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真導士サキと二つ星  作者: 喜三山 木春
第九章 暗流の青史
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里抜け

「もうすぐだ」

 彼の言葉に頷きだけ返す。

 それは言われずともわかっていた。ローグはあえて言葉にしたのだろう。

 奥にある決意に気づいて、また言葉を喪失した。

 一歩進むごとに。樹木の合間から、白い輝きが見え隠れするようになった。

 大地に刻まれている白い線。あれが慧師の真円だ。"開眼の間"で触れた慧師の気配とまったく同じものが、周囲にただよっている。驚くほどの広さを誇る慧師の真円。里の最上位に君臨する真導士の、その実力を見せつけられているようで……。勝手に心拍数が上がっていく。

「ローグ……」

「駄目だ」

 きっぱりとした返事。こちらを振り向くことすらしなかったローグの背中を、じっと見つめる。

 小さく口を開いている彼の内側で、不穏な影が蠢いた。さっきから耳鳴りもしてきている。膨らむばかりのいやな予感を、丸抱えにして俯き歩く。

「聖都に下りたら、すぐ足を捜す。本当は船が一番いいんだけどな。いざという時に退路がなくなるから、陸路にするか。ダール近辺の町に、いくつか伝手があるんだ。商人相手に貸しは作りたくないけど、今回は割り切ることにする」

 真円はそこに見える。そんなところまでやってきてしまった。気鬱が胸を塞いで、何だか食べ物を詰まらせたみたいだ。

 どうしても息苦しくて……足を止め、空を見上げた。

「その後は、どこに行きますか」

 女神の加護なき時刻、神々の星は静かに輝いている。

「……わたし達は、どこに行けるのでしょうか」

 ローグの答えが、ついに途切れた。

 くるりと振り返った彼の表情は、平静そのもののようにも見えた。しかし病み爛れた黒の眼差しの中、一つの感情が滲んでいる。

 自分達は、残念ながら真導士。いくら彼が忌み嫌おうとも変えられない事実だ。

 だから――。


「待て」


 背後に迫っていた樹木の間から、追跡者達が姿を見せた時も大して驚きはしなかった。

 振り返り。向き直り。手を繋いだまま相対する。

「止まるがよい。真眼を閉じ、真力を押さえよ。従わねば抵抗とみなす」

「外出の禁は解けておらぬ。夜闇に紛れて、このような場所で何を成そうとしているのか。弁明があれば申してみるがいい」

「弁明……? 俺達にそれを聞くのか」

 相対した見回り部隊の面々は、どれも見たことがない顔ばかり。

 意識がさらりと何かに触れた。自分の内側でぽっかりと穴を開けている場所。千切れている場所をふいに見つけた。鋭利な刃物で切りつけられたように、きっちりと線を作っている。

 触れたら手が痛むだろう。そんな感じだ。

「追ってきたのはそちらだ」

「礼儀も知らぬか。この痴れ者め」

 里には、真導士然とした言葉遣いというものがある。

 古老のような。もしくは高位の神官であるような口調は、それぞれの特徴を弾いてしまっている。区別のつかない彼等は、全員が全員してとても真導士らしい。

 反してローグの言葉遣いは平素のまま。敬いを放り投げた言葉を紡ぐ。

「見回り部隊が雛いびりをしているとは、正師達だとて想像もしていないだろうな」

「愚かな。……真眼を閉じよ。さもなくば力でねじ伏せてくれよう。導士の身で、敵うとは思ってもおらんだろう」

「最初からそれが狙いだろうが。実に周りくどい」


 ローグの周囲に真力が満ちる。

 まだまだ欠けている。それでも……十分過ぎると言える質量だ。


 精霊達が喜んで踊る。軽やかな踊りの中心に、二人して立つ。熱い真力が膨らむと、感じ取れたその時。見回り部隊の面々が、真眼を見開く。

 炸裂した閃光がまぶしくて。思わず右腕で目をかばった。

 熱い手が離される。

 次いで、後方へと押し出す力を受ける。

 繋がっている思いを信じて、自分の周囲にだけ"守護の陣"を展開した。身を屈め、大地の上に右ひざと左手を下ろす。足元で、ジュジュが動くなと鳴き声を上げた。

 巻き上がる風。

 ローグが大きな旋風を生み出した。

 複数の人影が風に吹き上げられ――否、風に乗り夜空に昇っていった。

 ばくりと心臓が音を立てる。むっとする夜風が、緑色の大気を混ぜている。青臭い葉の匂いが、肺に侵入してきた。湿気を含んでいるせいだろうか。どうにも息苦しさが残る。

 重ねて放たれた風。風の中を激しく混ぜ返したローグの旋風は、多重真円の真術とも思える。

 そもそもの真力量が異常なのだ。

 想定していたより強大な力だったのだろう。見回り部隊の男達は、姿勢を整えながらも反撃できずにいる。呆気にとられているようにも見える。果たして……。


 首を痛めてしまいそうなほど反り返り。上空の争いを見つめていた自分は、ジュジュの鳴き声で我に返る。

「っ!」

 咄嗟に注いだ真力は、周囲に張った膜の形をどうにか保たせたようだ。地を蛇のように這って、カマイタチのような風が襲いかかってきたのだ。

 いけると思っていたのか。遠方から真術を放ってきた者は腹立たしそうに腕を振り、再び真円を描いた。

 二重の真円。

 自分の力では対抗できない。

 早々に見切りをつけてポケットを探る。最近は、常に複数の輝尚石を持ち歩くようになっていた。何せ、相棒に苦労ばかりさせてしまっている。


 自分だって真導士なのだ。

 真導士で、在りたいのだ。


 ぎゅっと握った水晶に、星よりも輝けと強く念じた。

 生まれた旋風の先で、罵倒の声が響く。それに構わず、さらにもう一つの輝尚石を取り出し。前へと掲げ。深く呼吸をして、声を張り上げる。

「放て!」

 夕焼け色の火柱が、青く茂った森を駆け抜け、真っ白な煙が視界を覆い隠した。




 いくつもの真円といくつもの真術。

 気配をまともに浴びた真眼が、じんじんと痛みを出している。

 へたり込んだ自分の目の前には、広い背中。上へ上へと視線を流せば、漆黒の髪が見えて。それから……。

「雛の癖に、たいそうな暴れ様であったな」

 上下するローグの肩。

 泥で汚れ、破れている上着。あえぐように息をし、腕を大きく広げて、自分をかばう相棒の姿。

 恋しい後姿が、瞬きの間に掻き消えた。

 横殴りに飛ばされたローグが、樹木に叩きつけられる。追いかけようと膝に力を入れたが儘ならず、またへたり込んだ。完全に息が上がってしまっている。

「捕らえろ。暴れぬよう慎重に括れよ。……検査も手を抜くな。まだ輝尚石を隠し持っている可能性がある」

 両腕を引っ張られる。

 もがく力すら残っていなかったため、成すがままだ。

 樹木の下。ずるりと座り落ちた格好となっているローグの元へ、四人の高士が向かっていく。あちらも抵抗の余力を残していないようだ。

 逃避行の幕切れ。


 やはり、里の外へは出られなかった。

 落胆はそれなりに――。でも、覚悟はしていた。


「顔を上げよ」

 のろのろと顔を上げて、部隊の中心にいるらしい男を仰いだ。

 切り取られた場所を、内なる手が撫でようとして、鋭い痛みが刻まれる。頭の芯がじくじくとしている。

「これよりお前達を中央へと輸送する。懲罰房程度で済むとは思うなよ。"里抜け"は絶対の禁忌である。知らぬと言わせはせぬぞ」

 男の顔が歪む。無慈悲な笑顔だと思った。

「そう、お前は特に……知らぬはずがないだろう」

 男は、いやな気配を放っている。

 遠くでまた白が輝いた。ローグを囲んだ男達が、真術を彼に向けている。

 そして、同質の真術が自分をも照らした。

 見知らぬ真術ですっぽりと包まれる。攻撃を受けているわけではないと、分析する自分がいた。だが冷静を保っているのかと言われれば、いや違うと答えるだろう。


(何……)


 またきた。

 目を覚ましてからずっとこんな感じだ。ふわふわとしていて現実味が薄い。

 夢の世界にいるようだ。自分の中で、何かがぐるりと回っている。ぐるぐる回って、それが近づいてきたと思えた時、どうにも意識が薄くなる。

 ぼやりと世界を眺めていたら、白がきらりと輝いた。

「おい、こいつ。何か持っているぞ」

「何だと」

 くらりふわりと世界が回る。

 揺れる世界でただよっていたから。耳に入ってきた異音に、反応すら示さなかった。

 布が裂かれた音だとぼんやり思い、樹木の下で同じような姿勢を取らされているローグと目があった。彼は蒼白な顔をこちらに向けている。夜闇の中にあっても、人の目を惹く黒が、大きく開かれている。

「何をする!!」

 目を瞠った彼の中で、感情の炎が激しく吹き上がった。

 怒号を嘲笑うように、また服を裂かれた。

 胸元が強引に開かれる。大気に晒された肌が徐々に粟立っていく。

「奴を黙らせろ。耳障りだ」

「首飾りではない……か。この娘、どこかに術具を着けているぞ。輸送する前に発見せよ」

「どうした娘? 言葉にもならぬか。"里抜け"など目論むからこのような目に遭うのだ。……そのまま大人しくしておれよ」

 高士達が不快な笑みを漏らす。

 その奥から、彼の怒りが迸っている。

 鈍い音がして、束の間ローグの声が聞こえなくなった。だが一拍の後に、また彼の怒声が森に轟いていく。

 男の手が帽子に触れた。もう一人の男が革靴に手をかけた。自分の中で、あれがぐるんと回る。


 何だろう、これ?

 懐かしい。悲しい。思い出せない。

 上手く――混ざれない。


 ぼやけた世界で火球が見えた。赤く熱く膨れたと思ったら、盛大に弾けて飛ぶ。

 叫びが上がる。

 自分の中で回っていたものが、静かになった。次いで徐々に思考が戻ってくる。肌蹴た胸元と粟立っていた肌を、真紅の灯りが染める。

 顔がかっと熱くなる。熱から弱い箇所を守ろうと、目に涙が浮いてきた。

 真紅の向こうにローグがいる。

 海の気配がしているからそれは確か。けれどもこの気配はどうしたことだろう。あまりに禍々しい。

 きんと高い音がした。背中が痙攣したようになる。

「まだ抵抗するか!」

「真力を収めよ。さもなくば……」

 口々を叫ぶ男達に、強力な真術が放たれた。遠慮など微塵もされていない攻撃。焔に撫でつけられた男達が大地に伏していく。

 大地を焦がす真術から目を離せない。樹木の燻された匂いが、ひどく鼻についた。

「早く、動けぬようにしろ。このままではまずい、彼奴の真力では――」


 "暴発"が。


 放たれた言葉をもみ消すように、再び炎豪がやってきた。

 耳鳴りが痛い。隠された羽が、逃げ出そうとぶるぶる震えている。いつまで押さえつけておけるか。もう幾ばくの猶予も残されていないと悟った。

 ローグは、我を失っている。

 あの憎たらしい影に、とうとう飲み込まれてしまった。恋しい気配は、まんべんなく影色で染まっている。




 早く。


 ――早く


 彼を。


 ――ここから


 助けないと。


 ――逃げないと




「ローグ!!」

 一陣の風と共に、苛烈な白が視界に飛び込んできた。

 ずっと見つめていたから。その光景を目の当たりにしてしまった。

 恋人が無残に切り裂かれた、その瞬間を。

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