効かねぇか。こりゃ大層堅固だな」
「やめやがれドルマック!」
ガンクの怒声を無視して、再びドルマックの文字の刃が円状に乱れ飛びオレの身体を激しく切り裂いていく。
オレはその光景を苦痛に耐え歯噛みしながら見ていることしか出来なかった。
死なないで。堪えてくれよオレの身体!
文字の刃は調節しているのか、オレの巨躯目掛けて高速で纏わり付き散り散りになり戻っていった。ガンクや空中のレームスさん達にはもちろん、近くの甲板室の壁や船にも被害を与えていない。
オレの身体の方には甚大な殺傷を及ぼしているけれどな。
[痛い、痛い、痛い!]
オレは意識の鎖を通して前世のオレが感じた激痛をそのまま脳に受けていた。そして激痛から激情へと意識が切り替わっていく……。断続的に凶悪な思念がオレへと降り注ぐ。
[やめてよ]
[なんで俺を苦しめるの]
[憎い]
[いなくなれ]
象サイズの黒ねこ中心にどす黒い力場が発生した。拡がったその魔力的な作用の発生源はこの超大型船全域を包み込み始めていた。
これは……。オレの技?
[幻が俺を襲ってくる]
[恐い]
[俺はあの暗がりのままで良かった……]
[だから暗黒よ、豊穣していけ……]
おい、オレ!
「だから暗黒」って何だよ!?
お願いだからやめてくれ、攻撃しないでくれ。ガンクを、みんなを巻き込まないでくれ!
一気に、オレの悲痛な呼び掛けも通じること無く現世のオレはオレの魔力を膨らませて魔法能力を行使してしまった。
月夜の海上に漆黒よりさらに暗い暗黒世界が瞬時に伸びていく。
象サイズのねこを中心に発生した暗黒の空間は全てをその中へ飲み込んで拡がっていき、中に取り入れたものを軋ませ捻り歪ませているようだった。
「な、くそ、なんだっ……」
「ランド! ラン……」
ガンクもドルマックすらも抗うことすら許されずに暗黒の空間の中に包まれて姿を視ることは出来なくなってしまった。
そして、それはオレにもだ。
意識体のオレには肉体的な作用は無かったものの、視界は暗黒の虚無の世界にいるようだった。
なんだよ、これ……。何も見えないよ。
そしてこの力の発生源から、もっと醜悪な感触のする魔力が立ち込め始めた。そのことにオレは気付き、怖れた。
前世のオレが何かもう一発攻撃をするみたいだ。高まっていく魔力にオレの意識は揺さぶられる。
これ、本当にヤバイ奴だ!
なんだよ、くそっ!
なぁオレ、こんなこと出来るのかよ。
もういいから。現世のオレ、やめてくれ!
もはやオレにはどうすることも出来なかった。遠くの方でも魔力の気配を感じた。外からレームスさん達がもしかしたら手を加えているのかもしれない。でも遠かった。
だからオレは必死にガンクの気配を探した。現世のオレに向けていくら声を投げ掛けてみても無理だった。だからなんとかガンクだけでも助けたい。オレがガンクを死なせるなんて絶対に嫌だ!
オレのことはどうなったって構わないから。
ガンクッ!!
その時、オレは暗黒の泥沼の中で届かない筈のガンクの声が聞こえた。強い感情が込められたその声。オレはガンクの声を聞いた気がした。「ごめんな」って。
「……天限!!」