第41話 美咲と凛、同じ夜に
十二月。
水曜日の夜。
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美咲は下北沢の小さなカフェにいた。
向かいに悠斗が座っている。
悠斗とはライブの時に知り合って、それから何度かこうして話すようになっていた。
凛の話ができる唯一の人間だった。
「それで」
悠斗がコーヒーを飲みながら言った。
「最近どうだ」
「……先輩のこと、好きかもしれないです」
言ってしまった。
悠斗は少し止まった。
そして、呆れたような顔をした。
「かもしれない、ってなんだよ」
「かもしれない、です」
「絶対そうだろ」
「……絶対かどうかは」
「絶対だろ」
美咲は少しカップを見た。
「でも」
「何だ」
「先輩って、私のことどう思ってるか分からないんですよね」
「分かるだろ」
「分かりません」
「あいつに聞いたのか」
「聞きました」
「何て言ってた」
「……後輩って言われました」
悠斗はしばらく黙っていた。
それから、ため息をついた。
「……あのバカ」
「バカじゃないと思いますけど」
「バカだよ、こういうことに関しては」
美咲は少し笑った。
「でも悠斗さん、先輩のことどう思いますか。私のこと、どう思ってると思いますか」
「どう思うかって」
悠斗は少し考えた。
「……あいつ、お前の話をよくするんだよ」
「先輩が?」
「グループチャットで。バンドメンバーへの報告が、気づいたらほぼお前の話になってる」
「……本当ですか」
「本当。本人は報告のつもりなんだろうけど」
「教育担当だからじゃないですか」
「教育担当が教え子の話をそんなに楽しそうにするか?」
美咲はしばらく黙っていた。
「でも」
「何だ」
「先輩って、鈍いというか」
「鈍いというか、認めたくないんだろうな」
「認めたくない?」
「自分の気持ちを」
悠斗はコーヒーを飲んだ。
「あいつ、昔からそういうやつなんだよ。仕事のことはすぐ分析して判断するくせに、自分自身のことになると途端に動きが遅くなる」
「先輩らしいですよね」
「らしいな」
美咲は少し間を置いてから言った。
「じゃあ、どうしたらいいですか」
「何が」
「告白、するべきですか」
「お前が決めることだろ」
「でも先輩に「後輩だ」って言われたら、たぶん私」
美咲は少し俯いた。
「……しばらく、立ち直れない気がして」
悠斗はしばらく美咲を見ていた。
それから、静かに言った。
「まあ」
「はい」
「もう少し待ってみろ」
「待つんですか」
「あいつ、動くのは遅いけど、動いたら止まらないから」
「動くんですか、先輩が」
「……たぶんな」
悠斗は少し笑った。
「あいつ最近、変わってきてる」
「どう変わってますか」
「ありがとう、とか言うようになったらしいじゃないか」
「言いました」
「驚いたか」
「驚きました」
「俺も驚いた」
美咲は少し笑った。
「なんか」
「何だ」
「先輩って、少しずつ変わってますよね」
「そうだな」
「私のせいですか」
「お前のせいだろうな」
「……嬉しいような、困ったような」
「変えた方が勝ちだよ、こういうのは」
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同じ夜。
凛は一人で部屋にいた。
コーヒーを飲んでいた。
特に何をするでもなく、窓の外を見ていた。
NIAが言った。
「マスター」
「なんだ」
「本日の感情ログを確認しました」
「するな」
「変化があります」
「分析するな」
「結城美咲との接触回数ですが」
「言うな」
「今週は会社での会話が平均より1.4倍増加しています」
「……」
「理由に心当たりはありますか」
「ない」
「本当にないですか」
「……ない」
「了解しました」
NIAは少し間を置いた。
「マスター」
「なんだ」
「一つだけ聞いていいですか」
「どうぞ」
「結城美咲のことが、気になっていますか」
凛は少し止まった。
「……教育担当だからだ」
「それだけですか」
「それだけだ」
「否定は」
「してる」
「強くはなかったですよ、今の否定」
「……」
凛はコーヒーを飲んだ。
「違う、とは言えない、ということですか」
凛は何も言わなかった。
窓の外に、夜の街が見えた。
「後輩だ」
そう言ってきた。
ずっとそう言ってきた。
ただ。
「違う、とは言えない」
その言葉が、頭の中で静かに動いていた。
「マスター」
「なんだ」
「初めてです」
「何が」
「否定しませんでした」
「……」
「記録します」
「するな」
「タイトル」
「出すな」
「違う、とは言えない夜」
「……消せ」
「保存しました」
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美咲はカフェを出た。
夜の下北沢を歩いた。
「もう少し待ってみろ」
悠斗はそう言った。
待つのは得意じゃない。
でも。
「変えた方が勝ちだよ」
美咲は少し笑った。
既に、少しずつ変えてきたつもりだった。
「先輩の隣にいるから」
最初にそう言った日から。
毎日少しずつ。
先輩の隣で、先輩のことを見てきた。
それはこれからも続くはずだった。
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凛も少し経って、コーヒーカップを置いた。
部屋の電気を消した。
布団に入った。
天井を見た。
「違う、とは言えない」
後輩だ。
それだけだ。
ただ。
今日は、そのあとに続く言葉が見つからなかった。
いつもなら「それだけだ」で終わっていた。
今日は終わらなかった。
NIAが静かに言った。
「マスター」
「なんだ」
「おやすみなさい」
「……おう」
「明日も、結城美咲は隣にいます」
「……知ってる」
「それだけです」
「……それだけか」
「はい」
それだけだった。
ただ。
「それだけ」という言葉が、今夜は少し違う重さを持っていた。
同じ夜に、二人がそれぞれ動いていた。
会ってはいなかった。
でも、同じことを考えていた。
……たぶん。




