限界集落の夢を見た(三)
祟り神はこちらを凝視していた。
燃えるような赤い肌。射抜くような眼光。憤怒を絵に描いたような表情。下アゴからは口からは鋭い牙が突き出している。
こうして姿を見せられると、ホラー的な恐怖は消える。
その代わり、シンプルに、肉体の強靭さだけが伝わってくる。たとえばライオンの標的にされた気分だ。かなり距離があるのに、絶対に逃げ切れないという確証がある。
戦っても勝てない。
逃走も不可能。
足が動かない。
だが幸い、いまの俺には同業者がいる。
もし俺が死んだところで、そいつらにあとを託すことができるのだ。たとえば俺が命を犠牲にして鬼の足を止める。その隙に、女がヘッドショットする。まあ実際にそうなるとは言えないが、奇跡的にすべてが噛み合えば不可能ではない。
ドゥン、ドゥン、と、空気の鳴動する音まで響いてきた。
祟り神が、この世界を焼き尽くすべくエネルギーを溜め込んでいるのだろうか?
いや……。
どうも音は後ろから近づいてきているような?
老婆が目を見開いた。
「おお、あれは……」
あれは?
鬼もそいつに動揺しているようだったので、俺も警戒しながら振り向いた。
そこにはなにか……なにかがいた。
なんだ?
マジでなんなんだ?
斜めにかぶったベースボールキャップ。だぼだぼのトレーナー。ジャラジャラした宝石類。どこにつながってるのか分からないマイク。
「エイヨー。待たせたな俺が新ベーダー。侵略するぜインベーダー。エイエイ」
ラッパーだ!
なぜか後ろから田中がついてきている。ドゥンドゥンという音は、彼が持たされた大きな音楽プレイヤーから流れている。
老婆が血走った目を見開いた。
「あ、あれこそまさに失われた歌……」
ふざけやがって。
表に出すなこんなもの。
永遠に失われたままにしておけ。
「満を持して現れた救世主。小腹空いたら立ち寄るメシ屋。ひとり竹林で鍛え上げたフロウ。人一倍してきたぜ苦労。エイヨー」
こいつ、竹林でなにをしてたのかと思ったら、このための練習をしていたのか……。
じつにクソみたいなラップだな。
というかラップですらない気もするが。
後ろの田中も妙も恥ずかしそうだ。
「人を殺すな人口減少。おとなしくしてろ部屋で勉強。祟り神マジごめん。寝ててくれあと五年。作り直すぜ祠。取り戻すぜ誇り。エイエイ」
全体攻撃の精神攻撃かよ。
しかもずっとこいつのターン。
地獄のような光景だ。
いや、鬼はずっと歌を聞いてる。
それどころか、死んでいた村人までもがピクピクと動き始めた。
ま、まさか、生き返るとでも……!?
「死んでる場合じゃねーぞ村人。こぞって踊れ騒げ諸人。新ベーダー握るマイカフォン。慣らせハートのインターフォン」
クソみたいなラップに合わせて、遺体が身を起こし始めた。傷口さえも修復されてゆく。なんだこの万能ラップ。いい加減にして欲しい。
「行くぜ間座墓。祭りはまだまだ。沸かすぜステージ。与えるダメージ」
こいつはいっぺん、ちゃんとしたラッパーに怒られたほうがいい。
蘇生した村人たちは、手を挙げてサウンドに呼応し始めた。
鬼も縦ノリしている。
マジでなんなんだこのクソ展開……。
死んでもいないのに寿命の削れる音がするぞ。
いや、これはむしろチャンスなのか?
たぶん主は、自分のラップで村を救うつもりでいる。そして鬼は、このままおとなしく音楽に感化されて撤退する流れ。
ここからは、すべてが沈静化してゆく。
戦いは起きない。
俺は手を挙げて、村人たちのようにノリ始めた。
音楽にノっているフリをして近づき、ラッパーに護符を貼る作戦だ。悪意が出現した瞬間に射殺すれば、鬼の攻撃も間に合わない。
一秒でも早くこの茶番を終わらせるぞ!
「鬼さんこちら。みんなでチェケラ。めくっちまったスカート。最下位のカースト。バカ息子と呼ばれた過去。それもおあいこ」
こいつ、スカートめくって村八分にされていたのかよ。
おあいこじゃないだろ。
逮捕されろ。
俺が近づくと、ラッパーはこちらを凝視してきた。
怪しまれている?
背後に回り込めない。
「YO! YO! YO! 飛び入り参加のラッパー出現。ルールはいらねぇ無制限」
ラップでバトルするために近づいたと思われたのか。
絶対にイヤなんだが……。
「村人たちはぷちょへんざ。俺に勝つのは大変だ。ほらほらカマせよお前のラップ。負けて当然俺がトップ」
「うるせぇ!」
俺は正面から、ラッパーの顔面に護符を叩きつけた。
突然の出来事に、みんな呆然となった。
音だけがドゥンドゥン鳴り続けている。
「おごぉっ!」
ラッパーは唐突にのけぞり始め、口から悪意を吐き出した。
俺は白いものを視認した瞬間、手にマウザーを召喚し、トリガーを引いた。
お前のお遊戯会もここまでだ。
*
「え? マジで? さすがにカワイソーじゃない?」
無名閣に戻ると、いきなり女から苦情を投げられた。
名前は確かCちゃんだったか。
「可哀相なのはこっちだよ。あんなしょーもないラップ聞かされてよ……」
「向こうがラップしてきたんだから、こっちもラップで返さなきゃ」
「どういう理屈だよ」
俺にはラップなんてできない。
あいつもできてなかったけどな!
ぶじに仕事を終えて戻ってきたというのに、場の空気はよくなかった。
田中は所在なさそうに膝を抱えていたし、A子は会話に参加したくなさそうにコマを吸い始めた。俺は自称Cちゃん氏と口論するしかない。
「そーゆーさぁ、なんでもかんでも暴力で解決すんのよくないと思うんだよね」
「ああ、同感だな。もし他に選択肢があれば、だけど」
「あったと思う」
「おや、そうかい。あんたならどう解決したんだ?」
「それは……」
考えている。
つまり明確なプランもナシに、俺の方法を否定したということだ。
そこまで言ったら可哀相だから、答えが出るまで待ってやるが。
俺は虚空を眺めた。
ここではほかにすることがない。
女は盛大な溜め息だ。
「いつもそうなの?」
「はい?」
「暴力で相手を黙らせるか、言葉で相手を黙らせるか、そういうことばっかりしてるんでしょ?」
「してないね。俺は平和主義者なんだ」
ウソじゃない。
現実世界で人の顔面を殴ったことはない。むかし通っていた道場でもない。やったことがあるのは練習だけ。
当然だ。人を殴ったら犯罪になる。
言葉でも仕掛けない。時間をかける価値がない。聞き流すのが一番だ。
「ウソつき。どっちもやってんじゃん」
「あのときはね。しくじったら寿命を食われる極限的な状況だったし。命が天秤にかかってるんだ。いわば緊急避難だよ」
「うっざ。絶対反論してくるじゃん」
「なるほど。反論はご不要ですか? ご希望とあらば、無視もできるが」
「はぁ?」
返事がいらないというのなら、ほかに選択肢はない。
それさえご不満なら、自分がなにを言ったのか思い出すことだ。その能力がもし備わっていれば。
「ねー、コマちゃん! こいつクビにしてよ! ついでにそっちヤツも!」
あろうことか、彼女は俺と田中の罷免を上司に提案し始めた。
まあ田中の野郎はクビにしてもいいが。
コマもさすがに困惑したような笑みだ。
「クビと言われてものぅ。代わりにやってくれる人もおらんし。常に人材不足じゃし。できれば仲良くやって欲しいのじゃが……」
「え、ムリ。絶対ムリ。あたし、こいつら嫌い」
ド直球だなこの女。
それで解決するならいくらでも言えばいいと思うが。しかし現実は、解決しない上に余計なトラブルを生むだけだ。
コマの言う通り、深刻な人材不足ではあるのだろう。
優秀とは言えない人材を、なんとか集めて仕事を進めている。
その人材は優秀でないだけでなく、どいつも性格が終わっている。
表向きまともなのはおじさんだけか。もちろん俺も。俺は自分から失礼なことは言わない。現実世界でもトラブルとは無縁の生活を送っている。かなり立派だ。自分で自分を褒めたい。
C子がコマにワーワー言い始めたので、A子は逃げるようにこちらへ来た。
「ねえ、なんか言い返したら?」
「はい?」
なぜ女は、男をポ○モンみたいに戦わせようとするのか。
黙っていれば鎮静化するのに。
「だって、悔しいじゃん。あんなに言われてさ。今回だって、仕事したの全部お兄さんなのに。みんなお兄さんの苦労なんて知りもしないで好き勝手言ってさ」
その苦労の一端がA子自身であることは言わないでおこう。
なんだか反省している様子だし。
「いいんだよ。俺はこの仕事さえ続けられれば」
「うん……。うん? この仕事、好きなの?」
素朴な疑問を投げかけてきた。
ここまで直球だと、ついまともに答えたくなってしまう。
「いや、好きじゃない。けどまあ……暇つぶしの手段としてはまあまあだし」
「ウソつき」
なにを根拠にそう思ったのかは知らないが。
正解を言い当てられた。
A子は隣に腰をおろした。
「でもいいよ。あたしもウソつきだから。おんなじだね」
「ああ……」
この女、ウソをついているのか?
いったいどの件で?
人はすべての事情を他人に開示する必要はない。だから全人類がウソをついていい。そのウソで他人をハメようとするのでない限りは。
とはいえ、あえて口に出したということは、それ自体がなんらかのメッセージだったのではあろう。
虚空しか見えない。
だけどその空間を眺めるほかには、いまの俺にはなにもできなかった。内心、A子の顔を見るのに躊躇をおぼえていた。もし彼女の秘密を暴いてしまったら、精神的にもたなくなる気がしたからだ。
虚空という字を頭に思い浮かべた。
虚しい。
空っぽ。
いや、あるいは並べ替えて「空虚」にしたほうがいいか。俺の人生にぴったりの言葉だ。寝ているときも、起きている間も、ずっとそう。空虚じゃないのは、他人の夢に入り込んで、銃をぶっ放して万能感を得ているときだけ。
自分の人生を、なんとか意味あるものだと思いたいのに、その材料を探して疲れ果てている。
なにも見つからなくて、また空を見る。
*
「あれ? いたの? 今日って……」
「クロか? そろそろメシだぞ」
「うん……」
父が、テーブルについて野球中継を見ていた。
かなり痩せて老け込んでいるが、間違いなく父だ。
ここは自宅の、雑然としたリビング。
小さなテーブルには料理が並べられている。料理といっても、白飯とみそ汁と、コロッケと、煮物だけ……。肉はほとんどない。煮物もほぼ大根のみ。
流しで作業をしていた母も来た。こちらもだいぶ痩せている。
「どうしたの、クロ? 早く座って」
「うん」
まあ、そうだな。
ちゃんとメシを食わないと。
俺たちはこのために働いてるんだから。
九郎――。
源義経の別名らしい。
強くて立派な子供になるようにと願いを込めてつけられた。ただ、そのままだと「苦労」にも通じてしまうから、家の中ではクロと呼ばれていた。学校ではかなりいじられた。
ああ、でも、そうか。
二人とも、生きていたのか。
じゃあまたみんなで暮らせるんだな……。
*
そんな夢で目をさます。
毎日。
両親なんてとっくにいないのに。脳のどこかで「いる」と思い込んでいる。
遺骨は箱のままリビングに置きっぱなし。墓を買う余裕もない。仏壇も神棚もない。手を合わせることもない。火葬以外、なにもしていない。両親の死を、いまだに受け入れていない。
母の出す煮物は、ただしょっぱいだけの大根だった。
だけど、むしょうに食べたくなるときがある。
どんな店に行っても置いていない。
いまさら金が手に入ったところで、取り戻せるものはひとつもない。
いったい人類は……俺以外の人類は……なにを楽しみに生きているのだろう。
みんなもこんな感じで生きているのだろうか?
そうじゃないのだとしたら、どうやって生きているのだろう?
なにを目的に生きているのだろう?
こんなだから、俺はコマの夢に依存してしまう。
給料も出ないし、やりがいもないのに。
やめたら、本当になにもなくなってしまうから。
もしあれが終わったら、俺はどういう生き方をすることになるんだろう……。
夢が終わってしまうのが、怖い。
終わらないで欲しい。
永遠に……。
(続く)




