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栄堂奇譚  作者: よしかわ こう
マールとフィリッパ
3/12

マールとフィリッパ (上)



 秋も深まり、冬の気配が日に日に増していく気だるいだけの午後の講義はなにを措いても眠気が勝つ。

 全く身の入らない一日を終えて、大学の構内をぼんやりと歩いていた公太はメールの着信音に足を止めた。メールの相手はサークル仲間からで、内容は読むまでもなかった。

 余り気乗りはしなかった。なにかにつけてよく分からない名目の下に酒を飲むという、実に分かり易いサークルに席を置いている公太だが、それなりに金もかかる。先月バイトを辞めたので財布の中身も寂しかった。

 公太は適当な言い訳を理由にお誘いを断った。

 通い慣れた道を辿り、いつもの路線の電車に揺られて自宅の最寄り駅に降り立った公太は、久しぶりに商店街に足を向けた。

 夏のある日に偶然見つけた怪しげな店はあれから一度も訪れていない。というか、今となっては栄堂へと通じている道がどこだったのかすら思い出せない。

 あの時は適当に道を選んだ先で偶然に栄堂を見つけたが、どこの脇道だったのか、途中の四つ角をどちらに折れたのか、右か左か、まるで記憶になかった。

 店までの道順は失念してしまったが、鮮烈な体験を思い返すに、あの店そのものが幻だったのではないかと妙な考えに囚われてしまう。

 捜してみようかと何度となく衝動に駆られるも、未だに果せていない。本当になかったらそれこそ怖い。

 公太はいつもの本屋でいつもの雑誌を立ち読みし、店のオヤジの視線が痛くなってきたところで退散した。

 その足で行きつけの弁当屋に向かった公太は、いつものカラアゲ弁当を注文した。

 時刻は夕暮れ時とあって、買い物途中の主婦や、帰宅途中の学生や会社員でごった返す商店街は活気に満ちている。

 出来上がりを待つ間、商店街を行き来する人波を眺めていた公太は覚えのある背中を見つけた。

 はっと身を乗り出した公太は白い後ろ姿を凝視し、首に巻いたリボンに確信した。

 白い招き猫は、弁当屋の向かいにある魚屋の軒先に座っていた。鮮魚が並ぶ陳列棚を見上げるその様は、虎視眈々と獲物を狙っているようにしか見えないが、店の人間も別段追い払うでもない。

 あの猫の後を追えば栄堂に辿り着くことができるだろうか。

 そうこうしている内に、店の奥から出てきた五十がらみの恰幅のいいオヤジが、猫になにやら与えた。

 ご相伴に預かる猫は厳ついオヤジですら終始目尻を下げさせる威力を発し、腹が満たされると周囲に一頻り愛想を振り撒いてから、ふいと身を翻して魚屋を後にしたのだった。

 ここで見失ったら栄堂には永遠に辿りつけない気がした公太は慌てて後を追った。カラアゲ弁当はすっかりと頭から抜け落ちていた。

 公太の追尾など気にも留めない白猫は確かな足取りで通りを歩いていく。

 煮しめたような外観を持つ立ち飲み屋や、居酒屋の戸口が立ち並ぶ通りで足を止めた白猫は、いつもの時間にふらりと立ち寄る常連客風情を醸し出していた。

 焼き鳥の看板を掲げた店のガラス戸がタイミングよく開き、店の暖簾を手にした割烹着姿の女将さんが白猫を見つけた。女将さんは満面の笑顔と共に二言三言声をかけ、急いで店内にとって返した。

 小皿を手にした女将さんがしばらくもしない内に戻ってくると、行儀よく待っていた白猫の前に差し出した。

 随分と恵まれた食事事情だ。

 猫を相手に嫉妬しても詮無いが、公太は今になってカラアゲ弁当を思い出した。

 もしかすると、あの白猫は特定の飼い主を持たない、別宅をいくつも抱えた孤高の野良猫なのだろうか。

 商店街から一本隔てた煤けた通りには一足早い夜が迫っていた。建物の影に夜を落した隘路(あいろ)をひた歩くのは、女将さんの手から後腐れなく去った白猫の後ろ姿だけだ。

 白い目印を頼りにつかず離れず、公太は猫に続いて狭い三叉路を左に曲った。

 真っすぐに伸びる通り沿いに並んだ民家からは明かりが漏れ、夜に沈もうとしている薄闇に点在する明かりのひとつに、栄堂が浮かび上がっていた。

「あるんだ……いや、当たり前だよな」

 この白猫は紛れもない招き猫として栄堂まで導いたのだと、公太はちょっとした感動に浸っていた。

 ひとり勝手に胸を熱くする公太を他所に、白猫は固く閉まった栄堂の戸口を爪で掻いてみせ、立ち尽くす公太をちらりと振り返った。

 人前での態度を十分に弁え利口を自覚している白猫だ、当然にして人の扱いにも長けている。

 先の光景での手練手管を目の当たりにしていた公太ですら、白猫の視線の意図を酌むなり、なんの疑問もなく引き戸を引いていた。

 白猫は勝手知ったる我が家とばかりに所定の座布団に丸まり、遠慮がちに踏み入った公太は店内の様子に唖然となった。

 最初に栄堂を訪れたときも店の体裁すら怪しい物置然とした混雑ぶりだったが、今日の比ではない。いくつもの棚が動かされて狭い通路が分断され、棚から下ろされた商品がそこら中に溢れ返っていた。

 店主の栄は不在なのか、声をかけたが返事はなかった。

「留守かな」

 白猫に語りかけても答えてくれるはずもない。

 棚に収まり切らない商品を蹴飛ばさないよう慎重に店の奥に進み、レジ前で歩を断たれた。

 角を丸めたL字型のレジカウンターですら、年季の入ったガラス張りのショーケースであることに感心した。流行りの懐古趣味というよりも、何年も前から時間が止まっている。栄堂という店そのものが骨董品だ。

 公太はレジ奥に続くガラス障子の隙間を窺った。

 明かりは灯っていなかったが、奥の間は住居スペースになっているのだろう、生活感漂う板間に敷かれたカーペット、座卓が見えた。

 静かに打ち沈んだ室内を見るに、やはり留守のようだ。

 ウサギならぬ白猫を追い駆けて目的の場所は見つかり、道順もすっかりと頭に叩き込んだ。

 日を改めることにした公太が嘆息していると、視線の端に丸みを帯びた人影らしいものが映り込んだ。注視してみると、確かに店主の栄らしい姿が薄暗い部屋の中で蹲っていた。

 公太は大いに慌てた。

 さらに栄の脇から小さな丸い影が素早く飛び出してきたので、目で追ってはみたが、手狭な室内に点在する家具の物影に邪魔された。

 ネズミほどの大きさだろうか、いまどきネズミも珍しい。

 ネズミかどうかはさておき、傍目には倒れているらしい栄と、店内の乱雑ぶりに合点がいった。

「まさか!? さ、栄さん……!」

 公太は勢いよくガラス障子を開いた。店舗と居住部を仕切る上がり(かまち)の前で靴を脱ぐのにもたついていると、店のほうから低い鐘の()が響いた。音のほうに目をやると大型の振り子時計が壁際に鎮座しており、大きな文字盤は五時五十一分と中途半端な時間を差していた。

 ちなみに公太の腕時計は五時を少し回ったところだった。古さを斟酌するとしても、時計としての価値は尽く損なわれている。

 狭い店内にあって、異様に幅を取る置時計は鐘を一回鳴らしただけで沈黙した。

 さらに驚いたのは、栄らしい人影がむっくりと起き上がったことだ。

「一体なにがあったんですか!」

 勢い込む公太を前にしても栄の反応は薄かった。と、栄は膝をついたまま公太に向かって這い寄った。

「ああ、お久しぶりですね。いらっしゃいませ」

 店からの明かりを頼りに、公太の顔をまじまじと見上げた栄の開口一番だった。

「なにを暢気に! 強盗が入ったんですよね? 酷く荒らされてるし……まさか暴行を受けて気絶してたんじゃ……下手に動かないほうがいい。と、とにかく、警察に電話して、あとは救急車も呼びましょう」

 栄は焦点の定まらないぼんやりとした目を店内に向けた。

「そんなに荒れていますかね……模様替えの最中なのですが」

 公太は上着のポケットから引き抜いたスマートフォンを思わず取り落とした。

「今なんて」

 栄は大時計を指し示した。

「立派な大時計でしょう。素敵な装飾ですし、破損もありません。店に飾るのは大歓迎ですが、置き場がないという問題に直面しまして。いっそのこと棚の配置を変えてやれば、なんとかなるだろうと頑張ってはみたのですが……ひとりでの作業にも限界はあります。途中で力尽きてしまいました」

 足元に転がったスマートフォンを黙って拾い上げた公太は、上着のポケットにそっとしまった。

「ごゆっくりご覧ください。んん、見るといっても足の踏み場もありませんね。どうぞ、こちらにおかけください」

 栄は部屋の明かりを点けてから公太に座布団を勧め、いそいそと台所に立った。水を注いだやかんを火にかける栄に悪びれた様子はない。当然といえば当然だが、これを茶番と言わずしてなんと言おうか。茶番ならまだいい。勘違いの果てに蛮勇を振るった公太の後に残された恥ずかしさはどこに捨てればいい。

「もしかして置物を見に来たのですか」

「いや、まあ……そうですね」

 公太が購入するには至らなかった冬の女王が住まうガラスの置物を捜そうにも、台風一過を呈する店内から見つけ出すのは至難の業だ。

 値札に尻込みしたわけではなく、むしろ安いほどだった。外観だけを見ればスノードームのそれで、相場に見合った金額なのだろうが、中身を知ってしまっただけに安く買い求めることに抵抗を覚えたのだった。

「残念なことに春はまだまだ先のようですよ」

 冬の女王の物語はどういった結末が用意されているのだろうか。めでたしめでたしと大団円を迎えることを願っている。

 熱い紅茶をすすりながら、公太は大時計を眺めた。

「これだけ大きいと、運び入れるのも一苦労ですよね」

「はい、大変でした。栄堂に古くから馴染みのあるお客様から引き取って欲しいと頼まれたのがつい先日。しかしいざ届いてみれば、あの大きさです。業者の方に無理を言って棚を移動してもらい、どうにか運び入れたのはよいのですが、中々思うようには……」

 栄の長大息に、公太はしばし黙考した。ここは「お手伝いしましょうか」が、もっとも自然な流れなのだろうか。

 下手に口走ろうものなら、この店に散乱する棚や商品、それらに過不足なく降り積もった埃に塗れるのがオチだ。公太は一先ず、内なるお人好しを押し止めた。

 古い洋館の広間にあっても遜色のない立派な大時計だ。惜しむらくは時間が狂っていることくらいだが、店主の目利きの確かさが窺える細工には違いなかった。

「近くでご覧ください。そのほうが細密な模様を間近に感じられますから。丹精込めて、それこそ心血を注いで作られた物には少なからず意志が宿るものです」

 物の大小に限らず、古くから存在しているものに圧倒されることはある。簡単に触れることを許さない凄味とでも言おうか。

「確かに近寄りがたくはありますね」

 興が乗ったらしい栄は公太ににじり寄った。

「骨董の多くを価値とみなして、たくさん集めることを良しとされる方もいらっしゃいますが、骨董とは本来、長い月日を経ても当時のままに形を留め、または様々な人の手に渡ることで世界を巡ってきた幾歳月を愛でる意味合いのほうが大きいのです」

 骨董屋の店主の含蓄を傾聴していた公太は、視線の先にあった振り子の後ろに小さな顔を見た気がした。まさしく二度見した公太は左右に揺れる振り子の奥に顔を近づけた。

 振り子の影を見間違えたのだろうか。

 公太は背後を振り返り、骨董について舌鋒を極める栄がこちらの視線に気づいていないことを確認してから、振り子部分に取りつけてある小窓を開いた。

 カチカチと規則正しく揺れる振り子の裏が見えるぎりぎりまで顔を寄せた公太は、思いがけない大音量の鐘の音に仰け反った。

「馴染みのお客様はそれはそれは大時計を大事にされていたのですが、ある日を境に針が止まってしまったそうです。何度か修理に出してようやく動くようになったのですが、時計としての機能は直ることなく……それで泣く泣くこちらに」

 骨董について語る栄は生き生きとして楽しそうだが、反面、周りが見えなくなるようだ。驚く公太は完全に捨て置かれた。

 ちょっとばかり寂しさを感じながらも、栄の言葉に疑問を持った公太は口を挟んだ。

「壊れたからって、大事にしていたものを早々に人手に渡しますかね? それでも手放すって……たとえば、のべつ暇なく鳴り続ける鐘の音が原因とか」

「はぁ……慣れない鐘の音に何度か起こされ寝不足気味です」

 力仕事に加えて寝不足であった栄が部屋の隅で果てていた相応の理由というわけだ。

「お客様も随分と憔悴していましたし、今思えば寝不足が祟って思い余ったのかもしれませんね」

 体よく厄介払いされた、とは、がっくりと項垂れた栄にさらなる追い打ちをかけることになるだろう、公太は黙っておいた。

「物には意志が宿るんでしょう? だったら鐘を鳴らすのを止めてくれとお願いすればいいじゃないですか」

 公太は気休めにも満たない冗談を言ったつもりだったが、当の栄ははたと思い立ったように身を起こした。

 栄は公太を押し退けるようにして大時計に縋りついた。

「せめて……夜だけは控えてもらえませんか……!」

 大時計は懇願する栄に対して、可否のほどは知れないが一度だけ鐘を鳴らした。

 随分と愛嬌のある大時計ではないか。公太は改めて大時計に目をやり、振り子を後ろから抱え込む小さな二つの手と、見え隠れする小さな頭に凝然となった。




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