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異世界遭難インシデント記録~隻腕エルフが現地に適応するまで~  作者: はくりん
序章~森林山岳地帯からの生還およびそれに付随する一連の出来事について~

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001 遭難

 私は登山が趣味だった。

 週末になれば隣の県の山へ向かい、何時間もかけて登っては山頂からの景色を眺める。そんな生活を何年も続けていた。


 社会人になってからは残業に次ぐ残業で、週末の休みも安易に取れなかった。

趣味に割く時間は減っていったが、それでも有休や連休が取れれば私の足は自然と山へ向かっていた。


 ただ、いくら山好きだからとはいえ、こんな状況は二度と経験したくない。


 


 寝起きの私の鼻を、乾いた土と草のにおいがくすぐる。

 固い地面の上にうつ伏せに寝ていた私は、目覚めと同時に頭部に痛みを感じながらも声を発した。


「部屋で寝ていたはずが、目を覚ますとそこは山の中でした……と」


 いやいや、待てまて。

 誘拐でもされたのか?


 必死に昨夜の記憶を掘り起こす。

 システムの障害対応に追われフラフラになりながら帰宅した。

 風呂に入る気力も残っておらず、着替えすらせずに布団へダイブしたところまでは覚えている。

 ……そういえば、疲れすぎて玄関の鍵を閉め忘れたかもしれない。寝ている間に誘拐されてしまったのだろうか……


「……にしては、なんだこれ」


 起き上がろうと地面に突いた自分の手が、視界に入った。


「手が小さく感じるような……?」


 いや、小さくなっているだけではない。私の手はこんなに白く柔らかくなかったはずだ。

 もっと日に焼けた、いかにも『登山家』というゴツい手だった……と思う。

 固い地面に寝ていたせいか、頭がズキズキと痛み、思考がまとまらない。


「なにが起こっているんだ……なんで、こんなところに寝て……」


 その時気づいた。私の声はこんなに綺麗に澄んだ高い声ではなかった。


「声がおかしい……、っ痛ぇ」


 ズキズキと痛む側頭部を押さえようと頭を抱えた瞬間、指先に奇妙な感触が触れた。

 ……耳が、長い。先端が尖っている。


「は……?」


 混乱する頭を抱え、傍の木に世垂れかかりながらも、なんとか立ち上がって自分の全身を見下ろす。

うつ伏せで寝ていた割には汚れの少ない白のワンピース。視界の端で揺れるプラチナホワイトの長い髪。白く細い腕。そして、すとんと落ちる布地に抵抗してわずかに浮かび上がる、慎ましい双丘。


「……って、嘘だろ。まさか」


 恐る恐る、股間に手を伸ばす。

 私の相棒は、跡形もなくきれいさっぱり消滅していた。


「…………」


 問題は山積みだった。

 これが夢であってくれたらどれだけ良いことか。


 だからといって、不満を表面に出して、わめき散らしてもしょうがない。

 焦りは無駄な興奮を生み、体力を削るだけだ。

 これは現実だ、状況を一つずつ整理し、次の行動を決定する必要があった。


 一つ、朝起きると見知らぬ山の中に一人きり。(傾斜からして中腹あたりか)

 二つ、性別が変わっている。(髪色も、声も、耳の形もおかしい)

 三つ、周囲の植物の植生が知っている地域のものではない。(見たこともない形状のシダや背の高い樹木。そしておそらく季節は秋口)

 四つ、そして何より――靴を履いておらず、完全な裸足である。


 性別が変わったことはショックではあったが、そんなことを気にしていられるほど落ち着ける状況ではなかった。


 特に恐ろしく感じたのは、場所も知らぬ山を一人で、しかも裸足で歩き回る必要があることだ。

 人里がどの方位にあるのかも分からず、あてもなく彷徨う必要がある。

 尾根沿いに移動すれば、いずれは救助隊に見つけてもらえるだろうか。

 

 裸足である以上、小石を踏んで転倒・滑落する危険はもちろんのこと、傷口から破傷風菌を拾うかもしれないし、落ち葉の下に潜む毒蛇やムカデ、有毒植物を素足で踏み抜いたらと考えるとゾッとする。


……だが、いくら頭の中で文句を垂れたところで、都合よく登山靴が生えてくるわけではない。

ないものねだりなんてリソースの無駄だ。今は足元に細心の注意を払いながら進むしかなかった。

……長年山登りをやってきた人間として、今やるべき手順は決まっている。


 サバイバルの鉄則、いわゆる『3の法則』を思い出す。

 『空気のない環境で3分、体温を奪われて3時間、水がなくて3日、食料がなくて3週間。』


 つまり、食べ物など最悪数日間は放置でいい。

 最優先で確保すべきは、今夜の冷え込みから体温を守るための『ビバーク適地』と『水』だった。


 日が出ているうちに休める場所を確保しなくてはいけない。


 まずは付近で最も見晴らしの良い場所を探し、木々の隙間から太陽の位置を仰ぎ見た。

 雲一つない、きれいな空とまばゆいほどに光輝く太陽が見える。

 木漏れ日の角度と光の強さから察するに、太陽は天頂からやや斜めに傾いている。


「……だめだな。正確な時間を計るには情報が足りない。」


 だからと言って、態々棒を立てて、影の移動を観察するのは時間がもったいなく思えた。

 少なくとも真夜中でもなければ、日没間際の薄暮でもない。太陽の高さからして、活動できる程の明るさはあと数時間ほど確保できるはずだった。


 ついでに周囲に民家や避難小屋等が無いかと見回すが、人工物などは確認できない。相当森の奥深くに誘拐されたようだった。


「……やはり、水場と、ビバーク適地を探すことが最優先事項だな。尾根沿いに町や村を見つける探索は明日以降に行うことにしよう」


 ビバークとは、登山における緊急野営のことだ。

 特に今は、テントも寝袋も防寒着もない。

 冷え込む夜を素肌同然のワンピース一枚で耐え抜くためには、明るいうちに雨風をしのげる『寝床』を確保しなければならなかった。


 私は地面に落ちていた手頃な太さの枝を一本拾い上げ、体重を預けられるか確かめた。

 この枝が、即席トレッキングポールとなった。

 体重の移動を助け、山登りの疲労を軽減してくれる優れモノだ。おまけに蛇や小動物を追い払うのにも使えた。


 情報は目からだけ得られるものではない、先ほどは山と木ばかりが視界に入った。

 今度は目を閉じて耳を澄ませる。


 風が木々を揺らすざわめきの中に、かすかなせせらぎの音が混じっていた。

 水場の確保は重要だが、沢の真横に寝床を作るのは避けたい。

 急な増水のリスクがあるし、夜間は冷気が吹き下ろして体温を奪われる。

 さらに、野生動物の水飲み場になっている危険性も高い。


 探すべきは「沢から少し上がった高台」で、「背後に大きな岩や斜面があって風が防げ」、「落石や倒木のリスクが低い」場所。


 歩きながら、目につく使えそうな素材を回収していく。

 木から剥がれ落ちていた厚手の樹皮や、しなやかで丈夫そうなツタを見つけた。

 このツタであれば、樹皮と組み合わせてサンダルや背負い袋などが作れそうだ。


 ツタを素手でちぎるには私の力があまりにも弱かったため、方法を変えた。

 手近な石を拾ってツタを叩き切った。あとで樹皮を足裏に当ててツタで縛れば、即席の樹皮サンダルになる。

 さらに数本ほどツタを叩き切り、落ちている一番大きい樹皮と組み合わせて即席の背負いかごを作った。


 日没後の冷え込みと獣除けに備えて火種用の素材も集める必要がある。油分を含んでいそうな樹皮や、乾燥した植物の綿毛、松ヤニのような塊がついた枯れ枝を手当たり次第に拾い集めては背負いかごに放りこんだ。


「……ふぅ、やっぱり体力は落ちてるな……そこそこの大きさの枝を折るのも一苦労だ」


 焚火用に大きな枝を折るとき、全体重を預けて何とかへし折った。

 想像以上にこの体は体力や力が無いようで、前の身体の感覚で動き回るとすぐに動けなくなりそうだ。

 素材集めもほどほどに、ビバーク適地を探すほうに目的を切り替えることにした。


 しばらく散策を続けると、岩壁がせり出して小さな天然の庇を作っている手頃な窪地を見つけ出した。立地的には谷になっている部分のちょうど真ん中程度だろうか。

 頭上からの雨は防げるし、風下になっているため突風も当たらない。すぐ下の斜面には細い湧き水が流れている。


「ロケーションとしては及第点だな……」


 腰を屈め、拾い集めてきた太めの枯れ枝を岩壁に立てかけ、周囲の大きなシダの葉を刈り取って隙間に敷き詰めた。さらに落ち葉をシダの葉の上に乗せ屋根の層を厚くする。

 落ち葉が足りなくなったらかごを背負って集めに向かって、かごいっぱいになったら窪地に戻ってを繰り返すこと5往復。

 おおよそ60センチメートルほどの厚みになっただろうか。最後にもう一度シダの葉をかぶせて重石で飛んでいかないように固定する。


 極寒を乗り切るシェルター「デブリハット」の完成だ。

地面には湿気を遮るために乾いた落ち葉を何重にも敷き詰め、ふかふかの即席マットを完成させた。


 この作業でへとへとになってしまい、もう動きたくなかった。でも、最後にもう一仕事する必要がある。


 喉の渇きを潤すため斜面を下り、湧き水を手のひらに掬って一口含む。

 冷たい水が乾いた喉を滑り落ちていく。もう一杯水を飲もうと、水面を覗き込んだ。

 波紋が静まり、水鏡が整った瞬間、私は硬直した。


「これ、私なのか……?」


 水面に映っていたのは、すっかり変わり果てた自分の顔だった。

 額の前できれいに切り揃えられた白銀の前髪。透き通るような薄青色(ペールブルー)の瞳。陶器のように凹凸のない、滑らかな白い肌。そして、先の尖った人間とは異なる耳の形状。


 初めて「この場所が異世界なのではないか」という不安を覚えた。

 私のこの容姿は、ファンタジー作品で有名なエルフの特徴によく似ていた。


 瞬きすると水面の少女も、まったく同じタイミングで淡い青の瞳を細めた。疑いようもない、今の私自身の顔だ。


 そういえば、ここに来る前の私はどのような容姿だったか。

 寝る時間以外は仕事かスマホ、休みの日は山籠もりが日課の私は、自分自身の顔を見るのは朝夕の顔を洗う時くらいだった。思っていた以上に自分自身を見つめる時間がなかったようだ。

 あるいは、私も容姿が端麗であったならば、自分の顔を思い出すのも容易であっただろうか……


 気落ちしている暇はなかった。日が落ちる前に最大の難関を片付けなければならない。時刻を確認する際に見た空は雲一つないきれいな空だった。

 つまり、放射冷却によって今晩冷え込む可能性があった。


「……今晩はかなり冷えるはず、火が絶対に必要だ…」


 森の植生をなるべく登ったことがある山のものと照らし合わせると、今は秋口。

 夏であっても夜間の山は冷える、場合によっては防寒着を重ね着しても凍死することがある。

 この夜を乗り切るため、火を熾すことは必須であった。


 しかし、ライターもマッチもない。

 フィクションだと適当な石同士を打ち合わせて火花を散らす描写をよく見かけるが、あれは嘘だ。

 鋼鉄のない自然界で石同士をいくらぶつけても、煙すら立たない。


 残された手段は原始的な摩擦発火――きりもみ式一択だった。


 知識としては知っていても、実際にやったことはない。失敗したら凍死は避けられないというのに、年甲斐もなくこの状況に少年のような好奇心が湧いてきた。


 拾ってきた平らな枯れ木を足で固定し、小石の尖った角で小さなくぼみと、削りカスが溜まる切り欠きを作る。

 真っ直ぐで乾いた硬い枝を軸棒にして垂直に立て、両手のひらで挟み込んだ。


「ふぅ……いくぞ」


 上から下へと体重をかけながら、手のひらを激しく擦り合わせる。

 キリキリキリ、と乾いた木と木が擦れ合う高い摩擦音が静かな森に響く。一往復、二往復。回転を落とせば溜まった熱が逃げてしまう。休む暇なく、ひたすら両手を高速で往復させ続けた。


 何分か、あるいは何時間か、やはり自分でやってみると難しいもので、すんなりと火種を作るのは難しく、いたずらに時間と資材を浪費した。


 9本目の枝を手に取って、「これが最後」だと自分に強く言い聞かせた。額には汗が浮かび、手はジン…と熱を持っている。この状態で夜を迎えるのは絶対に嫌だった。


「ベストコンディションじゃねぇか……」


 精神を研ぎ澄ませ、もう一度くぼみをつけた枯れ木に向かい合った。指先はすでに擦り切れ、焼けるように痛みを発する。

 それでも手は動いた。視野はだんだんと狭まり、もう両手と棒が擦る樹皮しか見えない。さっきまでの一瞬が、今は永遠にも等しい時間に感じられた。


 太陽が向かいの山の背後に完全に隠れるまであとわずかといったところで、焦げ臭い匂いとともに、くぼみから細い煙が立ち上り始めた。


 削りカスが真っ黒な粉となって溜まっていく。


(まだだ、絶対に止めちゃダメだ……熱を閉じ込めるんだ……!)


 両手のひらが摩擦熱で焼けるように熱い。それでも耐え忍び、手と木を高速で擦り合わせた。痛みに顔を歪めながらも、さらに回転速度を上げる。


――ボッ、と黒い粉の中心に小さな赤い輝きが生まれた。


「ッ…ついた……っ!」


 息を乱しながら棒を放り出し、集めておいた植物の綿毛と樹皮をほぐした火口に、そっと火種を移す。そっと包み込み、優しく、長く息を吹き込む。


 フゥー……フゥー……。


 ボワッ、と白い煙の中から鮮やかなオレンジ色の炎が上がった。間髪入れずに細い小枝を重ね、火を落ち着かせ、太い枝へと火を移していく。

 最終的には手首ほどの大きさの枝を放射状に並べ、よくある伝統的な星形焚火の形になった。


 これで、何時間持つのかはよく分からない。朝方まで持つだろうか……

 一抹の不安を抱きながらも、本日の成果を喜ぶことにした。


 風を遮るシェルター、乾いた寝床、最低限の水、そして獣を遠ざけ暖を取る火、これらを初日に手に入れることができたのは、なんという幸運だろうか。苦労が多ければ喜びも一入。まさに山登りの醍醐味と言えた。


「……ふぅ。なんとか火は確保できたな……」


 摩擦熱で水ぶくれができ、皮が剥けた手のひらを息で冷ましながら、へたり込む。

 張り詰めた緊張の糸が完全に切れたその瞬間だった。


――どっ、と。鉛を流し込まれたような猛烈な疲労感が、全身の筋肉と脳髄を一気に押し潰した。


 目を回すような忙しさの中、常に身が張り裂けそうなほどの緊張感を感じていた。

 しかし、とうとうアドレナリンが引いた身体は、もはや指一本動かすことすら難しい。

 思考が急速に暗闇の中へと沈んでいく。


 ベッドと焚火の距離は十分、燃え移る心配はない。

 間取りを考える段階からそのように設計していた。


 私は敷き詰めた落ち葉のベッドへ倒れ込んだ。

 抗う間もなく、意識の電源が完全に切れた。


 パチ、と小気味よい音を立て、赤い焚火は周囲を明るく照らしている。


 その一方で、光が強まると、落とす影もまた濃くなる。

 木々を掻き分けたさらにその深い闇の奥で、二つの鋭い眼光が、無防備に横たわる白銀の獲物をじっと見据えていた。


処女作です。

話のストックは3話ほどありますが、ひとまず週1投稿を目指します。

ストックに余裕が出たら随時投稿いたします。

小説を書いてみて気づいたことを発表します。

「つい、全部を書きそうになって、『いや、それは主人公の知覚できることじゃないだろ』となるので、意図的に『描写を書かない』こと」

これ、中々難しいですね。他の作者様のレベルの高さが分かりました。


良ければブックマーク、高評価をお願いいたします。

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