1. 全員三番目
「ごめんね。あなたは三番目なの」
半年記念日の前の日に、俺の順位が初めて発表された。
寺坂壱成、高校二年。名前の「壱」は、順位には使ってもらえないらしい。
屋上への扉には鍵がかかっていて、小窓から西日だけが差す。踊り場には俺と、彼女の菜々緒。明日の土曜は半年記念日だから、どっか行かない? そう誘ったところだ。昨夜、弁当の献立まで決めてある。菜々緒が首をかしげ、栗色の巻き髪が揺れた。
「土曜はね、一番目の人と約束してるの。日曜は二番目の人。……でも、壱成くんのことも、ちゃんと好きだよ?」
ぷっくりした唇が、いつもの形で笑っている。俺は泣かなかった。誘うために開けた口で、続きを聞く。
「一番目と二番目って、誰?」
薄茶色の目が、まん丸になる。菜々緒の笑みが止まった。
「え、そこ? 泣かないの?」
「まあ、いいけど」
「よくない顔してる!」
そういう顔らしい。笑おうとした頬が、途中で固まっている。うちは駅の反対側の定食屋だ。客への笑顔は仕込まれていても、こんなときの顔は習っていない。俺は口の端を引っ張った。
「じゃあ、一番目と二番目は誰なんだよ?」
「怒らない?」
「……怒ってない顔なら、できる」
「うん。壱成くん、そういう顔するもんね。だから、壱成くんにだけは言っとこうと思ったの」
小柄な菜々緒が、細い手首でスマホを振る。一番目は隣町の工業高校の三年、大館嵐士。バンドのボーカルで、金曜の夕方は駅前のライブハウスでリハーサルらしい。二番目は隣のクラスの生徒会副会長、汐崎晃一郎。「じゃ、また月曜ね」と、菜々緒は軽い足音で階段を下りていった。
三位は表彰台だ。銅メダルだ。……欲しかったのは、それじゃない。
二階の端の生徒会室へ向かう。西日の眩しい廊下で、明日の献立が頭からどいてくれない。半年、後回しでも隣で笑ってきた。自分で弁当箱を小さくすれば、隣に置いてもらえるみたいに。
窓ガラスの前で、ヘアピンで留めた前髪を留め直した。店の癖だ。映った茶色の丸い目は、まだ泣いてくれない。
文句を言う練習を三回。三回とも眉が下がり、八重歯がのぞいた。苦情は慣れない。中華鍋を振って右だけ太くなった腕で、生徒会室の戸を叩く。
役員が二人、書類を綴じていた。七三に分けた黒髪の男子が顔を上げる。黒縁眼鏡の奥の濃い茶色の目が瞬き、俺は息を吸った。
「雛森菜々緒の、三番目です」
「……生徒会への陳情なら、書式がある」
面長の顔の、まっすぐな眉が動かない。俺は口を結ぶ。
「陳情じゃない。二番目の汐崎に、話がある」
「二番目、とは何の順位だ?」
「それを、一番目のところで確かめる。俺は会いに行く」
汐崎のペンが、書類の上で止まった。
「一番目、とは誰だ?」
「隣町の工業の三年で、バンドのボーカルだって。金曜の夕方は、駅前のライブハウスにいるらしい」
「君の話には、主語が足りない。最初から、順を追って説明してくれ」
「足りないのは、俺の順位だ。……長くなるから、歩きながらでいい?」
汐崎が立つ。俺より頭半分高く、痩せた背筋は定規を当てたようにまっすぐだ。
「……雛森さんの件なら、僕も行く。聞かずに済ませる理由がない。歩きながら、最初からだ」
役員たちが顔を見合わせる中、俺たちは校門を出て、駅前まで歩いた。
十七時。地下のライブハウスへの階段を、男がアンプを片手に上がってくる。汐崎より背が高く、肩幅も広い。金に近い茶髪が汗で首筋に張りついていた。眉の端の傷を引きつらせ、大きな口が開く。
「誰? 高校生が二人して、何の用?」
俺は顔を上げる。
「寺坂壱成です。こっちは隣のクラスの副会長の汐崎。雛森菜々緒の件で来ました。俺は三番目です」
黒い三白眼が、俺と汐崎を一度ずつ確かめる。
「三番目? 何の?」
汐崎が背を伸ばす。
「二番目だそうだ。僕が」
大館さんが口を曲げる。
「二番目と三番目がそろって、何の用だよ? 駅伝のたすきなら、俺は持ってねえぞ」
アンプがどすんと置かれ、俺は靴の裏に響く重さを受け止めた。
「たすきは要らないです。話を聞きたいだけで」
「……とりあえず、ファミレス行く? 俺、腹減ってんだよ」
ワゴンの陰から、バンドの仲間が顔を出す。
「嵐士、リハは?」
大館さんは前を向いたままだ。
「あとで!」
大館さんが背中越しに手を振った。
◇
十七時半。駅前のファミレス、窓際の四人席。俺と汐崎の向かいに大館さん。その隣が一つ空いている。
三人それぞれドリンクバーから戻る。全員、いつもの癖でグラスを二つずつ持っていた。
空いた席の前に、メロンソーダが三つ並ぶ。大館さんが指さす。
「これ、まさか……?」
俺は空席を見た。
「たぶん、三人ぶんの、一人ぶんです」
汐崎がグラスを数える。
「あいつのために三杯。過剰だ。カロリーの計算もしたくない。飲む前から胃にもたれる」
菜々緒は、メロンソーダしか飲まない。三人とも、腕が覚えていたらしい。来ない客の席だけ、やけに豪華だ。
大館さんが、メロンソーダを引き寄せる。
「余ったなら混ぜようぜ。全部混ぜたら、すげえのになるじゃん」
汐崎はグラスを見比べる。
「全部メロンソーダだ。味は変わらないし、量も減らない」
「やめろ! 俺の自由研究が始まる前に終わった!」
氷がからんと鳴る。緑の泡が三つのグラスをのぼるのを、大館さんが見つめていた。
「俺、一番だって言われてたんだけど?」
汐崎の眼鏡が鼻の上でずれる。
「僕もだ。……計算が合わない」
俺は、冷たいグラスを握り直す。
「大館さん、俺は三番目って言われました。正直に」
「は? 正直にって、何それ? 壱成にだけ?」
「俺にだけです。怒らないから、だそうです」
「なんだそれ! 怒れよ! 俺の分まで怒れよ!」
指に力が入る。俺はグラスから手を離す。
「……怒るとこ、なんですかね。明日は半年の記念日で、弁当も作るつもりだったんですけど」
「そりゃ悔しいわ! 俺も恥ずかしいんだよ。一番とか、堂々と言っちまってさ!」
腹の底で何かが煮立った。揚げ油に水を落としたみたいに、俺の口から言葉が跳ねる。
「一番が二人いるなら、全員三番目だろ」
汐崎が眼鏡を押し上げる。
「……論理が飛躍している」
大館さんの三白眼が、すうっと線になった。
「ぶはっ! なにそれ最高!」
三人同時に吹き出す。窓の前では作れなかった声が、腹から出る。大館さんは大きな口を開けたままだ。
「大館さんとかやめろ。嵐士でいい。壱成も、副会長もな」
「じゃあ、嵐士さんで。年上なんで、そこは残させてください」
「かてえなあ。で、三番目って言われて、壱成はなんて返したんだよ?」
嵐士さんがストローを噛んで身を寄せる。俺は今度は笑って言えた。
「一番目と二番目の名前、聞きました」
「泣けよ! そこは泣くとこだろ! 俺なら店の外まで聞こえる声で泣くぞ」
「泣くより先に、聞きたかったんです。相手も知らないまま、三番目でうなずくのは嫌だったんで」
「俺は、壱成が来てくれてよかったぞ。ずっと知らねえままって、そっちのほうが嫌だわ」
「俺、文句言いに来たんですよ? そんなこと言われたら、もう言えないじゃないですか?」
汐崎が眼鏡の位置を直す。
「泣く前に確認。……合理的だ。僕も、確認しに来た」
嵐士さんがストローから口を離す。
「副会長まで褒めんなよ。……なあ、同時に送ろうぜ」
汐崎はスマホを出した。
「文面は統一すべきだ。別々では、意図に差があると受け取られる」
俺も画面を開く。
「じゃあ、四文字で。もう、短くていいです」
嵐士さんもスマホを出す。俺は画面に〈別れよう〉と打った。
親指が送信の上で止まる。半年ぶんのメロンソーダの泡が、目の前で弾けていく。もう、空いた席のぶんまで注がなくていい。
汐崎が、小さく数えた。
「三、二、一」
押す。十八時四十二分。三つの画面に、同じ分の既読が付く。俺は自分の画面を、二人のほうへ向けた。
「既読、三つ同時。……同着一位だ」




