25.カリファーのお屋敷
わたしは何故ここにいるのかしら。
高等学院の敷地から、裏通りを歩いて少し経った頃。
これまで見たことがない、広大なお屋敷が聳えていた。
学院からそれほど離れていないのに、こんなところがあるなんて知らなかった。
鬱蒼と繁った木々が、月明かりを受けて黒く輝く門を隠している。
教員室に荷物を取りに寄った後、保健室でアスナ先生に軟膏を出してもらった。
これから食事をするなら、今塗っても意味がないと、二瓶持たされたわ。
そうしてカリファーが案内してくれたのが、この大きなお屋敷だった。
固辞したのに、わたしの荷物を持ってゆっくりと歩いてくれた。
いつも、わたしの歩幅に合わせてくれる。カリファーがわたしの先を歩いたことは、これまでなかった。
黒門に手を翳したカリファーが、チラリとわたしを見下ろした。
「何ですか?」
首を傾げていると、鍵を開けた様子もなかったのに重そうな門が勝手に開き出した。
「っ!」
「驚かせたか?」
「は、い……」
素直に頷くと、カリファーがクスッと笑った。
「種明かしをするとな。俺がこうして手を翳すのを、屋敷の内から使用人が見ていたんだ」
「えっ?」
「そして、門を開けにやって来た。ほら」
指差された門柱の陰に、使用人らしき人影が見えた。
「まあ……」
全然気がつかなかった。わたしを驚かせて楽しんだのね。
「酷いわ、からかうなんて」
「ククッ。だが、気分が晴れるだろう?」
「もうっ」
余裕の表情を浮かべるカリファーを、下から睨む。何か恐ろしい、不可思議な力が働いているのかと思って驚いたのに。
「すまん。機嫌を直せ」
まだ笑いながら、カリファーが敷地内に足を踏み入れた。
「ようこそ、我が家へ」
そう、ここはカリファーが暮らすお屋敷だった。こんなに大きなお屋敷に、使用人付きで住んでいるなんて、もしかしてカリファーはサラジ先生よりもずっと身分の高い人なのかしら。
一つ深呼吸して、足を踏み出す。
「お邪魔致します」
門柱に控えていた使用人の女性が、恭しくわたしたちに向かって頭を下げた。
「お帰りなさいませ、ご主人様。そして、いらせられませ、お客様」
「食事の用意はできているか?彼女に湯も使わせてやりたい」
「すべて、恙無く整っております」
淡々と答える彼女に頷いて、カリファーがわたしに手を差し出した。
「さあ。案内しよう」
「でも……」
「嫌ならそう言え。俺は、お前の望まないことはしない」
いつもいつも、わたしの意思を尊重してくれようとする。わたしは、彼に何か我慢を強いているのかしら。
屋内への案内くらいで、躊躇していては申し訳ないわ。
大きな手の平に、そっと自分の手を重ねた。伝わる体温が、心地よかった。
門からどこまでも続いていきそうな小路を歩いて、お屋敷の中に足を踏み入れた。
執事らしき服を身に纏った男性が、玄関先で頭を下げている。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「ナスティディア」
「はい?」
執事さんに頷きを返したカリファーが、わたしの名前を呼んだ。それだけで、胸がドキドキしてくる。
「湯を用意させてある。汗を流してくるといい」
「え……そこまでお世話になるわけには……」
戸惑っていると、彼がわたしの耳元に顔を近づけてきた。
「あの男に触れられた箇所が、気持ち悪くはないか?」
「……っ」
抱きつかれて、本棚に押しつけられて、首筋を舐められてしまったことを思い出した。
ぞっとして、思わず手で首に触れる。
「食事の前に、清めてくるといい。着替えはあるものしか用意できないが」
「……」
急に恥ずかしくなってきた。顔が上げられない。
自分で自分の体を隠すように両腕で抱きしめた。カリファーに見つめられるのが、こんなに恥ずかしいなんて。顔から火が出そう。
「ゆっくり、湯に浸かって落ち着いてくるといい」
「……は、い」
「セレーヌ、彼女を湯殿に案内してやれ」
執事さんの後ろに控えていた、使用人の女性が前へ進み出てきた。
アスナ先生と同じ年くらいかしら。漆黒の髪を後ろで纏めた、黄色の瞳が美しい女性だった。
「侍女のセレーヌと申します。こちらへどうぞ、お客様」
「あ、ナスティディア=リリンカと申します。ありがとうございます」
一度、カリファーを振り返る。
黄金色を穏やかに細めて、頷いてくれた。




