第一章 再配達の夜 第一話 不在票の夜
# 第一章
## 再配達の夜
### 第一話 不在票の夜
帰ってきた部屋は、今日も静かだった。
佐伯玲司は、ポストから抜き取った郵便物を片手で適当にめくる。
チラシ。
保険会社からの案内。
見慣れた封筒。
その中に、一枚だけ白い紙が混じっていた。
不在票。
玲司は、小さく息を吐いた。
「またか……」
思わず漏れた声は、誰もいない廊下へ静かに落ちる。
届けられていたのは、ネットで頼んだ入浴剤と靴下だった。
たったそれだけ。
急ぎの荷物でもない。
それなのに。
受け取れなかったことが、妙に疲れた心へ刺さった。
今日も仕事に追われて終わった。
今日も、自分の生活を後回しにした。
そんな気がした。
部屋へ入る。
冷蔵庫の低い音だけが響いていた。
ソファには畳んでいない洗濯物。
テーブルには飲みかけのペットボトル。
電気をつけても、部屋の空気はどこか冷たい。
玲司はネクタイを緩めながら、不在票を見つめた。
再配達。
一番遅い時間帯を選ぶ。
どうせ明日も残業になる。
それでも、今日はちゃんと受け取りたかった。
スマホの画面を閉じる。
静かな部屋。
誰かと話したい気もする。
でも、人と深く関わるのは少し疲れる。
そんな中途半端な気持ちのまま、玲司はソファへ身体を沈めた。
翌日。
仕事は、思った通り長引いた。
帰れると思った瞬間に電話が鳴り、資料を直し、上司に呼ばれる。
時計を見るたび、胸の奥が少しだけ焦る。
荷物を受け取るだけなのに。
自分でも、少し可笑しかった。
マンションへ着いたのは、指定時間の少し前だった。
エレベーターを降りた瞬間、インターホンが鳴る。
玲司の心臓が、小さく跳ねた。
「はい」
モニターの向こうに、配達員が映っていた。
黒い髪。
少し日に焼けた肌。
疲れているはずなのに、どこか柔らかい目。
「お荷物です」
落ち着いた声だった。
玲司は急いで玄関を開ける。
「すみません、昨日受け取れなくて」
「いえ。お仕事、お疲れさまです」
その一言に。
玲司は、少しだけ動きを止めた。
ただの挨拶かもしれない。
毎日、何人にも言っている言葉かもしれない。
それでも。
今日の玲司には、その声が妙に優しかった。
「……ありがとうございます」
小さく返す。
端末へサインをしながら、玲司はふと名札を見る。
藤堂。
そう書かれていた。
荷物を渡し終えた藤堂は、軽く会釈する。
「では、失礼します」
そのまま帰っていくはずだった。
なのに。
玲司は、気づけば声をかけていた。
「あの」
藤堂が振り返る。
「はい?」
「……いつも、この辺担当なんですか」
聞いたあとで、少し後悔した。
何を聞いているんだろう。
藤堂は、一瞬だけ目を丸くする。
それから、小さく笑った。
「だいたい、この辺ですね」
「そうなんですね」
「はい。また伺います」
また。
その言葉が、妙に胸へ残る。
藤堂が階段を降りていく。
足音だけが、少しずつ遠ざかっていった。
玄関を閉めたあとも、玲司はしばらく動けなかった。
手元には、受け取った荷物。
でも。
胸の奥に残っているのは、段ボールの重さじゃなかった。
お疲れさまです。
その声だけが、静かな部屋の中で何度も思い出される。
夜。
玲司は入浴剤を開ける気にもなれず、ベッドへ倒れ込んだ。
なんとなくスマホを開く。
通知は少ない。
仕事関係ばかり。
少しだけ寂しくなって、玲司はマッチングアプリを開いた。
誰かと話したい。
でも、深く関わるのは怖い。
そんな夜だった。
画面をぼんやり流していると、指が止まる。
横顔の写真。
黒い髪。
少し日に焼けた肌。
見覚えのある目元。
名前は、みなと。
玲司は、ゆっくり息を止めた。
まさか。
そんな偶然、あるわけない。
でも。
画面の中の笑った横顔は、昼間の配達員によく似ていた。
部屋の中は静かだった。
冷蔵庫の音だけが響いている。
玲司はスマホを握ったまま、しばらく動けなかった。
荷物は受け取れた。
でも。
胸へ届いたものの受け取り方は、まだわからなかった。




