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モルフィの軌跡  作者: オレノマツ
第一章 監獄島編

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14/14

14.手助け

重く冷酷な金属音が響き、俺は深い闇の底から意識を強制的に引きずり上げられた。


目を覚ました場所は、コンクリートの壁に囲まれた、身動きをとるのもやっとの狭い独房だった。

ボロ雑巾のように破壊されたはずの身体だったが、奇妙なことに、傷口には真新しい包帯が巻かれ、的確な応急処置が施されていた。

全身に焼けるような激痛は走るものの、骨は繋がっており、動ける程度には回復している。


(……一体、誰が俺を治療した? あの看守どもが、囚人をここまで丁寧に扱うはずがない)


疑問が脳裏をよぎるが、それを遮るように重い鉄扉の覗き窓がスライドした。


「……チッ、起きたか、クソガキが」


看守の一人が、酷く不機嫌そうな目でこちらを睨みつけていた。

そして、扉の底部にある狭い差入口から、無造作に一つの木製バケツを押し込んできた。


「飯だ。残さず食え」


看守はそれだけ言い残すと、用は済んだと言わんばかりに足早に去っていった。


床に置かれたバケツの中身を覗き込み、俺は一瞬、ポカンとした表情で固まった。

冷め切った不味そうな野菜スープの横に、この極寒の監獄島にはおよそ不釣り合いな、南国の果実――半分に割られた新鮮なココナッツが、まるで隠されるように鎮座していたからだ。


不審に思いながらココナッツを手に取ると、その空洞の底に、小さく折り畳まれた汚い紙切れが敷かれているのに気づいた。


俺は決して文字が流暢に読める方ではない。

だが、送り主はそのことを配慮してくれたのだろう。

紙には、子供でも読めるような極めて簡素な文字で、一生懸命にこう書き記されていた。


『毎日、半分のココナッツを届ける。

 何があっても生き延びてくれ。頑張れ、友よ』


――オズレットだ。


あの眼鏡、ガナン看守長の税務管理という立場を手に入れた途端、早くもその権限を悪用して俺に看守長の私物を横流ししやがった。

多少なりとも俺がオズレットを助けたと思っているのだろう。


「……大した会計士様だ。上等じゃねぇか」


胸の奥から温かいものが込み上げ、自然と口元に本物の笑顔が浮かんだ。

俺は奴の命がけの不器用な誠意を、その独特な甘みとともに、骨の髄まで噛み締めるようにして平らげた。


オズレットが外で戦っているなら、俺がここで腐っているわけにはいかない。

ここには走るスペースも、まともな器具もない。だが、それでも肉体を極限まで追い込む必要があった。

悪魔の力が呪いの手枷で封じられている以上、今の俺の武器は、この生身の肉体と知恵だけなのだから。


「――ふっ、はっ、ふっ、はっ……!」


俺は陽の当たらない独房の中で、四歩で壁に突き当たる狭い空間を、獣のようにウロウロと走り回り、その場で何百回と高く跳び跳ねた。

さらに腕立て伏せと腹筋を、筋肉が断裂する寸前までひたすら繰り返す。

看守の手を借りずに生き長らえるため、できることはすべて、文字通り泥臭くやり尽くした。


一通りの過酷な鍛錬を終えると、俺は独房のコンクリートの破片の先端を使い、冷たいコンクリートの壁に深く、一本の傷を刻み込んだ。


「一」


日数の記録だ。

二年。丸二年間、この光のない地獄に耐え抜き、肉体を極限まで研ぎ澄ますことができれば、再びあの使徒スタークの首を狙うチャンスは必ずやってくる。

それに、あのバロミロという怪物との密約も、まだ終わってはいないはずだ。


「待ってろよ、スターク。……お前らの思い通りに、ここで死んでたまるか」


俺は闇の中で、ギラギラとした野生の光を瞳に宿し、次なる復讐への希望を新たにした。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


どうやら、今日は木曜日らしい。

あの砂浜でスタークに徹底的に打ちのめされたのが月曜日だったから、俺はあの暗黒の独房で丸三日ほど死んだように眠り続けていたわけだ。


引きずり出された俺は、重い鉄枷を鳴らしながら、再び看守の手によってあの豪華な最奥の一室――バロミロの前へと連れていかれた。


「――景気良く、脱獄を仕掛けたらしいな」


透明なアクリル窓の向こうで、バロミロは愉快そうに喉を鳴らして笑った。

俺の全身の包帯を見て、すべてを察したのだろう。


「……あの、使徒とやらが余計なタイミングで現れなければ、今頃は海の向こうだったさ」


俺は奥歯を噛み締め、屈辱と悔しさで顔を歪ませた。


「だから言ったろう。まずは俺からすべてを学び、牙を研いでから行けと。まぁ、結果オーライだ」


バロミロは不敵な笑みを深くした。


「これで丸二年間、誰にも邪魔されず、お前にじっくりと英才教育を施す時間ができたわけだからな。

 ……さて、お前に知識を授ける前に、一つ確認しておきたいことがある」


バロミロは身を乗り出し、すべてを見透かすような昏い瞳で俺を射抜いた。


「お前は、悪魔とどうやって契約を結んだ? 奴に何を差し出した?」


「……どうやって、だと?」


尋ねられて、俺は記憶の糸を手繰り寄せた。

だが、正直に言ってその瞬間の明確な記憶はない。簡単に言ってしまえば――。


「気づいた時には、もう使えるようになっていた」


「……何だと?」


世界のすべてを知り尽くしているようなバロミロが、初めて意外そうに眉を跳ね上げた。


「本当だ。ある朝、目覚めたら背中に勝手にこの刺青が刻まれていた。

 最初は質の悪い悪戯かと思ったが、念じればなんか粉が出てきた。

 鱗粉というらしい」


「なるほど、そういうことか……」


バロミロは得心がいったように、髭に覆われた顎に手を添えて深く思案に耽った。


「小僧、お前は悪魔に『魅入られた』のだな」


「魅入られた……?」


「数万人に一人、理不尽な確率で存在するのさ。

 悪魔の側に無条件で好かれ、一方的に力を貸し与えられる選ばれた人間が。

 ――そういう意味では、お前は確かに『神に愛されている』よ」


悪魔に好かれているのに、神に愛されている。

その強烈な矛盾を含んだ言葉に、俺は怪訝そうに眉をひそめた。

俺の不信感を察したのか、バロミロは噛み砕くように説明を続けた。


「この世界において、神の寵愛と悪魔の呪いは表裏一体だ。

 強大すぎる運命の器を持っているからこそ、悪魔すらもお前という存在に引き寄せられる。

 だが、だからこそ気をつけろ。

 奴らは対等な契約者ではない。

 ある日突然、その精神を丸ごと喰らい、飲まれることだってある」


「……ハッ。神に愛されてるってなら、そもそもこんな地獄の底に叩き落とされてねぇよ」


「かもな。だが、お前が『代償なし』で悪魔の力を行使できるというのは、動かしようのない絶対的なアドバンテージだ」


「代償……? 普通は何かが必要なのか?」


「当然だ。

 凡人が悪魔の権能を宿すには、厳格な取引が必要になる。

 己の最も大切なもの、あるいは肉体の一部を奴らに差し出さねばならん。

 ――ちなみに、あの第四使徒スタークが何を差し出したか知っているか?」


スターク。その名を聞いた瞬間、俺の身体が自然と強張った。


「奴は悪魔に、己の『皮膚』を差し出した」


「皮膚……?」


「そうだ。奴の肉体は悪魔の呪いによって、日光に対して極端な脆弱性を抱えている。

 わずかでも直射日光を浴びれば、その肌は内側から焼けただれ、融解する。

 奴が常に漆黒の極厚フードを深く被り、全身を布で覆い隠して肌を絶対に見せないのは、それが理由だ」


「――そうだったのか」


俺の胸の奥で、ドス黒い歓喜の火が爆発した。

あの完璧に見えた超人、神の如き強さを誇る第四使徒に、そんな致命的な弱点があったとは。


「だが、お前にはその制限(ペナルティ)がない」


バロミロはアクリル窓を指でコツンと叩き、俺の胸元を指差した。


「ちょうどお前は今、光の届かぬ独房に幽閉されている。

 好都合だ。

 その静寂の中で、己の内なる悪魔と『自己対話』を試みてみろ」


「……どうやってやるんだ?」


「簡単な瞑想でいい。例えば、こんな風にな」


バロミロはゆっくりと、深く瞼を閉じた。

そして、体内の脈動と呼吸のテンポを極限まで一定に整えていく。

ただそれだけのことなのに、彼の周囲の空気が一瞬にしてシンと静まり返るのが、こちら側まで伝わってきた。


「……そんな、子供騙しみたいなことでいいのか?」


「ああ。形式などどうでもいい。

 ともかく、己の深淵へ意識を沈める感覚を掴め。

 まずはやってみろ」


ガシャァン、と無情にも背後の鉄扉が開く。看守が俺の肩を乱暴に掴んだ。

今回の面会時間が終わりを告げたのだ。

だが、独房へと引きずられていく俺の頭の中は、今や冷徹な計算で満ち溢れていた。

スタークの弱点、そして俺の中に眠る代償なき悪魔の力。


ただ耐えるだけのはずだった二年間の独房刑が、今、最強の武器を錬成するための「最高の修行場」へと変貌しようとしていた。

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