猿の根付 (下)
公太の企みはバッグの中にある。サークル仲間の女子たちの会話に聞き耳を立てながら、有名な菓子店のロールケーキが美味いらしいとの情報を得た公太は、スマートフォンの地図を頼りに店を探し、男ひとりでは気後れする店に恐る恐る足を踏み入れたのだった。
お目当てのケーキは売り切れていたが、商売上手な女性店員に勧められた焼き菓子の詰め合わせを購入した。
公太はどのタイミングで手土産を渡そうかと思案している間にも、紅茶の準備は粛々となされていく。
「あのーですね、ここに来る途中に偶然、偶然なんですけどね……美味しそうなケーキ屋を見つけて。その店、テレビに紹介されるくらい有名みたいで、ほんとに偶然なんですよ? だったら店で人気のロールケーキを買うべきかなぁと。せっかく店に入ったんですからね。けど、そのロールケーキが売り切れで、人気だから仕方ないんですけど。ロールケーキは買えませんでしたけど、クッキーも美味しいって勧められて。いつも紅茶をごちそうになっているので、どうかなぁと思って」
早口に捲し立てた公太は栄の反応を待った。
十秒がすぎ、一分がすぎた。これが俗に言う有難迷惑というやつだろうか。額に嫌な汗が滲み、沈黙に耐えられなくなった公太は顔を上げた。
台所に立って紅茶を用意していたはずの栄の姿がなかった。栄の代わりレジスターの5の数字ボタンの上に器用に立っていたのは小さな双子の片割れだった。
「男がだらだらと言い訳を並べるんじゃない」
物言いからしてマールと思われる。
「いつからそこに!」
「で? そのクッキーとやらはどこにある」
「これは栄さんに食べてもらおうと思って……あげませんからね!」
公太は無意識のうちにバッグを死守し、マールは公太の慌てる様を老獪に見つめた。
「そこか」
大事なクッキーが小人に狙われている。
「なにをあげないのですか?」
バッグをしっかりと掻き抱いた公太は、奥のふすまを開けて台所に戻ってきた栄を凝視した。
「栄さんにあげないというわけでは……どこに行ってたんですか。いや……クッキーが、その、なんでもないです」
「お裾分けのおまんじゅうを頂いていたのを思い出したのでお茶うけにどうかと。もらいもので申し訳ないですけど、有名な和菓子屋さんの商品で並ばないと買えないそうですよ」
栄はいつものティーカップに一口サイズの黒糖まんじゅうが載った小皿を置いた。
「いただきます」
ついには手土産を出す機会を逸してしまった。
薫り高い紅茶にはまんじゅうよりもクッキーのほうが合うと思うし、何時間並んだところで味は変わらないだろう。行列には懐疑的な公太は一口サイズのまんじゅうを放り込んだ。
滋味深い黒糖の香りと、甘さを控えた粒あんが混然一体となって――行列は伊達ではない。美味いが日の目を浴びることがなくなったクッキーが拗ねている。
「美味しいですね」
「でしょう」
などと、傍目には穏やかに談笑していると、物陰からこちらを覗き見る小さな職人に打ち壊された。まだクッキーを諦めていないらしい。マールに奪われないよう、公太はバッグのジッパーをしっかりと閉めた。
居住まいを正した公太は栄に向き直った。
「僕に頼みたいこととはなんでしょうか」
栄は口に運んでいたティーカップを慌てて置いたものだから、中の紅茶が零れて畳を濡らし、なおも焦ってスカートを濡らした。
紳士たるもの、不測の事態にも卒なすこなすものだが、公太も一緒に慌ててバッグの奥から使い古したポケットティッシュを取り出すことでようやく収拾した。
「いきなりの電話で申し訳ありませんでした。差しでがましいとは思ったのですが、棚卸しのお手伝いをしていただけないかと。あの、もちろんですね、アルバイト料というか、そんなに多くはお包みできないのですが、お願いできませんか?」
「喜んで!」
無自覚に潤んだ瞳で哀願されたからでも、ましてや思いがけない臨時収入に発奮したのでもない。栄が悩んだ末にまず脳裏に浮かんだのが公太だったという事実が大きな意味を持つわけだ。
心も軽やかに棚卸しとやらを始めてから、ほんの数十分で後悔を覚える羽目になったのは公太の安請け合いによるもので、今に始まったことではない。自分の短絡を呪いこそすれ、栄にはまったく関係のない話だ。
骨董と呼ばれる多くの商品が狭い店内に散乱している中で、古い台帳を片手に棚卸しなど狂気の沙汰としか思えない。
「ちなみに、ちなみにですけど、台帳はあと何冊残ってるんですか」
「三冊です」
嘘偽りのない栄の笑顔だった。
商品台帳の半ページを確認するだけで、早二時間がすぎようとしていた。棚卸しと名を騙る苦行だ。
「でもさっき、倉庫の奥から段ボールに詰まった台帳が何冊も出てきましたけど……」
「そうでしたね。でもあれは店頭には置いていない商品の台帳ですから」
殊勝に頷いていた公太は「え?」と声を上げた。
公太の困惑を他所に、栄は溜息に沈んだ。
「戦前の台帳は一部焼けてしまったのですが、痛んだ台帳も多くなってきましたし、管理と整理を兼ねてパソコンに目録を移し替えています。それでもまだ把握しきれていない商品が多くて困っています。毎朝蔵を見る度に心苦しくて……」
「蔵!?」
不穏をもたらす言葉は一先ず聞かなかったことにして、公太はとりあえず段ボールに詰まったガラクタを倉庫の棚にしまった。いや、正確にはなにかのいわれを持つ骨董と称されるべきなのか、しかしながら、台帳に記されていた「ノイヤ・トッティの賽」は、動物の骨から切り出された古臭いだけのただのサイコロだ。
はじめこそ興味をそそられる骨董を目にしては栄に質していたが、時間の無駄と気づいた今となっては黙々と作業に徹している。
埃に塗れた汗を拭いながら店と倉庫の往復を強いられていた公太は、視線の端に動くものを見つけて目で追った。
「よ! でっかいの」
小人が片手をあげ、太鼓腹を揺すった。自身を鑑みるに、公太の身長は人並みだと思っているが、小人からすれば百七十七センチも空を突くばかりの巨人だろう。
「随分と不躾なことするんですね、マールさん」
マールは倉庫にこもる栄を気にしつつも、その体型からは想像もつかない素早さで駆けてきた。
「ここは思った以上に退屈だからな。お前たちはいい暇潰しだ。ところであのまんじゅう、まだ食うのか」
小さな指標の先には小皿に乗った黒糖まんじゅうがひとつ転がっていた。
十センチに満たないマールを尊大と表現するのは間違いかもしれないが、悠然とヒゲを撫でてみせた。
「欲しいんですか?」
「わしは物乞いじゃないぞ。いらないならわしらが食べてやろうと思ってな。ではこうしよう。お前さんが頭を捻っていたものの謎を解いてやる。これでどうだ」
そんなに欲しいのか。
胸を反らすマールには悪いが、最後に残ったまんじゅうを、物欲しそうに指をくわえていたのかと想像するだけでも自然と笑みがこぼれる。
マールは公太の返事を聞く前に駆け出し、一足飛びに隣の棚に飛び移った。公太も慌てて後を追い、赤いひょうたんを抱えるマールを覗き込んだ。
「面白い試みだ。腕も実にいい」
忌憚のない褒め言葉に、三代目も職人冥利に尽きるというものだ。
「仕掛けらしいものはなかったんだけどなぁ」
「その目は節穴か。ひょうたんから伸びるツルが鍵だろう。で、ひょうたんの上部とツルをつなぐ部分をよく見てみろ」
マールに言われるがままにツルとひょうたんをつなぐ口の部分を注視した。等間隔に筋が彫り込まれ、数えると全部で十二本だった。
「日本の時計は珍しい不定時法を取っていたからな。その独自の機構を持つ和時計は数字の代わりに干支を当てていただろう。日の出から日の入り、日の入りから日の出までをそれぞれ六等分して一日の時間としたわけだ。当然、季節によって昼と夜の時間も異なるが、同じ二十四時間であっても、同じ一秒であっても季節の移ろいによって長くも短くもなる時間の概念は日本人の多彩な感性ゆえだな」
マールは時計職人としての博識をいかんなく披露し、物わかりの悪い生徒を諭すように丁寧な説明を受けてようやく、公太は「ああ!」と、間の抜けた感嘆を上げた。
「その大きな頭は帽子を乗せるためだけのものか」
「ツルの部分を時計の針と見立てて申の時間に合わせるってことなんですね!」
からくりの仕組みは理解したが、申の時間とは現代でいうところの何時だろう。
「……丑の刻って夜中のことだったよな……ってことは、子が深夜0時で……えっと、子丑寅卯――辰?」
公太は持てる知識を総動員して指を折りつつ干支を数え始めた。指を折り返す辺りから干支の順番がおぼろげに、辰の次はなんだったかとしばし虚空を眺めた。
マールに助言を求めようとしたが、小さな頑固者はレジカウンターの後ろ、居住スペースの上がり框に置かれた小皿に蹲っていた。遠慮の固まり同然に転がっていた黒糖まんじゅうを、両手で抱え上げようと顔を赤らめるマールの悪戦苦闘に吹き出した。
「まんじゅうを持って帰る前に、申の時刻を教えてくださいよ」
「この青二才が! 分からないからといってすぐに聞こうとするな! それくらい自分で調べろ」
小人に叱責された公太はとりあえずスマートフォンの検索機能で、干支やら和時計を調べ、呻りながらも申の時間が夕七ツ、16時前後の夕暮れ時であったと理解した。
「なんだ、簡単じゃないか」
所詮は小手先で調べた事実を、得たりとばかりにツルの部分を4時の目盛りに合わせた。が、根付に変化は現れなかった。
無意識にマールをすがる公太と、その公太の視線を受けたマールは愉悦と共にヒゲをなぞった。
「いかにも短絡だのぉ」
「楽しんでません? 嫌な性格してますね」
再び検索画面にかじりついた公太は和時計の文字盤をじっくりと改め、申の刻が今でいう8時の位置にあることにようやく気がついた。
公太は澄ました顔でツルを目盛りに合わせた。
掛け金の外れる音の後にひょうたんの切れ目に沿って上部が持ち上がり、赤毛の猿がひょうたんの向こうから顔を覗かせた。小さいながらも流れるような毛並みと微細に彫り込まれた目顔にも愛嬌がある。
滑らかな関節の動きはまるで生きているような、中に隠れていた猿はひょうたんを帽子に見立てて何度か上下させ、滑稽な動きで笑いを誘った。
「すげぇ」
「まともな感想も言えんのか。やはりその頭は飾りだな。ちなみに、そのからくりにはさらに変わった仕掛けが隠されているぞ。ま、お前さんの脳みそは当てにならんが」
この小さな根付のどこに複雑な仕組みが隠されているのか、マールが言うところのお飾りの頭しか持ち合わせていない公太は理解できないまま、再び朱色のひょうたんに戻っていった。
マールは重いまんじゅうを持ち上げた。マールにとっては一抱えもあるまんじゅうによって視界は阻まれ、足取りも覚束ない。
「まんじゅう分の疑問は解いてやったからな。後は自分で考えろ」
よちよちと歩いていくマールは、いつの間にか帰宅していた白猫の根城の前に差しかかった。
気配を察した白猫は顔を上げて薄目を開けて小人を認め、一方のマールは両手がまんじゅうで塞がっているので会釈だけに留めた。
「不思議が当たり前にある店なのに」
その不思議を店主だけが知らない。
公太は猿の根付を改めて眺めた。
不思議を寄せ集めた栄堂に限って言えば、ただのからくりが施されただけの根付であるはずもなく、それは栄が語っていたように傷ついたとしても勝手に直る仕掛けがあってこその、栄堂の商品と呼ぶに相応しい。
公太は倉庫内でガラクタに埋もれようとしている栄に救いの手を差し伸べた。
「美味しそうなクッキーを買ってきたんですけど、一緒に食べませんか」
勇んでバッグを開こうとして、閉めていたはずのジッパーが開いていることに気づいた公太は手を止めた。虎視眈々と狙うマールからクッキーを守るためにバッグのジッパーはしっかりと閉じたはずで……途中で開けたのを思い出した。使い古しのポケットティッシュを取り出した後――後……閉め忘れたのは、公太自身だ。
綺麗に包装されていたはずの包装紙が無残に破られ、中身だけが消えているという惨憺たる現状に愕然とするしかなかった。
いつの間に……マールにばかり気を取られ、フィリッパというもうひとりの存在をすっかりと忘れていた。
バッグを見つめたまま固まっている公太を、なんとなく察した栄が横から覗き込むなり場違いに笑った。
「きっとネズミの仕業ですね。お菓子とかあんパンとか、最近よくなくなるのです。甘いもの好きのネズミの巣でもあるのでしょうか?」
クッキーを奪われた公太としては怒り心頭だったが、ネズミ呼ばわりされた小人たちはさぞご立腹だろう。
それを思うと胸がすく思いだ。
「随分と食い意地の張ったネズミもいるもんですね、それも二匹」
隠された仕掛けを解くのは次の機会に――というのはただの口実だが、今度こそ紅茶に合うお菓子を、絶品のロールケーキを手土産にしよう。
実に素晴らしい思いつきだ。




