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第80話 東京の親愛の物語

黒ずくめの男の体は、徐々に存在を失いつつあった。


(…俺は…やるこ…と……やった……よ…な……)


胸に去来する、顕現してからの出来事。


――思い返せば――むしろいつでも光喜を見ていた…


(……ストーカー……じゃ…ねえ……かよ……)


意志を構築し、暗躍していた彼。

策を練り時間軸の違うファルスーノルンの悪意とつながり引っ掻き回し――


結果的には。

彼の知らない愛や信愛や優しさといった力に阻まれた。


「…ああ……ちく…しょう………」


だが根本は悪意とはいえ。

黒づくめの男を構成する大元は佐山光喜だ。


繋がってしまったおかげで、意識を共有してしまっていた。


「ねえ…チャン……墓…まい…り……」


虚実の権能――繋がっている事でその影響を受け。

良く見えない顔の黒ずくめの男はふいに涙が出ていることを自覚した。


そして………


あの日亡くしてしまった姉の夏みかんみたいな――匂いを感じた…


「っ!?…はっ……な、ん…で……」



※※※※※



優しいぬくもり。

慈愛の想いが生活感のない部屋を埋め尽くす。


運命の女神ナツキ――黒ずくめの男を優しく抱きしめていた。



※※※※※



「まったく。光喜は馬鹿だね。ほら姉ちゃんに任せな…相変わらず意地っ張りだ。弟は姉に甘えても良いんだぞ?――光喜を助けてあげな」


暖かい光が当たりを包む。

黒ずくめの男は最後に――


救われた。


「…うるせーよ……………ごめんな…さい……姉…ちゃん…」


輪郭がぶれ魔力が消失――

変換していく存在が、キラキラと光を放つ。


黒ずくめの男は――その存在を完全に消失させた。



「まったく。さてもう一人だね……はあ、純な男はめんどくさい…まあ、それが良いんだけどね…待っててね…栄人君」



光る靄を残しナツキは消えていった。



※※※※※



俺の前に姿を現した夏樹さんが優しく微笑んだ。


――もうおかしくなってしまおうがどうでもいい。


涙が自然に零れてきた。


「なつき…さん?…ハハッ、そんなバカな…あれから…グスッ…何年……ひっ…ぐふ…ひっ……経って…うあ……ひっく…」


俺の目の前にいる夏樹さんは憧れていた時と同じ姿だった。

そして、とても美しい……


ナツキは栄人を優しく抱きしめる。


鼻腔をくすぐる夏みかんみたいないい匂い――

安心し、そして魂が震え。


ついに栄人は我慢の限界を超え、小さな子供のように泣きじゃくった。


「…良いんだよいっぱい泣いても。頑張ったね栄人君。ずっと一人で…」

「うううう、うあああああ…ああああああああああああ……」


ナツキは優しく栄人の頭をなでる。


慈しむように。

安心させるように。


「あああああああああああああああああ、ああ、うああああああああああ…」


優しい光が二人を包んでいた…

栄人は憧れの人の匂いに包まれながら、悲しみが薄らいでいくように思えた……


そして。

優しい光と憧れていたぬくもりに。


壊れかけていた心が、治っていく気がしたんだ。



※※※※※



どのくらいそうしていただろうか。


防音に優れた部屋には、自分の息遣いがやけに大きく聞こえていた。

そして泣き止んだ栄人は、急に恥ずかしくなり――


慌ててナツキの抱擁から抜け出した。


「夏樹さん…ですよね?…なにが…なんだか……っ!?」


先ほどまでのまるで聖母のようなオーラが霧散。

いつもの暴君らしい、太々しい態度に豹変する。


本能的に思わず気を付けのように背筋を正す栄人。

夏樹さんは大きくため息をついて、“やれやれ”というように肩をすくませ口を開いた。


「あのねえ、あんたもういい大人でしょ?いつまでもクヨクヨしない!全くあんたといいうちの馬鹿弟といい。…いい加減にしなさい!わかった?分かったら返事!」


「は、はいっ」


(やべえ。めっちゃ腹から声出た…)


夏樹さんは。

蕩けるような笑顔で笑いながらささやいた。


「はい、良くできました。褒めてあげよう………よく頑張ったね」

「っ!!……はい!」


優しい手。

無造作に俺の髪を撫でる夏樹さん。



俺は――泣き笑いしてしまった。



※※※※※



リビングのソファーで向かい合いながら俺は夏樹さんに問いかけた。


「正直混乱しています。どういうことなのでしょう」


いやーいい部屋だねー、さすがお金持ちだーとか言いながらキョロキョロしてる夏樹さんが俺の方を向く。


「んー?わたしもちょっと前に目が覚めたんだよね。運命の女神らしいよ」


あっけらかんと言う。


(…運命の――女神!?)


「まあ、そんなことはどうでも良いよ。それより時間がないらしいから用件だけ言うね」


…どうでもは良くないよな?

…まあ、夏樹さんだし…?


「茜ちゃんは別世界で元気に生きている。ただ困ってる」

「えっ?…でも」


俺はちらっと漆黒の石を見る。


「そう、その石が原因。栄人君の想いが強すぎて、先に進めない」


そういっておもむろに石を取り上げた。


「あっ…」

「これは良くないものなんだ。栄人君の命を吸い込んでいる。――死ぬよ?」


「っ!?…」


そういって――

夏樹さんの手の中の石がキラキラと霧散していく。


半分くらいが消えていき、残りが俺の中に入ってきた。


「!!!???……なんだ?…これ…」


悲しみが消えていく…

力が…


溢れてくる……


「はい、もう悩まない。この世界ではもう亡くなったんだ。可哀そうだけどどうにもならない。――今はね」


「?……今は?…??」


「ああ、時間がやばい。あと一つくらいかな?」

「……???」


「沙紀ちゃん、覚えてるよね?」

「っ!…忘れたことないです」


(沙紀――俺の愛した、只一人の妻だ)


「彼女は今茜ちゃんと一緒にいるよ。お母さんとは言ってないし、認識できてないから。あれ?ああ認識したみたいだね」


俺は自然に涙があふれてきた。


(あの二人が一緒にいる…)


「だから…」


夏樹さんが立ち上がり俺の隣に来た。

体が透けてきている。


ふわりと香る夏ミカンのような柑橘の香り――

柔らかい唇が、俺の唇に重なる。



「んん…んあ……んん」


とくん

俺の鼓動が跳ねる――


「ふう――ごめんね。…私を好きでいてくれてありがとう。だから来られたんだ」

「…なつき、さん…」


「そんなに泣いたらいい男が台無しだぞ?――バイバイ…ちゃんと寿命で死になさい…また会えるよ。みんなにね」


夏樹さんはキラキラ輝く光に包まれ消えていった。

俺は呆然と見送るしかできなかった。



※※※※※



自分の唇をさする。

不摂生でガサガサだ。


俺は涙を乱暴に拭いて立ち上がり、デスクに向かった。


スマホの電源を入れた。

恐ろしいほどの着信件数に思わず吐き気がしたが……


「ありがとう夏樹さん。精一杯頑張るよ。沙紀と茜に笑われないように」



瞳にかつてない、輝きを宿して――



西園寺栄人の時間が動き出した。


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