序幕『ダニアの女』
荒ぶる声。
興奮。
怒声。
歓喜。
それらが混ざり合い熱狂の坩堝となって闘技場を包み込んでいく。
その円形の広場の中で繰り広げられる戦いに観衆は酔いしれ、ある者は日頃の鬱憤を晴らし、またある者は賭け事の勝ち負けに一喜一憂するのだ。
今、広場では大柄な剣奴の男2人が大振りな剣を激しくぶつけ合って戦っている。
剣奴。
奴隷の身分であり、こうして闘技場で観客を喜ばせるための試合を日々課せられている者たちだ。
奴隷ゆえに身の自由はなく、日々の糧を得るために戦い続けなければならない。
戦いに勝ち続ければ栄光と安泰を手に入れることも不可能ではないが、そんな者はほとんどいない。
大抵の剣奴が日々の戦いの中で命を落とす。
誰もその死を悲しんだりはしない。
彼らの命は綿よりも軽く、代わりはいくらでもいる。
この日も大観衆が熱狂的に見守る中、そんな悲しき宿命を負う者たちは戦い続けていた。
1対1の戦いは片方が優勢で、もう片方は劣勢に追い込まれている。
それぞれの勝利に金を賭けている観客の歓声と悲鳴が入り交じる中、観客席で戦いを退屈そうに見ている1人の赤毛の女の姿があった。
「どっちも鈍い。凡戦だな」
燃えるような赤毛。
褐色の肌。
筋肉で引き締められたしなやかな肉体。
鋭い目付き。
背負っている弓と腰に下げた矢筒。
そんな彼女は周囲の観客の注目を集めていた。
誰かがひそひそと囁く声が聞こえてくる。
「おい……あれ、ダニアの女じゃねえのか?」
「本当だ。何でこんなところにいるんだ? 試合に出場するのか?」
ダニア。
それはこの大陸の中央部からやや東寄りに位置する都市国家の名前だ。
その国は小さいが、屈強な女王が率いるこれまた屈強な女戦士たちに守られた国だった。
赤毛と褐色の肌が特徴的なその一族は、男は細身で背の低い者が多い一方、女は背が高く体格も良いという稀有な民族だった。
そのため国を守る戦士の役割を女たちが担っている。
ダニアの女戦士。
彼女たちは気性が荒く好戦的であり、並の男では数人がかりでも敵わぬほど武芸の腕に優れていた。
興味津々の視線を受けながら、そのダニアの女は居心地が悪そうに舌打ちをすると立ち上がる。
そして好機の視線を振り切るようにその場を後にした。
客先の間の通路を歩いていると、そんな彼女に1人の老人男性が声をかけてくる。
葡萄酒の杯を手にした赤ら顔の老人だ。
「よう姉ちゃん。あんたダニアの女だろ? もしかして双子のお仲間かい? 試合に出場するなら応援するぜ。姉ちゃん強そうだし儲けさせてもらえそうだ」
そう言う老人に女は眉を潜める。
「双子?」
「何だ? 知らないのかい? この闘技場の一番人気。ダニアの双子戦士、クレアとクラリスさ。ほら。出てくるぜ」
そう言うと老人は闘技場を指差した。
すでに先ほどの男たちの戦いは決着がつき、次の戦士が登場するようだ。
それも今日の目玉らしく、司会役の男がよく通る大声で盛んに喧伝している。
「さあ次はいよいよお待ちかね! 美しき双子の登場だよ! 彼女たちはあまりに強過ぎてもう人間の相手は誰もいない! 今日の相手はこいつだ!」
その声と共に闘技場の東西南北の壁に設けられた登場口のうち北側の鉄格子が引き上げられ、そこから一頭の獣が登場する。
それは獰猛な唸り声を上げ、黄土色のたてがみを振るう大型の獅子だった。
会場がどよめきに包まれる。
そしてそのどよめきは反対側の入り口から入ってきた2人の若い女たちによって歓声へと変化した。
「クレア! クラリス! 待ってたぞ! 今日も勝ってくれ!」
「獅子狩りだ! 派手に頼むぞ!」
その双子の女たちを見て、客席のダニアの女は思わず物珍しそうに目を見開いた。
「へぇ。こんなところで同胞を見かけるとはな」
そう言うと彼女は双子の姉妹クレアとクラリスによる獅子との大一番に目を向ける。
そんな彼女の名はネル。
祖国ダニアを飛び出して、たった1人で自由気ままな放浪の旅を続ける弓兵だった。




