第100話 さてはこの展開を待っていたなッ!
遂にヴァイロの身体と能力を、その魂毎手中に収めたマーダ。
アギドの時とは違い、取り込んだもの全てに順応するのが早いと言っている。
アギドの際には初めのうち、上手く扱えないどころか、足を引っ張られる羽目になった心を読む能力。
今回はそんな事なくいきなり全力運転で、暗黒神として思うがままに振る舞えるという訳だ。
「ヴァーミリオン・ルーナ! 紅の命!」
―ヴァーミリオン・ルーナ! 紅の命!
シアンと思念体のトリルが、二人揃って詠唱を始める。
「……此処でようやくだとっ!?」
「……ほぅ」
不死鳥状態のシアンと二度も手合せした修道騎士レイシャが、疑問と怒り半々の顔で彼女を睨む。
(何故ッ! 何故今頃になってッ!)
散々仲間達を失った挙句の果てで、不死鳥を使う気になったシアンの心理が、レイシャには解せないからこうして腹を立てている。
一方で「ほぅ」と感嘆しているのはマーダである。
「……賢者の石がその真の姿を現すっ!」
―……賢者の石がその真の姿を現すっ!
「面白い……実に面白いぞ、シアン・ノイン・ロッソ! 貴様さてはこの展開を待っていたなッ!」
シアンとトリル、この2人の狙いをマーダが確信したことを、嬉々《きき》として明かす。
これより暗黒神が落とす天災を彼女達が己の全力を持って阻止する。
そのための不死鳥召喚なのだ。
「……なっ!?」
「そうかっ! だからこれまでっ!」
些細な事では驚かない知恵者でかつ豪胆な賢士ルオラもこれには驚嘆せずに要られない。
同じく知恵が回る賢士レイジもこれで辻褄が合ったと感じた。
「し、シアン様っ!? こ、こんな負けを前提にするなんてらしくないですっ!」
「………っ!」
これにはシアンに傾倒しているレイチも正直腹を立てる。「そうは思わないか」と言いたくなり、ニイナの方へ視線を移すと、彼女は自分に苛立ち、その柔らかい腿に爪を立てているではないか。
「に、ニイナッ!? 君は何もかも知った上でっ!?」
「………うんっ、そうだよ」
大きな瞳に涙を浮かべながら頷くニイナ。何も出来ない、手を差し伸べられない自分に立腹しながら「何がハイエルフだ、人間の上位種だから黙って見てろっ!? 訳判んないよッ!」と嗚咽混じりに訴えて、レイチの背中を幾度も叩く。
(シアン様だけじゃない、トリルさんもニイナも此処まで絶望の最中だなんて……)
「す、全ての精霊達が悲鳴を上げている!? そ、それ程までに絶望的な事態が起きるとっ!?」
ニイナの取り乱しよう事の重大さを改めて感じたレイチは、耳を澄まして周囲の精霊達の様子を伺う。
在りとあらゆる精霊が絶叫しているではないか。150年生きてきたが、こんな状況見たことがない。
「……良かろう、シアン、そしてトリル。我も貴様等の足掻きが見たくなった」
「……炎の翼、鋼の爪、今こそ羽ばたけ不死の孔雀っ!」
―……炎の翼、鋼の爪、今こそ羽ばたけ不死の孔雀っ!
決死の形相で詠唱するシアンを満足気にあえて傍観することにした新たな暗黒神。
「し、シアンの姐さんは一体何を始めようしてんだっ!?」
「……わ、判りませんよぉ、そんなこと私にっ!」
「は、半身じゃない。完全体の不死鳥を召喚し、あのマーダとかいう男のやることを全力で止めようとしているんだ」
未だに訳が判らないレアットが、身近にいたハーピーのルチエノに怒鳴り散らす。対するルチエノは、ただ全力で首を何度も横に振るだけだ。
自分に当たり散らしがあるかも知れないというのに、そんな二人に態々近寄り、判っていることだけを伝えるレイジ。
その色を失った顔を見たレアットとルチエノは「マーダとかいう男のやること」が判らなくとも、途轍もない脅威がやって来るのを肌で理解した。
「手前ッ! 何をするつもりだァァッ!!」
「フッ! 貴様も扉使いならば黙って見ているが良かろうっ!」
早速無鉄砲にも2mの巨大剣をマーダに叩きつけるレアットであったが、見えない何かに防がれてしまい、届きすらしない。
恐らく暗黒神最大の防御術、新月の守りを使ったのであろう。ヴァイロから得た能力を早速使った訳だが、詠唱はおろか名称すら聞こえなかった。
静かに唱えただけなのか、或いは術を頭に浮かべるだけで再現出来るようにすらなったのであろうか。
「さあ我に応えよ! 『不死鳥』!!」
―さあ我に応えよ! 『不死鳥』!!
遂にシアンとトリルによる召喚の儀が終わる。詠唱しただけだと言うのにシアンは相当消耗したようで、多量の汗をかいている。
そんな彼女の頭上に巨大な炎が渦を巻いて現れると、それは完全な鳥の形を成した。これまでの半身の歪な鳥ではない。
しかも大きさが尋常に非ず、少し言い過ぎだが、ヴァイロと共にマーダの僕と化してしまった黒き竜に負けない程だ。
「キシャアアァァァアッ!!」
例の形容し難い鳴き声もこれまで以上に壮絶である。正義に与するとこの鳥が認めた者は、大いに高揚し力も増す。
なれど悪と断定された者に取っては、いくら耳を塞いだところで恐怖に縮こまり、己の力を制限されるという。
「い、痛いッ! 痛いッ! 耳がぁぁ! な、何なのよこれッ!?」
この場にいる者で悪と断罪されたのは、どうやらエターナであるらしい。耳を塞ぎ、宙に浮きながら転げ回る。
直ぐに飛んでいられなくなり、落ちるのか思われたが、涼しい顔のマーダに抱えられ救われる。
「な、何でアンタは何とも無さげなのよっ!」
「………知らんな、奴が我を正義と認めたか、或いは我に通じぬだけか?」
落ちそうなところを救って貰ったというのに容赦なく文句を言うエターナ。自らの両腕に抱えられた彼女を冷たい目で見ながら、マーダは吐き捨てるように言うだけだ。
(……こ、こんな化物をあの女は隠していたというのかっ!? しかもヴァイロ自身を止めるためにっ?)
それを見たノヴァンは複雑な思いに駆られる。シアンという人間がキレ者なのは理解している。だが自分すら凌駕する存在かも知れないものを、ヴァイロが乗っ取られた後に披露しているのだ。
ことが此処に至る前にそれを使う選択肢は本当に皆無だったのか。哀れ自由を失ったノヴァンは、新たな主人の背後で巨大なただの影の塊と成り果てている。
竜ほどの不死鳥が、巨大な火炎の渦と化して、シアンの胸に吸い込まれてゆく。この辺の一通りの手続きは、シアンがこれまで使っていた不死鳥と大して変わらない。
全身が炎に包まれて、頬や身体の至る所に炎のタトゥーの様なものが浮かび上がるのも同じだ。
但しその醸し出す雰囲気が桁違いだ。まるでシアン自身が炎の精霊王イフリートでもなったかのような存在感を発揮する。
「よ、良し、これならばどうにかなりそうだ」
「ククッ……。準備は成ったようだな。では此方もいかせて頂こうか」
拳を握り締めると文字通り燃え上がる目でマーダに対し睨みを効かすシアン。一方マーダは抱えていたエターナを後ろの影の上に放ると両手首を回して「準備万端、待ちかねたぞ」と不敵な顔で、付け加えた。