第30話 三本立ちは標準です
暗い。
狭い。
揺れる。
「いつまで余を閉じ込めておくつもりだ」
返事はない。
「聞こえておるのか」
さらに揺れた。
「出せ」
やがて、止まった。
箱が持ち上げられる。
「ようやくか」
上から光が差し込んだ。
箱が開く。
「遅い。なんたる無礼だ」
胡蝶蘭が箱から取り出された。
肉厚で丸みのある白い大輪が、三本の花茎に連なっている。
花茎は支柱に沿って美しい弧を描き、鉢には幾重にも豪華なラッピングが施されていた。
祝い札まで添えられている。
背の高い、立派な三本立ちの胡蝶蘭だった。
そのまま広い工場の受付付近へ運ばれていく。
「…………」
白。
黄色。
ピンク。
赤いリップ。
また白。
大輪の胡蝶蘭が並んでいた。
一鉢。
二鉢。
十鉢。
二十鉢。
三十鉢。
まだある。
受付の右にも。
左にも。
奥の会議室にも、一時置き場として胡蝶蘭が集められている。
四十鉢。
五十鉢。
「…………」
キヌ ホワイトエンペラーが、その中へ置かれた。
隣にも、大輪の白い胡蝶蘭がいた。
三本の花茎。
端正に並んだ白い花。
豪華なラッピング。
キヌ ホワイトエンペラーの方が背は高く、花もふっくらと大きい。
だが、どちらも三本立ちだった。
「…………」
「…………」
「そなたは」
「ソゴ・ユキディアン、V3」
「余はキヌ ホワイトエンペラー」
「…………」
「…………」
「高級ティッシュみたいな名前だな」
「胡蝶蘭である」
「キヌ」
「ホワイトエンペラーまでが名だ」
「俺はV3でいい」
「では余は皇帝でよい」
「キヌでいいだろ」
「なぜだ」
V3も三本立ちだった。
「そなたは定番品種であろう」
「そうだな」
「余は特別な品種である」
「そうだな」
「花も大きい」
「そうだな」
「背も高い」
「そうだな」
「…………」
「背、高いな」
「それだけではない」
少し離れたところに、五本立ちの胡蝶蘭があった。
三本立ちより花茎が多く、正面から見た花の広がりも大きい。
その向こうには七本立ち。
さらに奥には、ひときわ幅を取る十本立ち。
「…………」
「キヌ」
「皇帝だ」
「五本立ち」
「見えておる」
「七本立ち」
「見えておる」
「十本立ち」
「現実を逐一報告するな」
V3もキヌ ホワイトエンペラーも、三本立ちだった。
「ここじゃ三本立ちが標準だな」
「余は最高級品種である」
「俺も、それなりに名の通った品種だぞ」
「それなりであろう」
「まあな」
白の大輪。
黄色の大輪。
ピンク。
赤リップ。
三本立ち。
五本立ち。
七本立ち。
十本立ち。
五十鉢もの胡蝶蘭が、祝い札を掲げて並んでいた。
「そなたは、なぜそれほど平然としておる」
「何が」
「これだけの胡蝶蘭だ」
「俺がいたところも、こんな感じだったぞ」
「…………」
「三本立ちも五本立ちもいた。もっと大きいのもいた」
「そなたは市場へ行かなかったのか」
「行ってない。仕立てられて、そのまま出た」
「…………」
「キヌは?」
「市場へ出た」
「へえ」
「余を求める者は多かった」
「へえ」
「競りにかけられた」
「それで?」
「選ばれた」
「それでそういう性格になったのか」
「元から皇帝である」
V3は黙った。
キヌ ホワイトエンペラーも黙った。
育った場所には、どちらも多くの胡蝶蘭がいた。
その先が違った。
片方は、胡蝶蘭が並ぶ場所から、そのまま送り出された。
片方は、市場へ出て、値をつけられ、求められ、選ばれた。
そして今。
再び、胡蝶蘭だらけの場所にいる。
「まあ、ここじゃ三本立ちは普通だな」
「普通」
「贈答用じゃ定番だろ」
「余が?」
「俺も」
キヌ ホワイトエンペラーは黙った。
「そなたと余は違う」
「そうだな」
「余は特別である」
「そうだな」
「では、なぜ同じ三本立ちなのだ」
「仕立てが三本だからな」
沈黙した。
「余は皇帝である」
「名前はな」
「名前だけではない」
「俺もV3だぞ」
「…………」
少し、間があった。
「五本立ちは」
「三本立ちより上だな」
「七本立ちは」
「もっと上」
「十本立ちは」
「かなり上」
キヌ ホワイトエンペラーは黙った。
V3も黙った。
二鉢並んで、三本立ちだった。
「…………」
「…………」
「ここでは我らは何になる」
「三本立ち」
「身分の話をしている」
「男爵くらいじゃないか」
「低すぎる」
「五本立ちが子爵」
「…………」
「七本立ちが伯爵」
「…………」
「十本立ちなら侯爵」
「待て」
V3は続けた。
「二十本立ちもある」
「見たのか」
「見たことはある」
「…………」
「三十本立ちもあるらしい」
「見たことは」
「ない」
「五十本立ちは」
「話だけだな」
沈黙した。
見たこともない胡蝶蘭たちによって、身分制度だけが上へ伸びていった。
「二十本立ちは公爵だな」
「三十本立ちは」
「王じゃないか」
「五十本立ちは」
「皇帝」
キヌ ホワイトエンペラーは黙った。
「…………」
「キヌ男爵」
「呼ぶな」
「皇帝はもっと上にいるらしいぞ」
「見たこともないではないか」
「でもいるんだろ」
「余は認めぬ」
キヌ ホワイトエンペラーは、もう一度周囲を見た。
五十鉢もの胡蝶蘭。
どれも祝いのために仕立てられ、飾られ、ここへ集められている。
「余は最高級品種として生まれた」
「俺も、定番としては相当なものだぞ」
「大輪である」
「俺も」
「花も整っておる」
「俺も」
「背は余の方が高い」
「そうだな」
「…………」
「…………」
「なぜ余は男爵なのだ」
「ここ、そういうのばっかりだからじゃないか」
キヌ ホワイトエンペラーは黙った。
生まれは悪くない。
むしろ、かなり良かった。
だからここへ来た。
「…………」
「V3」
「なんだ」
「ここはどこだ」
「工場」
「なぜ余が工場にいる」
「贈られてきたから」
「…………」
「移転祝い」
「…………」
「俺もそうだ」
「なぜそなたは知っておる」
「俺は注文が入ったときから、出荷まで生産者のところにいたからな」
「…………」
「移転祝いだって、そこで聞いた」
「余は市場から花屋へ行った」
「そう言ってたな」
「気づけば包まれ、箱に入れられておった」
「そりゃ知らんわな」
「余は何も聞いておらぬ」
「知らなくても、仕事は決まるからな」
キヌ ホワイトエンペラーは黙った。
「余は贈られたのか」
「そうだろ」
「箱に入れられた」
「商品だからな」
「暗かった」
「箱だからな」
「揺れた」
「運ばれてきたからな」
「なんたる扱いだ」
「商品だからな」
少し、間があった。
「先に言え」
「俺に言うな」
受付の胡蝶蘭は次々と並べられ、祝い札の向きが整えられていく。
一部は会議室から運び出され、受付へ移された。
また別の一鉢が、入口の脇へ置かれた。
「ずいぶん動くな」
「置き場所を決めてるんだろ」
キヌ ホワイトエンペラーは、整然と並ぶ胡蝶蘭を見た。
「V3」
「なんだ」
「胡蝶蘭の花言葉を知っておるか」
「幸福が飛んでくる」
「そうだ」
キヌ ホワイトエンペラーは、わずかに機嫌を直した。
「なるほど」
「何がだ」
「余にも、ようやく幸福が飛んでくるということか」
「もう来てるだろ」
「どこにだ」
「俺たち」
「…………」
キヌ ホワイトエンペラーはV3を見た。
「我らが?」
「胡蝶蘭だろ」
「…………」
「移転祝いだろ」
「…………」
箱。
暗闇。
揺れ。
工場。
五十鉢もの胡蝶蘭。
すべてがつながった。
「余は」
「うん」
「幸福として送られたのか」
「そういうことじゃないか」
長い沈黙があった。
「余が幸福を受け取るのではなく」
「うん」
「余が届ける側なのか」
「仕事だからな」
キヌ ホワイトエンペラーは黙った。
「V3」
「なんだ」
「余の幸福は?」
「知らん」
会議室から一鉢の胡蝶蘭が運ばれてきた。
受付の列に加えられる。
「幸福が飛んできたぞ」
「配置だ」
もう一鉢。
「また飛んできた」
「配置だ」
七本立ちが、受付の中央へ置かれた。
「伯爵まで飛んできた」
「まだやるのか、その制度」
人の手によって、祝いの胡蝶蘭は所定の位置へ整えられていく。
「V3」
「なんだ」
「幸福が飛んでくる、だったな」
「そうだな」
「飛んできた、ではない」
「そうだな」
そのとき、V3の鉢が持ち上げられた。
受付の反対側へ運ばれていく。
「…………」
「俺も移動らしい」
「V3」
「なんだ」
「そなたの幸福が飛んでいくぞ」
「俺自身だろ」
V3が離れていく。
「ではな、キヌ男爵」
「余は皇帝である」
V3は受付の向こう側へ置かれた。
「…………」
やがて、キヌ ホワイトエンペラーの鉢も持ち上げられた。
「待て」
止まらない。
「余はまだ幸福を受け取っておらぬ」
止まらない。
「聞こえておるのか」
豪華なラッピングをまとった三本立ちの胡蝶蘭は、受付の一角へ運ばれた。
最高級品種。
大輪。
市場で求められ、選ばれた胡蝶蘭。
本日の仕事は、幸福を届けることだった。
本人の幸福については、確認されていない。




