第二十七理― <想い>不思議とボクはそれを理解した
「ラウラちゃん、その怪我じゃ戦うなんて無理だよっ!」
怪我をしているのに――酷い怪我をしているのに立ち上がったラウラを支えながら、ボクはラウラを制しようとしていた。
「大丈夫……」
危なげにふらつきながら、まるで説得力のない台詞を呟くラウラ。その目は焦点が合っていないのか瞳が小刻みに揺れ、呼吸は少し乱れている。ファンタジーに出てくるような鱗模様の鎧から露出した素肌には無数の傷を負っているけれど、もしかしたら目に見えない部分――骨や内臓にも損傷があるかもしれないのに。
それに路上に残る血溜まり。あれだけの血を失えば、人間なら貧血じゃ済まない。何処をどう見ても、ラウラの言う“大丈夫”なようには見えなかった。
止めるにせよ怪我の処置にせよ、どうにかしようにもボクにはラウラを止められる力なんてないし、唯一の可能性であるクレアもあの時から何の反応も見せていない。
ボクが何度呼び掛けても返事はなく、向こうから声が聞こえることもない――――まるでただの本に戻ってしまったかのように沈黙を貫き通していた。
(どうしたってのさ、クレア……!)
心の中でどんなに叫んでも、クレアに届くわけもない。それをわかっていても、無意味だと知っていてもそんなことを願うしかできない。それぐらいボクは無力なのだ。
その時、ラウラの上半身がふらっと大きく傾いた。
「……ッ!?」
咄嗟に支えようとしたが、今のはよろけたのではなく、前屈みになって足元の長柄の槍鎚を拾い上げたのだ。
「みぃ、危ないから退いて……」
ラウラの背中で小さく纏まっていた翼が急にバッと開いた。その拍子に全身の傷が再び血を噴き、ラウラが小さく呻く。
「ダメだってば、ラウラちゃん!」
「平気……行くよ《ラメ デ ガルグイユ》……」
ラウラの手の中で、ルツェルンハンマーが淡い光を纏った。
そしてその長い柄でボクを押し退けると、その間にラウラは翼を羽搏かせて飛び上がった。
「ラウラちゃ――」
静止の声をかけようとした瞬間、ラウラの身体が急激に降下した。最初は落ちたのかと思ったけど、その胴体には艶のある青白い触手が巻き付いていた。
「ルーリャ……放して」
隣の民家の屋根に視線を遣ったラウラが、静かに呟く。
位置が悪くてボクのいる場所からは見えないけど、触手もその屋根から伸びているし、ルーリャがそこにいるのだろう。そう思った時、その屋根の上から案の定ルーリャが飛び降りてきた。
「嫌ですの。まったく、姉妹揃ってとんだお馬鹿さんですの! お馬鹿大賞狙えるですの! イグノーベルものですの!」
しゅるしゅると触手が短くなっていき、回収されたラウラは手と翼、お腹に触手を巻き付けられ、ぶらぶらと吊るされる。
そしてルーリャは、背後に覗いていた大きな盾のような物を別の触手二本で軽々引っ張り上げ、まるで傘のようにボクとラウラの上に掲げた。
「上はミルアがバトンタッチですの」
「ミルアが!?」
思わず頭上を見上げるも、視界がルーリャの掲げている盾に遮られていた。
「大丈夫ですの。私は未だにミルアが負けたところを見たことがありませんの!」
「二人って付き合い長いんだね」
「今月でもう半年ですの!」
ダメだった。
盾の下から顔を出して上空を仰ぎ見ると、陽光から月明かりにシフトした空で大きな影と小さな光点が飛び回って接触と離脱を繰り返している。
言わずもがな、あの小さな光点がミルアなんだろう。
弱い光とは言え逆光。
その上、百メートルか二百メートルか距離もわからないくらいの遥か上空にいるのだから、よくは見えないけれど、それでもあの高さを飛んでいる以上、やはり彼女も人ではないのだ。
『――ミズハ――』
「……ッ!?」
突然、頭の中でクレアの声が響いた。
『――ミズハ、聞こえているかしら……?』
振り返ると、少し離れた淡い光を放つ『本』が視界に入った。
慌てて盾の下から飛び出し、『クレア』に駆け寄って拾い上げると、最初と同じように再び触れた部分から目映い光が瞬いた。一瞬遮られた視界の中でも『クレア』をしっかりと抱えたまま、ボクは歩数で数えていた元の場所まで駆け戻る。
「大鳥さん、ストップですの」
ルーリャちゃんの触手に抱きとめられる感触。
目を開けると少しオーバーランしてしまったようで、隣に立っていたルーリャちゃんがわずかに盾をずらしつつ、ボクをその下に引き入れた。
「クレア、今までどうしてたの?」
『ラウラが傷つけられるのを見た時から、殺意を抑えるために自我を深くに殺していたのよ。少しでも自分を表に出したら、ラウラの実姉とは言え、殺してしまいそうだったから……』
「そうだったんだ……」
魔導書なんて考えは早めに捨てておいた方が良さそうだった。
彼女は魔導書である以上に呪いの書、クレア自身の人格がどうであろうと悪意を以って書かれたものであることに変わりはないのだ。もちろんそれでクレアに対する意識を変えるつもりはないけれど、危険な可能性を孕んでいることは頭の片隅に置いておくぐらいの方がいいんだろう。
「原典と話してるんですの?」
ルーリャが首を傾げて、そう訊いてきた。
「うん、クレアとね」
『ミズハ、そのイカっ娘に伝えてちょうだい。今からラウラを修復する。その代わりに少し理性を犠牲にするから、彼女を絶対に放さないで、って』
イカっ娘って……。
本人に言ったら、「私はイカではなく、クラーケンですのっ!」って怒りそうな呼び方だった。
「ルーリャちゃんに伝えて、って。今からラウラの傷を治すけど、少し荒っぽいから絶対にラウラちゃんを放さないで、捕まえててって」
「よくわからないですけど、了解ですの」
ルーリャが頷くと同時に、『荒っぽい』という言葉に反応したのかラウラがばたばたと暴れ始める。
「痛いの、嫌……!」
じたばたともがいて、ルーリャの触手から抜けようとするラウラ。
動物病院に連れてこられた子犬が危機察知して逃げ出そうとする光景が何となく頭に浮かぶ。
「今のままの方が相当痛いと思うですの」
「うん、ルーリャちゃんに同意」
『痛くはないから大丈夫よ。少し気持ちいいくらいね』
「痛くはないって言ってるよ、ラウラちゃん」
さっきまでの痛みでは泣いてなかったラウラが、涙目で振り返る。
「変な針千本要らない……」
「前にいったい何があったのさ……」
不思議だった。
『賭け……になってしまうわね……』
「クレア、何か言った?」
『何でもないわ。さぁ、ミズハ。貴方の目と口と手を借りるわよ』
「へ?」
見ると本を覆っていた淡い光が、ボクの手の方に這い上がってくる。
くすぐったいような、少し冷たいような感覚だったけど、不思議と本を手放す気にはならない。
次の瞬間、手が勝手に『クレア』の表紙にかかり、まるで自分の手じゃないように慣れた手つきでぱらぱらとページをめくり始めた。
『百二十八ページ、小節表題 “蘇生呪法”』
光に覆われた手が一つのページを開いて勝手に止まり、同時に再びせり上がってきた淡い光がボクの首元までをすっぽり包んでしまう。
「……大丈夫ですの?」
不安げにそう訊いてくるルーリャにボクの意思でこくりと頷くと、その直後から喉が勝手に震え始めた。
「死は眠りと等しい、しかしその眠りが覚めることはない。でも、私にはその眠りを覚ますことができる」
まるでボク自身にその知識があるかのように、今まで見たことのなかったイタリア語の一説を読み、読み解き、理解して音読していく。
「起きなさい。貴方を待っている人間はあまり多くはないかもしれない。でも私だけは少なくともその中の一人」
これを理解する、ということは著者の想いを知るということにも等しい。
ボクはそれを感じ取った瞬間、気が付くと涙を流していた。
「守りたい者がこの世の何処かにいるのならば喩え呪われ罵られようと新たな命を得るといい」
手にした『クレア』が、さっきまでとはまた違った光を帯び始める。
蒼く冷たい色なのに、その光は少しだけ暖かかった。
「お前の身体をこの私に託すなら、救ってあげる。生けとし生ける屍よ」
本を覆っていた光が増し、弾けるように周囲に散った。
「蘇生せよ」
――解放:“蘇生呪法”――
再び光が溢れ、完全に視界が遮られた。
『本当に、できたの……?』
クレアの息を呑んだような声が、明転した視界の向こうから頭の中に響いてくる。
『まさか、そんな……悪意もなしにこんなことができるはずは――』
クレアの言葉を斟酌しようとしていた時、突然、不思議にも喪失感を覚えた。
「あれ……?」
ぐらりと身体が傾く。
肩に衝撃、とちょっとした痛み。
何だろうと思っていると、徐々に視界が元に戻っていき、気が付くとボクは横向きに倒れていた。
「大鳥さん、大丈夫ですの!?」
ルーリャが傍に屈み、ボクの肩を強く揺すってくる。
「ク、クレア……これ……は?」
『ま、魔力の消費に身体が慣れていないだけ……だから、それは大丈夫よ』
「そっか……」
「大鳥さん、大丈夫ですの!?」
ルーリャの触手に抱き起こされる。
「ボクは大丈夫だよ。ありがとう、ルーリャちゃん。それよりラウラは……」
「大丈夫……」
目の前に平然と立っているラウラが映る。
その全身の傷は、綺麗さっぱりなくなっているようだった。




