2.はじけるのは突然に
持ってきていた飼育ケースには何も入れず、俺たちはそのまま家に帰った。
翌日になって考えてみれば、“バナナトラップ”は俺たちの昆虫をおびき寄せるもので、モンスターを捕らえるためのものではないとの考えに至る。
モンスターにしかない何かがあるのではないか、俺はファントムに相談してみることにした。
〈ビートルは〈トレント〉の樹液を啜ります〉
「やはりか……」
〈こちらの果実を発酵させたものでも集まるでしょうが、やはり魔物によるものと比べると劣るかと思います。独特のにおいや味がありますから〉
甘い香りの魔物。そう考えた時、俺はふと勉強机の大きな引き出しを見た。
「……甘いスライムってどうだ?」
ファントムはしばらく黙して考え、〈可能でしょう〉と告げた。
俺は、よし、とかけ声をあげて立ち上がり、正佳に電話をかけながら引き出しの中に仕舞っていた大瓶を取り出した。
夜を待ち、俺と正佳は再び山へと入る。
時刻は少し遅めの二十時過ぎ。月に雲がかった暗い山道のため、手に持つ懐中電灯の光輪が黄白くハッキリとした輪郭を描いていた。
「――農薬作ろうとして甘いもの作るって、あいつら何混ぜたんだぁ?」
大きな飼育ケースを小脇に抱えながら、正佳はうげーっと声をあげた。
俺が背負ったリュックの中には、金色の粘液に満たされた大瓶――化学部より預かったバブリースライムである。
処理を請け負ったのはいいものの、人の手が加えられた突然変異のモンスターでもあるため、生態系に影響が出ないかと危惧し、まずはアニエスに相談しようと考えそのままにしていたのである。
だがそれは二週間前のこと。どうしてここまで棚上げしていたのかと言うと、“甘い”と知った彼女が味見しかねないと判断したからだ。
これは正しかったらしく、ファントムに理由を明かしたところ、
|《賢明な判断です。お嬢は十六の頃、〈マタンゴ〉を焼いて食し、頭パープーになって暴れ回った過去があるので》
と言って、骸骨顔を何度も上下させた。
「人工甘味料のスクラロースも、元々は農薬開発中に出来たものじゃなかったか」
「え?」
正佳は驚き顔を向けた。
「あれは新しい農薬を開発している途中、激甘なものになっていたのが始まりと聞いたぞ」
「ってことは、あたしら農薬口にしてんの……?」
「遠からずそうなるのか? まぁ今のところ、問題ないから使われてるんだろうし、神経質になる必要はないだろうが」
今度から裏面チェックしとこ、と言う正佳。
山道を歩きながら、話題は英語の宿題からデュードと戦った時のことに移っていた。
「あのベルの中身みたいな武器、センパイとデートした時に貰ったんだって?」
「うっ……!?」咳き込みそうになったのを無理に止めたせいで、胸の中がズキッと痛んだ。
「いーって。センパイから持ちかけられて、あたしが許可したんだから」
「きよ、許可!?」
「そっ。『遊びに行って、渡していい人物か見極める』ってーから、『いいですよー』ってね」
俺に選択権どころか、人権もなかったようだ。
「楽しかった?」
「え?」
「センパイとのデート」
暗闇の中、正佳は俺の顔をじっと覗き込んでいた。
「うーん。楽しかったことは楽しかったけど」
「……けど?」
「後でいつシバかれるのか、とヒヤヒヤしてる」
「あ、あははははっ! な、何だそれっ!」
「わ、笑うなよ」
正佳は腹を抱えて笑うと、指で目元を引きながら「センパイがそのつもりなら、もう既にやってるよ」と言った。
「へ? どういうことだ?」
「さっ、今日こそでっかいカブトムシを捕まえるぞー!」
「あ、おい!」
正佳は弾むような足取りで、ずんずんと山道を歩いてゆく。
俺は彼女の言った言葉の意味を、ついに知ることは出来なかった。
昨日の場所より少し奥、山道から外れた森の中で俺たちは足を止めた。木々に囲われたそこは、一段と闇が深くなっている。
中央はやや開けた場所で、俺はそこでリュックを下ろし、スライムが入った瓶を取り出す。
「うへー。本当に薄ぼんやりと光輝いてんだなー」
正佳が驚く横で、俺はもう一つカバンのサイドポケットから一体の美少女フィギュアを取りだした。
「よし。じゃあ頼むぞ」
そう声をかけると、フィギュアがひとりでに起き上がる。
〈お任せください〉
これだけならホラーであるが、取り憑くのが味方・ファントムだと知っていれば特に何とも感じない。
フィギュアは“模型部”から借りたものだ。服もワンレン・ボディコン・肩パッドな時代錯誤なものにも拘わらず、要望を出したらすぐに用意してくれた。オプションとして大きな携帯電話付きである。
俺は大きな瓶の蓋を開けると、すぐに正佳とその場から離れた。
「お、おお……本当に生きてる!」
ずるり……と、瓶から這い出たスライムは、すぐに人間の頭ほどに膨れ上がった。
恐らくそこが“頭”で、左右から小さな突起物が出ているのは“手”にあたるのだろう。
周囲を確かめるように頭を動かし、やがてフィギュアの存在に気付くと、その周りをうぞうぞと忙しく這い始める。
「ナンパ、してるのか?」
「簡単にあしらわれてるなー……」
ダンスをしたり、ブランドのマークを作ったり――必死で気を引こうとしているスライムの背が、何とも悲しく映った。
どれほどかそうしてると、闇のどこからか低い羽音の響きが聞こえ始める。ヴーン……と、カナブンがゆっくり耳元を通り過ぎてゆくような、ねっとりとした音だ。
「あ! 祐護、そこ!」
正佳が闇の向こうを指差すが、俺には何も見えなかった。
だが次の瞬間、
「あ!」
スライムが薄ぼんやりと自発光する輪の中に、黒い塊がスライムに向かってゆくのを捉えた。
「おおおっ、デカいぞっ!」
正佳は興奮し、前のめりになってそれを覗いている。ビタッとスライムに張り付いた、巨大なカナブンにも見える黒い甲虫――ビートルのメスだとすぐに判った。僅かに遅れて二匹目、三匹目とビートルがスライムに張り付いてゆく。
『――♪』
スライムは喜んでいる、ようだ。
まぁ実際、メスにキスされているようなものだから、彼にとってはハーレムのような状況なのだが……
『オ、オォ……オォォ……』
ビートルは誘惑しているのではなく、スライムの甘い体液を啜っているのだ。
人間で言えば、ヴァンパイアに血を吸われているようなもの。それに気付いた時は遅く、スライムは手を宙に浮かせたまま逃げようとする。
だがビートルの食欲は旺盛だった。メスたちの貪食が勝り、スライムの金色の身体は徐々に小さく萎んでゆく。
「バブルが崩壊したか……?」
「悪い女に金を貪り取られるオッサンか。悲しー……」
思わず哀れんでしまう光景だった。
だが、同時にホラーでもある。日本的な“見えない恐怖”のホラーではなく、海外のゾンビに食われるような“異形”に対するホラーだ。
「手のひらに収まるようなサイズだから、虫に興味を持ったりするんだな」
サイズは大きいので二十センチ程度。
あんなのにくっつかれると、ただ恐怖しか感じない。
『オ゛……オ゛ォォ……』
呻きながら消滅してゆくスライムを見ながら、飼育ケースに全部入るのか、人間に食らいつかないか、そもそもどうやって掴めばいいのかなど、頭の中で様々な不安が渦巻き始めていた。




