第58話 お墓参り⑥ 所長の任期は1日でした
8月15日、朝。
墓地には、まだ涼しい空気が残っていた。
キクは、昨日と同じ墓石の前に供えられていた。
「……おう」
昨日は大変な1日だった。
幽霊が5人も集まり、墓地案内所ができた。
芸能部まで新設された。
しかも、自分は所長らしい。
建物も給料もない。
何を案内するのかも、よくわからない。
「おお! 所長!」
源蔵が現れた。
「……おう」
「おはよう! 今日から本格的に活動するぞ!」
「……昨日も活動してただろ」
「昨日は準備だ!」
「……おう」
源蔵の後ろから、茂吉がふよふよとやってきた。
「おはようさん。わしは何をするんじゃったかのう」
「案内係だ!」
「そうじゃったか」
「昨日、任命しただろう!」
「給料は出るんか?」
「出ん!」
「それは残念じゃのう」
美津代が現れた。
「朝から同じ話をしてるんじゃないよ!」
「何だ! 朝礼中だぞ!」
「朝礼なんか始めたのかい!」
「組織には必要だ!」
「建物もないくせに!」
なつが笑った。
「今日も賑やかだねえ」
少し遅れて、富美子もやってきた。
後ろには小さな女の子がいる。
男の子は富美子の周りをぐるぐる歩き、青年も少し離れてついてきていた。
「あら、みんなおはよう」
女の子は何も言わなかった。
男の子も歩き続けている。
青年は相変わらず、何かをぶつぶつつぶやいていた。
「おお! 芸能部長も来たか!」
「あら、源ちゃん。今日も踊るの?」
「当然だ! 墓地を明るくするんだ!」
「じゃあ、あとでみんなで踊りましょうねえ」
富美子は嬉しそうに笑った。
そのときだった。
墓地の通路から、1人の男性が歩いてきた。
作業着を着て、大きな回収袋を持っている。
「……おう?」
男性は墓石の前で立ち止まった。
花立てをのぞき込む。
「これも片付けるか」
キクは男性を見上げた。
「……おう」
次の瞬間。
ぐいっ。
茎をつかまれ、花立てから引き抜かれた。
「……おう?」
突然、景色が動いた。
墓石が下へ遠ざかる。
久しぶりに身体が移動している。
ただし、自分の意志ではない。
「おい! 何をしている!」
源蔵が叫んだ。
男性には聞こえない。
「所長をどこへ連れていくんだ!」
男性は、ほかの供花もまとめて引き抜いた。
キクの茎が、別の花の茎と押しつけられる。
「ちょっと! その花は所長なんだよ!」
美津代も叫んだ。
「……おう」
キクは返事をした。
男性は気にせず、回収袋を広げた。
袋の中には、すでに大量の花が入っていた。
茶色くなった菊。
しおれたリンドウ。
折れた茎。
水を失った葉。
「……おう」
キクは袋の中を見た。
嫌な予感がした。
「待て! 所長はまだ仕事をしていないぞ!」
源蔵が男性の前に回り込んだ。
男性は、その身体をすり抜けた。
「おおっ!?」
「幽霊なんだから当たり前だろう!」
美津代が叫んだ。
男性が腕を上げた。
キクの身体が袋の上に運ばれる。
「……おう」
どさっ。
キクは、ほかの花の上に落とされた。
花びらが押しつぶされる。
茎が曲がる。
「……おうっ」
上から、さらに別の花が投げ込まれた。
ぐしゃっ。
キクの花に重みがかかった。
「所長ー!」
源蔵の声がした。
「ちょっと! もっと丁寧に扱いな!」
美津代が叫んでいる。
「キクちゃん、大丈夫かい?」
なつの声も聞こえた。
「……おう」
キクは答えた。
だが、幽霊たちの声にかき消され、誰にも聞こえなかった。
茂吉も袋のそばへやってきた。
「おや、キクはどこへ行くんじゃ?」
「捨てられるんだよ!」
「そうか。いつ戻ってくるんじゃ?」
「……戻ってこないかもしれないんだよ」
美津代の声が小さくなった。
「そうか……寂しくなるのう」
茂吉は、袋をじっと見つめた。
富美子も袋のそばへ近づいた。
「あら……キクちゃん」
その後ろには、女の子が立っていた。
男の子は袋の周りをぐるぐる歩いている。
青年も少し離れたところに浮かんでいた。
「……まだ、元気なのにねえ」
富美子は、袋の中のキクを見つめた。
やがて、静かに両手を広げた。
「……せめて、お見送りをしましょうねえ」
ふわり。
富美子の肩に、白い薄衣が現れた。
墓石から、静かな笛の音が流れ始めた。
富美子は回収袋に向かって、ゆっくりと舞った。
昨日のような賑やかな踊りではなかった。
大きく腕を振ることも、楽しそうに笑うこともない。
ただ、静かに手を動かし、足を運んでいた。
源蔵たちも黙って見つめていた。
袋の中で、キクは耳を澄ませた。
「……おう」
聞き覚えのない、静かな曲だった。
それが自分を送るための音楽だとは、キクは知らなかった。
男性が袋の口をつかんだ。
ぎゅっ。
光が細くなった。
「おい! 所長!」
源蔵が叫んだ。
「明日も朝礼があるんだぞ!」
「こんなときまで朝礼の話かい!」
美津代の声が響いた。
キクは、少しだけ笑いたくなった。
「……おう」
袋の口が閉じられた。
真っ暗になった。
男性が袋を持ち上げる。
花と花が押し合い、キクの茎がさらに曲がった。
花びらが1枚、離れた。
痛い、のかもしれない。
だが、声を出しても誰にも届かない。
袋が揺れる。
どこかへ運ばれていく。
笛の音が、少しずつ遠ざかっていった。
やがて、幽霊たちの声も聞こえなくなった。
「……おう」
キクは暗闇の中で考えた。
昨日、富美子は踊っていた。
源蔵は勝手に役職を作った。
茂吉は何度も仕事を忘れた。
美津代はずっと怒っていた。
なつは笑っていた。
あの3人も、少しだけ変わった。
明日も、同じように会えると思っていた。
だが、もう会えないかもしれない。
「……おう」
ふと、キクは思った。
あいつらは、みんな死んでいる。
だったら、自分も死ねば、幽霊になれるのだろうか。
そうすれば、また墓地へ戻れる。
源蔵に文句を言われながら、朝礼に参加できる。
富美子の踊りも見られる。
茂吉は、また自分の役職を忘れているだろう。
「……おう」
悪くない。
だが、キクは気づいた。
墓地で会った幽霊は、全員人間だった。
花の幽霊には、1度も会っていない。
花が枯れたら、どうなるのだろう。
キクにはわからなかった。
袋が地面に下ろされた。
どさっ。
また身体が押しつぶされた。
遠くで車のエンジンがかかった。
袋が持ち上げられる。
投げ込まれる。
その衝撃で、茎が折れた。
「……おうっ」
キクは、もう何も見えなかった。
花屋で出会った者たちとも。
墓地で出会った者たちとも。
別れるときは、いつも突然だった。
人間なら、また会う約束ができる。
けれど、花にはそれができない。
次に会えるかどうかを決めるのは、いつも人間だった。
「……おう」
墓地案内所長。
就任翌日。
回収された。
そして、処分された。
——まだ、咲いていたいのに。




