第97話 …………終わりだ
賢士ルオラの奇跡『後悔の海』によってエディウスの動きを封じることに成功したヴァイロ陣営。
そして遂にヴァイロが余った魔力を惜しみなく注ぎこんだ新術『星々の天罰』」の詠唱が終わった。
―い、隕石落としかっ?
―成程、この星の地上に存在しない物を扱うから、精霊達は呼び出しを受けなかったんだっ!
詠唱の内容と術の名称から、隕石を落す術であることを確信するシアンとニイナ。やがて詠唱者の頭上から、大気との摩擦熱で赤く燃え滾る岩が姿を現わす。
レアットが扱うこの星の大気のさらに向こう側からやって来る代物だ。見る者達の遠近感が中々合わないので、大きさを測るのに幾度も目を擦りながら凝らすことになる。
大体直径30mといった所か、要はルオラが用意した後悔の海とほぼ同じサイズのようだ。
「す、凄いっ! これならあのヴァイロ殿が「まるで自分のやる事を知っているかのようだ」と言うのも頷けますっ!」
「フフッ……。それは流石にないわグラリン」
「だ、だからグラリンは……」
ルオラとヴァイロ、この二人の行いが完全に同調していることに驚き声を上げる最高司祭グラリトオーレ。
それを何とも白けた表情で首を振りながら受け流し「グラリン」呼ばわりするルオラである。
「あの偽物の女神が溺れつつも何とか脱出してしまうのではないか、それを考慮した上であのサイズにしただけよ」
「……どちらかと言えばあの彼が摩擦熱で崩れてゆく隕石のサイズをルオラ様の海に合わせたと推察します」
グラリンの指摘にはまるで耳を貸さず、ルオラはヤレヤレといった表情。自分の能力よりもヴァイロの方に呆れている。
レイジが言った推察は、ルオラの考えと一致しているらしい。
ヴァイロが錬成したのか、或いは宇宙の片隅から拾ってきた小石なのか、何れにせよ落下して近づいて来る。
恐らくこの星の重力に引かれ、尋常でない落下速度になっている筈なのだが、スローモーション映像であるかの如く、ゆっくりと迫っているように感じる。
「レグーノ・メンバーラ、女神の名において、その輝きで悪しきものを防ぐ光の幕を『レグ・スクード』!」
慌ててこの詠唱をしたのは、後に戦之女神の称号を約束されているエターナだ。オーロラのような美しい光の幕が何層に渡って、今のエディウスを覆う。
魔法に対する防御幕を張っているのだが、果たして役を成すのだろうか。
―あ、あんな物が地表に落下したらアズールがレアットの酸素を使って紅の爆炎で生じた爆発よりも凄まじいことになる。
―でも、これならルオラさんが作った海が受け止める。対エディウスだけで事が終わるんだ。これ狙ってやってないのだとしたら、凄いっ! まさに奇跡そのものね。
ヴァイロ……というより暗黒神の名前に違わぬ実力に戦慄を覚えるシアン。ルオラとヴァイロの相性に無邪気にはしゃぐニイナ。
(これで本当に終わるのか? エディウス……いや、マーダとかいう輩は?)
シアン自身と加えてトリルの準備《覚悟》。これが杞憂で終わるのならありがたいものだとシアンは心底そう思う。
だが彼女の中にいる思念体のトリルはただ黙っているだけだ。
「グッ!? こ、こんな馬鹿な話があるものかっ! 弟子の仕掛けた罠にこの我が嵌るなどとっ!」
「あーら、私はマーダっていけ好かない男が化けたアンタの弟子になった覚えはなくてよ? ホラッ、御覧なさい。そろそろ蓋が閉じる時間よ」
もうそこまで迫っているヴァイロの隕石。あつらえたとしか思えぬ程に後悔の海と大きさが合致するのが、此処まで近付くと、もう誰の目にも明らかである。
何とか抜け出そうと必死に藻掻くエディウス。竜之牙、転移の翼も試しているが、自らの後悔から生まれた海が、それすら阻む。
(後悔しているだと……この我がっ!? 馬鹿なっ! 有り得んことだっ!)
人間によって勝手に作られた人造人間。そんな者が、本物になるために、ただひたすら能力がある者から次々と搾取して今日に至る。
間違ったことなぞ、何一つした覚えは皆無だ。皆無の筈だ。
「さあ消えてくれエディウスッ! 忌まわしき悪夢と共にッ!!」
此処でようやく天にかざした手を降ろし、それを子供達の敵へと指差し直す。丁度鍋の縁ギリギリの大きさにした落し蓋が、いよいよエディウスを潰しにかかる。
やはりエターナの張り巡らした光の幕は、まるで役目を果たせなかった。
「グッ!? グワァァァァッ!! 神であるこの我がァァァッ!!」
これが遂に何をしても倒せなかったエディウスの断末魔と成り得るのか? バキッ! ボキッ! 潰されて全身の骨が折れている音なのか?
人……と言うには度し難い存在ではあったが、一応麗しき女性の姿をしていた者の最期としては、余りにも無慈悲が過ぎる。
「ひぃぃぃッ!」
「わ、私達はこんな化物じみた者を相手に戦いを挑もうとしていたの!?」
その地獄の絵面に情けない悲鳴を上げる賢士レイジ。その双子の姉である修道騎士レイシャ、豪傑の彼女の顔すら曇らせる。
「スーッ……。ガアァァァッ!!」
その隕石の上に完全燃焼の青き炎を浴びせかけたのは黒き竜である。これがエディウスに対する更なる圧となるかは定かではない。
だがそんなこと彼に取ってはどうでも良いのだ。自分を現界させる力を与えてくれたまだ幼き子供達、彼等、彼女等のことを思えば、こうせずにはいられなかった。
(……消えろッ! お願いだッ、消えてくれッ!)
ヴァイロも自分の影と同じ気持ちだ。エディウスに対する慈悲の心など微塵もない。
後はこれで自分が勝利を手中に収め、アイツ等の死が無駄でなかったことを証明する。自分はそのために生かされている……思い込みの激しい彼は、それを行動にすることでそこに立っていられるのだ。
「見ろ……朝日だぜ……」
主を失ったからなのか、余っていた竜之牙達の動きが停止する。なので彼等を相手取っていたレアットなども、余裕が生まれた。
闇が落した隕石と激突したエディウスの声も音も……生きた証が幕を閉じたかに思えた。新月の暗闇の中で行われた白と黒の惨劇が、その何れも飲み干す陽の火で終演を迎える……。そう誰もが思ったその矢先である。
「ざ、竜之牙……」
蚊細い声である。けれど明らかに見知っているあの声だ。静止していた筈の竜之牙達が、一斉に動き出し、ヴァイロが落した隕石に刃を向ける。
「な……ま、まさか………そ、そんな……」
重力に逆らう力すら失い、落下しようとするヴァイロ。ミリアのように魔法力を完全に失った訳ではないらしいが、かといって次の魔法を装填する力も気力も残ってはいない。
「い、いかんッ!」
自分の主が落ちてゆくのを慌ててすくい上げようと、漆黒の翼を広げて近付いてゆくノヴァン。思えばいつもリンネの指定席であった自分の首元。
そこへ乗せようとした刹那であった。
「竜之牙 レッジスラッシャー。……そして転移の翼」
レッジスラッシャー……かつてヴァイロがエディウスを囲った結界を斬り裂いた技。気がつけば、後悔の海の底を斬り抜いて、ノヴァンの後を付けていた竜之牙と入れ替わる。
最早人の形を成しているとは言い難いエディウスが、握るというより触れているに近い状態の竜之牙でヴァイロの頬をかすめていた。
「…………終わりだ」