豪雨に遭う
駅舎の階段を上り、改札のところまで来て、私ははたと気がついた。あとのふたりはここで降りなければならないけれど、私は別にいいのではないか。
「先に行ってるよ」
私は、既に自動改札を出ようとしている同僚たちに、声をかけた。
「あ、それなら」
一人が手を差し出したので、私は手に持った書類を手渡した。それさえ渡せば、私はここに寄る用事はなかったのだ。私の最寄駅は、本来ひと駅先であって、ここで降りると二度手間になるのだった。同僚たちはこの駅で降りて、本社でなにか用事があり、そのあと恐らく車で私の事務所にやってくる予定になっていた。
「鍵を開けておくわ」
それから掃除とか準備とか、早く行ってやっておきたいことがあった。
私はフォームに降りて、次の列車に乗った。本来はもうひとつ前ので行けたのだ。それだけでも無駄だった。
雨が降ってきた。目的の駅に到着してドアが開いた途端、からだに雨が吹き付けた。フォームに出て歩きながら、屋根はどうなってるのかと思って見上げたけれど、ちゃんとあって、普通なら雨は吹き込まないはずだった。それなのにこんなことになっているのは、高い屋根との隙間から横殴りに雨が降り込んでいるからだった。それほど強い雨だった。私はなるべく濡れないように、反対側の端を歩こうとしたけれど、それでも濡れないわけには行かなかったし、発車しようとしていた列車にぶつかりそうで危なかった。
階段のところに来ると、半分ほど降りたところに、ヘルメットをかぶった係員らしき姿が五六名いた。現在は何をするでもない様子だったが、何やら緊急事態を思わせた。さらに下の方を見ると、水が通路いっぱいに浸水していて、通行不能に陥っているのだった。
私は引き返さざるを得なかった。同じように駅を出られなくなって何十人もの乗客が屯していた。だがふと横を見ると、線路の横に外に出れそうな柵の隙間があった。あそこから出れないかと私は考えたけれど、そう考えたのは私だけではなかったようだ。
何人かの乗客たちが整然とその隙間から外に出ていった。すぐ近くに駅員の姿もあったけれど、特に文句をいうふうではなかった。切符などはどうしているのだろうと考えたら、それをチェックしている姿が目に入った。でもそれは駅員などではなく、明らかに単なる乗客の一人だった。
「あ、私も」
目があったのでそう問いかけると、その人物は壁の時計を見上げて答えた。
「間に合うか」
そして促されるままにポケットの名刺入れから、定期券を取り出そうとした。ところが最初に取り出したのは以前使っていた別の区間のもので、そんなこんなでようやく正規のものを取り出したときは、もう時間切れになっていた。
「十二分後にもう一度やります」
その前に写真を撮るのだ。定期券を掲げ持ちそれをジッと見つめる。すると私の瞳の影が反射して映り込む。それをその乗客が携帯電話で写真に撮って後から証拠として提出するという段取りのようだった。
役所の階段を上がっていくと、踊り場の手すりのところから現れた人影に声をかけられた。
「こっちです」
元々きょう会うはずではあったけれど、ここではなく上の執務室でのはずだった。しかしこんなところで呼び止められたのは、何やら秘密の雰囲気があった。同じように階段を上っていた姿が見えなくなるのを見計らって、手にした書類を見せてくれた。
それは、今季限りでやめることになっている長官の書いた報告書だった。長官は、海外でも評価の高い小説家でもあったが、これまではきちんとした報告書を上げていたはずだ。しかし今回のは文学性の高い、前衛定期なスタイルの報告書になっているのだった。ざあっと目を通した私は言った。
「大傑作じゃないか」
私が笑うと、笑い事ではないとでも言いたげに睨みつけてきた。
「最後のところを見てください」
そこにはサンクストゥとして何人もの名前が挙げられていて、そのなかに「タイムキーパー」として私の名前も書かれていた。
「私の名前が無いんです」
「まだ昨日のことだから、間に合わなかったんだろう」
その後輩を長官に助手として推薦したのは私だった。
「それに最も重要だから、特に秘匿する必要があるのかもしれない」
きっとそうだろうと気がついた。あるいは後任として考えているのかもしれなかった。