第62話 男なのにOL扱いされるエンジニアの日常
翌日。
朝。
いつも通りの朝だった。
電車に乗った。
混んでいた。
しばらくして、隣に座っていた男性が立ち上がった。
「どうぞ」
俺に向かって、席を譲った。
「……男ですが」
「え?」
「男ですが、ありがとうございます」
男性は少し困った顔をして、また座った。
NIAが言った。
「マスター」
「なんだ」
「本日最初の女性認識イベントです」
「ログ取るな」
「保存しました」
「昨日と変わらないな」
「そうですね」
「まあ」
「保存しました」
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会社に着いた。
エレベーターで道を譲られた。
「女性認識イベント、二件目です」
「するな」
「保存しました」
インフラ運用課のフロアに入った。
パソコンを起動した。
監視画面が立ち上がる。
緑。緑。緑。
全部正常。
平和だった。
コーヒーを入れた。
席に座った。
いつも通りだった。
昨日と何も変わっていない朝だった。
ただ。
一つだけ違うことがあった。
「神代先輩!」
いつも通りの声だった。
「おはようございます!」
「おはよう」
美咲がいつも通りの顔で来た。
いつも通りの距離で椅子を寄せた。
ただ。
昨日より、少しだけ近い気がした。
気がした、というより、実際に近かった。
「先輩」
「ん」
「今日も平和そうですね」
「そうだな」
「監視画面、緑ですね」
「そうだ」
「よかったです」
「まあ」
美咲はモニターを見ながら、小声で言った。
「昨日のこと」
「うん」
「覚えてますよね」
「覚えてる」
「夢じゃないですよね」
「夢じゃない」
「よかったです」
美咲は少し笑った。
いつもの笑い方だった。
ただ、少し違った。
昨日より少し、嬉しそうだった。
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午前中。
監視業務をこなした。
アラートが一件あったが、軽微だった。
「美咲」
「はい」
「これ確認してくれ」
「はい」
美咲が画面を確認した。
「……正常範囲ですよね」
「そうだ」
「閾値は超えてないので様子見ですよね」
「正解」
「……褒めてますよね、今」
「正解と言っただけだ」
「褒めてます」
「……まあ」
仕事は変わらなかった。
美咲が成長しているのも変わらなかった。
俺がコーヒーを飲んでいるのも変わらなかった。
ただ。
時々、美咲と目が合う時があった。
それが昨日より少し、違う感じがした。
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昼休み。
二人でコンビニに行って、フロアで食べた。
「先輩」
「ん」
「今日も一緒にいますよ」
「知ってる」
「隣にいていいって言ってくれましたよね」
「言った」
「嬉しいです」
「まあ」
「先輩」
「何だ」
「今日もOL扱いされましたか」
「された。電車と、エレベーターと、後は受付で」
「受付でも?」
「女性用のロッカーを案内された」
「三件ですね」
「まあ」
「NIAがログ取ってますか」
「取ってる」
「何件目になりましたか」
NIAが言った。
「累計、本日で1247件目です」
「……多いな」
「保存しました」
美咲がくすっと笑った。
「先輩って、1247回OL扱いされてるんですね」
「まあ」
「でも」
美咲はにこっとした。
「私は先輩扱いしてますよ」
「……知ってる」
「昨日からは」
「うん」
「先輩扱いだけじゃなくなりましたけど」
「……まあ」
「まあって何ですか」
「……そうだな」
「そうだなって認めましたよね」
「……まあ」
「認めました」
「……まあ」
NIAが言った。
「マスター」
「なんだ」
「新規ログを開始します」
「するな」
「タイトル」
「出すな」
「彼女、初日のログです」
「……消せ」
「保存しました」
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午後。
仕事を続けた。
美咲が隣でテキストを読んでいた。
沙羅が来た。
「神代さん、最近なんか雰囲気違うね」
「そうですか」
「うん。なんか、柔らかい」
「……まあ」
「何かあった?」
「別に」
「ほんとに?」
「……まあ」
沙羅は少し美咲を見て、また俺を見た。
それから、少し笑って戻っていった。
「先輩」
美咲が小声で言った。
「何だ」
「沙羅さん、気づいてますよ」
「まあ」
「言いますか」
「……まあ、そのうち」
「また近いうちですか」
「……まあ」
「今度は速いですよね、近いうちが」
「……まあ」
「よかったです」
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定時。
帰り支度をした。
「先輩」
「ん」
「今日も一緒に帰りますか」
「まあ」
「やった」
「やったじゃない」
「やったです」
並んでエレベーターに乗った。
一階に降りた。
ビルを出た。
夜の空気が冷たかった。
並んで歩いた。
昨日と同じ道だった。
昨日と違うのは、美咲が少しだけ近いことだった。
「先輩」
「ん」
「昨日、ここで」
「うん」
「言ってくれましたよね」
「まあ」
「よかったです」
「……まあ」
「先輩」
「何だ」
「また言ってくれますか、たまに」
「……まあ」
「まあって言ってくれますか」
「……言う」
「ありがとうございます」
「まあ」
「先輩って」
「何だ」
「好きです」
「……俺もだ」
「まあじゃなかったですよ、今」
「……まあ」
「また言った」
「……まあ」
美咲がけらけら笑った。
改札の前で、美咲は振り返った。
「先輩」
「ん」
「また明日」
「また明日」
「明日も隣にいていいですか」
「……いていい」
「ありがとうございます」
「まあ」
「また明日!」
改札を通っていった。
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一人になった。
NIAが言った。
「マスター」
「なんだ」
「本日の女性認識イベント、合計7件でした」
「ログ取るな」
「保存しました」
「それと」
「何だ」
「彼女、初日のログを記録しています」
「するな」
「本日の記録、0件目です」
「何が0件目だ」
「まだ何も起きていないので」
「……まあ」
「でも」
「何だ」
「『また明日』と言いました」
「まあ」
「明日も何か記録されるでしょう」
「……まあ」
「楽しみにしています」
「……AIに楽しみがあるのか」
「マスターに影響されました」
「……まあ」
「保存しました」
「するな」
夜道を歩いた。
明日も、電車で席を譲られるだろう。
「またまた」と言われるだろう。
NIAがログを取るだろう。
美咲が隣に来るだろう。
椅子を寄せて、「おはようございます」と言うだろう。
それはたぶん、変わらない。
男なのにOL扱いされるエンジニアの日常は、たぶんこれからも続く。
ただ。
隣に、美咲がいる。
それだけで。
十分だった。
本当に、十分だった。
監視画面は見えないが。
今頃、緑のままだろう。
それでいい。
何も起きないのが、一番いい。
ただ。
「また明日」という言葉だけが、今夜も頭に残っていた。
……また明日。
明日も、日常は続く。




