1.童心に返って
デュード討伐から二週間が過ぎた。
間に期末テストを挟んだのだが、その平均点は予想よりも大きく下回る53点――メダル二百六十五枚分であった。
一方、正佳もほぼ同様の点数、ギリギリでノルマ達成できたようだ。これには小鼻が膨らまなかったので、本当のことを話している。
ほっと安堵したと同時に、申し訳ない気持ちになった。俺にかかりっきりになっていなければ、もっと点数が上がり、余裕を持って三学期を迎えられたはずなのだ。
改めて正佳に謝ると、
『いーって。祐護のためなんだからさ!』
明るい口調でニカッと笑みを浮かべるだけだった。これにも小鼻は膨らまなかった。
〈お嬢。〈マーマン〉の居場所を掴みました〉
「おお、よくやった! ……と言っても、この街の海であろう」
夜。俺の部屋の中で、アニエスはファントムからの報告を受けていた。次なるターゲットのマーマンは、沖合いを悠々自適に泳いでいたと話す。
「沖を泳いでってことは、生態系は魚に近いのか?」
「見た目も生態も魚と人の合いの子ようなものだ。問題はデュードと違って知能があり、捕らえることが難しい」
「以前はどうやって捕まえたんだ?」
「奴は半陸半水の魔物で、陸に近い海域に棲むことが多い。陸から数百メートルの場所に〈ビードル〉などの虫を放り込んだ罠カゴを沈める伝統漁で捕らえた」
「……知能があるのか、それ?」
「半分魚だからな、同じ罠に何度もかかる。しかし問題はその後なのだ、海の者らしく交渉を仕掛けてくる」
マーマンは海中に沈んでいる宝などを集めている。
捕らえられた時だけでなく、ヤバそうな船を傷つけたりや船乗りに絡まれたりした時、『どうかこれで……』と財を差し出し、その場を切り抜けるのだそうだ。
「世渡りが上手いのか……?」
「世も海を渡るのにも長けている」
情報通屋でもあるからな、とつまらなさそうに呟いた。
「罠に使った虫のビートルって、やっぱモンスターだよな」
「うむ、山にいる。だが今捕らえてしまうと、モイモイが……」
アニエスは顎に手をやり、「うーむ……」と思案に耽り始めた。
それは数日前、アニエスをつれて菜園へと向かった時のことだである。
『これなんだが』
今や缶コーヒー並の大きさになった穴を指さす。
アニエスはそれを見るなり両眉を山形にし、『モイモイの巣穴ではないか!』と、明るい声をあげた。
モイモイとは彼女が『また食べたい』と言っていた芋虫で、
『まだ小さいが、これぐらいの方が味がしっかりしている――』
躊躇いなく孔に腕を突っ込み、中にいた白い芋虫を引っ張り出す。説明されていたより小さかったものの、手のひらほどの大きさをしていた。
その後のことは表現したくない。生きたまま食われた芋虫の断末魔は、しばらく耳に残り続けるものであった。
そして今に至る。
生物は自然発生するものではなく、雌雄があり、卵を産んでから初めて存在する――畑に幼虫がいたことは、どこかにつがいがいることを意味している。
それが山にいるビートルだ。畑にいたモイモイをすべて捕らえたことは、次の世代・子孫を残すものがいなくなってしまう。山にどれだけいるか不明だが、親がいなくなることをアニエスは危惧しているのだ。
「奴らは食う・寝る・喧嘩する・交尾する……ひと夏で五十から八十個近く産むが、まだ始まったばかりだし……」
「モンスターが増えることを望むな」
「別に構わぬだろう。しっちゃかめっちゃかになっても、私の世界ではないのだし」
「…………」
こいつこそが“魔王”ではないかと、最近マジで考え始めている。
その翌朝。俺は教室に入るとすぐに、正佳にマーマンとビートルについて話した。
魚を捕らえるには餌が必要になる。ビートルは黒や茶色、黄色などの多彩な色模様を持つ夜行性の甲虫で、その姿形を伝えると、正佳は「それって」と頭に思い浮かんだものを口にした。
「こっちで言うカブトムシか?」
「ああ。聞いた内容からだと多分そうだな」
角が二本や三本だったり、大きさは二十センチほどだったりするが、アニエスやファントムから聞いた限りでは“異世界のカブトムシ”と見て間違いはないだろう。
「じゃあ、あれがいいんじゃないか?」
正佳は宙を見上げながら、人差し指を立てて言う。
「あれ?」
「ほら、小学生の時にやったじゃん。カブトムシやクワガタを捕まえるのに、二人で山に仕掛けたの」
「小学校の時……ああ、樹の幹に蜜を塗ったやつか?」
「そうそれ!」
昼間、樹の幹に蜜を塗っておく。それが夜になると、カブトムシなどが蜜を啜りに集まってきている虫取りだ。
なるほど、と言うと正佳は「またやろーぜ!」と、当時を思い出す笑みを浮かべた。
準備は至って簡単なもので、集まりそうな所に蜜を塗布するだけでいい。
昔は黒蜜などを使っていたが、調べてみると“バナナトラップ”なるものがあり、俺たちはそれを試してみることにした。
これも簡単で、ぶつ切りにしたバナナと砂糖、焼酎をジップロックの中に入れ、半日ほど日向に置いておけばいい。
山は学校の向こうにあり、放課後なると俺と正佳は手頃な樹を探してストッキングに入れたそれをセットした。
そして日暮れを待ち、二十一時を過ぎた頃――校門で正佳と合流し、再び山の中に入る。
「楽しみだなー!」
「ああ。小学生の時みたいにワクワクしてるよ」
言葉に偽りなく、夕飯もそぞろになるほど楽しみで仕方なかった。
あれは確か小四の夏休みだったか。大量のカブトムシやクワガタ、カナブンなどが集まっているのを見て大はしゃぎした。
しんと静まりかえった藍色の山道。周囲から聞こえる虫の音や、葉ずれの音がテンションをより高めてくる。これは正佳も同じようで、うきうきと肩を揺らしていた。
「あたしたち、年だけ取ったみたいだな」
「まったくだ。懐中電灯の心許ない光も懐かしいよ」
「そうそう。こうやって歩いて、何か横切っただけで『あれは何だ!?』ってはしゃいではなー」
大きくなった今も同じで、二人で苦笑してしまう。
トラップは山道の十五分ほどのクヌギの木に仕掛けてある。
そこに向かって歩いていると、正佳は「そう言えばさ」と顔を向けた。
「祐護の家、大丈夫なのか……?」
「アニエスがいるから大丈夫、だと思いたい……」
当人は隠しているつもりなのだろうが、母とアニエスの兄・ユーグさんと懇ろになっているのは丸わかりだ。火遊びで家を燃やしかねない状況に、俺や正佳は危惧していた。
「アニーが祐護の義理の姉になる可能性もあるのか?」
「こ、怖いこと言うな……!」
可能性はゼロではない。
いやそうならなくても、種違いの弟か妹が出来かねない状況なのだ。
「あいつら自体がモンスターなんじゃないか、と思う時がある……」
「あはは……」
「だけど、ビートルはあまり繁殖して欲しくないな」
「あたしも料理は好きだけど、虫料理だけはあれっきりにして欲しいしなー……」
正佳は苦い顔で言う。
先日、〈デスソース〉を使ったエビチリに負けたのが悔しかったのか、アニエスは畑で集めたモイモイを持って、『いつぞやの辛い料理を作ってくれ』と、正佳に依頼したのが原因だ。
「淡泊な芋虫が、辛みを中和すると言ってたけど……」
「フライパンの上や〈デスソース〉の中で悶絶する芋虫とか、悪夢以外何でもないよあれ……」
身体に刺激を受けると記憶に残りやすい。辛み成分が目や喉、鼻に痛みを与えたせいか、今でもその光景を思い出せてしまうと言う――。
「さて、そろそろかな」
正佳は気を取り直すように言う。懐中電灯の光の輪に肌色の袋を納めた時、俺たちはぐっと唾を飲み込んだ。
だが……
「デカい虫は、いないな?」
そこには目的の〈ビートル〉はおらず、代わりにこの世界のカブトムシが数匹集まっているだけだった。
「お! クワガタまでいるぞ! これはミヤマかな。結構いいサイズだ!」
「カブトムシも結構大きいな。お、こっちにもいるぞ」
「相撲しないかなー。おい、クワガタいけいけ!」
正佳はクワガタの尻をつんつんと叩くが、挟みを広げて人間を威嚇するだけ。
目的のものは見つからなかったけれど、正佳と童心に返って昆虫観察を楽しんでいた。




