第二章(13)
人間が六人に馬が二頭というなかなか賑やかになった旅路は、青空の下、大草原を渡る街道を進んでいた。
それなりに整えられた道は歩きやすく、疲労も少ない。人数が増えたことで交わされる言葉も増え、一行のあいだには陽気な雰囲気がただよっていた。
「……『キング』の居場所を知らずに、今まで旅をしていたの?」
その事実に、アリーシェは思わず目を丸くする。
あれだけ豪語しておいて、だ。目的の場所がわからない。もはやそれは笑い話のレベルだろう。
おかしそうに笑みを浮かべる彼女に、エリスは口を尖らせて反論した。
「まったく知らねーってこともねーよ。名前くらいは知ってる。えーと、あれだろ、『ルル・リラルド』とかって」
「そうね。北の地グッドレムに位置する魔都……。ヴァーゼルヴ・ヴァネスはそこにいるわ」
「それが親玉の名前か」
と、しみじみ呟くエリス。それすら知らなかったのかということには、もう苦笑さえ起きなかった。
いろいろとアンバランスな奴である。
「行ったことあんのか?」
「まさか」
気軽に訊ねたエリスに、アリーシェは心外とばかりに肩をすくめた。
「近付こうとも思わなかったわ」
人間からすれば、そこはまさに悪鬼の総本山だ。ヤブをつついてヘビを出すこともあるまい。良識ある人間なら、耳にするのも避けたい場所であろう。
そのやり取りを、なんとも言えない心境で聞いているリフィクである。
先日は『モンスターキング』の居場所はわからないと答えたものの、実はウソだったのだ。
知っていた。旅をしていれば嫌でも耳に入ってくる。
しかしそれを教えてしまえば、ますますエリスに拍車がかかってしまうのは明白だ。
指をくわえて死地に行かせたくはない。そして連れて行かれたくはない。そう思って、主に後者の理由で、あえてシラを切ったのだ。
そんなリフィクのささやかな抵抗が、この瞬間に水泡に帰す。
いずれはわかること、とあきらめていた部分もあったにはあったのだが。
「場所がわかりゃぁ、こっちのもんだな」
エリスは一行の先頭を意気揚々と闊歩しながら、豪快にひとりごとをこぼす。
まるで最大の悩みが解消されたとでも言いたげな様子だった。
実際問題、それは大した悩みではないのだが。もっとはるかに高い壁がそそり立っているということは、考えないのだろうか。
……考えないのだろう。
上機嫌な彼女へ、レクトが横に並んで問いかけた。
「やっぱり必要だろう? 仲間は」
「まっ、いないよりはな」
先日とは異なり、一応は同意するエリス。
一連のことで思い直したのだろうか。良い傾向である。
「それよりお前」
と、エリスが話を変えた。彼の胸元を平手の裏で軽く叩く。
「あんまり女に恥かかせんなよ」
「彼女のことか」
レクトは少ない言葉から、パルヴィーのことを指しているのだと読み取った。それ以外に思い当たる節はない。
「出会って間もなかったからな。だが出発が決まってから、改めて返答をし直した。共に行くなら、これから互いを知り合っていく機会もあるだろうと。そしてその上で目的を達成するまで待っていてくれるのなら、このことを真剣に考えると」
重い……とまではいかないものの懇切丁寧な彼の態度に、エリスは「けっ!」と吐き捨てた。良家のお嬢様かっ、お前は、と。
というかなにやら、少々ズレた受け取り方をしているような気がしてならない。
「やっぱり男だな、お前も」
しかしその指摘はあえてせずに、エリスは見下すように呟いた。
言葉の意味がわからず、難しい顔で二の句を待つレクト。
「自分に気がある女が、そうやって気長に待っててくれると思ってるところがだよ」
その付け足しを聞き、ようやく理解したように眉尻を下げた。
女性の立場から見た意見なのだろうか。女らしさなど揮発してしまうようなエリスなのだが。
「チャンスは少ねーんだから、えり好みできるような立場でもねーだろ」
ひどい決めつけである。
しかしレクトは、子供に言い聞かせるような穏やかな口調で言葉を返した。
「そうだな。だが往々にして男は、健気に待っていてくれるような女性を求めてるものだ。そういう身勝手さを包んでくれるような、やさしさを」
若さがほとばしる青少年とは思えないほどの、老成した意見である。
エリスは呆れ顔を浮かばせた。
「傲慢なこって」
「承知している」
微笑むレクト。
友人のようでも、家族のようでも、ましてや男女の仲のようでもない。ふたりのあいだには独特な関係が形成されているのだと、パルヴィーは内心で思っていた。
後方からレクトを見つめる彼女は、へそを曲げたようにふくれている。
戦いの時の勇ましい表情も良いが、そうして談笑している表情も良い……と、うっとりする反面、それがエリスに向けられていることが面白くないのだ。
意中の男が他の女と楽しそうに話している光景は、あまり見たくないものである。
なのでパルヴィーは、
「ていっ!」
それを実力行使で妨げることにした。
海に頭から飛び込むようにふたりのあいだに割って入り、レクトの腕をからめ取る。
そして不意を突かれてびっくりしているふたりにもかまわず、さらに会話をも妨げてみた。
「レクトくんって『魔術』練習中なんだよね? もしよかったら、わたしが教えてあげよっか?」
◆
花と緑の豊かな町『イーゼロッテ』は、最後の市庭とも呼ばれている。
各地から流れてくる人や物が、ほとんどの場合この町より奥地へは進まないからだ。
ここから先は、人里が極端に少なくなる。好き好んで進むのは、なにか特別な理由のある者か俗世間に飽きた旅人くらいのものだろう。
辺境最後の交易場。
そんな町の性質から、自然とそう呼ばれるようになったのではないだろうか。
「うおっ……! でかいっ……!」
その奥地からはるばるやって来たエリスは、町の規模にただただ口を半開きにしていた。
三角屋根の並び立つ木造建築の整然さと数。行き交う多種多様な人々の盛況。通りの先に建てられた、物見やぐらのような時計台。
そのどれもが、エリスの知識レベルを超越していた。ここと比べれば、故郷の村など単なる家畜小屋にすら見えてしまうだろう。
「そう? 別に普通だけど」
驚いている様子のエリスを見て、パルヴィーが勝ち誇ったように茶々を入れた。
「そうですね」
と悪意なくリフィクも同意する。
「ざらにある感じの……」
「マジかよっ!?」
「あんた、どういう田舎に住んでたわけ?」
しめたとばかりにからかうパルヴィーの横で、レクトは口から出そうになった感嘆を静かに飲み込んだ。
時計の針は、二本ともが頂点を指そうとしている。
「まず宿を取って少し休みましょう。そのあと分担して武器防具の修理や買い替え、食料、諸道具の買い出し、情報収集を。そして出発は明朝に」
様々な露店の並ぶ通りを歩きながら、アリーシェがてきぱきと予定を決めていく。さすがに手慣れたものだった。
「情報収集って?」
その中の一語を耳に止め、エリスが聞き返す。アリーシェは「『モンスター』のよ」と小さな声で答えた。
周囲を歩く人間は多い。彼らの耳に入らないように、という配慮だろう。
「近くで、無闇に暴れてはいないか。生活ができないほど苦しめられている村はないか。そういう情報をね。もちろん、この町が……ということもあるけど」
普段からそうして戦ってきたのだろうか。エリスは「なるほど」とうなずいた。
「『頭』を目指してはいるけど、『そういうの』を見過ごしては行かないでしょう?」
「当然」
エリスだけでなく、レクトもコクリと首肯する。
イーゼロッテの町は、普段と変わらぬ昼下がりを過ごしていた。
昨日と同じ普通な。おとといと同じ普通な。何事もない、平和な昼下がりを。
それはここ、中央にほど近い一角にある軽食屋『イーゼロッテ・サンドイッチ』も同じであった。
店名にもあるサンドイッチが自慢の古顔は、老若男女を問わず住民に親しまれている。今日も昼時にはお客が殺到し、店主は目を回しつつもやりがいを噛み締め、サンドイッチを次々と仕上げていった。
しかし得てして。わざわいというものは突然やってくるものである。
「…………」
店主は、客が入ってきたらもはや反射的に出る「いらっしゃいませ」という言葉が、言えなかった。
ピークを過ぎて客足が一段落した、そんな頃。ふらりとひとりの客の入ってきた。
店主は、どう接客すればいいのかわからなかったのだ。
『モンスター』の客など初めてだったのだから。
「…………」
『モンスター』というとまず巨体がイメージされるが、『それ』は、比較的人間に近いサイズに留まっていた。
すらりと伸びた黒い四肢に、紫水晶のように輝く防具にも似た皮膚。そして顔の造形も、シルエットだけを見れば人間のそれとそう変わらなかった。
しかし背中から生えるコウモリのような翼が、決定的に人間とは異なっている。
「…………」
店主はなおも固まっていた。
どうして『モンスター』が? 『モンスター』もサンドイッチを食うのか? 今すぐ逃げたほうがいいのか? それとももしかして今日は自分の誕生日で、これは誰かが用意したサプライズイベントなのか?
様々な混乱が思考を停止させている。
すると質素な店内を見回していた『モンスター』が、向かって右を指差した。
「あれをひとつ」
まるで冗談を言っているような、軽い声。指の先には、『一番人気! ミラクルサンド』という張り紙がしてあった。
それは紛れもない、注文である。
「…………」
それでもやはり硬直している店主を、『モンスター』は笑いかけるような声で促した。
「急いでね」
リフィクとアリーシェは情報を集めに。
ラドニスは諸道具を購入しに。
レクトとパルヴィーは消耗した武具を修理しに。それぞれ宿屋をあとにした。
そして残ったエリスはというと、ぶらりと町並みを散策している。
別に、分担作業をサボったというわけではない。小休止のつもりがひと眠りしてしまい、起きた時にはもう誰もいなかったのだ。
「薄情な奴らめ」
と、ぐちったものの、なにもしなくていいのならそれに越した事はないか、と頭を切り替えて町へと飛び出したというわけである。
イーゼロッテの町並みは、エリスにとってやはり壮観だった。
目をこらして右を見ても左を見ても、町の外が見えない。それだけでも驚きだ。
これで「普通」だと言うのだから、世界というのは広いものである。
「おっ」
きょろきょろと周りを見回していたエリスの目が、遊んでいる子供たちを見てピタリと止まった。
通りから外れた空き地で、五人くらいだろうか。木の棒を剣に見立てて、無邪気に振り回している。
その光景がなんとも言えず懐かしくて、エリスはしばらく眺めていた。