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第2幕 1- 第1話「吉神川大橋」

第2幕 第1章

【吉神川大橋】


10月第3週の水曜日。


午前7時52分。


県道の吉神川大橋が、

中央径間から崩れ落ちた。


通勤バスが一台。


乗用車が九台。


川面に叩きつけられた

鉄の残骸(ざんがい)の下から、

救助隊が引き上げた遺体は、

14体にのぼった。


翌日の夕方、紀藤吾六は

規制線の外に立っていた。


トクリュウ対策課の管轄ではない。


上の許可もない。


情報屋から回ってきた

一本の電話が、

彼をここへ連れてきた。


橋のたもとに、

献花台が設けられていた。


白い菊。


缶コーヒー。


子供用の水筒。


喪服の女が、

台の前に膝をついている。


黄色い通学帽を、

胸に抱いていた。


「あの橋、

 点検済みの札が

 ついていたんです。」


女は、

独り言のように言った。


「3年前に、

 安全だと確認されたって。

 だから毎朝、

 あの子をバスに乗せて……」


紀藤は、何も言えなかった。


鬼にも、

返せる言葉と、

返せない言葉がある。


県警には、

捜査本部が立っていた。


罪名は、

業務上過失致死傷。


橋の管理者は県。


3年前の定期点検を

請け負ったのは、

東日本構造診断。


親会社は、北嶺(きたみね)建設。


点検の判定は「Ⅱ」。


予防保全の段階で、

緊急の措置は要らない、

という区分だった。


報告書は、

書類の上では、完璧だった。


*


情報屋が引き合わせた男は、

河川敷の駐車場に停めた

軽自動車の中で、

ハンドルを握りしめていた。


相馬(そうま) 悠真(ゆうま)、27歳。


東日本構造診断の、

橋梁点検技術者。


3年前の吉神大橋の点検に、

補助員として入っていた。


「……俺は、見たんです。」


相馬は、助手席の足元から、

ビニール袋に包んだ

一冊のノートを取り出した。


野帳。


現場で測定値を書き留める、

防水紙の記録帳だ。


鉛筆の汚れと、

錆(さび)の粉が、

ページの端に染みついている。


紀藤は、

袋から取り出して、開いた。


測定値が、

小さな字で並んでいる。


下弦材の格点部。


接合板の板厚、4.1ミリ。


その横に、赤鉛筆の書き込み。


『設計値9.0。Ⅳ相当』


「吊り足場から、

 近接目視と

 打音で確認しました。

 ハンマーの音が、

 濁っていた。

 超音波の厚さ計で測ったら、

 この数字です。

 半分以下まで、腐食で痩(や)せていた。」


「Ⅳは?」


「緊急措置です。

 即時の通行止め。

 報告書にも、

 そう書いて上げました。」


「それが、Ⅱになった?」


相馬は、唇を噛んだ。


「班長の岡部さんから、

 品質管理部、取締役、

 そして、

 会長の柏木さんまで

 上がりました。

 戻ってきたのは、

 差し替え指示です。

 判定はⅡ、

 写真も撮り直した体(てい)で

 入れ替えろと。……」


「理由は?」


「Ⅳを出せば、

 県は予算がなくて、

 緊急補修ができない。

 点検の契約は切られる。

 そして、……。」


相馬の声が、低くなった。


「親会社の

 北嶺建設が狙っている、

 数年後の

 大型補修工事の受注が、

 飛ぶんです。

 軽い判定で時間を稼いで、

 傷んだ頃に、

 まとめて請け負う。

 会社の、収益の形です。」


紀藤は、

野帳のページを閉じた。


紙の重さが、

14人分の重さに変わっていた。


「柏木の指示は、口頭か?」


「はい。

 決裁書には、Ⅱとだけ。

 会長の名前は、

 どこにもありません。」


*


翌日、紀藤は

野帳を持って、

課長席の前に立った。


「管轄外だ」


久保田は、

顔を上げずに言った。


「県警の捜査本部に、

 渡せ。それが手続きだ。」


「渡します。

 ただし、俺が持っていく。」


「……三宅に、

 報告書を回しておく。

 判子は、後で押す。」


紀藤は、

野帳を捜査本部の

幹部に提出し、

相馬の聴取にも立ち会った。


手続きは、踏んだ。


3日後。


岡部が、

公文書変造の疑いで

逮捕された。


相馬は参考人として、

事情を聞かれた。


だが、

捜査はそこで止まった。


検察の見立ては、

「現場責任者の独断」。


柏木の決裁は口頭。


稟議書には

「判定Ⅱ」の文字だけ。


取締役会の議事録にも、

痕跡は残っていない。


国交省の

事故調査委員会が出した

報告書は、

「経年劣化と、

 点検判定の不適切」。


会社の組織的な関与には、

触れていなかった。


その夜、柏木剛造は、

記者会見の席で、

深々と頭を下げた。


72歳、

白髪(しらが)を撫(な)でつけた老人の、

完璧な謝罪だった。


「点検の不備があったことを、

 痛恨の思いで

 受け止めております。」


画面の中で、柏木の目は、

一度も揺れなかった。


相馬は、

その翌週、懲戒解雇された。


理由は、

「会社の信用を

 著(いちじる)しく損(そこ)なう行為」。


損害賠償の請求を匂わせる、

通知書も届いた。


*


紀藤は、

柏木の自宅を訪ねた。


世田谷の高台にある、

広い洋館。


書斎に通されると、

柏木は

暖炉の前の革椅子で、

ブランデーを揺らしていた。


「刑事さんか。

 夜分に、ご苦労だね」


「14人が、死にました」


「痛ましい。

 心から、そう思っている」


柏木は、グラスを置いた。


「だが、

 橋というものは、

 いつか落ちる。

 我々の仕事は、

 落ちる前に、

 1日でも長く持たせることだ。」


「持たせたのではない。

 隠したんです。」


「立証できるかね?」


紀藤は、答えなかった。


柏木は、静かに笑った。


「相馬君だったか。

 気の毒な青年だ。

 若い技術者は、理想を見る。

 だが、現実の橋は、

 予算で架かり、予算で守られる。

 遺族の補償は、保険で済む。

 手続きも、とうに始まっている。」


「保険で、済む?」

11/5 18:40 に投稿します。

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