クローズドサークルの夢を見た(三)
ストーリーには「類型」がある。
それは「お決まり」や「定番」と言い換えてもいい。
主は孤島で殺人事件を起こし、客と従業員でトラブルを起こし、話を進めようとしている。俺たちは乗ってもいいし、乗らなくてもいい。
とにかく、流れが分かっている以上、それを利用しない手はない。
ふと、照明が消えた。
人々の口論も止まった。
このリビングには窓も沢山あるし、まだ昼だから、少し薄暗くなった程度だが。
ホテルの奥は、きっと真っ暗闇だろう。
「え、怖いんだけど……」
「ダラダラやってるからだろ」
「このままじゃみんな殺されちまうぞ!」
「誰かどうにかしてよ!」
分かりやすいパニック。
分かりやすいリアクション。
かといって、俺も怖くないわけじゃない。
客の中に、殺人鬼の仲間がいないとも限らないのだ。
いきなり殺されるかもしれない。
すると寿命を食われるだけでなく、シンプルに苦痛を与えられる。この夢は簡単にはさめないから、かなり苦しむことになる。頭の中が真っ赤になる。早く終わって欲しいとしか思えなくなる。拷問といって差し支えない。あんなに苦しいのは一回でいい。何度も経験するようなことじゃない。
だから俺は、こんな夢の世界であっても、絶対に死にたくない。
ビールの味は分からないのに、苦痛だけはしっかり味わわせてくる。本当にクソみたいな夢だ。苦情を言いたい。
「大変です! また犯人からの予告が!」
従業員の一人が、慌てた様子でリビングに戻ってきた。
ん? 戻ってきた?
そもそもどこに行ってたんだ?
「どうした? なんて書いてある?」
「それが……この中に犯人の協力者がいると……」
どよめきが起きた。
俺も便乗して「なんでだよ」と苦情を投げた。
非常にめんどくさい。
死亡率が上がる。
「お、俺じゃない」
「私も違います」
宿泊客は自発的に釈明を開始。
彼らは互いに不審の目を向けた。もちろん俺たちにも。というか、なぜかA子までもが俺にジト目を向けていた。俺たちが犯人じゃないのは確定しているというのに。証明はできないが。
「落ち着いてください! まずは落ち着きましょう! ねっ?」
若い客がそう呼びかけた。
だが、別の中年男性が「そう言って自分が犯人なんじゃないの?」などとつぶやいた瞬間、若者の顔つきが変わった。
「は? なにいまの? なんか証拠あんの?」
「証拠はそっちが出せよ。犯人じゃないって証拠」
「ふざけんな。なんで俺なんだよ? オメーが出せよ!」
すると前に出ようとした若者を、その友人たちが慌てて止めに入った。
すぐ若者に責任を押し付けるおじさん。
キレやすい若者。
あまりに安直な構図……。
だがこの手のやりとりは、ニュースになっていないだけで、どこかでしょっちゅう起きてはいるんだろう。これが俺たちの生きる社会だ。
ともあれ、今回の流れを観察していると、ひとつの傾向が浮かび上がってくる。
それは「役者が露骨に愚か」ということだ。
まあ愚かじゃないとパニックモノが成立しないという事情はあるにせよ。
それにしても愚かすぎるだろう。
もしかすると、夢の主は、日ごろから人の愚かさに直面しているのかもしれない。
だとしたらサービス業か? もしかしてホテルの従業員?
俺の経験上、極端に安い店か、極端に高い店で、この手のトラブルは起きやすい。理由は知らない。予想を立てる気もない。とにかくあいつらは、殺人鬼が徘徊していなくてもケンカを始める。
主と思われる中年男性は、ずっと端の方でおとなしくしていた。
俺はなるべく目が合わないよう、できるだけ視線を斜め上にしながら、男のシルエットだけを追った。目が合うと怪しまれる。
A子が怯えたような顔で近づいてきた。
「ねえ、もし私が刺されたら、すぐ殺してね」
「断る」
「なんで? 人の苦しむ姿が見たいワケ? サイコパスなの?」
「違うが」
「だったら……」
早く死にたいけど、苦しみたくはない。
そんな要求を露骨に押し出してくる。
彼女の気持ちを全否定するつもりはないが。それは俺の仕事じゃない。
さて、現実を見ずに楽観視すれば、まだ絶望するような状況ではない。
敵の数より、味方の数のほうが多いのだ。団結して戦えばいい。厨房にいけば包丁だってある。なんなら箒でもいい。踏み込んで相手の喉を突けば倒せる。突くのは胴でもいい。戦力では相手を上回っているのだ。犠牲は出るかもしれないが、最終的に勝利で終わる。
とはいえ、現実世界では、ナイフを所持した一人の男に、多くの人間が制圧されるケースがある。というか、だいたいの事件はコレだ。現場にいる人々は、状況をくつがえせない。簡単ではない。誰も先頭に立とうとしない。俺だってイヤだ。ゆえに不可能。
ここが夢の中というのもよくない。
登場人物の大半は役者だ。どうしても殺人鬼の有利になるような行動を取りたがる。自発的に疑心暗鬼になり、バラバラになりたがる。主の設定からは逃げられない。
人々が団結するわけがないのだ。
仮に一人をしつこく説得しても、必ず別の誰かがやらかす。そして説得したはずのヤツも、急に考えを変えて勝手にやらかす。
愚行を止めるには、全員殺すしかない。主以外の役者全員を。
「武器とか、持ったほうがよくないですか?」
さっき怒った若者の仲間が、そんなことを言い出した。
すでにモップを手にしているおばさんもいる。持っているだけだけど。柄の中ほどを握りしめているところを見ると、モップのどちら側で攻撃するかさえ事前に決めていないのだろう。いざ戦闘になってもパニックでなにもできまい。
俺は新聞紙を手に取った。
これを折ったりねじったりすると、かなり凶悪な武器となる。通称、ミルウォール・ブリック。れっきとした武器だ。あきらかに素手以上の破壊力を出せる。
もっとも、知らない人間から見たら、バカが新聞紙を丸めているだけにしか見えないかもしれない。いまも実際に冷たい目で見られているし。
「え、なにそれ? 武器のつもり?」
A子はバカにするどころか、心配そうに見つめてきた。
煽るのも気の毒なレベルに見えたか。
「なにもないよりマシだ」
「え、本気で言ってんの? 素手のほうがマシじゃない?」
試しに新聞紙を折って、尖った部分で自分を叩いてみて欲しい。素手のほうがマシなんてセリフは吐けなくなる。間違いなく凶器だから、現実世界で安易に試してはいけない。傷害事件になる。
もちろん新聞紙は最適解ではない。
俺だってリーチのあるモップが欲しい。叩いても威力は出ないが、体重を乗せて突き込めば相手を戦闘不能にできる。棒の強度にもよるが。
棒に包丁を固定して槍にするのが理想だが、そこまでやったらさすがに俺が怪しまれる。
しかし新聞紙であれば、警戒されない。
A子は戦闘に参加するつもりはないらしく、武器を選ばなかった。
住民たちはそれぞれなにかを手に取った。俺が置きっぱなしにしたビール瓶を持っていくものもいた。なんならミルウォール・ブリックよりビール瓶のほうが強いかもしれない。
「防犯グッズとか置いてねーのかよ」
「あいにくここには……」
従業員たちも武器を探すのに苦労していた。
主とおぼしき中年男性は、消火器を手にしていた。
鈍器として使うつもりだろうか?
あるいは噴射して使うのか?
みんなが武器を手にすると、物々しい雰囲気となった。
気のせいなどではなく、例外なく目をギラつかせている。全員が全員を疑っている。空気も極限まで張りつめている。
ホテルは嵐に閉ざされている上、照明も消えて薄暗い。このまま時間が経過すれば、真っ暗闇になる。懐中電灯はあるようだが、部屋全体を照らすことはできない。もし誰かが軽率な行動に出れば、その瞬間、間違いなく修羅場となる。俺も助からない。
少し様子を見るつもりでいたが、時間をかけすぎたかもしれない。
そろそろ動かなくては。
不意に廊下がギシッと鳴った。
ただ鳴っただけ?
それとも誰かが歩いている?
みんな呼吸が浅くなっている。
それでもまだ耐えている。
いや、耐えているように見せかけて、最悪のタイミングで崩壊させる気でいる。それが夢の中の役者というものだ。
あらかじめ退路を確保しておいたほうがいいだろう。どんなトラブルが発生するかを想定し、動線を確定しておくのだ。
人の密集している場所は、とにかく危ない。
外からの襲撃も警戒しつつ、壁際に寄る。
男と目が合った。
主とおぼしき、ハサミを手にした男だ。
その他大勢を無視して、落ちくぼんだ目で俺だけを見ていた。
まさか、気づかれた……か?
いや、「気づく」などという感覚に頼った結論を恐れる必要はない。証拠がなければいくらでもシラを切れる。役者とそれ以外の見分けなんて誰にもつかないんだから。
突如、近くの窓ガラスが割れた。
女たちが悲鳴をあげて、吹き込んで来た風音がそれに調和した。
外からなにかを投げ込まれたのだ。
もしそれがグレネードなら、数秒後に俺は致命傷を負う……。だが、違うようだ。白い布にくるまれただけの石? みんなが拾えという顔で見てきたので、俺は拾って布をほどいた。
「誰も逃げられない」
赤い文字でそう書かれていた。
若者が見せろと言わんばかりに近づいてきたので、俺は素直に布を渡してやった。その後は人々がそいつに群がって「なんて書いてあるんだ?」というやり取りを始めた。
それにしても、ずいぶんねちっこい演出だ。
演出過剰と言っていい。
最初の被害者が出てから、まだ次の被害者が出ていないというのに。恐怖を煽る演出ばかりが続いている。
全員殺すつもりなら、もっとハイペースでやるべきだと思うが。一気に殺す算段でもあるのか? たとえばこの木造ホテルごと燃やす、とか。
雨であっても木造建築物は燃える。内部は乾燥している上、たっぷりと空気を含んでいる。
主候補が消火器を手にしている理由とも整合する。彼はこの先の展開を、うっすら知っているわけだからな。
ここまで話がベタだと、人々を観察して展開を予想するのではなく、ストーリー面から予想したほうがいいのかもしれない。
まず、夢の主は、自分を物語の主人公として設定している。だから前半には死なない。死ぬとしても、あらゆる展開を消化してからだ。
殺人鬼は少しずつ追い詰めてくる。
人々はいつしか互いを傷つけ合うようになる。
パニックが極限に達したところでホテルが炎上。
おそらく主は、その炎を見届けるところまでは生き延びるだろう。
すべては俺の勝手な予想だが。
客は「ここも危ないんじゃないか?」や「じゃあどこに行けばいいんだよ?」などとモメ始めた。まさかこの程度の言い合いから殺し合いに発展するとは思わないが……。
従業員の一人が「あの、すみません」と前へ出た。
「じつはこのホテル、地下室があるんです。もとは防災用というか……戦争用の地下シェルターとして設置されたものでして……。もちろん頑丈です! 警察と連絡がつくまで、そこにこもるというのはどうでしょう?」
戦争用の地下シェルターか。
名前だけ見れば、かなり安全に思える。
火災にも対応していると考えたいところだが……。しかし火災の場合、熱に耐えられても、酸素を奪われる可能性がある。簡単に信用するわけにはいかない。
「あのー、それっていつ造られたものなんですか?」
若者の一人がそう尋ねると、従業員はやや渋い表情を浮かべた。
「昭和初期の……」
「電気は来てるんですか?」
「ええ、半年前に確認したときには……」
「あーダメダメ。話になんない。逆に危ないですよ、そんなとこ」
ここで二手に分かれる流れか……。
他の客も「行きたくないなら勝手に残ればいいだろ」やら「いくらなんでもここよりは安全だろ」やら誰にともない反論を始めた。
俺は例の男についていくことにしよう。
彼についていけば、最終局面までは生存できるはずだ。たぶん。
ぼうっと眺めていると、いつしか二つの陣営に分かれていた。
地下シェルターにこもるもの。
リビングに残るもの。
俺たちはリビングに残った。男が残ったからだ。
「では、我々はシェルターに入ります。入ったら施錠いたしますが……。緊急事態ですので、ご了承ください」
そう言い残し、彼らは地下へ向かった。
べつに本人の好きなように選択すればいいだけの話なのに、彼らは自分と違う選択をしたものをバカだと思っているようだった。
自分の選択こそ最良だと思い込んでいる。
未確定の情報が多すぎて、正解なんて「分からない」はずなのに。「分からない」という事実を決して受け入れない。選んだ瞬間、なぜか分かっていると思い込んでしまう。自分が選んだんだから、間違っていないはずだと。もはや思考の自家中毒だ。この光景は、ネットなんかでよく見かける。
そろそろ日が落ちる。
窓から光が入ってくるから、まだここはなんとか見えているが。
もし地下に電気が来ていなかったら、パニック時の混乱も一通りではなかろう。
人の数が減ったので、リビングは急にガランとしてしまった。
割れた窓から絶えずヒュウヒュウと風切り音がしている。
人数は六。俺、A子、おじさん、そして若者が三人。従業員はみんな地下へ行ってしまった。
さて、この流れから勝手に推測を立てると……。
地下は全滅するだろう。ただ一人の人物を除いて。
その一人というのは、殺人鬼の協力者だ。そいつは地下での仕事を終えたあと、地上へ戻ってきて殺人鬼と合流する。あるいは合流する前に、攻撃を仕掛けてくるかもしれない。
いや、この中年男性と三人の若者が、殺人鬼の協力者という可能性もなくはないが。
ハッキリ言ってなにも確証はない。
すべて俺の思い込みだけで解釈している。
だが、いい。
俺の目的は、殺人鬼の正体を暴くことではない。夢の主を特定して、そいつから悪意を引き剥がし、ぶち殺すことだ。主の正体が判明した瞬間、俺はオペレーションを実行する。他にすべきことはない。
事件の真相を追うつもりはない。
(続く)




