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終極限界のクレアツィオーネ  作者: 立花詩歌
第一章『チェインド・ドラゴン』
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第二十九理― <黒鳩>それは伯爵と名乗った

「っ……!」


 謎の声がその場に響いた次の瞬間、エステルさんの動きが止まったのを好機と見たのか、最初にエステルさんから逃げる時にも見せた跳躍力を発揮して、ルーリャが後ろに跳んだ。


「わわっ……!?」


 突然足が地面から離れたのに驚き、抱えていた『呪術書(クレア)』を取り落としそうになった。それを何とか持ち直しつつも、ボクの両肩に絡みついたルーリャの触手二本を意識してバランスを整える。

 その時、同時についさっき過(よぎ)った疑問の答えに気付いた。

 鋭い、掠(かす)るだけでもどうなるか容易に想像できる竜の爪の一撃。結果的には予期していなかった異変で回避された訳だけど、ルーリャはその直前まで避けようとはしなかった。もとい、しなかったのではなく、できなかったのだ。何故なら、ルーリャの後ろにはボクがいたのだから。

 つまり特失課という組織の性質上、その一員であるルーリャの立場上、一般人(ボク)を危険に晒してまで避ける訳にはいかなかったのだ。

 ボクがまだ、自分で自分の身を守ることすらできないから――。


「まったく――」


 十メートルほどエステルさんから離れた場所に下ろされながらも、ボクが人知れず無力を痛感していた時、まるで地下深くから不自然に響いてくるようなその声が再び場の空気をがらりと切り換えてしまう。


「――仕事が終わり次第すぐに帰って来いと我が輩が直々に言ってやったものをその程度のことが何故できない、愚図が」


 聞こえてきたのは静かな罵声。

 怒声ではない、呆(あき)れと諦(あきら)め、嘲(あざけ)りと蔑(さげす)みの混じった、完全に見下しているような声だった。

 その不気味な声の出所を探そうと辺りを見回し、最後にふと上を振り仰ぐと――


「ルーリャちゃん、上!」


 ――そこにそ(・)れ(・)がいた。

 三十センチぐらいの大きさの真っ黒い鳥が、エステルさんの十メートルほど頭上に滞空し、ぼんやりと赤い光を放つ目でボクらを見下ろしていたのだ。

 でも、それを見た瞬間に違和感を覚えた。

 その鳥の身体と同じく真っ黒の翼は滞空するために忙(せわ)しなく動いているのに、羽搏(はばた)き音がまったく聞こえてこない。違和感以上に不自然だった。


「カラス……ですの?」

「ルー公、アレはカラスじゃないよ」


 思ったより近くでした声に振り返ると、いつのまにか数メートル離れた位置まで近付いていたミルアがその鳥をジッと見上げていた。見上げていたといっても、その目はゴーグルのような機械で完全に覆われていて、頭の上では猫の耳を模したような形の機械が一定の周期でピコピコと上下に揺れている。


「何ですの、それ……?」

「確かに一見カラスに見えるけど、外形計測だけならColumba(コルムバ) Oenas(オエナス)――つまり脊索動物門脊椎動物亜門鳥綱ハト目ハト科カワラバト属のヒメモリバトで完全一致してる」


 訝(いぶか)るような声色で訊ねるルーリャをスルーしたミルアの声は、ついさっきまでの息も吐(つ)けないような戦闘中でも崩れなかった余裕が消え失せていた。

 ミルアの隣では、ラウラもその鳥を見上げて呆然としている。


「鳩《はと》ですの……? でもどう見たって――」


 そこで一拍言葉を切ったルーリャはミルアに向けていた視線を上の黒い鳩に向け、ミルアはルーリャの言葉に応じるように「うん――」と呟いた。

 そして、


「「――マ(・)ト(・)モ(・)じ(・)ゃ(・)な(・)い(・)」ですの」


 二人の声が語尾を除いて完全に重なると、それに反応したように黒い鳩の頭が――赤く光る目がルーリャとミルアの方に向けられる。

 そして不気味に赤く光る目がわずかな時間ボクの方に揺れた――――瞬間、ぞわりと肌が粟立つ悪寒と共に、黒いということを差し置いても鳩じゃないと直感で確信できる絶大な違和感を覚えた。と同時に気が逸れたせいか、抱えていた『クレア』を思わず取り落とした。

 が、『クレア』はボクの手から離れる寸前に一瞬浮かび、咄嗟(とっさ)に取ろうとしたボクの腕の中にひとりでに戻ってくる。

 その時、黒い鳩の赤い目が、一際強い光を発した――――気がした。


「四人……否(いな)、五人か。しかし、これは面白い。我が同胞の忘れ形見とこのような辺境の島国で見(まみ)えるとは――――ククハハハハハハッ!」


 やっぱりあの黒い鳩が喋ってる……!

 黒い鳩が突然けたたましい笑い声を上げ始めた瞬間、それを凝視していたラウラの肩がびくんと跳ね、大きく見開かれた目の瞳孔が――――視線を定められないというように揺れ始める。


「お前は何者ですのッ!」


 ラウラの異変に気付いたルーリャから鋭い声が飛ぶ。

 すると黒い鳩は笑うのをぴたりと止め、


「ごきげんよう、可愛らしいお嬢さん。私(・)に何か御用ですかな?」

「ふざけるなですの」


 語気をさらに強めたルーリャの威嚇するような声に一瞬「クク……」と笑いを堪えるような声を漏らした黒い鳩は、突然ぎゅるんとねじれるように黒い謎の渦に変化し、次の瞬間には黒い人影が自由落下には程遠い挙動でスーッと降りてきた。


「だ、誰……?」


 その黒い人影は黒の礼服に長身痩躯を包んだ、精悍な顔つきの男だった。頭には服に合わせた中折れのある帽子を被り、手には白い薄手袋を着け、艶やかな光沢を放つ黒のステッキを右手に持っている。

 しかし、その紳士然とした服装にそぐわない人を見下すような冷たい目をエステルさんに向けると、呆然とするエステルさんの後ろに音もなく降り立つ。


「貴様はこの程度の連中に時間稼ぎをされる程度というわけだ、シェーヌ。いや、一人かけ離れた――欠(・)け(・)外(・)れ(・)た(・)者(・)がいるようだが、しかし実力が出せなければそれも無意味。どうやら貴様は思っていた以上に期待外れの役立たずのようだな」


 鼻で笑う。

 エステルさんを詰(なじ)りながら、同時にボクたちを――特に実際に戦っていたルーリャちゃんやラウラ、ミルアを貶(おとし)めるように嘲笑(ちょうしょう)する。


「私は……そんな名前じゃ……」


 震える声でエステルさんがそう呟くと、男はぴくりと一瞬眉を引き攣(つ)らせた。


「誰が口答えを許した、シ(・)ェ(・)ー(・)ヌ(・)」


 語気をより強めてそう言った男は、徐(おもむろ)にエステルさんに顔を寄せ、


「――まだ自分の立場がわかっていないようだな、奴隷。しかし貴様も大事な我が輩の所有物。後で我が輩が手ずから貴様を躾(しつけ)てやろう」


 ビクッ……!

 男に囁かれた瞬間、エステルさんは悲愴(ひそう)な表情で大きく身震いした。そして、プツンと糸が切れたように崩れ落ちるエステルさんを見下ろし、男は嗜虐的な笑みを浮かべた。

 しかし次の瞬間、直前の笑みとは打って変わった白々しい笑顔を浮かべ、


「我が輩が何者か、という問いの答えだが、その前に我が輩は御身(おんみ)が何者かを聞いていない。それでは受け答えできかねるのでね、まずは諸君の名から教えていただけるか」


 まるで今さら無害を示そうとするかのように帽子を取り、恭(うやうや)しく一礼しながらそう言った。そして頭を上げると、すぐにそのロマンスグレーの髪を整えつつ帽子を被り直す。

 まるで帰り際の遣り取りでもしているかのように。


「私たちは特別遺失物取扱課ですの」

「その名は聞いたことがあるな、確かARAEL(アラエル)と言ったか。鳥の守護聖霊の名を冠する割に、どうやら貴殿は海の魔物のようだが?」

「私のことはどうでもいいですの」

「どうやら怒っているようだが、我が輩の所有物が迷惑をかけたようだな。おいそれと謝罪はできないが、このようなことが二度とないよう尽力すると約束しよう」

「ふざけるなと二度も言わせないで欲しいですの。お前がエステリーゼ=リュヌ=ラシェル=ヴィランドリーを略取した“黒(・)い(・)男(・)”……で間違いないようですの」


 ルーリャがラウラの様子をチラチラと確認しながらも声を荒らげることもなく、それでも威圧するような強い語気で切り返すと、男は「あぁ……」と今気付いたと言うように視線を泳がせた。

 ルーリャの発した『黒い男』に反応したのか、鬼気迫る表情で男に飛びかかろうとしたところをミルアによって地面に押しつけられて暴れているラウラの方に――。


「なるほど、彼女が例のリンドヴルムだったというわけか。その姿を見るのは初めてだから気付かなかったが、これはこれは……。姉同様、美しく化けるものだ」


 そう言った男は不意に屈み、へたり込んだままカタカタと小刻みに震えているエステルさんの綺麗な銀色の髪を一筋掬(すく)って揉むように撫でた。そして、再びルーリャに視線を戻す。


「しかし、黒い男(ブラックジャック)という呼称は戴(いただ)けない」

「なら名乗りやがれですの」

「ふむ、しかし無闇に本名を明かすわけにもいかないのでな。我が輩のことは“伯爵”とでも呼べ」


 伯爵がゆっくりと――それこそボクたちのことは歯牙にもかけていないような余裕の様子で立ち上がると、続けてエステルさんも危なげな挙動で立ち上がった。


「それでは我々はこれで失礼する」


 伯爵が挨拶をするように帽子を少し持ち上げ、そう言った、瞬間――――ゴッ!


「私の同僚に失礼しといて、勝手に失礼するのは失礼が過ぎるんじゃないの?」


 衝撃音と共に、伯爵とエステルさんの背後に銀色の閃光が瞬いた。


「ぐっ……!?」


 伯爵が突き飛ばされたかのように前のめりに転がり、エステルさんが身構えるように身体ごと背後を――背後のリ(・)リ(・)ス(・)を振り返った。その驚愕と困惑に占められた表情にとりあえず満足したのか、リリスの口元が弓形(ゆみなり)に歪む。


「初めまして、縛られた竜(チェインド・ドラゴン)。調子は如何にも悪そうだね」


 何処か皮肉めいたことを言いながらエステルさんに笑いかけたリリスの後ろで、まとめられた一筋の長い髪が夜風に靡(なび)き、月の光に照らされて青みがかった銀色が映える。リリスは前に会った時と――最初に会った時と同じく行空(ゆきそら)高校の制服を着ていて、また、最初に会った時とは違って両手の拳に謎の機器を着けていた。


「やっほー、リリスちゃーん♪ おーそーいー♪」


 急激に気楽さの復活した弾んだ声にぎょっとして隣を見ると、ラウラをうつ伏せに地面に引き倒したまま、その上に馬乗りになってリリスに手を振っているミルアがそこにいた。


「いきなりリミットリリースしてぶっちぎっといて馬鹿言わないでよ、ミルア」

「たまにはお姉ちゃんらしいトコ見せたかったんだも~ん。ルー公が心配だったし♪」


 ぱちんと緊張感のないウィンクをするミルア。

 その時、ボクの疑問を何となく感じ取ったのか、ルーリャが振り返らないまま、ぼそりと「ミルアはリリスの姉ですの」と呟(つぶや)いた。

 よく考えると、リリス=イージスエイル=初音(はつね)とミルア=スピットファイア=撃音(うちね)。確かにそのフルネームには、似通った構成が見て取れる……気がする。


「突然現れたかと思えば、随分と積極的なお嬢さんだな」


 不意打ちで地面に強く叩きつけられても尚(なお)余裕の姿勢を崩さずに立ち上がった伯爵は、何故か汚れのついていない礼服を軽く叩(はた)き、襟を正して服を整える。


「私ってヤンデレだから、好みの相手は殺したくなるのかな?」


 愉しそうな笑みを浮かべたリリスは両手に付けた拳状の機器をガツンと打ち合わせ、まだ反応の鈍いエステルの足を払って転ばせながら伯爵に向かって右ストレートパンチを放つ。

 しかし――――バチィッ!

 突然、そこに見えない壁でもあるかのようにリリスの拳は空中で止められ、その機器の先端で火花が散る――――が、リリスがさらに押し込もうと力を込めたのかバチバチバチッと一層火花が激しくなる。

 伯爵は目の前で飛び散る火花に動じることもなく、


「悪いが、遊びは一回までと決めているんでね」

「相当な下衆野郎だね。フラれて正解だったか……なッ!」


 バチッ……ギャリギャリギャリッ!

 機器に巻かれていた金属のベルトのようなものが回転し始め、その擦過音と火花の音が激しく交錯する。


「割れるよ、そ(・)の(・)盾(・)」

「いいや、その前に別れるさ」


 突然、抵抗が消えたようにリリスの身体が前のめりに飛んだ。

 と次の瞬間――――ぎゅるんっ!

 伯爵の身体が黒い渦巻きに変わって掻き消え、そのまた次の一瞬で、エステルさんの身体がふわりと浮き上がり、お姫様抱っこで彼女を持ち上げる伯爵の姿が現れる。


「今宵は楽しませてもらったが、我が輩はこれでも多忙の身――これで失礼する」

「待ッ……!」


 ぎゅるん! と今度はエステルさんごと黒い渦巻きに変化し、体勢を立て直して拳を打ち込もうとしたリリスの目の前で伯爵とエステルさんの姿が消失した。


「姉さま……!」


 すぐ隣でミルアさんに押さえつけられていたラウラから悲痛な声が漏れ、その目から涙がこぼれるのを――――ボクは見てしまった。

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