第103話 互いの道を歩むだけ
満69歳………季節は年寄りには厳しい冬。流石に歳を誤魔化せない年齢になってしまったエトラ・ノイン・ロッソは、暖炉の炎を見つめながら、20代後期に演じた戦いの歴史を思い出す。
此処はアドノス島の北東の端に位置するラオ自治区。海産物と美しい海岸を大いに利用した観光資源で成り立つ地域だ。
アドノス島の唯一の国フォルデノ王国や、闇の住人が最も多いと言われるカノンからは相当離れたまるで異国のような存在。
その上、戦の女神を守護するロッギオネや、北の大陸エタリアからこの島国を守るべく建造中の要塞都市フォルテザを擁するエディンが隣という位置関係から、意図せずとも守られた平和の要素が高い場所である。
「エトラおばあちゃん、それでそれで、次はどうなったの?」
「シアンって傭兵は、カノンの連中に何て言ったのさ?」
エトラの座るロッキングチェアにしがみ付いて揺らしながら、物語の続きをせがむ男の子と女の子。二人共、エトラの孫にあたる目に入れても痛くない存在だ。
「………そうだねえ、では話のお終いまで語りましょうか」
微笑みながら孫達の頭を撫でるその手には、戦闘をかじった者なら判ってしまうゴツゴツした箇所がある。
……エトラは暖炉の炎に不死鳥を重ねながら、その後の話を語り始めた。
◇
シアンが自分達に何を告げるのか、期待と不安に胸を膨らませつつ、レアットとルチエノは、次の台詞を待ち望んでいた。
「レアット、君は大変忙しくなる。先ず一度ラファンに返り、その森の復興に尽力して欲しいのだ」
「シアンの姐さん? もうカノンには力のある奴がいないってのにかっ!?」
「……だからこそだ」
基本脳筋のレアットに対し、シアンは地面に木の枝でカノン、ラファン、フォルデノ王国辺りの大まかな地図を描きながら、シンプルに出来るだけ判りやすく説明した。
レアットはラファンの大切な森を落雷にて焼き払った上に、アズールと共にカノンとの境目におけるこの戦場に於いて、大爆発を引き起こした大罪がある。
だが元々はラファンの出身という切っても切れない土着の繋がりもあるのだ。
加えて同じアルベェラータ姓であったエターナが、今後堂々とエディウスを名乗り、ラファンに侵攻した償いに尽力を注がせると約束させた。
先ずは傷ついたラファンを立て直し、裏でカノンと振興を出来る限り盛んにすることで共倒れだけは防ぐ。
「………俺様に神様でも化物でもなく、再び樹の相手をしろって言うんだな。まあ敵がいないんじゃ仕方がねえよな」
「そんな単純な話でもない。この戦争によっていよいよフォルデノ王国は、その軍備を強固なものにするであろう」
「………そう、でしょうね」
巨大剣二刀を地面に突き刺し「また斧を握るのか……」と少し寂しそうに呟くレアット。
ハーピーであるルチエノは、シアンの言葉の端々に潜むカノンの暗い未来に感づいており、俯いてしまうのである。
「察しが良い……いや、流石に判り過ぎるか。元々普通の人間と同じ扱いをされなかった君にはな」
「はい……。フォルデノ王国だけじゃなく、きっとこれからは他の自治区も軍備を強固にすることでしょう。この陽の当らない大地と暗黒神や私達のような者を生んだカノンに対して……」
シアンとルチエノの表情が暗い。とても朝陽を浴びている顔だとは思えない程に。寧ろカノンの今後の暗い幕開けを代表しているかのような顔つきだ。
「ヴァイロは此処にノヴァンを据えて、自らは神と成すことで周囲の脅威から守る事と同時に、魔法の必要性を説く事でカノンの地位を確立させようとした」
「………が、この戦争に勝利したのはエディウスと周囲には伝承され、第一その神自体《ヴァイロ様》が消え失せた」
此処まで話した所でシアンは一呼吸置く。何とか暗い最中にも光は差すことを大いに語らねばならない。ヴァイロの課した宿題が重く圧し掛かる。
「そう堕ちないで欲しいルチエノ。人より美しき心と姿を併せ持つ君よ。必要悪……という言葉が世間にはある。カノンは確かにこの戦争においてさらに闇に堕ちるかも知れない……」
「そ、それでは、あの子供達の死が……」
「………無駄死にと? そんな事は決してない。ヴァイロとその子供達が創造した魔法は、以後間違いなく引き継がれ、魔法の優位性は確率されてゆくことだろう。それは戦いでしか証明出来なかったのは悲しいが」
カノンがさらに闇に沈む事でアルデノ島が大陸列強に負けない位に発展する切欠を与えてくれた。
それを熱弁するシアンだが、心優しきこの鳥人間には、失われた者達への安息に繋がるとは思えず落涙する。
彼女は自分が闇の住人に在り続けることに対しては、何ら落ち込んでなどいない。自分達が必要悪に成れるのなら、それを甘んじて受け入れる覚悟は出来ている。
「……それにだ。敗戦国というものは、後に驚異的な発展を遂げる。これは歴史が物語っている。どれ程の時間を要するかは定かでないが、カノンには埋もれている地下資源もあると聞く」
「嗚呼、それなら俺様も知ってんぞ。木こりをやりながら、岩盤の相手もしてやるぜっ! そっちの方が儲かりそうだしなっ!」
「ハハハッ……。精々程々に頼むとしよう。カノンを穴だらけにしないでくれよ」
カノンの地下資源……。アズールの父もずっと追いつつも未だ、然したる結果を出せていない未開の産物だ。
これに大いに反応したのはレアットの方である。確かに今の彼の能力であれば、荒れ果てた山に植樹をするより、削岩機になる方が余程似合いかも知れない。
「レイチ、ニイナ……。お前達は今後どうするつもりだ?」
不意に話を振られ、ハイエルフの二人は腕を組んだり、頭を抱えてウロウロする。人間達とはまるで時間感覚が異なる彼等。シアンと過ごした数年なんて、数日位なものだったりする。
身の振り方なんて、余りシビアに考えないのだ。ただ人間と濃密な繋がりを持ってしまうと、途端にその短さを痛感するのだが……。
「うーん……。私はそろそろシアンの元を離れようかしら。特にアテがあるって訳じゃないけど」
「僕も思う所が出来たので、距離を置きたいと存じます」
「そうか……。まあ私は暫くあの旦那の店で再び珈琲を淹れるとしよう、三人で義賊気取りは卒業だな。ならばレイチ、シアン……」
ニイナ、レイチ、両人共気軽な物言いでシアンとの楽しかった関係に終止符を打つ発言をした。
シアンとてそれを止めるつもりなど全くない。ただ夫の店にはやはり戻りたいようだ。それについては正直気になる所もあるが……。
「レイチ、ニイナよ……」
「「んっ?」」
「ならばお前達、私の与えた名前などついでに返上したらどうだ? それからまるで子供みたいなその姿もな」
「アハハハッ、そうだねえ……シアン」
「そろそろ此方のゴッゴ遊びも終わりにすべきかも知れませんね」
あとは互いの道を進むだけ……。そう感じた所にシアンが少々神妙な面持ちで二人に向かって提案をした。
何を言うかとも思えば……と苦笑するレイチとニイナ。これまでずっと敬語を使っていたレイチが急に敬称を付けるのを止め、今度はニイナが大人びた声で敬語で返した。
これにて三人組の別れ話も終わりを告げて、後は手を振り、互いに背を向けて歩き始めた。