42 星夜祭 2
ルーチェに起こされ大きな欠伸をすると、眠気眼のまま手を引かれて浴室へと向かった。
私が今の時間を聞くより先にルーチェが脱衣所に置時計を持ってくると、「入浴時間は10分間しかありません」と言って、瞬時に私の服を剥ぎ取った。
「こんな時間までお昼寝していただなんて、驚きでしたわ」
「そう思うなら、起こしてくれればよかったじゃない」
「……うっ……。あ、あら? 寝起きだからでしょうか。お嬢様の顔がちょっと浮腫んでいるように見えます。あっ、時間がなくなりますから早く済ませましょう」
私の言葉に、精一杯平常心を装いながら話を逸らしたところで浴室へと背を押される。
サッと入浴し鏡台の前に座ると、ルーチェが私の髪を乾かしながら鼻歌を歌う。
優しく櫛で髪を解かされると、気持ちの良さにまた眠気が襲ってきた。
扉のノック音が鳴ると、入室してきたのは母様付きの侍女だ。
「時間がありませんので、お手伝いさせていただきます」
どうして彼女がわざわざ手伝いに? と思ったが、彼女は私を見るなり目をカッと開かせた。
「王立学院は、小さな貴族社会の場となっております。ルーチェ一人では、侯爵家の令嬢の装いを整えることは難しいでしょう」
彼女はそう言って目をキラリと光らせた。
手早く化粧を施されると、緩く編み込んだサイドの髪の毛を後頭部でまとめられ髪型が整えられる。
その後で、母様付きの侍女がルーチェを連れてクロークルームの中へと消えた。
その隙に、ローテーブルに置かれていたサンドイッチをパクリと口の中に放り込む。
「気が利くわね!」
小さくカットされたサンドイッチは、起こしにきたときにルーチェが用意してくれたのだろう。何も食べずに寝てしまったから、お腹がペコペコだ。
もう一つのサンドイッチを口の中へ……更にもう一つ。その後で、もぐもぐと噛み始めたばかりの口の中のものを一気に飲み込んだ。
ガチャっとクロークルームの扉が開くと、母様付きの侍女の目がギラリと光ったのだ。
「◯✕△□✕◯……」
喉が詰まりそうになり、お茶を口の中に流し込む。胸を叩きながら「ケホッ、ケホッ……」とむせる。その様子に母様付きの侍女が困り顔を向けた。
「ウィステリアお嬢様。用意ができるまで食事を我慢して下さい」
「……は……い」
二人が抱えてきたトルソーに掛けられたドレスがドドンッと置かれると、その可愛らしさに胸がキュンキュンする。
「まぁ。素敵ね! なんて可愛らしいのかしら」
ドレスは、若草色を基調に銀色を組み合わせたもので胸元には邪魔にならない程度の金色のレースが上品にあしらわれている。前方から見ると内側は若草色のミディ丈で、波打つように金色のオーガンジーがふわりと重ねられ後方からはロング丈のスカートに見える可愛らしい妖精が纏っているような、そんなイメージのデザインである。
……こんな可愛いドレスが着れるだなんて、もしかして、もしかしなくても妖精さんに間違えられちゃうかも!
「あっ。もしかして、このドレスって……」
そういえば、ルーフェルムからの手紙で、『ドレスは購入済み、侯爵家に届けた』と書かれていた。
「次期公爵様がウィステリアお嬢様に届けてくださいましたドレスですわ」
やっぱり、そのドレスだったのね。ずっと戦場にいたルーフェルムがこんなに素敵なドレスを選ぶだなんて思えないし、公爵夫人が選んでくれたのかしら?
ドレスに着替えると、姿見の前から動けなくなる。
……これが私? めちゃくちゃ可愛いー! ……はじめまして鏡の中の妖精さん! 私はウィステリアと申します。って、貴女もウィステリアだったのぉー……私ってば、本当は妖精だったのね? でも、ダルシュは妖精はいないって言っていたわよね……ダルシュにも知らないことがあったのねー! 自分で言うのもなんだけど、私ってめっちゃ可愛すぎるぅ。
でも、こんなに可愛いのにラブレターとか貰ったこともないし。……この世界では、この顔って上の下くらいなのかなー。それにしても自分の姿に惚れ惚れするわ。私ってば、最高にイケてる! これは、もしや……星夜祭で大魚が釣れちゃったりしてー。『お嬢さん、是非私とダンスを……』って、超ハイスペックイケメンに誘われるんじゃ……。そして、2人は満天の星空の中で……ふ・ふ・ふ……いやーん、絶対あり得るぅ。どうしよー……困っちゃーう。
「ウィステリアお嬢様。これ以上、よだれを垂らされると拭き取る者がいなくなりますので、そろそろ妄想世界から現実世界にお戻り下さい。この後で、ネックレスとイヤリングを着けさせていただきますので、わたくしとルーチェは一度下がらせていただきます」
鏡の前から離れられない私に、胸の前で両手を合わせた母様付きの侍女がニッコリ微笑み、くるりとまわれ右をした後で部屋から出て行こうと扉に手を掛けた。
(……なぜ、下がる?)
扉から出て行こうとする彼女の後ろ姿に声をかけようとすると、扉を開いた彼女が振り返り目をキラキラと光らせた。
「ふふっ。バトンタッチですわ」
「はい? バトンタッ……チって……」
次に扉が全開に開かれると、先に立っている人物に驚く。
「ぎゃぁぁー!」
……なんで、なんで? なんなのよ! 気持ちの準備ってもんがあるでしょう! ……突然、こんなのあり? ……こんなの……聞いてないわよぉー!
私とお揃いの若草色の襟に、金糸銀糸でふんだんに刺繍がされた艶やかに輝く服に身を包んだルーフェルムだ。
「ウィラ、綺麗だ。……ウィラ?」
……妖精王? 美の男神? 目の保養になるけど、今は見たくなかったわ。
……ダルシュ、私が間違えていました。私は妖精ではなく、ただの人間でした。
素晴らしい外見を与えられたというのに、美形が更に着飾るなんて許せないわー。ウィステリア、よく見るのよ! たかが服よ……されど服だけど……。正装を着て磨きがかかっているからといって、彼はサイコ野郎よ! 今までの倍……それ以上にキラキラ輝いているからといって、ルーフェルムよ! ……ウィステリア、よく見過ぎよ! 何なのこの美しさ……ヤバイわ、鼻血でドレスを汚しそう。無駄にキラキラしているルーフェルムをこれ以上見たら大量の鼻血出血で死ぬ。
そう結論が出たところで、私は瞼を落とした。
あー、落ち着くわ。眩しかったから、真っ暗って安心する。
視界に何も映らなくなったのに、その整った美貌でじっと私を見ているのが分かる。別に薄目を開いているわけじゃない。このところ可怪しくなった私の感覚のせいで、分かるようになっただけ。
でも、ハザードだけじゃなくてルーフェルムにもこの変な感覚が作用しているとなると……私が影響されるのは、竜人に対してってことよね。
以前、ハザードが教えてくれたことが思い出される。
『竜の子孫を護る力を持っているもの』が私の体内にあり、それは『他者に絶対に知られてはならないもの』で、竜にとって弱点になると彼は言っていた。
あの時は、私の体内になんでそんなものがと驚いただけだった。けど、話を思い出したことで、よーく考えて見る。
(これって、分っていてのことだったの?)
思い出したことを逆にして追って考えて見れば……。竜人にとって弱点になるものを、子供の頃に私に渡したってことじゃん! なにそれっ! ルーフェルムだけじゃなく、ハザードにも反応してるってことは、竜人皆に影響を及ぼすってことなんじゃ? これって、どう考えて見ても誰も納得しないでしょう。当時のルーフェルムは、大罪を犯したようなもんじゃないかー。
「……ラ……ウィラ。考え事は、また後にしろ」
ルーフェルムの声で思考を停止するが納得がいかない。目を開けるように言われるが、まだ嫌だ。
せっかく、妖精の私に出会えたのに。ルーフェルムのせいで、現実に引き戻された。
更にこの後の星夜祭で、彼の隣に立っているしかないわけで……。比較される。いや、比較対象にもならない状況になるな。
「先ずは鏡を見て確認してくれ……どうだ?」
そう言われ、大きくため息を吐き出してから目を開き彼を睨み見る。
めっちゃ光り輝くルーフェルムから手鏡を手渡されると、鏡に映る私を見た。
「……あっ……」
いつの間に着けられたのだろう。首には、細いチェーンに小さなブルーとグリーンの石が交互に付いている控えめなチョーカーが。
そして、ブルーとグリーンの斑が交じり合ったオパール石のドロップイヤリングは、首を振ってみると動くたびに遊色効果で様々な色の光がキラキラと反射する。
「うわー、めっちゃ可愛いー」
「……そうか。これを見た瞬間、ウィラに似合うと思ったんだ。よかった……ほら、お揃いだ」
手に持つ鏡の後ろから、ルーフェルムも首を振り耳に着けられたイヤリングを指差した。
「……えっ?」
「嫌なのか?」
困惑した表情の私に、彼は眉間を寄せ不安だという表情をする。
『お揃い』と彼の口から……、『似合うと思った』と彼の口から……まさか?
「もしかして、ルーフェルムがドレスやアクセサリーを選んでくれたの? 公爵夫人じゃなくて?」
「あぁ。流行とか分からなくて……。初めてのことだったから、今回はこれで勘弁してほしい。次は一緒に選んでくれ」
なんだ? そのテレ顔は。選ぶのが大変だったから、次のときは連れて行くから自分で選べってことでしょう?
だとしても、これは良くないでしょう。婚約者だからといって、無理矢理全てをお揃いにしなくても……っていうか……1つでもお揃いだと分かるようにしたら駄目なのに。
乙女心が分かっていないのだから仕方がないけど。
この後、星夜祭で成り上がり令嬢がルーフェルムと私の並んだ姿を見たらどう思うのか分からないのかしら?
もしかして……気を引くために? きっと、わざわざそうしたのね。お揃いにするしかなかったのだと成り上がり令嬢に許しを請うつもりなのね。
どんな計画を立ててこうしたのか分からないけど、今回はこんなに素敵なドレスを贈ってくれたのだから目を瞑ってあげるしかなさそうだ。
ただ、彼女を射止める作戦に巻き込むのは勘弁してほしい。
今回は、なんか上手く笑えそうにないや――。




