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栄堂奇譚  作者: よしかわ こう
猿の根付
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6/12

猿の根付 (上)



 栄堂の店主から電話がかかってきた時、公太は三人の学友と五百円硬貨でお釣りがくるハムカツ定食を食べていた。

 金はいくらあっても足りない大学生の味方である学食での賑やかだが、他愛のない昼食は携帯電話の着信音で一変した。

「午後からお暇でしょうか?」

 突然のお誘いに公太は一も二もなく「もちろんです!」と答え、笑みを隠せない口元をなんとか引き伸ばしつつ通話を終え、はたと我に返ると都合六つの白眼に晒されていた。

 普段であれば気の置けない学友の、隠しようもない敵意だった。

「やけに嬉しそうだな、おい」

「女?」

「ひとりだけ抜け駆けっすか?」

 三者三様の冷淡を受け止める公太は、それらしい言い訳を猛然と思い巡らせた。

「バイト。ようやく決まったんだよ」

 公太がバイトを辞めて金欠なのは周知だったので、その言に渋々と納得した三人は、残りの昼食を黙然と腹に収めた。

 皆に悟られないように胸を撫で下ろした公太だが、なんとも言えない肩身の狭さを追い出すために残りのハムカツを頬張った。

 下手に口を滑らせばまたぞろ、疑惑の目を向けられそうだと神妙を取り繕う公太だったが、よそよそしい態度が逆に猜疑を与えてしまった。

 学友の猛追をなんとかかわした公太は、追われるようにして学食を後にした。嫉妬に駆られる三人から逃れた公太の足取りは次第に軽くなり、しまいには小躍りせんばかりに弾んでいた。

 まったく単純だと我ながら呆れるが、少なからず好意を寄せる女性から電話を貰えば、誰だって嬉しいはずだ。

 骨董を趣味だと装うのはなんとかなるにしても、店に通う動機が元から不純なのだから、軽い罪悪感も芽生えていた。店に入る度にばれるんじゃないかと、妙な強迫観念を覚えて足も遠退きがちだった。

 しかしである。今日は向こうからのたってのお願いなのだから、堂々と軒を潜れる。

 などと栄堂へと続く道のりを跳ねんばかりに揚々と辿っていた公太は、目に映る光景に唖然となって道の真ん中で足を止めた。

 見間違いか。それとも白昼夢か。

 栄堂のガラス戸が明け放たれていたので、遠目にも店内の混雑ぶりがよく見える。混沌とする陳列棚の隙間から人の姿が見え隠れし、公太の目の錯覚でなければ背中の広い男で、見上げる栄の表情はこともあろうに笑顔だった。

「誰だよ、あいつは」

 柄にもなく嫉妬を覚えて道の中央に立ち尽くしていた公太だったが、冷静になってみれば客と考えるほうが妥当だ。

「お客さんか……客!?」

 栄堂に通うようになってから数カ月、公太の他に客と呼べる人物を店で見たためしがない。厳密には公太も真っ当な客ではなかったが。

 珍しいこともあるものだ。公太は思わず晴天を見上げた。

「雨でも降るんじゃないか」

 失礼極まりない独り言を呟いた公太は肩を竦め、静かに店内に足を踏み入れた。

「ご来店いただきありがとうございました」

 先客は公太と入れ替わりに店を出ていった。

 深々と頭を下げる栄に代わって、公太が客の背中を見送った。

 男の風貌は営業途中を彷彿とさせるグレーの背広だった。背広にはシワのひとつもなかったが、体に馴染んでいるのがよく分かる。気楽な学生を終えて五年ほど経ち、惰性を織り込んだ日常も享受している顔つき。公太も大学を卒業して平凡なサラリーマンとして五年もすごせば、窮屈そうな背広も卒なく着こなせるようになっているのだろうか。

「営業中の看板は嘘じゃなかったんですね」

「最近では来店するお客さまも減りましたから」

 いまさらながら、商売として成り立っているのかと心配になる。楽隠居の道楽ならまだしも、人ひとりの生活費は捻出できているのだろうか。

「これも時代でしょうか。ほとんどの売買はネットで事足りますし、今でも足繁く通ってくださるのは昔からの馴染みのお客さまくらいで」

 すっかりと失念していた。便利な世の中とは無縁にあると、勝手に勘違いしていた。

 と言うことは、先ほどのサラリーマン風情も店に日参する数少ない常連客のひとりというわけか。などと余計な詮索をしていると、出ていったばかりのサラリーマンが戻ってきた。

「もう一度見せてもらえますか」

「どうぞ。存分にご覧ください」

 何事かと訝る公太を他所に、サラリーマンは一目散に狭い通路を進み、商品棚のひとつを真剣に覗き込んだ。

「本当に三代目、なんですよね」

 サラリーマンは棚の一角を見つめたまま、どうやら店の主に問うていた。

「はい。箱書きにもそう記されていますし、鑑定書をもう一度お持ちしましょうか?」

 栄の提案にもサラリーマンの返答は素気無い。

「やっぱこんなとこにあるわけないか」

 独り言にしてはやけに大きな声と共に、サラリーマンは栄堂の店主を一瞥した。聞き様によってはひどく失礼な物言いだ。一方の栄は別段、気分を害した風もなく憤然と店を後にするサラリーマンを見送った。

「なんだか、随分と嫌な言い方をしますね」

 サラリーマンの言葉と態度に憤りを隠せない公太は、それでも笑顔を絶やさない栄は困ったように小首を傾げていた。

「あのお客さまは骨董屋巡りをしては掘り出し物を探しているそうで、お目当てのものがなかなか見つからなくて少しばかり気が立っていたのでしょう」

 公太はサラリーマンが陣取っていた棚に視線を巡らせ、思いがけず懐かしい商品を手に取った。

 気紛れで店に入り、栄堂の店主との邂逅を鮮明に語るものだった。

 ぱっと見は古臭い箸置きだが、有名な作家による意匠の逸品だそうだ。たしか猿の根付だったか。どの辺が猿なのか、どう見積もっても朱色のひょうたんにしか見えない。

「さっきのお客さんはこれを見てたんですか」

「ええ。歴代の里見長吉は精緻な彫刻技術、芸術性のどれをとっても他の根付師に比べて群を抜いています。里見長吉の作品は蒐集家の間でも特に人気です」

 脚立から転がり落ちそうになる栄を助ける際に、弾みで落として欠けてしまったはずだが、栄の宣言通りに欠けた部分はおろか、奇麗にくっついていた。

「業界内では当たり前なんですかね。欠けた瀬戸物も一発で直る接着剤とか。前々から気になってたんですけど、なにをもって猿なんですか」

「里見長吉が得意としたのは、主にからくり根付ですから。三代目里見長吉の本名はアンドラーシュ・ギュー。のちに里見長吉の養子となって里見八十吉(やそきち)と改名しましたが。彼は元々教会の装飾などに携わった芸術家でして、日本で初めて目にした根付という小さな芸術品にいたく感銘を受け、初代の里見長吉に師事したという変わり種ですよ」

「へぇ、珍しいというか、現代ならまだしも、鎖国をしてたような時代に外国人が生粋の職人として名を連ねることなんてできるのかな」

「当時としては異例でしょうね。それでも彼の創作性と技術、完成された作品からも名跡を継ぐに相応しいと、初代の里見長吉も認めるところであったのでしょう。三代目は前職で培った技法を用いて根付という小さな世界を余すことなく表現し、当時の本流からは随分とかけ離れた奇抜な作品を数多く作り出していました。流行に敏感な洒落者や通人(つうじん)の多くは異国情緒あふれる三代目の根付をこぞって買い求めたそうですよ。ですから初代の作品を模したとされる正統な作品は、評価や価格も劣るきらいがあります」

「あぁー……なるほど」

 サラリーマンの態度にようやく納得ができた。今でいう鬼才として、名を馳せた三代目の余りにも凡庸な根付に落胆も大きかろう。

 根付に提示された金額に「それでも十分高いんですけど……」と、当たり前だが公太が逆立ちしてもポケットからそんな金は転がり落ちてこない。

 栄の骨董に関する博雅は底を知らない。流れ出る知識は留まることなく、そして淀みない。

 この辺りから公太をそっちのけで語るに尽くす栄の邪魔にならないように、ひたすら聞き役に徹するのだった。

「初代の里見長吉の真骨頂であるからくり根付ですが、三代目らしい趣向を凝らしたからくり根付になっているそうです。わたしは未だにからくりの仕組みも分かりませんけど」

 栄の悪戯っぽい笑みを受け、公太はまじまじと根付を見つめた。

 桐箱の収められた朱色の根付の表面は、つるりとしていて今もなお光沢を放ち、公太が欠けさせた時の傷跡は見当たらなかった。

 からくりというからにはボタンなり掛け金なり、なにかしら施されているものだが、強いてあるとすれば、ひょうたんから伸びるツルが動くことと、ひょうたんの上部にぐるりと薄く切れ目が入っていることだけだった。

 公太がわずか数センチの根付を前に頭を捻っていると大時計の鐘が鳴った。

「お茶にしましょうか」

 大時計の針はピタリと三時を示している。からくりの仕組みを気にしつつも公太は空々しく腕時計を見やり、この時間を狙って店に来た自分がちょっとだけ恥ずかしくなった。



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