たぶん和解した
職場へ行くと、間宮氏が緊張した様子でコマの世話をしていた。
「おはようございます。コマがなにか? え、まさか弱ってるとか?」
「あ、おはようございます。いえ、特に問題は……」
そそくさと離れて自分の席についてしまった。
檻の中のコマは、痩せた体でじっとうずくまっている。いまにも死にそうだが、それはいつものこと。
さて、課長補佐とはいえ、特にすべきことはない。
そもそもこの自然事象調査課とはなんなのか? なにを調査すればいいのか? 自然事象とか言われても。
「はざーっす」
問題児が入ってきた。
珍しく遅刻ではない。九時ギリギリではあるが。
間宮氏が小さな声で「おはようございます」と返した。
そういえば二人は、「ゆりちゃん」の見解を巡ってケンカしたままだったな。
先に動いたのはC子だ。
「あのさ、ごめん」
「えっ」
「あのあと、ゆりちゃんのこと、教えてくれた人がいて。話、聞いちゃって」
C子はバツが悪そうにしている。
いったい、誰から聞いたんだ?
間宮氏も不安そうにしている。
「え、誰です?」
「トキって人。寝た後に、夢の世界で。ゆりちゃんがどういう生活をしてたのか、教えてくれて」
「そう、ですか……」
会議の前かあとかは知らないが、トキはこの問題に対して行動してくれていたのか。
人間たちの生活には介入しないみたいなスタンスだったのに。
まあ一連の問題に対処するチームメイトではある。これまでとは事情が違うのかもしれない。
「なにも知らないで喋ってたこと、謝るね」
「いえ、こちらも、言い過ぎました」
こじれるかと思ったが、解決に向かってくれてよかった。
まさかあのトキが動くとは思わなかったが。
C子は、しかし不満そうに目を細めた。
「でも、それなら教えてくれたらよかったじゃん? なんで黙ってたん?」
「言えるわけないじゃないですか。家庭内のことなんですから」
これは間宮氏の言う通りだろう。
自分が姉と比べられて、それをずっと恨みに思っていたなど……。俺たちに説明する義理がない。
もちろんC子は納得していない。
「あんたのせいで、あたしの本名『大場ゆり』になっちゃったんだけど? これ、どういうつもりだったの? なんであたしをゆりちゃんにしたの?」
「いえ、ですから……。あなたが姉に固執しているから……」
「あんたさ、あたしのこと、お姉ちゃんの代わりにしたかったんじゃない?」
「は?」
「べつにいいよ? 甘えてきなよ? 新しいお姉ちゃんにさ」
本人はちょっとした悪ノリのつもりなのかもしれない。
だが、間宮氏にしれみれば、死んでしまった姉をネタにされているようなものだ。
あまりクレバーなコミュニケーションとは思えない。
間宮氏は怒りを鎮めるように呼吸した。
「さすがにそれはラインを超えてませんか?」
「じゃああたしの戸籍、もとに戻してよ」
「ムリですよ。もとのあなたは死んだことになってるんですから」
「他人事みたいに言わないで。あんたが殺したんだ」
「殺してません。アメリカから守るためにしたことだって、何回も説明しましたよね?」
その通りだ。
俺だって何回も説明された。C子の巻き添えで。
さすがのコマもうるさそうにしている。
瀕死の状態でこんなクソ話を聞かされて、いい迷惑だろう。
あんまり触らないほうがいいとは思うのだが、俺はつい可哀相になって指で頭をなでてやった。するとコマはその指にじゃれついてきた。かわいい。エキノコックスに感染していないことを願う。
「は? なに勝手に触ってんの? 100万払いなよ」
C子はこちらへ八つ当たりをしてきた。
「ツケといてくれ」
「ツケとかないけど? あと知らんぷりしてないで止めなさいよ。収集つかなくなってるじゃん」
止めて欲しかったのか。
だったら相手を刺激するような発言は慎めと言いたい。
間宮氏は深い溜め息だ。
「姉の日記に書いてありましたよ。あなたがクラスのいじめを止めたって」
「は? いじめ? まあ……そんなカッコいいものじゃなかったけど」
「そのとき姉は思ったそうです。次はあなたがターゲットにされるかもしれないのに、バカみたいだって」
「は?」
よさげなエピソードで丸く収めてくれるかのかと思いきや、反撃だったのか。
これ以上、問題を起こさないで欲しい。
「そのいじめられてた子、自分が助かるために、孤立していた姉を次のターゲットにしようとしてたみたいですね」
「おぼえてない」
不快そうな顔をしている。たぶんおぼえているし、ムカついてもいるのだろう。
「でも姉は、あなたのおかげで助かった」
「助かったもなにも、攻撃するほうがおかしいんだよ。クラス仕切った気になってさ。なんの権利で人に命令すんだっつーハナシよ」
典型的なヒーローみたいな行動だが……。
そんな簡単に解決できたのだろうか?
「あなたがよくない大人と付き合っている、という噂が効いたみたいですね」
「その噂流したの、ゆりちゃんでしょ」
「でも事実だったのでは?」
「事実じゃない。ちょっと警察のお世話になってた親戚のおじさんが、よくうちらに付きまとってただけ」
いかにもガキが委縮しそうな話だ。
愚者をおとなしくさせるには、正論ではなく、恐怖を使うと効率がよい。その代わり彼らは、なにも学ばない。学ばないまま大人になる。隙あらば同じことを繰り返す。ヒトという種の限界を感じてしまう。
「姉は思ったそうですよ。面倒を避けるために孤立していたのに、孤立していると面倒に巻き込まれる。だからあなたと仲良くすることにしたんだと」
「なにそれ? あたしに近づいたのが、ただの打算だったって言いたいの?」
もし事実ならC子が気の毒だが。
間宮氏は容赦なくうなずいた。
「ええ。けど安心してください。あなたのその性格に、姉は助けられたそうですから」
「ま、自分で言うのもなんだけど、あたし、仲間は大事にするタイプだから」
「あらゆる常識が通じなくて、見ていて面白かったそうです」
「おいぃ……」
常識が通じないかはともかく、間違いなく距離感はバグっている。
人の部屋に入り込んで許可も得ず魚やスルメを焼くなど、常人にできることではない。少なくとも俺はやらない。やったことがない。この先もやらない。
C子は自分のデスクに腰をおろした。
「ま、でもゆりちゃんはあんたといるより、あたしといたほうが楽しかったと思うね。だって家に帰らないで、あたしと遊んでたんだから」
これに間宮氏は能面のような無表情だ。
「それはそうでしょう。あの家の空気は最悪でしたから。どんな相手だろうと、家にいるよりマシです」
「……」
俺の家も、借金の件で最悪だと思っていたけど。少なくともみんなで協力し合っていた。家にいるのは苦痛じゃなかった。
金があっても幸福になれない人間というのは、いるのかもしれない。
するとC子はコンビニ袋をあさり、カフェオレを取り出した。
「これあげる」
「いりません」
「いいの? おいしいのに」
「カロリー計算が崩れるので」
データキャラみたいなことを言い出した。
C子も溜め息だ。
「あのさぁ。あたしも言い過ぎたのは認めるから、そんな顔しないでよ。ね? 水に流してよ?」
カフェオレで買収するなど、とても誠実な謝罪とは言いがたいが。まあC子にしてはこれが精一杯なのかもしれない。
間宮氏も察している。
「まあ……それは……徐々に……」
「うん」
そもそも対立する理由はなかったように思う。
だがそれは、俺が「ゆりちゃん」になんのこだわりもない第三者だからだ。当人たちにとっては重要なことだったのだろう。
間宮氏にとっては、肯定したいけど、肯定しがたい存在の姉。
C子にとっては親友。
意見が違う、なんてのはよくある話。
それが対立に至るには、もう一歩踏み込んだ摩擦が必要となる。今回の件で言えば、戸籍上の名前を、勝手に故人の名前にしてしまったこと。
そういう意味では、先に仕掛けたのは間宮氏だ。
間宮氏は、俺たちを部下にする前に、いろいろ調査をしていたらしい。C子が、姉の日記に出てきた友人であることを知ったのだ。自分が肯定できないでいるものを、臆面もなく肯定する女。間宮氏は、そこで感情のコントロールに失敗した。
よくなかったのは、もう一方のC子が、もともと感情のコントロールを放棄したような人間だったということ。
かくして両者の感情は衝突し、必要以上の争いに発展してしまった。
だが、それも今日までのこと。
今後は解決に向かってくれることだろう。追加の失言がなければ。
トキが動いてくれたのは予想外だった。
あいつは絶対になにもしない人物だと思っていたのに。
きっと傍観者をやめて、当事者になったのだ。
会議に参加させた甲斐もあったというものだ。案を出し、投票をすれば、もう部外者ではいられなくなる。
コマも落ち着いた様子で目を細めている。
単に部屋がうるさくなくなったせいかもしれないが。
「失礼。いま時間あるか? 緊急だ」
部長の青田氏が入ってきた。
いつもの青白い顔が、余計につらそうに見える。
「緊急?」
「謎の武装勢力が、夢の世界へ侵略を始めたらしい」
このセリフだけを聞くと、なにか強めのお薬でおキメていらっしゃるのかと疑ってしまうところだが。
「謎の武装勢力?」
「まだハッキリとはしていないが、西側の人間ではないらしい」
「まさか、中国とか?」
「もっと北だな」
ハッキリしてるじゃないか。
それはロシアだ。
他の各国がお行儀よく「待て」をしているのに、もうおっぱじめたというのか。そうまでしてエネルギーが欲しいのだろうか。いや、欲しいのはエネルギーそのものではなく、売り払った金かもしれない。エネルギーはそのまま金になる。
まあ夢の世界には条約もなにもないのだから、自分たちが何者なのかをいちいち知らせる必要はない。謎の武装勢力は謎の武装勢力なのだ。どこからどう見てもロシア軍だとしても。
「えーと、で、どうすれば?」
俺の問いに、青田氏は渋い表情を浮かべた。
「上から出動要請がきてる」
「出動って、どこへ?」
「じつはこの施設には、瞑想室があってな。そこでいつでも眠りにつけるようになっている」
「瞑想……」
さっきからずっとタチの悪いジョークを聞かされている気分だ。
瞑想したら眠れるのか?
俺の疑問をよそに、青田氏は真顔で言葉を続けた。
「安心してくれ。アイソレーション・タンクという、個人用のカプセルがある。そこにリラックス効果のある……一種のガスが充満されて……」
「はい? 薬で眠らせるつもりですか?」
「人体に害はない」
「ないわけないでしょ、そんなの……」
「ないんだ。少なくとも上はそう言ってる」
カルトめ。さっそく本性を出しやがったな。
青田氏は表情を変えず、かすかに溜め息をついた。
「強制ではない。俺は行く。ここをクビにされたら後がないからな。希望するものだけついて来い」
「……」
どうせコマもA子も参加しているはずだ。
ここで二人を見捨てるわけにはいかない。俺は行く。だが二人は……。
「はいはい。行けばいいんでしょ?」
C子がそうつぶやくと、間宮氏も「行きます」と立ち上がった。
ちゃんと考えたのだろうか?
コマの加護があるとはいえ、これは命にかかわる問題なのだが。
「もちろん俺も行きますよ。いまコマちゃんに死なれたら、すべてのプランが水の泡ですからね」
謎の武装勢力とやらが、いったいどんな戦術を使ってくるのかは分からない。ただ、バクでさえただの暴力で絶命した。夢の世界であっても、現実世界と同じ理屈で死ぬ。
「こっちだ」
青田氏は歩を進めた。
民間人と軍人の衝突。
ちょっと状況が普通じゃない。
仮に今回うまくいったとして、今後も物量で仕掛けられたら……。
歴史を見る限りでは、戦争または軍事衝突とはそういうものだ。一人の英雄的活躍でどうにかなるものではない。英雄譚ばかりが好まれるせいで誤解されがちだが。人類はそれ以外の「平凡」で「名前もついていない」戦いをバカみたいに繰り返してきた。そして、たいていは物量で結果が決まる。自分を例外だと思ってるヤツから死ぬ。
個人は、国家に勝てないのだ。
だが、それでも、やるしかない。
もし俺が勝てなくとも、時間を稼ぐことができれば、他の誰かが立ち上がるかもしれない。立ち上がらないかもしれないが。賭けるしかない。
いずれにせよ、失敗したあとのことは知りようがない。
(続く)




