第18話 ノインの中のシアン ―ᚲᛃᚨᚾ ᛁᚾ ᚾᛟᛖᛁᚾ―
俺達の神竜ノヴァンが弱体過ぎる──。
約半年、壮絶な鍛錬の末、どうにか手にした暗黒神最強級の魔術。惜しみなく注ぎ込んだ結果、ただ偉ぶるだけの黒い竜が生誕した。
憤りの捌け口をヴァイロの何とも陳腐な神殿に求めた子供達の鬱憤。
だが今日は神殿に住み込みしている緑色の髪際立つ巫女に言伝だけ残し、神は側女の袂へ何と遊戯に繰り出した。
ぶつけようのなき苛立ち募る信者達。
特に敬愛をとうに過ぎた熱愛抱く灰色のミリアからの鬱屈度合いが甚だしい。
高額な支援金を引き出した貴族共への営業回りはまあ判るとして、美麗な未亡人が独りで店を構える喫茶店に向かう妖しい体たらく。
ヴァイロ・カノン・アルベェリアは大人の男。
その位の遊び、別に居ても不思議ではない。
然しそれはあくまで理屈の範疇。
友人とはいえ好意を寄せる男性が女と語るのだ。心中穏やかでいられる訳がない。
けれどもリンネは普段通り、自分達へ香りを届ける余裕。
同棲者を追求したミリア、自分自身大人げない自覚がある。
さりとて涼しい顔で窓から入る風を髪で受け流し『私…ヴァイを信じてるから』リンネ余裕の顔立ちがより一層ミリアの嫌いな意固地を引き立てるのだ。
「ふーん……そういうものでございますか」
リンネの言葉には、偽りも妥協さえも全く以て滲みがみえない。
──何その余裕綽々……私だけ空回りして馬鹿みたいじゃない。
ミリアの不服顔をみつけたアズールとアギドが押し黙る。読みたくもない心の中を、見せつけられた気分。合わせる顔を知らない無垢な少年達。
──それにしてもノヴァンの力……アレは恐らく全力ではない。理由こそ判らんが。
実の処、ノヴァンに対するアギド本音の解釈がこれなのだ。
ノヴァンと共闘の最中、アギドは肌でそれを実感。
ノヴァンの首に乗り騎馬と云うよりまるでポニー扱いしたリンネが最も黒き竜の真実へ近しい場所に居ると確信していた。
◇
此方はフォルデノ王国とカノンの丁度境目辺りに位置する喫茶『ノイン』。
フォルデノ城下町の喧騒からだいぶ外れた裏手。樹々が生い茂り、人の往来が少ない寂れた地域。
とうに寿命が尽きた大樹に防腐を施し、幹をくり抜いて作った建物。
世辞にも大きい店とは言えず、カウンターとテーブル1つだけ。5人も客が入れば満席になる隠れ家的な佇まい。
自然、店内の内装も木をそのままあしらったものが多い。カウンターの中には、珈琲だけでなく、他の茶葉や酒類も僅かだが列を成す。
窓が少ない上、灯りの数も少ないので、自然店内は薄暗い。
だからこそ灯りのオレンジ色が良く映える。マスターの拘りを感じる造り込み。
色々と商いをするには好条件とは言い難き場所。然しこの店、先代から続いており30年近く営業を続けていた。
初代は今のマスターの亡き夫。
つまり二代目は未亡人。
歳はまだ20代後半。華として充分通用する若さ。亡き夫の方が倍ほどの歳上であった。
彼女自身、元々この店の常連であり、親ほど歳の離れたマスターの気遣いと何処よりも美味しいと評判の珈琲を心から愛した。
結婚後5年程、共に店をやりくりしたのだが、夫が急性の病に侵され妻が店を継いだごく有り触れた愛絡めた人生の流れ。
以来この店のマスターは『シアン・ノイン・ロッソ』である。ロッソは旧姓だが、ミドルネームに互いが愛したこの店の名を刻んだ。
珈琲の味は先代譲り。それだけでも懐かしくも哀愁漂う味求め、珈琲好きが各地から態々訪れる。
その上、美人の未亡人が気さくに話を聞いてくれるので、寧ろ先代の頃より男性客が増えた。
カウンターに酒類が増えたのも、それを見越した客人と店主の駆引きの表れであるのだ。『あわよくば……』そんな良からぬ客を掌の上で転がす商い上手。
紫色で肩には届かないサラリとした髪。
大樹の中、人を忘れた森の精霊を彷彿させる翠眼。スラリと伸びた背丈が挫けぬ大人の女性を演出。
常にジーンズ姿の笑顔でお出迎え。
スカートでなくて余程有難いのだ。躰の流れと人当たり良い彼女のトークが在れば酒の摘みなど邪魔でしかない。
左側に在る泣きぼくろ。飾りでなく俺の為、本音で泣かせてみたい好い女だ。
少し低音がかった声は舞台で男優を演じられる程、聴く者を夢心地にさせる。
そんな次第で実は男性のみならず、女性にも定評がある女店主のシアンなのだ。
けれども本日、この店の客は独りの男だけ。
シアン・ノイン・ロッソを間近に独占する大層贅沢なカウンターを牛耳る客人。
予め連絡し貸切にした常連客。
女性受けなら此方も引けを取らぬ色男、銀髪のヴァイロ。神様の役割を捨てたい気分に浸る──喫茶ノインに求める逃避行。
「幾ら虎の子の竜が負け、散々叩かれたとはいえ、それで私に泣きつく程、お前は軟弱だったかな?」
注文も聞かず馴染みのブレンドを淹れるシアンの気遣い。心地良き温かみと含んだ笑みすら交えてカップに零した。
そのブレンドのオリジナリティもさることながら、白い陶器のカップも先代が拘り抜いた実に良い造形。
薔薇の花びらが器、握り手が絡み合う薔薇の茎をイメージした造り。裏には名工の名が刻んである良き器。
「当然だ、ノヴァンの強さは寧ろ想定通り。彼奴はこれから強くなる。今夜はアンタに慰めを求めに来た訳じゃない」
「ほぅ……じゃあ何かな?」
疑問を投げ掛ける割、相手の顔を見ない興味なさげに映るシアンの作り笑い。好い男に余分な追求は不要。気持ち良く相手の心を引き出すのが彼女のお役目。
ヴァイロは真面目な顔で席を立ち、カウンター越しで笑うマスターに詰め寄る。
「喫茶店の店主じゃない、もうひとつの力を借りたいって相談だ」
ヴァイロも中々どうして人が悪い。
珈琲の香りが辺りに浮かぶ気分を拾い、シアンの反応をすこぶる楽しむ。
演技めいた嘲笑い、シアンの動向を緩んだ赤い瞳で見やるのだ。
「──もうひとつの力……さて? 一体何の話かな?」
顔色変えずシアンは応えるのだが、ヴァイロと視線を決して交換しなかった。
それが後ろめたさなのか、興が冷めたか定かにさせぬシアンの巧み。
「この店の恐らく地下で大事に囲っている、貴族達から強奪した芸術品の数々を公言してもか?」
「……何が望みだ」
さも挑発的なヴァイロの煽り──。
途端、シアン紫の目と声が鋭敏が刹那に宿る。
ギロリッと睨みを利かせ瞬きひとつ残らず置き去りにする。
カウンターの裏、相手の死角である左手。一体何を握っているのやら危ういものだ。
「いや待ってくれ、傭兵シアン様に刃物沙汰を挑む程、俺は馬鹿じゃない。だから左手の果物ナイフで俺の首元を狙わんでくれ」
「ハァ……」
シアンに刃止めを要求する割、緩み切った顔のヴァイロ。両手を挙げ戦闘の意志がない胸中を明かす。
シアンは左手に仕込んだ得物を見抜かれ溜息をひとつ。珈琲が浮かぶ店内に流した。
観念した心持ち、カウンターの上に握ったナイフを静かに置いた。
「貴族共が大層汚い金で手にした美術品。それも亡き旦那の御父様が造形した作品ばかり。云わば自分の物を取り返しただけ。言い降らすってのは嘘だ。悪戯が過ぎた、済まない」
ヴァイロは仰々しく席を立ち、シアンと亡きオーナーに対する非礼を詫びるべく深々と銀色の頭を下げたのだ。




