みんなの夢を見た(一)
また数日の間をおいて、俺は夢の世界へ召喚された。
穏やかな晴天。
その場所は……ダムだった。
巨大なコンクリートの容器に、青黒い水が波も立てずに溜まっている。ほかには緑しか見えない。家々は豆粒よりも小さい。
男が鉄柵に腰を掛けて、歌っていた。
前も見かけたヒゲ面の野人だ。
ヘッセの『さようなら、世界夫人』だろうか。かつては愛していた世界を、もはや好きでなってしまった人間の歌。おそらくは。それ以上の感想も知識もない。
彼は鉄柵からおりて、こちらへ近づいてきた。
「呼び出して悪かったな」
「いえ……。えっ?」
呼び出す?
この男が?
俺を?
こいつも能力者なのか?
彼は水面へ目をやった。
「この下にバクが沈んでる」
「いえ、あの……。さっきからなにを……?」
「小間村に行ったんだってな。ああ、もう村としては存在しないんだったか。だが、名前は消えても、存在はしている。このダムに沈んだ村と違ってな」
「いわくつきの村なんですか?」
俺の問いに、彼は人懐こい笑みで応じた。
「たぶん違う。普通の村が、普通のダムに変わっただけだ。問題が起きたのは、そのあとだ。この世界が二十世紀と呼ばれていたころ、海洋調査をしていた連中が、海底からバクの封じられた壺を引き上げてしまってな。だが中を開けても、当時の人間たちにはそれがなんだか分からなかった。それで各地の研究所をたらい回しにされて、そいつはとある財団の手に渡った」
「とある財団?」
なんなのだこいつは?
なぜそんなことを知っている?
「名前は知らなくていい。まあとにかく財団は、それがなんなのか理解してしまったということだ。小間森の婆さんも、いまじゃ知らん顔だが。若い頃は、連中に協力してたんだ。まだロクに法整備もされてなくて、隠れて非人道的な研究をしていたころだ。いや、過去形で言うべきじゃないな。非人道的なのはいまも変わっちゃいない。とにかく財団は、壺の保管場所に困ってな。このダムに沈めた。連中にとって大事なのは、本体じゃなくて、夢の中に住んでるアストラル体のほうだからな」
「アストラル体?」
「カルトの用語だ。財団の定義するところによれば、物質以外の、エネルギーを有した存在だそうだ」
「あんた、何者なんです?」
互いに加護を受けているから、百鬼夜行による攻撃は通じない。
もし戦いになるとしたら、それ以外の手段を使わないといけない。
男は軽く笑っただけで、また水面へ目をやった。
「財団の飼い犬だよ。バクのプロジェクトはな、財団が政府に働きかけて始めさせたものなんだ。裏口を使ってな。こいつは金になるハナシだ。食いつきもよかった。話もトントン拍子に進んでいった。技術開発に関してはそうでもなかったが……。まあ時間の問題だろうと思われていた。あんたが話をかき回すまではな」
「……」
やはり敵なのか?
俺の寿命を減らすために呼び出したと?
彼は向きを変え、しかし鉄柵に背を預けた。無防備に。
「言っておくが敵じゃないぞ。あんたに協力しようと思ってな」
「はい?」
「もし敵なら、内部事情をペラペラ喋ったりしないだろ。情報は力なんだから」
それはそうだ。
喋れば喋るほど相手に力を与えてしまう。
「では、味方だと? 財団のメンバーなんですよね?」
「メンバーじゃない。飼い犬だ。エサをもらって、エサの分だけ働く」
「なら……」
「なら財団のために働けって? 一理ある。だが、あんたはどうなんだ? 金をやるから人を殺せと言われて、その通りにやるのか? 俺は自分の能力を有効活用したかっただけだ。人の生き血をすすりたかったわけじゃない」
そういえば、トキの人選には基準があった。
世界の平和を心から願ったことのある人間――。
彼もきっとそうなのだろう。
「どんなプランを考えてます?」
「なにも」
「なにも?」
男は平然とした顔をしていた。
「財団の調査によれば、バクってのも絶対的な存在ではないらしくてな。あいつを殺したところで、別の誰かがとって代わるだけらしい。そいつをどう考えるかで、今後のプランも変わってくるだろう」
「けど、放っておけば被害が出ます。俺はいま、あいつを殺すために動いてる。時間稼ぎにしかならないとしても」
「いやまあ、じつは分かってた。あんたのお仲間から情報をもらってたからな」
「はい?」
「誤解してるかもしれないが、あんたをここへ呼び出したのは俺じゃない。俺は能力者じゃないからな。まあ能力はあるが、超常的なものじゃない。エンジニアだ。夢に関連する機械を作ってる。まさか自分の作った機械が、死刑囚にぶっ刺さってるとは思わなかったが」
なら研究の人間か。
となると、いったい誰が俺をここへ?
「話はついた?」
どこからともなくA子が現れた。
学生服の上からパーカーを羽織り、長い黒髪をなびかせてのご登場だ。この演出のためだけに風を吹かせたとしか思えない。能力があるからといってやりたい放題だ。
「あんたが黒幕ってわけか」
「黒幕? それって敵に使う言葉じゃない?」
説明もなしに行動しているなら、味方だろうと黒幕みたいなものだ。
「なにも知らない憐れな俺に、事情を説明してくれ」
「なんか偉そう。その説明のために呼んだんじゃん」
「悪かったよ。とにかく教えてくれ。今日の会合の目的はなんなんだ?」
するとA子は、さめた目で肩をすくめた。
「バクは覚悟を決めたみたい。もうエネルギーの吸収を始めてる」
「えっ?」
「だからいまから、戦って殺すんだよ。会議でもそう決まったよね?」
「いまから?」
「いまから」
強めに念を押されてしまった。
だが確かに、バクが命を吸い出し始めたら、こちらにも選択肢はない。あいつはすべてのエネルギーを、人類と戦うために使うだろう。幸いなのは、あいつの計画がまだ途中だったということだ。コマの妨害もあった。バクとしては不本意な最終決戦だろう。
野人がひとつ呼吸をした。
「安心してくれ。バクの能力を制限する機材がある。ま、普段開発してるのと逆のことをしただけだが。現地のダムには機材を仕掛けてある。少しは戦いの役に立つだろう」
なるほど。
そのために技術者の手が必要だったのか。
波のなかった水面に、コポコポと泡が立ち始めた。
この水の奥底で、バクが動き出そうとしているのだろう。
A子が余裕の笑みで近づいてきた。
「分かってると思うけど、百鬼夜行は使えないよ。その代わり、私の武器を貸してあげる。剣がいい? それとも銃?」
「どっちが強いんだ?」
まあ常識的に考えたら銃だと思うが。
彼女の回答はこうだ。
「ねえ、ここは夢の世界だよ? 強いと思ったほうが強いんだよ」
水柱が、ありえないほど上がった。
噴水というには芸術性のない、愚直なエネルギーの奔流。
いつしかダムの景色は消失し、様々な景色が流れては消えていった。
まるでスクリーンに投射された映像のように。
これは……みんなの見ている夢なのか?
学校、職場、路地裏、なんだか分からないお花畑。そこで人は笑い、泣き、あるいは普通に暮らしていた。
凄まじい勢いで流れているのに、中身が分かってしまう。ただの映像ではないのかもしれない。つまりいま、俺たちは、他人の夢に触れているのだ。無数の夢がつながった状態なのであろう。
バクは鼻の長い獣の姿で、俺たちの前に立ちはだかった。
いままでのように悠長な気配ではない。
毛が逆立って、いつでも俺たちを食い殺そうとしている。
「人間どもめ……。またしても俺サマの邪魔をする……。それも無名のザコばかりが……」
空間に、声が重たく響いてくる。
A子は、しかし笑っていた。
「その無名のザコに殺されるのがあんただよ」
かざした手から、光の矢が飛翔した。
バクはさっと後退して回避する。
「不快だな……。だが愉快でもあるぞ……。お前たちが俺サマを殺したあとのことを考えるとな……」
どういう意味だ?
バクは冗談を言っているふうではない。
もしバクが死ねば、その力をアテにしていた日本政府の研究は頓挫するだろう。だから政府は怒るかもしれない。
アメリカは……どう考えるのか読めない。アメリカもバクを欲しがっていたとは思うが、ないならないでいいんだろう。純粋なテクノロジーの勝負となれば、おそらくアメリカ側の有利となる。
あるいは他の国はどうか……。分からない。情報がなさすぎる。
手元にマウザーが現れたので、俺はそいつをつかんだ。
たぶんこの銃も、観念的なものなのだろう。A子は素手でも矢を飛ばしていた。だから俺たちも、やろうと思えば同じことができるのだ。ただ、どうすればいいのか想像がつかないだけで。
バクは鋭い牙の間から瘴気を吐いた。
「まあよい……。お前たちにハッピーエンドなど訪れんのだからな……。みずからの愚かさを悔いながら、永遠に苦しむがいい……」
ただのフカシか?
あるいは事実か……。
いずれにせよ、それを考えるのはいまではない。戦いに集中しなければ死ぬ。
A子は高揚した笑みを浮かべていた。
「怖がらないで。みんなには私の加護を与えてある。あんなヤツの攻撃で死んだりしない。私を信じて」
心強い。
だが、同時に不安もおぼえた。
バクやコマは、人の命をエネルギーとして使っている。
ではA子は?
無尽蔵に力を使って平気なのか?
獣が跳ねた。まっすぐA子へ。
意識を集中すると、すべてがスローモーションのように見えた。流れては消える誰かの夢。360度の映画館みたいだ。トリガーを引くと、パァンと火薬が爆ぜて、弾頭が射出された。そのスピンまでもが見える。
弾丸は獣の側面に着弾し、黒い体毛を押し分けて中へ入っていった。獣の顔がゆがむ。
A子は片手を正面に向けたまま、獣の突進を受けた。かと思うと、凄まじい光の炸裂が起こり、獣が逆方向へぶっ飛ばされた。
「ぐぎぃ……。なんだこの力は……。人間のものとは思えん……」
衝撃で歪んでいたバクの顔面が、徐々に回復していった。
ダメージはあるはずだ。
おそらく見かけ上の回復。
A子はゆっくりと歩を進めた。
「人間じゃなかったらなんなの? 神? それとも悪魔?」
勝利を確信した表情。
適性があるのは知っていたが、ここまで強かったとは。
バクはグルルと喉を鳴らした。
「あの世で後悔しろ……。お前は神でも悪魔でもない……。ただの機械だ……」
「……」
機械――。
この言葉に、野人も唖然としていた。
考えたくなかった。
A子が、力を得るために、柴田と同じ機械を身体に刺したなんて……。
(続く)




