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真導士サキと二つ星  作者: 喜三山 木春
第八章 因果の獄
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嵐の夜

(あー、疲れた)


 食堂に寄って、家に帰ってきた。

 居間に入ってから、大きく大きく背伸びをした。

 行きも帰りも、ずっと緊張を強いられていた。馬車の中で、ぎゅうぎゅうに縮まっていたためか、肩と腰が痛い。

 まだ若いのに。

 しかも医者なのに。

 これじゃ爺さん婆さんの愚痴みたいだ。

 ローブを脱ぎ、ぱんぱんと広げて上着掛けに安置する。

 昼間見た真っ黒な雲は、ついさっき大粒の雨と雷とに変化した。家に帰るのがちょっとばかり遅かったせいで、すっかり濡れ鼠になっていた。

 ……今日は散々な一日だ。

 燠火達は仲悪いし。食堂行ったら混んでいて待たされるし。最後の最後はこの雷雨。

 本当に女神の加護を失ってしまったかも。ちゃんと神殿に行っていたのに駄目だなんて……。女神よ、あまりにひどすぎます。


 居間で一人、大の男がしょげかえっているというのもあれだけど。

 落ち込みたい時は、しっかりと落ち込むべきだという持論があった。だから、満足するまでしょんぼりとしていた。

「……っくしょい!」

 まずい。

 服が濡れっぱなしだった。医者の夏風邪なんてみっともない。湯浴みして着替えようかと自室に足を向ける。


 そこで、久方ぶりの音を聞いた。

 真術で構築されている家。

 その家の扉を、オレ以外の誰かが開いた音だ。扉に付けてある鈴が、小さくちりちりと鳴り。次いで、聞き覚えのある鈴のような声が響いた。

「ごきげんよう」

 振り返れば、長い長い帰省から戻った相棒が、雷雨を背景にして立っている。

「お帰り、レニー!」

 雷雨を背負って立つ、麗しの美少女というのもめったにいない。めったにいないが、うちの相棒なら納得できる。

 彼女はそういう人だ。


 ちなみにレニーことレアノアは、絶世の美少女だ。

 さしずめ物語に登場する姫君といったところか。

 誰が見ても美少女だと思うだろうし、将来的には傾国の美女まで駆け上がるはず。亜麻色の艶やかな髪も、藍色でぱっちりとした目も、ちょこんとついている色づいた唇も。文句のつけようがないほどだ。


「ヤクス」

 鈴のような声が呼ぶ、オレの名前。もうすでに懐かしいと思えた。

「汚い」

 色づいた唇から出された、容赦のない一言。

 これも本当に懐かしい限りだった。

「どういうこと? 私が戻るまでにきちんと掃除をしておいてと、手紙に書いたわよね」

 ずばずばと美少女が言う。鈴を転がしたような声で言う。

「掃除一つもできないの? 跡取りだからと甘やかされ過ぎたのかしら」

 さらにきついことを言い重ねる彼女の眉が、きりきりと吊り上がるのを見た。

「ごめん」

「ごめんじゃないわ、すぐに片付けて頂戴。埃の中で生活するなんてまっぴらよ」

 相棒との感動の再会は、きつい小言ではじまり、きつい小言で幕を閉じた。

 片づけたら呼ぶようにとだけ言った彼女は、羽織っていたローブをオレに渡し、さっさと部屋に入っていった。

 相変わらずな相棒を見送って、渡されたローブを上着掛けに通す。

 慎重に、慎重に……。

 しわの伸ばし忘れがあっては、また怒られてしまう。

 人使いの荒さは変わっていない。小言のきつさも、出立前と何ら変わりがない。

(長かったなー)

 やっと戻ってきた自分の相棒。掃除は間に合わなかったかと反省して、一度自室に引き上げる。

 彼女の機嫌が、今夜の天気と同じになる前に、掃除を急がないと。

 だけど濡れ鼠のままだと、これも「汚い」と言われてしまう。着替えだけして、すぐに居間を片づけよう。




 居間の汚れは大半が埃だった。徹底的に拭いたら、以前の見栄えを取り戻してくれた。

 湯を沸かし、茶器を用意してから彼女の部屋の扉を叩く。

「レニー、きれいになったよ。ちょっとこっちにおいでって」

 遅いから断られるかと思いきや。夜の茶会に参加してくれるらしいレアノアが、扉から姿を見せた。

「がんばったじゃない」

「まあねー」


 レアノアはお嬢さまだ。お嬢さまというより姫君と言った方が正確だけど……。本来なら、町医者程度じゃあお近づきになれない雲上の人。

 真導士の里で名を馳せる一族。

 レアノアの家は、その一族の本筋に当たるらしい。

 一族の者は大半が真導士で。サガノトスの高士や令師にも親戚がいて。果ては他国の里にも縁者がいるという。血脈を保つ過程で貴族の血も入ったらしく、彼女は"ガゼルノード"という家名を持っていた。

 だけど本人は"レアノア・ガゼルノード"という名よりも、レニーと愛称で呼ばれる方を好む。そのため、大変僭越ではあるけどレニーと呼ばせてもらっている。


 生粋のお嬢さまであるレアノアは、自分で茶を淹れられない。だからいつもオレが茶を淹れていた。

 要領は薬湯づくりとほとんど一緒。面倒と思ったことはない。友人番とは真逆の関係だけど、うちの番はこれで上手く回っている。人はそれぞれ。番もそれぞれってことかな。

「長旅だったねー、おつかれさん」

「本当よ。葬式に帰るだけだと思っていたのに……。お父様とお母様に嵌められたわ。夜会だの何だのって連れ回されて、いい迷惑よ」

 ありゃ、どうも大変だったみたいだな。

 お嬢さまらしからぬが基本のレアノア。口調は厳しく、遠慮は微塵もないけど、こうやって機嫌を損ねていることは少ない。

「しばらく家に寄りつきたくもないし。思い出すのもいや」

「ご苦労様。なら、オレの話を聞いてよ。レニーがいない間、色んなことがあってさ」

「色々なこと……? 例の面白い二人の話かしら」

 ローグとサキちゃんの話は、たまに伝えていた。かなり前の話なのに、覚えていたのかとびっくりして、がんばって記憶を辿る。


 えっと……、どこまで話したっけ?


「カルデスの男が、相棒を落とそうと必死になっているっていう話よね」

 かなり懐かしい話に、本当に長い事、相棒がいなかったのだとしみじみした。

「聞きたい。どうなったか気になるもの。……それにこの雷じゃ眠れそうにないわ」

 疲れた顔で言うレアノアの藍色の瞳が、窓に走った。激しい稲光と轟音が、外の世界を支配している。

 本格的に荒れてきた天候。

 真っ黒な雲が運んできた、真っ黒な世界――。


「ちょっと、何をぼうっとしているの。話は?」

「……あっ、ごめん」


 外の世界の騒音に、気を取られ過ぎていた。窓を盛大に叩いている雨粒の音が、帰宅した時よりも激しくなってきている。

 この調子じゃ、明日学舎に行くのも大変そうだ。

 サガノトスの、いや聖都近辺の夏の天気はとても特徴的。オレの故郷だったら、一気に降ってからっと上がる夏の雨も、ずるずると幾日か続いてしまう。

 特に雷雨は、長雨を引きずってくる。

 雨の日の外出は、お嬢さま相棒がいやがるんだけど……。せっかく帰ってきたのなら、早く友人達に紹介したい。

 特にローグとサキちゃんには早く会わせたい。この外見で、ずばずば言う様を見たら、あの二人どういう顔をするだろう。意外と頭が固いというか、常識から外れないあの二人のことだ。会わせたら絶対に面白くなる。


 帰ってきたばかりのレアノアに、途中になっていた話の顛末。……それから、里に広がる暗い話題について伝える。

 レアノアが持つ真術に関する知識量は、同期の中で一番だろう。

 今後、何がどう転ぶにしても、彼女の助力は必要になる。そして何より、オレはこの相棒を強く信頼していた。"森の真導士"の件と、青についてだけは、あの二人の許可をもらわないと駄目だ。

 けれど、二つ以外のすべてを相棒に話した。

 レアノアはいつも通りの表情で。時折、短い添え髪を掻き上げながらも、真剣に聞き入っている。

 彼女の両親は、お前が男であればと悔いる時があると聞いた。

 気持ちは痛いほど理解できる。男であれば、歴史を塗り替えるような傑物になれるはず。真力も実力もあり、覇気も携えている彼女に、いいことも悪いことも一括りにした全部を渡す。


「……ふうん。本当に色々あったのね」

「色々過ぎて、身体と頭がきつくなってきたよ」

 大げさに肩を叩いて、爺くさいことを言っておく。

 姫君でお嬢さまなレアノアには、新鮮に映るらしい。こうした仕草をすると、貴重な笑顔を浮かべるんだ。

「大変なことも理解できたわ。帰ってきて早々、とっても不愉快ね」

 美しい微笑で猛毒を吐く相棒。予想通り、ギャスパル達は嫌いの部類に振り分けられたらしい。

「会うわ」

「うん?」

「だから、私も会うわ。ヤクスが言うそのお友達に。詳しい話も聞きたい。後は、その面白い二人に直接会いたい。特に、娘さんの方ね。どんな娘かしら?」

「おっとりしていて、いい子だよ。料理もおいしいんだ。そうそう、相棒が帰ってきたら夕食に招いてくれるって言っていた」

 儚い印象の友人も、オレの相棒とはどんな娘なのかと興味を持っていた。

 正反対の二人だけれど馬は合うだろう。根拠はないけどそんな気がする。

「もう、やっぱり早く帰ってくればよかった! 一番面白いところを見逃しちゃった」

 二人の恋愛模様を、間近で見たかったとぼやく相棒。ローグが聞いたら、またかわいくない顔で拗ねそうだな。

「あいつが聞いたら怒るから、やめといてくれって」

「そう? それはそれで面白そうよ。恋愛下手な色男って初めて会うから、期待しちゃう」

 レアノアが言う期待。

 それは絶対に"色男"の方ではなく"面白そう"の方だ。

 相変わらず顔のよさを生かせない友人に、こっそりと同情を送る。今度、別の機会を作って神殿に連れて行ってみるか。

「明日は、その二人も学舎に来るんでしょう。……学舎に行くことにするわ」

 外を眺めて、うんざりとしながらだけど、こう言ったなら皆に会わせられる。

 よかった、よかった。

「うん、二人は来るとおも――」


 かっと強い閃光が居間に差す。

 次の瞬間に轟いた音に、二人揃って肩を竦めた。

「びっくりしたー! いまの近くに落ちたかな」

「そうじゃない? 慧師の真円があるから里には落ちないけど、森には落ちたかもね」

「うわー、雨も強くなってきた」

「最悪だわ」

 また強めの閃光が、窓から入ってきた。

 今夜は大荒れだ。

「大丈夫かなー」

「何が?」

 聞き返されてきょとんとした。

「何がって、……何だろう?」

 頭の中に答えが書かれていたように思えたのに、しっかりとつかもうとした途端、するっと逃げられてしまった。

「……あれ?」

「変なヤクス」

 相棒の言葉に笑って、窓の外に目をやった。

 今日は、本当に散々だった。明日は少しくらい上向いてくれるといい。

 夜はパルシュナの光が届かない闇の時。ささやかな願いは真っ黒な雲に遮られ、神々の星にも届かないだろう。


 だから、頭の片隅で思うだけに留めておくことにした。

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