100.司令官イルマ
「ナノ、ランド!」
ガンクが駆け寄りナノから事情を問い質していた。
オレはエンデの小さな腹に乗って、その腹の中に入っている海水を口から外へ出してやっている。
前足で爪を立てないように気を付けて押してやると、幼くてまだ体が未完成なエンデの腹は押した分だけピゅーピゅーと水が吹き出てきた。
それを見ていたら語弊があるかもしれないけれど、オレはほんの少しだけ楽しい気分になってしまった。
エンデの背中を見れば脇腹近くまで血が滲んできていた。深い傷口に塩水に当てられて相当痛かったんじゃないかと考えると、悔しさと、よく頑張ったな、という思いが溢れてきた。
イルマの方はというと、ガンクに話しているナノの言葉を一つ一つその側で聞きながら、黒ずくめの魔族達の亡骸を検分しているようだった。
やがてエンデが目を覚ましてくれて、オレは心底ホッとした。
ナノとガンクが泣き崩れたエンデとカンデの二人を抱き上げている。二人とも応急処置だけ施した状況だ。心配していたけど、傷口からの毒性は無いみたいでひと安心だ。
ガンクが涙目のナノを気遣いながら言う。
「レームスさんがいる所へ連れて行ってあげよう。手厚く治療と保護をしてくれる筈だから」
「うん」
それぞれ子供達を抱えたガンクとナノを眺めていると、彼らは夫婦のように見えなくもなかった。
「にしても酷ぇことしやがるよな。まだ子供だぞ。
ナノとランドがいなかったらこの子達も連れ去られていたな。よく守ってやったな。
そうだイルマ、沿岸に警備の強化を打診しねーといけねーよな」
イルマが頷く。
「うむ。日が落ち切れば闇に紛れ海から町への侵入がより容易となるだろう。
そろそろ選抜志願の冒険者達が到着している頃だ。彼らを手配し上陸を許さぬよう命じておく」
「ああ、そうしてくれ」
イルマはまだ亡骸をつぶさに調べていた。どうやら何か気になることがあったみたいだ。熱心に丁寧な様子で確認を繰り返していた。
ナノがガンク達にエンデとカンデの現状を伝えた。
今回の魔族軍の侵攻で彼らの父が殉職し、母は連れ去られて友達も連れて行かれただろうことだ。
ナノは再び目に涙を浮かべながらガンクに訴えている。
「アタシ絶対に魔族を許さない! 連れ去られた人達を必ず奪い返すよ。
そうしなきゃ、エンデもカンデも可哀想過ぎるよ。それに他に苦しんでいる人達の為にも、必ず!」
「そうだな。絶対に魔族の奴らを叩き潰して、二度と侵略してこないように粉々に打ち砕いてやろうな」
ガンクがナノの腰に手を回すと、ナノはぎこちない仕草で頭を彼に預けた。
「うん」
「泣いてる暇は無いぞ」
「そうだよね。じゃあ放してくれていい?
……ありがとね」
「あ、ごめんごめん。
イルマ、何か判ったか?」
ガンクは照れを誤魔化すように魔族の亡骸を検分中のイルマに声を掛けた。それをイルマは生真面目に返す。
「色々と面白い事が幾つか判明した。
詳しくは夜の会議で伝える。先に戻っていていいぞ」
「分かった。一応、気を付けろよ」
オレは遠く水平線の先を眺めた。魔族の船の影は見えなかった。この場所からは元々見えないのかもしれなかった。
海は穏やかな波を陸へ寄せて、だんだんとその位置は離れていった。
オレは襲ってきて悪さをする魔族を怒りに任せてぶち殺してやりたい思いと、何事も無く町が平和なままでいてほしい気持ちで揺れた。
夜になった。
借りている宿の大広間には今回の作戦に参加する選抜志願の冒険者達が集まっていた。
腕っぷしの良さそうな『C』級や『D』級を中心に、ちらほらと初心者クラスの『E』級冒険者もいた。
しかし彼ら全員の士気はすこぶる高い。
この国アーバイン王国を守る為に参加した者、メールプマインと沿岸地方の町の為に参加した者、名を上げる目的の者などその意志は様々だ。けれど皆、「打倒魔族軍!」と目標を一つにしているから部屋の中は熱気が凄いことになっている。
一部交代でサーモアン沿岸部を見回り警備に出ているけれども、この場には少なくとも二百人くらいの人手が集合していた。だから蒸し風呂みたいな蒸し暑さになっていて臭いも悪いのだ。
どうやらギャンダンさんは到着が遅れているようだった。既にサーモアン町長のチンパスさんと町の自警団の面々も部屋に集まっていて、開始は今か今かと待ちわびているような具合だ。
「すまん、遅くなったな!
いるか? イルマ。
先に主要メンバーで打ち合わせるぞ。俺はまたすぐ出なきゃならん。急げ!」
ギャンダンさんが宿の大広間に飛び込んで来るや否や、イルマとチンパスさんを引き連れて奥の小部屋まで引っ込んでしまった。
そして、小一時間程経った後でギャンダンさんは駆け足のまま、「任せたぞ」とイルマに叫び声を残して退室していってしまった。
なんだろうバタバタして、事態が急展開でもしているのかな。
ざわざわと喧騒が支配している大広間に、初めて聞くイルマの怒号みたいな大声が響き渡った。
「全員注目だ!
口を閉じてくれ、オレの話を聞いてほしい!!」
イルマの横にはガンクが立っていた。後ろにはチンパスさんが控えて座っている。オレとナノは前の方へと移動した。
イルマの話に一同驚愕の表情になった。
イルマは事実は淡々と話し、協力を願うような部分や内容は各自へ語りかけ提案するような話し方をした。
それは上位の指揮官が配下へと下す命令ではなく、全体がより一体化するような丸みを感じさせるものだった。小数単位で部隊を形成して、全体で意志統一はするものの、出来るだけ各自で知り得た経験を意見として吸い上げるようにイルマは求めた。それはボトムアップ方式に近いものだった。
今回は確固とした規律を重んじるトップダウン方式の指令系統の方がもしかしたら適しているのかもしれない。
オレが知っているイルマだったなら、命令口調で、「こうしろ、ああしろ」と指示を飛ばしてくるのだけど。けれど今回のイルマは一味違うようだ。
イルマにこんな能力が備わっていたことに、オレは思いもよらなかったから少し驚いたぞ。
イルマの話した内容はというと、一つ目に、既に港町サカネでは数時間前から小規模な戦争状態に突入していること。そしてこれからそれはさらに激しさを増していくであろうことだ。
ギャンダンさんが戻った先も港町サカネらしい。サカネでは陸戦の主戦場になると予測されていたから、都市警備隊と大多数の選抜志願の冒険者でなんとか上陸し迫り来る魔族の軍隊に対抗出来る見込みらしいけれど。
サーモアンからもサカネは近い距離にあるから、状況に応じて応援に向かう必要があるという。そうでなくてもサカネの被害状況が著しければ次に激しい襲撃を受けるのはサーモアンなのだ。
サカネにはアーネット隊長がいるから、オレは彼女のことが気掛かりだしな。
二つ目に、オレ達が待機しているこの町サーモアンでは、町の防衛部隊と魔族の迎撃部隊に別れて行動を開始するそうだ。
オレとガンクは船に乗り沖に向かって魔族の船団に攻撃を仕掛ける役に決まった。イルマとナノは街に残る役だ。イルマは司令官として主に作戦の指揮を取り、ナノは魔法で魔族を蹴散らすという大役だ。
でもこれにはナノは、「アタシも前線に行きたい!」と主張したけれど、女の子だし後方支援に務めてもらいたいというのがイルマ他多数からの意見だった。
船で出撃する部隊にも町の防衛部隊にも沢山の冒険者達が割り当てられる。出撃部隊はガンクが現場での指揮を取るリーダーになっている。
ちなみにレームスさんは元から町の防衛に当たるつもりだったようだけれど、ガンクの要望で共に船に乗り込むことになった。レームスさんの仲間達は全員がサーモアンの防衛と治療隊員として行動する。
三つ目。魔族についてだけれど、彼らは完全に人間だということだ。
オレ達と戦闘になった黒ずくめ達だけでの判断になるのだけれど、特異な魔術を施されている形跡が見られたそうだ。
イルマが調べたところ、死亡した後で褐色の肌が時間の経過とともに薄まっていき魔力が抜け落ちていく様子を確認出来たらしい。
そして、この国では見たことが無い魔族軍独自と見られる魔法攻撃が可能な魔道具を装備していること、施された魔術の能力なのか身体能力を底上げされた様子であることが検分から判ったそうだ。
さらにそれらから、すなわち魔術に秀でた魔法使いが魔族軍に存在するであろうこと、沖で待機中の魔族軍本隊にはより強力な兵隊が揃っているのではないかという推測をイルマは話した。
オレが戦ってみて、正直大したことなかったからな。でももっと強い奴らがいっぱいいたら大変だな。魔族の船団に乗り込んだ時には気を付けないといけないな、と心得た。
四つ目、造船街ミョウビシから魔族の船団を襲撃するための、ドルマック組を乗せた迎撃船が出港したそうだ。
イルマは一度ガンクの方を見た。ガンクは彼に微笑み頷いて見せた。
そして視線を前に戻してイルマは口を開いた。
「今回の魔族軍大船団を撃退する為の本部隊はドルマック組が乗る船だそうだ。
つまり、『ドルマック組がどれ程の戦果を上げられるかで戦局は大きく左右される』と、そうギャンダン氏は話していた」
イルマが体の前で握り締めた拳は振るえているようだ。彼は拳を見詰めていた。
「……しかし!」
続けて話すイルマは自身の拳から目を放し、この大広間に集まっている勇気ある者達全てを見渡した。
「戦局を左右し得るのは他の誰かによるものではない。俺達一人一人の行動如何なのだ!
やるぞ!
この国この町で、決して魔族の好き勝手をさせてやるな!!」
そう告げたイルマの前で、オレ達を包み込み怒濤の大歓声が沸き上がったのだった。
凄い。
100話まで到達することが出来ました。
よろしければ、まだまだ続きますのでお付き合いいただけると嬉しいです。
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