2話:失われた四日
「あっこれがいい!」
ミミは盗賊の倉庫で自分好みの衣服を見つけたようだ。
キュロットを履き、オレンジ色のシャツを着る。
どこか胸が窮屈そうだが、あえて触れない。
俺は、魔法袋と鉄棍を〈錨〉で二枠に固定済みだ。死んでも手放さないよう、命のスロットに縫い付けてある。
あとは、有用そうな物を片っ端から収納していく。
命の器は五つある。
一つは俺自身。二つは控えの命。
残りの二つは錨――魔法袋と鉄棍〈回帰〉で埋まっている。
外せば死ぬわけじゃない。ただ、外せば“枠”が空く。
けど、どれかが壊れれば、隙ができる。死ぬのは、たいていそういう瞬間だ。
銀貨束×3。祈祷油×1(火口にひと垂らしで灯る)。同種は音もなく自動で重なり、上限は100。
回復薬は使わない。けど、店に流せる。――念のため拾っておくか。
待てよ――ミミは使うだろうな。
幸い、命は四日と二十三時間。予備も二日。
枠は一つ――保険で空けておく。
うまくいけば、今日は眠れる。……少しは、な。
それにしても困った。
俺もミミも、界印持ちだ。どうしたって門で光っちまう。
となると、いつもの裏ルートでくぐり抜けるより他になさそうだ。
金を握らせれば町の奴らはどうにでもなる。
あとは金目の物だ。頭の部屋だな。
「ミミ、この盗賊の頭の部屋に行ってくるが、いくか?」
「ここを漁りたいなら好きにしろ。魔法袋があるだろ?」
「見つけちゃった! これ100個も入る! もう少しお宝探しする〜」
ミミは嬉しそうに続けた。
「そうだ、さっき“同郷”って言ったけど、私の“同郷”は“同じ界(世界)”って意味ね」
「……別の“日本”が、もう一つ?」
「うん。帝都エドがあって、支払いは符札の日本」
「なるほど。“同郷”じゃなく“同界”か」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かがひやりと割れた。
日本という世界が一つじゃない。――それが、この旅の前提なんだろう。
――単語一つで世界が割れた気がした。
日本という世界が複数存在するってことは……。
それにしてもさっきと変わって現金な奴だ。でも、それは正解だな。
強い者が総取りの世界だ。弱い奴は肉でしかない。
俺はそれを強く理解しているつもりだ。もちろんミミもそうだろう。
「行ってくる」
「うん!」
俺は踵を返し、頭の部屋に向かう。
倉庫部屋からそれほど離れているわけでもなく、道なりに行った奥にあった。
主はもう倒した。血は、まだ温い。
……排便したあとのクソよりも――どうでもいい。
通路に転がるのは、食い損ねた頭の首だ。
大きめの机と椅子。その背後に金庫らしき金属製に見える扉がある。
罠で即死しても、予備で2日分ストックがあるから即時蘇生はできる。
ただそれをすると残り4日分が全て消えるのは痛い。
そうならないように、慎重に開けていく。
どういうわけか、すでに扉は開かれていた。
扉の縁は煤け、火薬糸の焼け跡がまだぬるい。
棚には祈祷油の甘い匂いが濃い。ほんの今しがた触られた痕がある。
「なんだ? 罠か? いや違う。持ち出そうとして間に合わなかったのか?」
盗られたというより、慌てて取り出した跡だ。
腕を突っ込んだ幅だけ、隙間が残っている。
途中まで出していたのは小箱だ。
なんだこれは?
慎重に開くとその中には、一枚の紙切れが残っていた。
メモなのか?
『延命式』とあるが、俺が倉庫で見つけたのとはまた違う。
金庫に入れるほど大事な物なのか? いや、そうじゃないな。
これは、アプローチの仕方が異なるだけかもしれない。
内容からして、どちらも目的は命を伸ばす。それに尽きる。
端に小さく走り書き――「灰鳴:界印持ち/界籍なし受け入れ」。
……人買いが、なんでこんな情報を? 誰に向けたメモだ。
……印商か。界籍ブローカーが流す情報にしては生臭い。
灰鳴――受け入れの町。人買いが知ってる時点で、裏口の匂いがするし、抜け道もあるだろう。
折って懐へ滑らせる。
ひとまず、金庫の中身を全て収めて、この場を後にする。
金貨袋×5、無刻印の指輪×1。高くはないが、足しにはなる。
今は必要な物を手に入れたなら、後は脱出が最優先だ。
血が逆流するような寒気が走った。
皮膚の内側を氷の針が這う。――嫌な予感だ。
なんだ! この感覚は。
ミミのいた倉庫へ急ぐ。
「ね、なんか変」
怯えてうずくまる姿は、先ほどとはまるで違う。
「お前も感じるか? 急ごう。荷物はもったか?」
「うん。たぶん、大丈夫」
扉は半開きのままにしておく。退路は塞がない。
ミミが俺と自分の足首に指を走らせ、囁く。
「――遮音」
“足音を食う”式
石に触れる音だけが布に吸われたみたいに消えた。
衣擦れも息も、わずかに残る。
「歩くぶんだけ。走ると――たぶん切れる。試してないけど」
「十分だ」
靴底が砂を踏む音が消える。代わりに、心臓の鼓動だけがやけに大きい。
正面の出口へ。冷気が一枚、顔に貼りつく。見当たらない――はず、だ。
なんだ。反対側の出口か。
大丈夫、と自分に言い聞かせ――外へ一歩、踏み出した。
ミミはおっかなびっくり、つま先だけを前に出す。
視界がきしむ。光がそこだけ滑り、空気の膜が揺れる。
岩肌の線が折れて見えた。三メートル級の“何か”。
「気をつけて! 何かいるよ!」
ドンッ!
何かがぶつかってきた。
「悠斗!」
ミミの声が遠くに聞こえる。
腹に衝撃と焼かれる熱さと苦しさ、さらに声にならない激痛が一気に襲う。
「何っ! グハッ!」
腹に何かが刺さり、どっと血を吐き出した。
視界が真っ赤に染まる。警鐘みたいな表示が頭上で点滅した。
【致命傷:発生】
【結線:状態全快/前稼働 余命破棄】
(予備の〈2日〉をアクティブへ。起動誤差で1分ロス)
結線で痛みは消える。代わりに、残りが減る音だけが残る。
せっかくの四日と二十三時間、丸ごと灰にしたわけだ。
くそっ! ……やってらんねぇ。
結局また、戦闘しながらやりくりだな。まるで命の貯金箱を割ってる気分だぜ。本当によう。
治ったはずの腹が、鼓動のたびに低く疼く。
指先がわずかに震え、足裏の温度が落ちていく。
四日分の熱が、あばらの隙間から風になって抜けた。
腹に開いた大穴も損壊した内臓も全て修復した。
代わりに、俺の貴重な4日間の寿命を全て丸ごと燃やした。これが代償だ。
焼けた鉄の味が喉に広がり、四日分の命が煙のように消えた。
【稼働残:1日23時間59分0秒|予備①:なし|予備②:なし|錨:魔法袋〈最大収納数100〉|錨:鉄棍〈回帰〉】
(器は五枠。いまは〈稼働1〉〈予備2〉〈錨2〉で満杯:魔法袋/鉄棍)
〈思考加速〉。世界が灰色に染まる。
この時、はっきりと見えた。
目の前にいる奴は、屈折膜……光を屈折させて姿を隠す、“透明獣”系の魔獣か。
それをまとった巨大な――一角のクマだ。
ゆっくりと動くこの世界で、駆け寄って跳び、上から叩き込む。
顎が外れるほど開き、頭蓋に噛みつく。骨が裂ける――引き剝がす。
他にもこの手の屈折膜を使う奴に出くわしたら、今度こそ本当に死ぬ。
頭を食われたクマの魔獣は、この時間の中でも動き続ける。
〈解除〉
【返還:+十数秒】
クマは首から盛大に血を吹き、うつ伏せに倒れる。
相当な重さだ。生肉をまな板に叩きつけたみたいな音があたりに広がった。
……吐き気がした。けど、慣れてる自分のほうがもっと怖い。
「ねぇ、大丈夫なの?」
「ああ、その代わりストックがない。移動しながら作る」
「作る?」
「言っただろ? 俺はすでに死んでいると。だから偽命を作って秒単位で生きながらえているってわけだ」
ミミは目を見開くと、とたんに伏し目になり苦しそうに言った。
「他にも作れるの?」
「いや、俺専用の偽命だけだな」
ミミの瞳が揺れた。見なきゃよかった。
「途中で倒れたりしないの?」
「少なくとも町までは大丈夫だ。安心しろ」
「町? 私たち界印あるから入れないし、界籍がないから宿泊できないよ?」
「それも大丈夫だ。方法はある」
俺は、今拠点にしている町へミミを連れて向かった。
夜明け前の鐘が三つ。門前の荷車列が動き始める。
俺の右手の界印が、わずかに青く滲んだ。
今は拠点の町と命を貯める。灰鳴はそのあとだ。
どうせまた、命を削る羽目になるんだろうけどな。




