【File.05】孤児院の強欲な院長(2/5)
深夜。
孤児たちが飢えと寒さに震えながら薄暗い寝室で身を寄せ合っている頃、マザー・エルマは厳重に施錠された自室で、豪奢なカウチソファに深く腰を沈めていた。
「……忌々しい獣人め。適当なことを抜かして」
彼女は、昼間に猫人から浴びせられた言葉を思い出し、苛立たしげに爪を噛んだ。
自分の腹を肥やすために命を削っている? 爆発する?
笑止千万だ。あの薄汚い孤児どもは、放っておけば道端で野垂れ死んでいたゴミ屑だ。それをこの私が、屋根のある場所に住まわせ、神の教えを説いてやっているのだ。その対価として、彼らに集まる寄付金を私が「管理」して何が悪いというのか。
「ええ、私は選ばれた人間。神の愛を代行する、気高く美しいマザーなのだから」
自らの悪行を完璧に正当化し、エルマはクローゼットの奥の隠し扉を開けた。
今日のストレスは、今日のうちに極上の食事で発散しなければ、美しい肌に障る。
彼女が取り出したのは、王都でも限られた貴族しか口にできない最高級の鹿肉のパイ包みと、蜂蜜をたっぷりと使った艶やかなフルーツタルト。そして、年代物の琥珀色のワインだった。
孤児たちの三十日分の生活費が、この一食だけで消し飛ぶほどの贅沢。
「ああ……良い香り。いただきます、私」
エルマは大きな口を開け、鹿肉のパイに齧り付いた。
濃厚なバターの香りと、肉の旨味が舌の上でとろける。立て続けに甘いタルトを放り込み、ワインで一気に流し込む。
満たされる。自分の権力と富を噛み締めるような、極上の味だ。
だが。
パイを半分ほど平らげたあたりで、エルマはふと、己の体に『奇妙な違和感』を覚えた。
「……あら?」
これだけ重たい食事を胃に詰め込んでいるというのに、まったく満腹感がないのだ。
いや、それどころか。
ギュルルルルッ……。
エルマの腹の奥底から、空の胃袋が収縮するような、ひどく惨めな音が鳴った。
それは、何日もまともな食事を摂っていない者が発する、極限の『飢餓』の音だった。
「どういうこと……? こんなに食べているのに」
気のせいだ。そう思い込もうとして、エルマは残りのパイをすべて口に押し込んだ。さらにタルトをホールごと鷲掴みにし、咀嚼もそこそこに喉の奥へと詰め込んでいく。
「……っ、足りない。もっと……もっと……」
異常だった。
食べれば食べるほど、胃袋が底なしのブラックホールになったかのように、内側から激しい「飢え」が突き上げてくるのだ。
胃酸が胃壁を溶かし、臓器が互いを喰い破ろうとするような、焼け付くような空腹感。
それはまさに、一階の寝室で、エルマに与えられた泥水のようなスープだけで命を繋いでいる、孤児たちが毎夜感じている地獄の苦しみそのものだった。
「あ、あぁぁっ! お腹が、お腹が空いたぁぁっ!」
エルマは半狂乱になりながら、隠し扉の奥の食料庫を漁った。
高級なチーズを包装ごと噛みちぎり、生ハムを塊のまま丸呑みにする。上品さの欠片もない、まるで獣のような食事。
だが、どれだけ食べても、飢えは一切満たされない。
それどころか。
彼女が口に押し込んだ最高級のチーズは、舌に触れた瞬間、なぜか『カビの生えた泥』のような強烈な異臭と、塩辛いだけの不快な味へと変質した。
生ハムの塊は、『腐りかけた生ゴミ』の食感となって彼女の喉を滑り落ちていく。
「おえぇぇっ……! な、なにこれ、マズい……! 泥、泥の味が……ッ」
あまりの不味さに嘔吐しようと、エルマは指を口の奥に突っ込んだ。
しかし、吐けない。
彼女の肉体は、彼女自身の意志を完全に無視して、「食べ物」を胃に落とすことだけを強要してくるのだ。
『……マザー……』
『……おなかが、すきました……』
「……ヒッ!?」
突然、声が聞こえた。
部屋の中ではない。
エルマの、異様に膨れ上がり始めた『自分自身の腹の中』から。
『……もっと、もっとたべたいです……』
『……わたしたちのぶんまで、いっぱいたべて……』
「あ、あああ……!? 違う、私じゃない! 私は何も……!」
エルマは恐怖で後ずさり、姿見の鏡にぶつかった。
鏡に映った自分の姿を見て、彼女は絶叫した。
真っ白で美しかった修道服の腹部が、まるで臨月の妊婦のように、あるいは風船のように、異様で醜悪なまでに丸く膨れ上がっていたのだ。
だが、その膨れ上がった腹の皮膚の下には、脂肪でも胎児でもない『何か』が詰まっていた。
無数の、小さな手や顔の形。
飢えに苦しむ孤児たちの顔の輪郭が、エルマの腹の内側から、外の食事を求めて、皮膚を突き破らんばかりにウネウネと蠢いていた。
『……おなかがすいた……おなかがすいた……!』
腹の中からの合唱が、エルマの脳髄を直接揺らした。
その声に操られるように、エルマの右手は再び、腐った味のする泥のような食料を掴み、強制的に自分の口へと運び始めた。
「やめ……やめて……! 苦しい、お腹が裂ける……! マズい、泥は嫌ァァァッ!!」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、マザー・エルマは狂ったように食べ続けた。
満たされることのない極限の飢餓感と、腹がはち切れそうな物理的な膨満感。そして、口いっぱいに広がる泥水と腐肉の味。
猫人の言った通りだった。
彼女が子供たちから搾取し続けてきた『飢え』が、今、最大の怨念の怪物となって、彼女という皮袋を内側から喰い破ろうとしていた。
深夜の豪華な自室で。
誰にも助けを呼べないまま、偽りの聖女の、終わらない地獄の晩餐が始まった。




