第70話 袖裏に沈む総括者 ᛗᚨᛊᛏᛖᚱᛗᛁᚾᛞヾ
陽も民草の営みも乏しき不毛な地元の大地をただ護りたいだけの魔導士ヴァイロ・カノン・アルベェリアに果てなき苦悩が降り積もる。
白銀の女神が白い竜に跨り、自分の命よりも大切な弟子達を滅ぼしに来る悪夢にうなされ続けた。
さらに義勇兵として力を存分奮ってくれたレアット・アルベェラータの安否。将来有望に思えた若者を、自分達の争いに巻き込んだ罪の深さに深く沈んだ。
そしてさらなる悲哀と理不尽の火種がフォルデノ王国の貴族バンデよりもたらされる。
バンデから預かっていた大切な命──コボルト族の長カネランの戦死を主人の元へ伝えにヴァイロ達が彼の屋敷へ出向いた時の話であった。
「(フォルデノ)王国が一切の援助を断つ?」
赤い瞳を驚きひん剥いたヴァイロの焦燥。テンガロンハットを脱帽したバンデに対する礼儀を忘れた態度で身を乗り出す。
「私も王と上級貴族達を説得しましたがディオルの一件以来、『カノンの若造には最早任せておけぬ』の一点張りでございまして……」
些か震えた声音を励まし応じるバンデ。
ヴァイロ達に同行している者共からの、様々な視線に吊し上げられた。罪の意識根深き思いが声を締め上げる。
「……」
ヴァイロに雇われている女戦士シアン・ノイン・ロッソの沈黙。紫色の着衣から覗く腕と脚を組んだ立ち姿で目を閉じ黙り込んだ。
ガシャンッ!
「ディオルの解放を促したのはそちら側だと云うのに!」
憤りを隠す気がないヴァイロがバンデの座る机を拳で激しく叩いた。机上の筆記用具が跳ねて酷い音を立てる。まるでバンデの恐怖を代弁しているかの様子。
「ヴァイロ、実に単純な話だ。フォルデノ王国の喉元まで迫っていた敵は撤退した。後は自国の安寧さえ約束されれば、黒い者を飼う必要がない。──寧ろ王国の品位を損ねる」
シアンは身じろぎ一つせず冷静というより、冷血思しき声でヴァイロへ淡々と物語る。
フォルデノ王国の隣まで肉薄していた戦之女神軍は、自分達の敷居まで退いた。
平和の上に胡坐を掻きたい王国の本音──次の邪魔者を伝えるのに饒舌は不要だった。
「シアン? お、俺達は、嵌められたと言うのか……」
黒い神竜ノヴァンの錬成。さらに義勇兵達を募る為の金銭的な援助──。
如何にも礼節に富んだ王国のこれ迄続いた応対は、上辺に過ぎなかった。
森の都ラファンの中心街ディオルの平穏は、戦之女神より無事取り戻せた。
加えてヴァイロ達の住処カノンへ、陸路を以て侵攻するには落とす事が欠かせないフォルデノ王国とラファン、そしてカノンが肩寄せ合うこの山岳地帯を護り抜いた。
次なる戦之女神の道筋は単純明快。
侵攻の陸路を確保する無駄を早々に捨て、恐らく以後も数を増やせるであろう白い神竜に騎乗し、空路から直接カノンへ仕掛ける。
シアンはこれらの詳細な説明を『黒い者を飼う必要がない』の一言で片付けたのだ。
「で、ですが私の亜人達は今後もヴァイロ様の御味方です。私は最悪貴族の座を追われようとも、それだけは必ず貫き通します」
四面楚歌に置かれた中、額に流れる汗を袖で拭いつつ、フォルデノ王国を裏切ってでも自分の意思は曲げない。震えた声でバンデは誓った。
「随分と都合の良い事を……。人ならざる者達を囲えるのは、今や暗黒に与する俺達しかいないじゃないか」
「……!」
眼鏡越しの冷ややかな視線をバンデに浴びせたアギド少年の指摘。彼の得意な魔法を使わずとも、凍りついたその場の空気。
耳に入った人ならざる者の代表格──鳥人間のルチエノが青と赤の瞳を混ぜた哀しみの色合いにて見開いた後、静かに視線を床へ伏せる。
死した盟友カネランの為にも決して泣くまいと歪めた眉。背中に生えた黒い翼から羽がヒラリッと赤絨毯へ落ちた。
種族こそ違えど性別が同じ吟遊詩人リンネと、防御呪文の熟練者ミリアが声にならぬ憐れみをルチエノへ伝えようとした。
「アギド……言い過ぎだ、口を慎め」
「……っ!」
亜人達の指揮を一手に任されていたシアンが普段以上の低音を響かせ、短くも鋭き口を挟む。彼女は種族を超越した信頼を、人ならざる者達へ抱いていた。
何よりも悪いのは彼等ではないのだ。それはアギドにも重々判っている筈。
アギドは若さに感けた口の滑りを指摘され黙り込むと、蒼い目を逸らす苛立ちをみせる。云われずとも知れた大人の事柄に舌を鳴らした。
「皆、済まないがヴァイロと私。そしてバンデの三人だけにしてくれまいか」
シアンは断固として糾弾したい者へ敬称を捨て去った上、顔を起こして紫色の瞳を向ける。皆に『席を外してくれないか』と選択肢を求める柔らかな態度ではなかった。
「わ、私は残るよっ!」
リンネは白いショルダーカットの衣装を揺らして、漆黒に身を固めたヴァイロの腕を掴む。
恋人としての甘えに在らず、腹を括った態度。黒に染まった者共を照らす唯一の白を散らした。
──ふふッ……。
緑色の頭髪と揃いの瞳を持ったリンネをみやるシアン、声はおろか顔色にすら滲ませぬ微笑みをリンネに送り往く。
白だけでなく森の恵みを与えるリンネ。シアン……戦場でしか生きられぬ自分には決して昔の友へ施せない力を前に、少しだけ羨んだ。
「さぁ……真実を語って貰おうかバンデ。お前は我々をこの島に於ける必要悪にしたかったのだな」
リンネの態度に心の奥底だけ僅かに緩んだ魂を引き締め、まるで諸悪の根源でも睨む形でバンデを言及し始めたシアン。
声音も口調さえも全く曲げぬ純粋な怒りを孕んだシアンの仕草。怒気を荒げて感情を表に出す愚かな態度は取らなかった。
「し、シアン?」
「え……?」
言及されているバンデよりも先に同席したヴァイロとリンネの方から、総毛立つ驚きを引き出した。
カッカッ……。バンデの机上から勝手に持ち出した紙とペンを握り、簡単な図式を書き始めたシアンの取調べ。
「先ず王国に籍を置く自らが火中に飛び込む事で、国そのものを戦争に巻き込んだ。お前がヴァイロに手を差し伸べなければ、戦之女神は初めからカノンだけを狙う──島国の小さな内乱だけで事は済んだ」
「……」
ヴァイロは、戦之女神がディオルに進軍する以前──戦之女神が連れて来たシグノに対抗すべく自分の竜を錬成する為、フォルデノ王国へ働きかけた。
この時、既にバンデはヴァイロに惜しみない資金援助を行う一番手であった。依って以後もヴァイロはこの風変わりな貴族をアテにした。
然も彼の屋敷は王国の東端──山林を抱えた護るには絶好の位置に屋敷を囲っていた。
戦之女神はヴァイロに対し『神同士の戦争を所望する』と煽りはしたが、フォルデノ王国まで戦場にするかは怪しいかった。
されど戦に加担した側を勝利へ導く戦の天秤シアンがディオルの隣に居を構えたとあっては、いよいよ後には退けぬ神々の戦場が概ね整ってしまった。
ヴァイロへ傭兵として力を貸すと誓いを立てたシアンではあったが、バンデとヴァイロの密約に手を貸すのは最初から負い目を感じた。無駄に戦火を拡大する可能性を恐れていたのだ。
「……そして私とヴァイロは最初の戦端を開き、大勝利を収めてしまった。結果、驕り昂ぶる王国からの圧力を受け、ディオル解放に向け迂闊に動いた。今にしてみれば自分の愚行を呪いたい」
ディオル解放へ此方から向かうのに最後まで反対していたシアン。然しながらレアットとアギド達の若さにも押し切られ、ならばせめて少数で攻め入るやり方に徹した。
派手に大軍を以て押し寄せれば『暗黒神軍が討って出た』と報じられ、勝敗に関わらず、いよいよ黒が動いたと騒がれるのが必定だと思ったのだ。
然しよもやな戦之女神が御自ら迎え撃つ聖戦の如き図式が成立。
数こそ矮小なれど他人の街にて派手な戦火を引き起こし、言い逃れが出来なくなった。
パチパチパチ……。
先ずバンデは、老いて乾いた両手を叩く称賛を以てシアンへ応じた。
「流石ですシアン・ノイン・ロッソ。王国の圧力を使い貴女様の預けたお子様の所在を調べて本当に良かった」
これ迄、どんな相手にも省かなかった敬称を除いたフルネームを用いてシアンを称えたバンデの不敵。
つい今しがた迄、置かれた立場を演じていたバンデが、シアンの名推理を聞き及んだ途端に色めきだつ。シアンの云い分、すべからく当たっていた。
亡き夫との間に生まれた忘れ形見を引き合いに出されたシアン。母親としての責任に引き摺られ流石に歪んだ。
「仰せの通りです。300年前、この島以外の歴史が破壊尽くされました。アドノス島は結果的に不可侵へ堕ちました。ですが人の世に戦争は憑き物。従って暗黒へ堕ちて頂きました」
人ならざる者共をこよなく愛するバンデ──彼自身は力なき凡庸な人間で在りながら、白も黒さえも取り巻く黒幕であった。




