第98話 我が従属となる勇気はあるかな?
ヴァイロ・カノン・アルベェリア。
ミドルネームのカノンは先述した通り、魔法を編み出してカノンの発展に貢献したので名乗る事を許されたものであるため、この世に生を受けた時の名は、ヴァイロ・アルベェリアであった。
彼の出生については余り語っていない気がする。元々はフォルデノ王国にて錬金術の研究をしている男性が父。
やはり同王国で貿易商を営んでいた実家で何不自由ない生活を送っていた女性が結ばれて、やがて母となる。
両親共に晩婚であり、王国の街における生活に嫌気が差した父が、あえて不毛な大地のカノンで静かに暮らしたいと理由で移住した。
実は父の職業柄、カノンに眠るといわれる地下資源が、錬金術の研究において興味が湧いたというのが、本音のところであったらしい。
母が43の時に、ヴァイロが生まれた。両親がそもそも余り家を出る生活をしていなかったの上に、父は研究用の書物を大量に所有していた。
母も貿易で様々な国から収集した珍しい物品をコレクションにしていたので、それらが幼いヴァイロにとっての玩具となってゆく。
元々身体が弱く、出産が遅かったことも災いし、母はヴァイロが5歳の時に早々に黄泉へ旅立ち、父も騎士ではなく錬金術を志した理由に体力のなさがあった。
父が元々は騎士を夢見ていた証拠に、当人の剣を鍛冶師に頼むのではなく、自らの錬金術で拵えたのが、何れヴァイロの愛刀となる歪な形をした真っ赤な大剣、紅色の蜃気楼なのだ。
加えて妻に先立たれたことで気力を喪失し、さらに5年後、カノンの地に骨を埋め、ヴァイロは10歳にして親を失った。
しかし親が残した財産があり、金には余り不自由することもなく、暫くは家で独り暮らしを続けながら、いよいよ誰にも邪魔されることなく、家にある本に没頭することになる。
カノンという土地に唯一の不満があったのは、樹木のある山が極端に少ないことであった。
「ファウナ……森の女神様……」
そんな緑に飢えていたヴァイロ少年が見つけた森の精霊達を纏める女神ファウナの文献。特にそれらを読み漁るようになる。
もっとも最初に興味を抱くきっかけになったのは、そのファウナの挿絵が余りにも愛らしかったという、実に少年らしい理由であるのだが。
しかしまさか自分が、ファウナの従属神ヴァイロと呼ばれる存在になろうとは思いもよらなかった。
やがて両親の残した家が独りで暮らすには大き過ぎると感じ、これも本で読んだ知識を参考にツリーハウスを作り始めるようになる。
もっとも初めのうちは鳥小屋……ですらマシと思える程の鳥の巣のような雑な作りで、これに少しづつ増改築を繰り返し、何れリンネと暮らすことになる家に進化してゆく。
そんな悠々自適な生活を送っていた彼であったが、成長し物事の物差しが自分の中に生まれてくると、カノンに住む者達の意識が実に低いことに気づき始める……。
◇
暗黒神渾身の星々の天罰によって、遂に潰されたかに思えた戦之女神。
鎧も装備も、長い髪の色や肌の色すら白であった麗しき女性の姿を完全に失ったばかりか、最早、人の形すら成していない状態。
右手に辛うじて握られた竜之牙で、精も根も尽き果ててつつあるヴァイロの頬を薄皮一枚だけ裂いていた。
皮肉にもアギドの姿でマーダが告げた身体と能力を乗っ取るための最低条件と完全に一致したのだ。
「く、苦労したよ暗黒神。……だがこれで貴様は私のものだ」
本来ならば堂々とした声で勝利宣言をしたいエディウスだが、こうもボロボロではそれすら叶わなかった。
けれどそんな些細なことはもうどうでも良い。
「ヴァ、ヴァイロ様が……」
「エディウスに吸い込まれてゆくだとっ!?」
黒が白に飲み込まれてゆく……。その状況を目の当たりにしたハーピーのルチエノが言葉を失い、レアットは驚きを隠せない。
ブラックホールに吸い込まれる哀れな星々のように、ボロ雑巾であったエディウスへ吸い取られ、主を失った紅色の蜃気楼だけが残り、地表へと落下してゆく。
そしてエディウスの成れの果てであった者が、代わりに暗黒神の姿へと変わってゆく。
それは時間にしてほんの数秒の出来事であった。
「おおっ! こ、これが暗黒神の身体ッ! 力ッ! す、素晴らしいぞッ! アギドとかいう小僧とは比べようがないッ!」
新しい肉体を得たマーダが歓喜の声を上げる。見た目も声も完全にヴァイロだが、雰囲気が実に禍々しく、まさしく暗黒神そのものといった風格が既に出ている。
「おっと、落ちるな。お前の主は此処にいる」
落ちてゆくのを待つだけの筈であった紅色の蜃気楼がマーダによって拾われる。
「ふむ……。この剣も悪くない……。ほぅ、成程。この剣は貴様の父が錬成したのか。貴様があの黒き竜をあれ程まで見事に錬成出来たのも父の入れ知恵という事か」
自らの身体の中に魂毎取り込んだヴァイロの意識から、マーダは元々の持ち主の情報を得る。
「………にしてもこの身体、いや能力すら既に馴染んでいるぞォォ! そうかヴァイロ、貴様はその罪を我が肉体となって、永遠に贖いたかったのだよなァッ! 実に良い心掛けだなッ!」
こうしてさらにマーダが、ヴァイロの中を弄ってゆくのである。
◇
ヴァイロ12歳の時であった。まだまだ住居として不出来なツリーハウスに招かれざる客が現れる。
赤い竜の紋章が施された白い鎧に身を包んだ騎士。父が夢見て成し得なかったフォルデノ王国の聖騎士である。
「……お、お前はい、一体何者だッ!」
重くてとても持ち上げられない紅色の蜃気楼を引きずりながら、それでも自らが築いた城の前に立ちはだかり守ろうとする。
「俺か? 貴様の御父上殿を騎士の選別試験で叩き落としてやった有能な聖騎士様よ。今日はその剣を譲り受けに来たァ!」
「こ、これは……ぼ、僕の、も、物だっ!」
「おーおーっ、これはこれは随分と勇敢な騎士殿だなあ、アーハッハッハッ!」
何とこの騎士は、ヴァイロの父の夢を断ち斬った男だという。しかもあろうことか紅色の蜃気楼の正当な後継者は自分だと言い張っている。
ヴァイロ少年にしてみれば何とも腹立たしい認めようのない話だ。けれど身体と声の震えが止まらない。
騎士はヴァイロに向かって盾を投げ込んで来た。子供相手に盾なぞ要らぬという気持ちの表れか。
「グワッ!?」
その盾すら避けられずに真正面から当たってしまい、吹き飛んでしまうヴァイロ。小さな身体を必死に起こすが、額が割れて血を流している。
それでもなお、紅色の蜃気楼を持ち続けることを諦めない。
「御立派だな、実に勇敢な騎士殿だ。ならば此方もコレで応じねば失礼だな」
「ヒッ……」
聖騎士は自らのロングソードを鞘からスラリッと抜いた。ヴァイロが思わず悲鳴を上げそうになるところを必死に堪える。
悠々《ゆうゆう》と剣を手に向かって来る騎士。一方此方は、武器を持ち上げることすら適わない。
このままでは武器はおろか、自分の命すら奪われるであろう。それは後ろの鳥小屋が少しの風で吹き飛んでしまう程に当然の理に思われた。
―フフッ……我が好きな少年よ。身も心も我が従属となる勇気はあるかな?
突如ヴァイロ少年の心の中に、麗しき女性の声が働きかけた。