第九理― <呪い>負の感情は幾重にも
「仕方ないから、彼女がするはずだった受呪者についての説明は私がしてあげるわ」
クレアは開きっぱなしになっていた入り口のドアを丁寧な所作で閉めると、キュッとペンのキャップを取ってホワイトボードに向き直った。
「そうね、さっきの図を使いましょうか」
ホワイトボードをくるんっとひっくり返して、例の相関図の中の世界の領域内に『呪』の文字を書き込んだ。
「私は呪役者と呼んでいるけれど、彼女は英国式で教える予定だったはずだからカースドと呼ぶことにするわね。同じものを示しているけれど」
クレアはボードの端っこに『Maledizione=Cursed』と書いた。
「ちなみに外国語の授業をしているわけではないから、二つの単語の意味が同じだという意味ではないわ」
「一応、わかってるよ。頭文字大文字だし」
「あら、そう? まず、カースドというのは“呪われた”という意味よ。その名の通りこの世界における“呪い”の存在を示唆していると言えるわね」
「呪い? そう言えばさっき公園でもそんなこと言ってたよね」
「この世界に於いて残っている最後の謎、それが呪いよ。実際、呪いと呼ぶようになったのはインド経由で中国から呪いの文化が持ち込まれてからだけれど、実際に“呪い”なのかどうかすらわかっていないの」
クレアはボードの右下にペンを走らせ、何かの絵を描き始めた。
「呪いがどうやって生まれるか、わかりやすい例で説明するわ。例えばギロチンってわかるかしら?」
「中世の断頭台……処刑器具だよね」
ギロチンの絵を描き終えたクレアは、迷うことなく少し離れた右上に開かれた本の絵を描いていく。
「昔、死の王と呼ばれた悪王がいたの。邪智暴虐を地で行く王でね、自分に逆らう者は容赦なくギロチンにかける、所謂暴君ね」
本の絵を描き終えると、それを掲げているかのような人の姿を描いていく。
「彼が王位に就いていた三年の間に、十万人近い命がこのギロチンと悪法の書によって奪われた。もちろん罪のない人も含めて」
「三年で十万人!?」
もう想像もつかない人数だった。一日に何人とか計算したくもない。
「そして三年もの間、犠牲者の恨みと民衆の恐れに晒され続けた法律書と、犠牲者の怨みの血と民衆の怒りを浴び続けたギロチンは、最後に死王自身を処刑した時を境に呪いを発現したの」
王の絵に上から×を打ち、ギロチンと本の絵の隣にそれぞれ『呪』と書いたクレアは、それぞれから矢印を引いてその先に漫画のようなイラストを描き始めた。ギロチンからは凛とした印象を受ける少女の、法律書からは真面目そうな片眼鏡の男のイラストだった。デフォルメされてはいるけど、もしかしたらミコより上手いかもしれない。
「物が呪われると摂理内包同様に人格を得て、人化の能力も得るわ。ただ、彼らが人格を得るのは危険な能力の安全装置なんかじゃないの。彼らが、彼らの罪に苛まれ続けるためよ」
「え……、それっておかしくない……? 悪いのはその死んだ王だよね」
「えぇ、本来は王が被るべき罪よ。彼らが理不尽な断罪を繰り返していた間、彼らには物思う人格すらなかったんだもの。でも呪いの、それらの負の感情ベクトルは彼らに向けられた。理不尽な、不条理なシステムよね」
俯き加減にそう言ったクレアは、悲しげな目で二人のイラストを見つめた。そして、ボードクリーナーを手に取ると王の絵だけを乱暴に消してしまう。
「彼らのように大量殺戮の道具として使われた物や、その象徴的なものは負の感情、ひいては呪いを受けやすいの。もちろん人やそれ以外の動物が呪いを受けることもあるけれど、全体から見ればやはり少数ね」
クレアはそう言うと、少し考えを巡らせるように視線を泳がせた。
「さっき会った釘十字神流という幼い女の子を憶えてるわよね?」
「黒ずくめの?」
「ええ。彼女は世界で最も有名な受呪者の一人で、私が探していた死屍涙々のこと。もちろん彼女も彼らと同じ、理不尽な呪いを受けた被害者なのだけれど」
「あの子も人間じゃないの?」
「彼女は呪われた五寸釘。確か、丑の刻参りだったかしら。東洋古来の釘と藁人形を用いた代替干渉呪術に使われていたの。でも彼女は術者と被害者、両方の強い恨みを受けていたから受けた呪いも大きかった」
クレアは溜めるように一拍置くと、
「呪術の被害を受けた他者の心身の痛みを受信してしまう、それが彼女に課せられた枷であり理不尽な罰よ」
悲痛な、しかしはっきりとした声色でそう言いながら、クレアは相関図にペンを走らせていく。
「特失課で保護されて、呪いを軽減させる解呪術式を施すまではずっと泣き叫んでいたそうよ。見た限りあれだけの幼さだし、想像を遥かに越える激痛だったはずだから無理もないと思うけれど」
呪術と言われてもよくわからないが、丑の刻参りは刺した部位を悪くしたり痛みを感じさせたり、心臓に打ち込んで殺したり、というそんな呪いだったと記憶してる。
それをいくつも同時に受け続けていると考えれば――――想像するだに恐ろしい。
ふとクレアが何を書いているかと見れば、『呪』の文字を次々と世界の領域内に書き足していっているようだった。いや、他にも数種類の漢字が――
――ちょっと待った。
みるみる内に『呪』『怨』『恨』『怒』『妬』で埋め尽くされていく世界。怖いよっ! そこはかとなくすさまじく怖いよッ!
「世界にはまだたくさんの受呪者がいるわ。呪いは人類の持つ強い負の感情ベクトルによって生み出される負の縁現象と考えられているけれど……。まぁ、当事者の私ですらわからないことが部外者にわかるはずもないわよね」
「当事者……?」
「ええ、貴方に会った時に言ったでしょう? 特失課の彼女たちはルーラーだと勘違いしていたようだけれど私は呪役者、つまり受呪者ね。人の姿を取るようになって久しいけれど、元々は人間ではないわ。おそらくは…………彼女もそうなんでしょうね」
彼女、と聞いただけで即座にミコの姿が脳裏に浮かぶ。
彼女もそういうモノだったのなら、正体を聞くというのは彼女のトラウマを思い起こさせるのと同じことだったんだ……。後で謝らなきゃな……。
「ちなみに私にはそういう気は一切遣わなくてもいいわよ。ミズハを巻き込んだ責任もあるし、それに…………いえ、これはまだ言う必要はないことね」
クレアは呟くようにそう漏らすと、くるりと僕に背を向けて、トントンと軽く跳ねるようにドアの前に立った。そしてドアノブに手をかけると振り返ってきて、
「行きましょ、ミズハ」
「え? 行くって何処に……」
「探険よ♪ 説明も終わってしまったし、このままここにいるのもつまらないじゃない? 監視の目もなさそうだし」
「でもこの部屋にいなきゃいけないんじゃ……」
「そんなことは言われていないから大丈夫よ。それとも私とでは嫌かしら?」
クレアが嫌とかそんな話じゃなく、やっていいか悪いかの話だと思う。
――と言おうとしたんだけど。
「ほら、ミズハ♪」
突然腕に抱きついてきたクレアに、押し切られた。




