↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
1/1

1. 全員三番目

「ごめんね。あなたは三番目なの」


 半年記念日の前の日に、俺の順位が初めて発表された。


 寺坂壱成(いっせい)、高校二年。名前の「壱」は、順位には使ってもらえないらしい。


 屋上への扉には鍵がかかっていて、小窓から西日だけが差す。踊り場には俺と、彼女の菜々緒(ななお)。明日の土曜は半年記念日だから、どっか行かない? そう誘ったところだ。昨夜、弁当の献立まで決めてある。菜々緒が首をかしげ、栗色の巻き髪が揺れた。


「土曜はね、一番目の人と約束してるの。日曜は二番目の人。……でも、壱成くんのことも、ちゃんと好きだよ?」


 ぷっくりした唇が、いつもの形で笑っている。俺は泣かなかった。誘うために開けた口で、続きを聞く。


「一番目と二番目って、誰?」


 薄茶色の目が、まん丸になる。菜々緒の笑みが止まった。


「え、そこ? 泣かないの?」


「まあ、いいけど」


「よくない顔してる!」


 そういう顔らしい。笑おうとした頬が、途中で固まっている。うちは駅の反対側の定食屋だ。客への笑顔は仕込まれていても、こんなときの顔は習っていない。俺は口の端を引っ張った。


「じゃあ、一番目と二番目は誰なんだよ?」


「怒らない?」


「……怒ってない顔なら、できる」


「うん。壱成くん、そういう顔するもんね。だから、壱成くんにだけは言っとこうと思ったの」


 小柄な菜々緒が、細い手首でスマホを振る。一番目は隣町の工業高校の三年、大館嵐士(らんじ)。バンドのボーカルで、金曜の夕方は駅前のライブハウスでリハーサルらしい。二番目は隣のクラスの生徒会副会長、汐崎晃一郎。「じゃ、また月曜ね」と、菜々緒は軽い足音で階段を下りていった。


 三位は表彰台だ。銅メダルだ。……欲しかったのは、それじゃない。


 二階の端の生徒会室へ向かう。西日の眩しい廊下で、明日の献立が頭からどいてくれない。半年、後回しでも隣で笑ってきた。自分で弁当箱を小さくすれば、隣に置いてもらえるみたいに。


 窓ガラスの前で、ヘアピンで留めた前髪を留め直した。店の癖だ。映った茶色の丸い目は、まだ泣いてくれない。


 文句を言う練習を三回。三回とも眉が下がり、八重歯がのぞいた。苦情は慣れない。中華鍋を振って右だけ太くなった腕で、生徒会室の戸を叩く。


 役員が二人、書類を綴じていた。七三に分けた黒髪の男子が顔を上げる。黒縁眼鏡の奥の濃い茶色の目が瞬き、俺は息を吸った。


「雛森菜々緒の、三番目です」


「……生徒会への陳情なら、書式がある」


 面長の顔の、まっすぐな眉が動かない。俺は口を結ぶ。


「陳情じゃない。二番目の汐崎に、話がある」


「二番目、とは何の順位だ?」


「それを、一番目のところで確かめる。俺は会いに行く」


 汐崎のペンが、書類の上で止まった。


「一番目、とは誰だ?」


「隣町の工業の三年で、バンドのボーカルだって。金曜の夕方は、駅前のライブハウスにいるらしい」


「君の話には、主語が足りない。最初から、順を追って説明してくれ」


「足りないのは、俺の順位だ。……長くなるから、歩きながらでいい?」


 汐崎が立つ。俺より頭半分高く、痩せた背筋は定規を当てたようにまっすぐだ。


「……雛森さんの件なら、僕も行く。聞かずに済ませる理由がない。歩きながら、最初からだ」


 役員たちが顔を見合わせる中、俺たちは校門を出て、駅前まで歩いた。


 十七時。地下のライブハウスへの階段を、男がアンプを片手に上がってくる。汐崎より背が高く、肩幅も広い。金に近い茶髪が汗で首筋に張りついていた。眉の端の傷を引きつらせ、大きな口が開く。


「誰? 高校生が二人して、何の用?」


 俺は顔を上げる。


「寺坂壱成です。こっちは隣のクラスの副会長の汐崎。雛森菜々緒の件で来ました。俺は三番目です」


 黒い三白眼が、俺と汐崎を一度ずつ確かめる。


「三番目? 何の?」


 汐崎が背を伸ばす。


「二番目だそうだ。僕が」


 大館さんが口を曲げる。


「二番目と三番目がそろって、何の用だよ? 駅伝のたすきなら、俺は持ってねえぞ」


 アンプがどすんと置かれ、俺は靴の裏に響く重さを受け止めた。


「たすきは要らないです。話を聞きたいだけで」


「……とりあえず、ファミレス行く? 俺、腹減ってんだよ」


 ワゴンの陰から、バンドの仲間が顔を出す。


「嵐士、リハは?」


 大館さんは前を向いたままだ。


「あとで!」


 大館さんが背中越しに手を振った。


       ◇


 十七時半。駅前のファミレス、窓際の四人席。俺と汐崎の向かいに大館さん。その隣が一つ空いている。


 三人それぞれドリンクバーから戻る。全員、いつもの癖でグラスを二つずつ持っていた。


 空いた席の前に、メロンソーダが三つ並ぶ。大館さんが指さす。


「これ、まさか……?」


 俺は空席を見た。


「たぶん、三人ぶんの、一人ぶんです」


 汐崎がグラスを数える。


「あいつのために三杯。過剰だ。カロリーの計算もしたくない。飲む前から胃にもたれる」


 菜々緒は、メロンソーダしか飲まない。三人とも、腕が覚えていたらしい。来ない客の席だけ、やけに豪華だ。


 大館さんが、メロンソーダを引き寄せる。


「余ったなら混ぜようぜ。全部混ぜたら、すげえのになるじゃん」


 汐崎はグラスを見比べる。


「全部メロンソーダだ。味は変わらないし、量も減らない」


「やめろ! 俺の自由研究が始まる前に終わった!」


 氷がからんと鳴る。緑の泡が三つのグラスをのぼるのを、大館さんが見つめていた。


「俺、一番だって言われてたんだけど?」


 汐崎の眼鏡が鼻の上でずれる。


「僕もだ。……計算が合わない」


 俺は、冷たいグラスを握り直す。


「大館さん、俺は三番目って言われました。正直に」


「は? 正直にって、何それ? 壱成にだけ?」


「俺にだけです。怒らないから、だそうです」


「なんだそれ! 怒れよ! 俺の分まで怒れよ!」


 指に力が入る。俺はグラスから手を離す。


「……怒るとこ、なんですかね。明日は半年の記念日で、弁当も作るつもりだったんですけど」


「そりゃ悔しいわ! 俺も恥ずかしいんだよ。一番とか、堂々と言っちまってさ!」


 腹の底で何かが煮立った。揚げ油に水を落としたみたいに、俺の口から言葉が跳ねる。


「一番が二人いるなら、全員三番目だろ」


 汐崎が眼鏡を押し上げる。


「……論理が飛躍している」


 大館さんの三白眼が、すうっと線になった。


「ぶはっ! なにそれ最高!」


 三人同時に吹き出す。窓の前では作れなかった声が、腹から出る。大館さんは大きな口を開けたままだ。


「大館さんとかやめろ。嵐士でいい。壱成も、副会長もな」


「じゃあ、嵐士さんで。年上なんで、そこは残させてください」


「かてえなあ。で、三番目って言われて、壱成はなんて返したんだよ?」


 嵐士さんがストローを噛んで身を寄せる。俺は今度は笑って言えた。


「一番目と二番目の名前、聞きました」


「泣けよ! そこは泣くとこだろ! 俺なら店の外まで聞こえる声で泣くぞ」


「泣くより先に、聞きたかったんです。相手も知らないまま、三番目でうなずくのは嫌だったんで」


「俺は、壱成が来てくれてよかったぞ。ずっと知らねえままって、そっちのほうが嫌だわ」


「俺、文句言いに来たんですよ? そんなこと言われたら、もう言えないじゃないですか?」


 汐崎が眼鏡の位置を直す。


「泣く前に確認。……合理的だ。僕も、確認しに来た」


 嵐士さんがストローから口を離す。


「副会長まで褒めんなよ。……なあ、同時に送ろうぜ」


 汐崎はスマホを出した。


「文面は統一すべきだ。別々では、意図に差があると受け取られる」


 俺も画面を開く。


「じゃあ、四文字で。もう、短くていいです」


 嵐士さんもスマホを出す。俺は画面に〈別れよう〉と打った。


 親指が送信の上で止まる。半年ぶんのメロンソーダの泡が、目の前で弾けていく。もう、空いた席のぶんまで注がなくていい。


 汐崎が、小さく数えた。


「三、二、一」


 押す。十八時四十二分。三つの画面に、同じ分の既読が付く。俺は自分の画面を、二人のほうへ向けた。


「既読、三つ同時。……同着一位だ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。