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本当にあった異世界の怖い話  作者: ぽてと
新しい旅

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【File.10】微笑む黄金都と、命をすり減らす不労所得(4/4)

「ガ、ァッ……!」


冷たい石の床に膝をついたトマは、自分の胸を強く掻きむしった。

息ができない。いや、物理的な呼吸はしているのだが、心に空いた大穴から、自分の『人間としての輪郭』が猛スピードで吸い出されていくような、言語を絶する喪失感。


「トマッ!!」

ゼルギウスが叫び、鋭い爪を立てて頭取の男に飛びかかろうとした。


「無駄な抵抗はおやめなさい。ここはエルドラドの心臓部、数百万枚の『契約』が集中する場所です。いかに因果を司る獣であろうと、街全体の経済システムという巨大な質量には逆らえませんよ」


頭取が指先を軽く振ると、地下金庫を満たす『呪いの硬貨』の山が一斉に共鳴し、目に見えない強烈な重力波となってゼルギウスを床に叩きつけた。


「グガァッ……!」

「猫さんッ!」


ルミが悲鳴を上げ、ゼルギウスを庇おうと両手を広げる。その小さな身体から白銀の浄化の光が放たれるが、金庫の奥で蠢く『巨大な肉の塊(怪異)』がズズズと蠢き、触手を通してルミの光すらも「極上の資産」として強引に吸い込もうとする。


「素晴らしい……! なんて純度が高く、美しい魂のエネルギーだ。その少女を担保にすれば、我がエルドラドはさらに数百年は安泰ですね。さあ、大人しく口座を開設しなさい」


頭取が完璧な笑顔のまま、ルミの細い腕を掴もうと手を伸ばした。


「――俺の妹分に、気安く触ってんじゃねぇ!!」


ドガァァァンッ!!


頭取の顔面に、トマの振り抜いた拳がクリーンヒットした。

「……おや?」

完璧な笑顔のまま数メートル吹き飛ばされた頭取は、あり得ないものを見るように首を傾げた。


「馬鹿な。あなたはすでに『怒り』を差し押さえられたはず。なぜ動けるのですか」


「ハァ……ハァ……。勘違いすんなよ、おっさん……」


トマは、自分の左太ももに、自身の短剣を深々と突き立てていた。

鮮血が床に滴り落ちる。


「俺は、商人だ。……商品を差し押さえられそうになったら、別の『担保』を積んで、強引に取引を延長させるくらいの悪あがきはできるんだよ……ッ!」


トマは、呪いに『怒り』を吸い取られるスピードを上回るほどの、強烈な物理的『激痛』を自らの肉体に与えることで、強制的に意識を繋ぎ止めていたのだ。痛覚という絶対的な生存本能の波が、一時的に呪いの麻酔を弾き返している。


「猫、ルミ! 走れッ!! ここじゃ分が悪すぎる!」


トマは激痛に顔を歪めながらも、懐から一つの重い袋を取り出し、それを金庫の奥――怪異の触手が繋がった巨大な『硬貨の鋳造機』に向かって全力で投げつけた。


「それは……?」

頭取が眉をひそめる。


袋が空中で解け、中からジャラジャラと大量の硬貨が鋳造機の内部へと降り注いだ。

それは、トマが王都で正当な商売をして稼いだ、本物の大銀貨と金貨だった。

職人が汗水流して採掘し、商人が頭を下げて売り歩いた、人間の『真っ当な労働と熱量』がぎっしりと詰まった、純度百パーセントの物理通貨。


『ギ……ギギィィィッ!?』


その真っ当な硬貨が、虚無の感情で回るエルドラドの鋳造機に混入した瞬間。

システムに「致命的なバグ(異物)」が発生した。

怪異の肉塊が苦悶の声を上げ、鋳造機の歯車から激しい火花と黒煙が吹き上がる。


「なっ……! 本物の貨幣を混ぜて、システムを詰まらせただと!? ええい、警備員! 彼らを逃がすな!」

頭取の完璧な笑顔が、初めて焦りに歪んだ。


「行くぞ!」

トマは足を引きずりながらルミを抱きかかえ、ゼルギウスと共に黒煙に紛れて地下金庫の階段を駆け上がった。

背後から武装した警備員たちの怒号が聞こえるが、トマは振り返ることなく、アドレナリンに任せて一気に銀行の1階ホールへと飛び出した。


「ハァ……ハァ……! 外だ、街の外に出るぞ!」


銀行を飛び出した三人は、大通りを城門へ向かって全速力で駆けた。

空はすでに茜色に染まり、夕暮れ時を迎えていた。

だが、街の様子が先ほどまでとは明らかに違っていた。


大通りを行き交っていた住人たちが、全員ピタリと足を止め、こちらを向いているのだ。

全員が、完璧に口角を引き上げた、あの空虚な『笑顔』のままで。


『――不正な負債者を検知しました。街からの退出は許可されません』


突然、街のあちこちに設置された魔導拡声器から、頭取の無機質な声が響き渡った。

同時に、街を囲む巨大な城壁全体が、ドス黒い障壁(結界)でスッポリと覆い尽くされた。

城門は堅く閉ざされ、その前には、笑顔を張り付けた数十人の衛兵たちが、槍を構えて立ち塞がっている。


「……完全封鎖サ。ネズミ一匹、逃がす気はないようだニャ」

ゼルギウスが舌打ちをして、路地裏へとトマたちを誘導した。


「くそっ……! 結界を壊せねぇか、猫!」

「ダメだニャ。あの結界は、この街にいる数十万人の住人たちの『寿命』をエネルギーにして張られているサ。俺が力ずくで破ろうとすれば、住人たちの命が一気に削り取られて、街中が砂の死体だらけになるニャ!」


「……人質を盾にした鉄壁のシステムってわけか。クソッタレが!」


トマたちは入り組んだ裏路地の奥、廃屋のような建物の影に身を潜めた。

遠くから、笑顔の住人たちと衛兵が街中を捜索する足音が聞こえてくる。


「お兄ちゃん、足、血がいっぱい……!」

ルミが泣きながら、トマの太ももに刺さったままの短剣に光を当てようとする。


「痛っ……! ダメだルミ、治すな。この『痛み』が消えたら、俺の感情はまたあの大銀行に吸い取られちまう。今はこれが、命綱なんだ」

トマは荒い息を吐きながら、血だらけの手でルミの頭を撫でた。


自分の太ももを刺すという荒療治で一時的に感情を繋ぎ止めているが、こんな真似がいつまでも続くはずがない。出血多量で倒れるのが先か、痛みに慣れて呪いに感情を食い尽くされるのが先か。

どちらにせよ、トマに与えられたタイムリミットは、極めて短い。


「……トマ。どうするサ」

ゼルギウスが、重苦しい声で問いかけた。


「相手はザガンのような単体のバケモノじゃないサ。街の経済、住人の合意、そのすべてを巻き込んだ『社会システム』そのものが敵だニャ。ルミの光で怪異の本体を浄化しようにも、地下の金庫に近づく前に、数百万の呪われた硬貨の重圧で押し潰されるサ」


物理的な暴力では、経済のシステムは殺せない。

剣で斬りつけても、魔法で燃やしても、借金ローンの契約は消えないのだ。


「……分かってる」


トマは廃屋のレンガ壁に背中を預け、ズキズキと脈打つ足の痛みに耐えながら、目を閉じて深く思考の海へと潜った。

自分が商人として培ってきた、すべての知識。

物の価値。需要と供給。信用と暴落。


システムが敵なら。

ルールそのものがバケモノなら。


「……物理で勝てねぇなら、経済ルールでぶっ殺すしかねぇよな」


トマがパチリと目を開けた。

その瞳には、絶望の淵にありながらも決して消えることのない、三流商人としての不屈の炎と、底意地の悪い野心がギラギラと燃え盛っていた。


「経済で殺す……? どういうことだニャ」

「あのバケモノは、人間の『魂(感情)』を担保にして、それを硬貨に変換してる。住人たちは、その硬貨に『価値がある』と信じているから、笑顔で命を売り渡してるんだ」


トマは、ポケットに残っていた一枚の銅貨を取り出し、血に濡れた指で弾いた。


「通貨ってのはな、猫。それが金だろうが呪いだろうが、使っている人間全員が『価値がある(信用できる)』と思っている間しか機能しねぇんだよ」


「……まさかお前」

ゼルギウスの金色の瞳が、驚きに見開かれる。


「ああ。やってやるよ」


トマはニヤリと、悪党よりも悪そうな笑みを浮かべた。


「俺の手で、この街の市場に致命的なバグを仕掛ける。……エルドラドで流通してるすべての硬貨の価値を紙切れ以下にして、あのバケモノが溜め込んだ『担保』ごと、大銀行を【完全な破産デフォルト】に追い込んでやる!!」


血を流し、命をすり減らされながらも。

三流商人は、街という巨大なシステムを丸ごとぶっ壊す、前代未聞の『空売り(大暴落)』のシナリオを、その頭脳の中で描き始めていた。


微笑む黄金都の夜が、静かに更けていく。

だが、その見せかけの完璧な経済に、史上最悪のクラッシュが訪れるまで、あとわずか。

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